独歩の独り世界・旅世界

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ランタントレッキング 3) キャンジンゴンパ、キャンジンリ Kyanjin Ri ~ランタン村

142_640x427_2 たぶんLangshisha 6370m

  しかし、そこは何と素晴らしいところだったろう ! !、また何とラッキーなことだったろう ! !ほとんどすべて見えていたのだから、、時間も早かったので周辺をブラブラ、、午後はチャプテ氏に連れられてチーズ工場、そしてその上にあるゴンパ、更にその上のストゥーパまで登る、、ランタン氷河とランタンリルン、ランタンⅡは目の前にあったが、さらに展望がよいという真上に見えているキャンジンリKyanjin Riまで明日登るといっている、、見た目それは厳しそうだったが、せっかくここまで来れたのだし、みんなそこまではいくといっていたから、登れるかどうか不安はあったが彼に任せることにした、、が、結果論だがそれならその日の午後いってしまう手もなくはなかったかもしれなかった、、もっとも、その日の午後は天気が安定してなかったからその辺は難しいところだったが‥、、

村の感じ、ランタンリルンは雲の中116_640x427

チーズ工場(倉庫?)もちろん量り売りでチーズを買える118_640x427

ここの地名となっているキャンジンゴンバ、下;中を拝観119_640x427_2121_640x427

上からみたストゥーパと村124_640x427

 それというのも、とりあえずキャンジンゴンパまで来れたのでこれからのルート、帰り道を検討する必要があった、、振り返ってみるとシャブルベシからここまでは2日半でこられたことになる、、で、わたしも実感として帰路は2日で戻れるのでは?とそのとき思っていた、、ガイドブックなどによるとモデルコースとしては(シャブルベシから)往路3日、キャンジンゴンバ一日(2泊)帰路2日が一般的なようだった、、その場合の中一日で先のキャンジンリ、またはそこより少し遠くて高い山ツェルゴリTsergoRi4984mまで登って戻ってくる、そして2日で下る、、あるいはその日の午後にキャンジンリを往復して、次の日下れば一日日程を短縮することができる、等々、、いかようにもコース設定はできたのだ、、然るにわれわれの場合わたしがここまで来られるか、来られたとして通常の日数で来られるかの問題があったから、トータル的に8~9日という日程を組んでいただけだった、、だからここでどうするか帰りをどうするかは何も決めていなかった、、そこでまず8日とするか9日とするかの回答をわたしが出さなければならなかったのだ、、それによって、つまり9日間にするならキャンジンゴンバ2泊となり、8日にするなら今日の午後にキャンジンリを往復するか、明日朝往復して遅くとも明日の午後には下山しなければならない、ということだった、、もっともわたしはここまで来れて一応雪山の写真が撮れればとそれでよしと思っていたので、更に高いキャンジンリまで登ることは当初考えていなかった、、たぶんガイド氏もわたしの状態しだいで決めるつもりでいたのかもしれない、、ま、それがなんとか普通の人と変わらないコースタイムで来れたので、明日もう少し上までいけるだろうと思ってくれたのかもしれなかった、、で、わたしは次のように答えた、、もしキャンジンリまでいくなら明日の朝にしよう、、そして午前中に降りて下山する、、ただし2日で下れるところを2.5日あるので、来るときに薦めてくれたトゥローシャブルThulo Syaburu(ここについてはいずれ書くことになると思う) に寄るルートをとろう、、それでトータル8日間になるがどう?と‥、、もちろん彼に異存なくそれでDaijobu des(大丈夫です)と日本語でいったくれた、、ま、わたしとしても日数が少なくなるほど支出が少なくなるので、むしろそれでお願いしたかったのだった、、

キャンジンゴンバ村から;6枚、天気が変わりやすく晴れ間が見えたときに、、

131_640x427 ランタンリルンは雲がかかっていることが多かった

 136_640x427バックはガンチェンポ?とガイドChhapte氏Langshisha6370m144_640x427

Langshisha,Gangchhenpo方面;3枚132_640x427_3 146_640x427 141_640x427

 そのキャンジンリにその日の午後往復してきた人がいた、、その晩も同宿となった日本人男性T.H氏だった、、彼とはようやく3日目にして親しく会話を交わすようになったが、いずれにしろ往路すべての宿場で同宿だったのだから、それはむしろ遅すぎたかもしれなかった、、その夜夕食時に顔を合わせたとき彼からいろんな情報をもらうことになった、、最初から不思議なオーラを感じられた人だったが、彼は登山家ではなく芸術家のようだった、今は出身地の福島で被災者支援に従事していて、その流れの中で昨年はマナスルへ、そして今年はエベレストに挑戦したというようなこと、エべレストはあと100mのところで引き返したこと、今回のトレッキングもその延長でこの後戻ってゴサインクンド・ヘランブ(Gosainkundo・Helambu、ランタントレックの中のバリエーションだが、最も長くてきついルート)経由で歩いてカトゥマンドゥへ戻る予定であること、なのでこのトレッキングはトータル2週間くらいの予定でいること、ついては明日朝下りはじめるので午後にキャンジンリまでいって来た、それもここから見えるところでなく、更に1時間ほど奥にほんとのキャンジンリはあってそこまでいって来た、というような話をしてくれたのだった、、いやタフな人というか、スゴイ人だった、、パワーが漲っていて圧倒されそうだった、、そういえば戻ってきたあとだったのか午後のひと時、ホテル前の広場で絵を描いている姿を目にしていた、、しかしその人が著名人であったことを2日後まで知ることはなかった、、

<五日目 ニセKyanjin Ri4300m、キャンジンゴンパ~ラマホテル>

  次の朝、日の出前に目を覚ましほとんど雲がなくすべての山が見えているのを知って外に飛び出した、、目の前のランタンが徐々に朝日に染まっていくさまを写真に収めたが、素人の悲しさであまりいい写真に撮れてはなかった、、まだ日が高く上らないうちにキャンジンリを目指して出発した、、あまりに急な登りの上ジグザクの道は狭くチャプテ氏についていくのがやっと、彼の足元を見て登っていくほか余裕はなかった、、さすがに4000mの高度なので息が切れ少し上ってすぐ休むといった状態が続いた、、が、高山病はでていなかった、、3500mのラダックではお酒を飲んでしまって高度順応に失敗したが、今回はチャプテ氏の指導があったので、まったくその影響はでていなかった、、しかしわたしがあまりに苦しそうだったのか、すこし長めに休んでいたとき突然チャプテ氏が保険に入っているか?と聞いてきた、、入っていないというと、入っていればもし何かあったときここからヘリで戻れるが、入ってないとすれば責任上あまり無理はできない、といって、ほんとは先のキャンジンリ4700mまで行く予定だったが、その手前の下から見えていたピークで引き返したほうがいいかもしれない、といいだした、、この次来るときは保険に入ってきてくださいと付け加えて‥、、ちょうどそこへ上から降ってくる人がいた、、こんな早い時間に!?と驚いていると何とそれはもう顔なじみになっていた日本の女の子とそのガイドだった、、彼女は5時に登りだし奥のほんとのキャンジンリまでいってきた、、日の出が素晴らしかった、眺めも最高だったといっていたが、その根性がわたしには素晴らしく思えた、、そう5時に起きていくべきだった、、行こうと思えばいけたのだ、、そうすればわたしもそこまでいけたかもしれなかったのだ‥、、

日の出前のランタンリルン145_640x427

まだ誰も起きてこないホテルの前の空き地にやってきた馬の家族151_640x427

ランタンⅡとランタンリルンが同時に収まった唯一の写真、左のランタンⅡ(左)から日が当たりだして、ランタンリルンに日が射したところ、、154_640x427

少し時間をおくともうランタンⅡには雲が、、155_640x427 キャンジンリへの登りの途中から、正面はナヤカン? 157_427x640

 そこから手前のキャンジンリまで、相変わらずきつい登りを20分、下から見えていた標高差400mのピークまで休みなしなら1時間くらいだったかもしれないが、休み休みの登りだったので1時間20分もかかってしまった、、そのタルチョはためくピークは4300m、そこからの眺めも素晴らしかった、、更に奥のほんとのキャンジンリKyanjin Ri4700mは手前のコルから初めて見えたが、あと1時間くらいかかりそうだった、、そこにたどり着くまでにそうとう疲れてしまっていて、もういいか、ここで十分だと思ってしまった、、あと1時間苦労したとしても眺めはそれほど変わらないだろう、ならここでゆっくりしようと、もうひと頑張りを断念してしまったのだ、、誰もいないそのピーク、そしてそこから少し登ったところのお花畑で景色に見惚れ、白い峰々に囲まれ暖かい日差しに包まれて3~40分ほど戯れていた、、天気に恵まれ、この風景を見ることができた幸運と、ここまでつれて来てくれたチャプテ氏に感謝し、しばらく至福のときに浸っていた、、‥しかし、それでも下山してから、やはりあの時もうひと踏ん張りしてKyanjinRiまでいくべきだったと、その悔いは残ることになった、、

ニセキャンジンリピークからの眺め、360度を東方向から、、158_640x427 ピークからの眺め;東方向、稜線をたどった先がKyanjin Ri本峰4700m、その背後の白い峰がYala Peak 5500m

188_640x427証拠写真

北方向、Yansa Tsenji 6543m右、Kimshung氷河、ランタンリルンLantang Lirunug7246m左159_640x427

少し西方向、今度はランタンリルン右と間にリルン氷河、雲がかかっている左がランタンⅡ 160_640x427

西方向、リルン氷河とランタンⅡの前衛の山200_640x427

西南方向にキャンジンゴンパの村とわれわれの辿ってきた道、ランタンコーラとランタンバレー、白いピークはナヤカン?Naya Kang Ri5846m178_640x427 175_427x640

南方向Ponggen Dopku5930m?156_640x427_2

東南方向、Gang Chhenpo山群;2枚163_640x427179_640x427

東南から東方向Gang ChhenpoとLangshisha ;下、2枚目;Langshisha162_640x427 205_640x427

 下山時に今度は登ってくる日本人とそのガイドに出会った、、一昨日ランタン村で同宿だったOsam.Watanabeさんだった、、もうひとりインドネシアの友人とのパーティだったが、その彼は高山病で下のホテルで休んでいるとのことであった、、ランタンの宿ではもう一人の日本人T.H氏とずっと話されていたので、わたしはどちらともほとんど話をしておらず、このとき初めて自己紹介のような形になった、、まだ30代前半でどうやら日本では同郷だったこと、最初に見かけたときには日本人かと疑っていたのだが、それは仲間が日本人でなかったこととネパール語がペラペラだったからだったのだが、聞くところによるとJica(日本海外青年協力隊)で今年の1月まで2年間ネパールで支援事業に携わっていたからとのことであった、、そこで15~20分も話していただろうか?このあとキャンジンリまで行って今日のうちにランタンまで下るとのことだったので、たぶんそこでまた会うでしょうといって別れた、、彼の若さならこれから登っていってもそれは十分可能だと思われた、、われわれも下りはそこでの時間を入れても1時間で下れ、10時半にはホテルについていたのだから、決断しだいでいけなくはなかったのだった、、恐らく4700mのピークへの往復はせいぜいプラス1時間半、そしたら12時には下れたはずだったからである‥、、

 そしてそのホテルで軽い昼食(にんにく入りポテトスープとチャパティ)をとって11時15分帰路についた、、来るとき2時間半かかった道は写真を撮りながらのんびり下っていったがそれでも2時間もかからず、13時ころランタン村の前回と同じ宿Peacefull Lodgeに着いていた、、キャンジンゴンパでは軽い昼食だったので、こういうのをネパール人は好まないのだが、チョウミン(焼きそば)とモモ(チベッタン餃子)を半分ずつでどうかとチャプティ氏に了解をとって上で頼んでもらった、、それができる間ここもソーラーシステムによる温水がでたので何日ぶりかのシャワーを浴び、そしてこれもチャプテ氏の了解をとってのことだったが(もちろん別会計で)何日ぶりかでビールを注文する、、ほんとのキャンジンリまではいけなかったという小さな悔いは残していたが、当初の思いを果たせたという満足感と彼がいてくれたこそという感謝の気持ちをこめてチャプテ氏と乾杯したのであった、、

<帰りに撮った写真何枚か>

降りてきたばかりのニセキャンジンリ;上とその麓の草原で草を食むヤクの群れ;下212_640x427_2 213_640x427

ガンチェンポ、ツェルゴリを振り返る214_640x427

ランタンリルンとリルン氷河の見納め

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キャンジンゴンパからの帰り道、小川のたもとのチョルテンを修理中?217_640x427

ガンチェンポの見納め?219_640x427

ランタン村近くで;3枚220_640x427 221_640x427 222_640x427