独歩の独り世界・旅世界

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2014の旅 11 , 南米への旅たちまで、、

 それから数日間はずっとMiguelのところに引篭もっていた、、原因はともかく(まさか精神的ショックとはさすがにいわないが)実際わたしはおなかの調子が悪くなり、以前かかったことのある(インドネパールでもでた)喉と咳と鼻水の症状がではじめて、体調を崩していたのであった、、前回とは多少料金体系が変わっていたが(&すこし値上がりしていた)Amorのつくってくれる朝食はボリュームがあってうまかっただけでなく、それだけで夜まで持ってしまうので、最初の日だけはほとんど絶食状態で寝ていたが、次の日からは一日一回ビールと多少の食料・食材を買いにでれば、それでほとんど事足りていた、、ミゲルのところだけでなくサンペドロの宿はサンフランシスコもペネレウもキッチンが利用でき自炊OKだったので、それに宿代も安かったからほんとに住むにはいいところだったのだ(生活費はそれほどかからず、気候よし、風景よし、人よしだったから)、、

 わたしはそこでの数日間、仕上げねばならない仕事みたいなものがあった、、それは例の翻訳の続きで、日本から持参したオリジナルコピーのなかにまだ手付かずの未翻訳の部分が残っていて、それを仕上げるための休暇でもあったのだ、、で、そのための場としてミゲルのところは申し分なかった、、前回アンドレアのところからミゲルのところに移った最大の理由はWiFiが使えたからだったが、それに3食付でもあったから、ほとんど集中して仕事?作業に打ち込めた、、今回も一日中引篭もって翻訳作業やっていたら一日があったという間に、数日間もあっという間に過ぎてしまった、、そして当初の予定(未翻訳部分の仮訳)は何とか消化できたのであった、、瞬く間に一週間の中休みは終わってしまってMiguel、Andrea、Carolinaとその家族全員に礼を述べ(Carolinaにはお別れにregalo<プレゼント>としてだいぶ古かったがデジカメを贈る)、また来るからと別れを告げ、土曜日の朝チキンバスでAntiguaに戻った、、

 このときチマルChimaltenangoで乗り換えた際(チマルまでチキンバスで30Q)に、これまでいつも乗換え場でしかなかったチマルの街を少し散策してみた、、チマルのパルケセントラルとカテドラルをはじめて確認、写真を撮ろうとしてカメラをあげてしまったことに気づく、、そんなんで、この一週間の写真は、最初に撮ってパソコンに落としたものしか残ってなかったのである、、さて、Antiguaには14時ころには着いていた、、もちろんその足でリュビア宅に向かう、、部屋が空いてる保証はなく、そのときはそのときのつもりだったが、いってみると実際満室だったのだ、、ここは空いてもすぐ埋まる人気のファミリアであった、、リュビアはわたしの顔を見るなり、どうしたもんかと思案して、一階の2ベッドの部屋に最近きた日本人が一人で居るからそこでいいか?と聞いてきた、、わたしは異存ないが‥というと、今日だけそこに泊まってくれ、明日ひとり出るからそしたらそこに移れる、とのこと、、わたしはありがたい裁量に感謝したのであった、、日本人の若者は大学生で卒業旅行だとかいっていた、、仲間と一緒にきて、そのときは別行動をとっているらしかったが、その彼も一日のシェアを了解してくれ、わたしは他に移らずにすんだのだった(その彼は数日で去っていった)、、一番気になっていたMさんの姿はそこにはなかった(リュビアの話では水曜に戻ったが満室でどこかの日本人宿-田代ではない-にいったといっていた)、、一週間ぶりにT君と再会したが、K君もすでに去ったらしく他に見覚えのある顔は欧米の若者二人だけだった、、MさんはK君と同じところにいるらしいという噂を耳にする、、それはちょっとショックであったが真相はわからずじまいであった、、T君と新しく加わった日本人の若者Y君(彼は偶々T君の大学の後輩とのことだった)と欧米の若者4~5人のメンバーはその後一週間ほどは変化はなく、飲む機会こそ減ったもののそれまでと変わらないホームステイ生活が続いていた、、ところが本当の事情は知らないが次の土曜にMさんはひとりリュビアのところに戻ってきたのだ、、なので最後の一週間は再び同じ屋根の下で暮らすことになった、、そして彼女も2月末でカノを終了し(わたしは正確には3月1日に終了)翌3月1日にわたしとMさんはともにリュビア宅を去り田代に移ったのである、、その田代にはK君が待っておりMさんは次の3月2日K君と二人でメキシコに飛び立っていった、、わたしは3月3日にコロンビアに向けて飛び立ったのだった、、

 わたしのコロンビア~エクアドル~ペルー行は、ある意味余儀なくされたもの?といってよかった、、繰り返しになるが今回の航空券購入の際、安ticketにこだわったのでoutがペルーのリマになってしまったことは最初に申し上げたとおりである、、つまり、ちょっといやみないい方になるが、特に行きたかったからでなく、しようがなくリマまで行かなければならなくなった、ということだったが、それならそれでそれなりの旅をしようと、そのticket取得時から考えてはいた、、だから日本にいる間におおよそのプランニング、スケジュール、航空券の手配等は済ませてあった、、

 わたしがそれほど南米に興味を持っていなかった理由は、これも最初に少し述べているが、まず、体力・気力・資力の衰え(資力の場合は衰えとはいわない?漸減?)を実感していたこと、、またAntiguaで出会う若者は南米帰り、またはこれから南米へ向かう人たちが多かったが、たぶんもう40年も前になるが一度その地は訪れており、あらためて今や高値(高嶺?)の場所となったらしいマチュピチュなどへもう一度いってみようという気はサラサラなかったのである、、同じくコロンビア、エクアドルも記憶こそまったく消えてしまっていたが、もうどうでもいい?どうってことないのでは?と興味の対象にはなっていなかったのだった、、しかし、それでもせっかくの南米という想いはあって、結局そのための期間を一ヶ月とることにしたのも、ただ駆け足で回ってしまうのはあまりにもったいない、という気もしないではなかったからであった(なので翻訳添削をすべて終わらせることができなかったが、それは次回とせざるを得なくなったのだけれど‥)、、

 そのプランニング段階で、まず問題となったのはコロンビアへどこから飛ぶかということだった、、周知のようにパナマ~コロンビア間は40年前もそうだったが、いまだ陸路は通じていない(私見だがこの間は遮断されていたままでいいと思っている)、それでもいろんな手段で陸地づたいに横断したという報告や海路で渡る手があることは聞いていたが、いずれも一般的でなく唯一空路のみ、しかもそれが一番安くて早くて簡単という非常に特殊な地域であった、、だから昔もなけなしの金でパナマ~メデリン(パナマから飛ぶ場合に一番近いコロンビアの街)を飛んだ記憶はあったが、その区間(パナマ~メデリン、パナマボゴタパナマカルタヘナ)は決して安いticketなど出回っていなかったのだ、、わたしは世界遺産の街カルタヘナへ訪れた記憶がなかったので、ボゴタよりも近そうだったカルタヘナパナマから飛ぶことにしていろいろ検索をかけてみた、、が、わたしが調べた限りでは1時間くらいの飛行距離で片道300ドルくらいしていた、、高過ぎる!というのが第一印象、で、いろいろ条件を変えて検索、、例えばカルタヘナではなくボゴタにすると飛行距離の長いアメリカ(例えばマイアミ)からのほうが安かったりする、、LCCのSpirit Airなんかだとアメリカの諸都市を二つくらい経由する安いticketがでていたりした、、これはそうとう難問だった、、単純にペルー往復だとメキシコシティから600ドルくらいからあったから、必ずしも近距離=低額ではないことはプロなら常識のことだったかもしれない、、で、それは去年の暮れころだったと思うが、そのころは時間はたっぷりあったから片っ端から検索をかけて、最終的に以下のticketを確保するにいたった、、即ち、当初の予定だった中米を陸路で下る案は、そのエリアに興味があれば別だが、ただ単にその方が安くすむであろうというのは明らかに間違いであって、たぶん飛んでしまったほうが安あがりになることに気づく、、また時間的にもその間を飛んでしまうメリットは大きそうだった、、また、それまではグアテ発は却って高くつくと思っていたのも思い込みでGuate~CartagenaがPanama~Cartagenaとほとんど料金が変わらないこともわかった、、そして更に検索してGuate~Cartagena~Bogota、最終的にはGuate~Cartagena~Bogota~Quitoまでのticketに行きつく、、飛行時間にして何倍となるかまでは計算しなかったが、恐らく最初のPanama~Cartagenaの10倍近い距離になったのでは?それが2,5倍の料金、だいたい7万円で(片道料金はそれでも高いのだが)出ていたので、それを例によってネットでE-ticketとして手配しておいた、、しかし安いがゆえの苦労は、ある程度覚悟していたが、やはりいろいろあったのであった‥、、