独歩の独り世界・旅世界

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2014の旅 18 , ワラス Huaraz;トレッキング / Perú


 カハマルカの標高は2750mで、バスは1時間ほど登って3000mの峠を越え、そこからはペルー北部の海岸砂漠地帯まで4時間くらいかかって下っていった、、途中30分くらいの昼食休憩があったが、その間の2Fの展望席からの眺めはやはりなかなかのもので多いにそれを楽しんだ、、特に雄大なペルーアンデスを行く山岳道路、山岳風景はなかなか見ものだった、、もっともその道は前々日に一度通っていたのだが、夜中のことでだったので改めてこんな山道を通ったのかと、そして思えばはるか遠く500年前、当時すでに存在していたこのインカ道を後に征服者となるピサロの少数軍団が歩いてカハマルカに向かったいたのかと、想いを馳せていたのであった(といってもわたしは断じてコンキスタドールConquistadorに与するものではない)、、ともあれその山岳風景は高度を下げるに従って様相が変化していき、しまいにはとうとう砂漠地帯となるのであった、、パンナムハイウェイを右折するとチクラヨへ、左折するとトルヒーヨ方面となる分岐点Ciudad de Dios<神の街?>という街を15:00頃通過、そこから直接太平洋は見えなかったが、ペルー北部の太平洋岸の砂漠地帯を南に下って17:30トルヒーヨTrujilloに着いた、、延々と続く砂漠道は40数年前ヒッチハイクでリマに向かっていたときに通った記憶を甦らせた、、

<以下はバスの2Fの一番前の席から撮影;8枚+1枚は昼食休憩場所で撮影>

カハマルカ市街160_640x427_3

ルーアンデス山岳風景168_640x427_2

ガードレールのない危険な道から車が転落したらしい事故現場
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他社のバスも停車していた昼食場所171_640x427

比較的大きな山間の街(街の名前不明)173_640x427

海岸地帯に近づく、河川の流域は灌漑されていて緑がある174_640x427

Ciudad de Diosの分岐点、右;チクラヨ、左;トルヒヨ方面176_640x427

砂漠の中のパンナムハイウェイを行く181_640x427

Trujillo近くの料金所?またはチェックポスト?184_640x427


 

 しかしトルヒーヨに着いたとき早くも昏迷の中にあった、、チクラヨで心配していたことが現実となったのであった、、着いたところはターミナルでもなく、バス会社の営業所でもなく、どこだかわからない道筋に、ここで降りろとばかりに降ろされてしまったのであった、、たぶん説明はあったのだと思うがそれは判らず、状況から推測するに近くに営業所があるようだったが工事中かなんかでそこまでいけないといった感じで、誰も文句を言わずに降りていたのでわたしもそれに従ってしまった、、が、事情通の現地の人ならともかく、まさしくわたしは路頭に迷うことになってしまった、、確かにその近辺には何社かのバス会社はあった、、そのほとんどはチクラヨ、カハマルカ、リマと案内されていたが、わたしが次に向かうつもりであったワラスHuarazの表示はどこにもなかった、、また、その近辺に安宿はおろかホテルも目に入らなかった、、途方にくれる、どうしたもんか?、地図も何もないからそこがどこなのかもわからない、セントロの方向も判らないしわかってもそこまで歩けるのかどうかもわからない状態だった、、で、その付近にあったバス会社のひとつを訪ねて、ワラスに行きたいがと聞いてみた、、親切なセニョリータがいくつか教えてくれた、、この近くのバス会社でワラスへ行くバスを出しているところはない、ワラスへ行くバスは2~3社あるがいずれもそこまで歩いていくのは無理だからタクシーで行くのが賢明であろう、という説明は何とか聞きとれた、、タクシーか‥!?、それしかないだろうとわたしも諦めていた、、で、そのタクシー代はどのくらいかかるの?と重ねて聞いてみると、ちょうどそこにタクシードライバーがいたので彼女がわたしに代わって交渉してくれた、、7ソルとのことだった、、それが普通の値段かどうかはわからなかったが、彼女が話してくれたのだからそれが高すぎるとは思えなかった、、それで彼女に礼をいってそのタクシーに乗り込んだ、、

 ひとつの分かれ目はそのときだった、、そのドライバーはわたしがそれほどスペイン語がわからないのにかまわずいろいろ話しかけてきた、、いろんなことを話したが、その中でどのバス会社にするかと聞かれ、それはターミナルはなくバス会社によって場所が違うのでどのバス会社にするかと聞かれたのだが、もとよりどれも知らないのだから任すよりなかった、、けっこう走って連れて行かれたところは確かにワラス行きのバスを運行しており、その夜のバスもあるとのことだった、、しかしわたしはその夜のバスに乗るつもりではなく、少なくとも一日はトルヒーヨに滞在するつもりだったから、その近くに安宿があるかどうかがより重要でそのこともタクシーの中で話してはいた、、で、タクシードライバーはホテルは近くにあるというのでわたしはそこで降りてしまったのだった(ちゃんと説明してホテルまで連れてってもらえばよかったのだ)、、わたしは彼の言ったことを信じて、まずホテル探しをしてみた、、確かにホテルは一軒あったがそれは安宿ではなく、その付近を隈なく歩き回ったが、他にホテルを見つけることができなかった、、ちょっと勝手が違った、、わたしのイメージとしてはそれまでに得たペルー情報ではターミナルはなくてもバス会社は何件か固まっていて、その近辺に安宿もある‥、、しかしここはそれが全く当てはまらなかったのである、、トルヒーヨは大きな街であることは知っていたし、見所もけっこうあるようなことも聞いていた、、しかし詳しい情報は何も持っていなかった、、歩き疲れて判断を迫られる、、もう一度タクシーを使って安宿を探すか、このまま夜行バスでワラスまで行ってしまうか‥??、結局後者を選ぶことにしてしまったのだった、、しかし、運悪くここのバス会社は値段の高いバス会社であった、、それもわたしのイメージからはズレていた、、カハマルカ→トルヒヨが20ソルでこられたのに、それほど変わらない距離がなんで50ソルもかかるのだと‥、、しかしその付近に他のバス会社が一社もなかったので、それも従わざるを得なかったのだった、、

 仕方なくそのバス会社で行くしかないと諦めticketを購入し荷物を預けた、、出発までの数時間、せめてその近辺だけでも歩いてみようと1~2時間うろついただけでトルヒーヨは終ってしまった、、ま、それでもその間に見つけたChifa中華屋さんで、けっこう安く食事ができ、ビールが飲めただけでも幸いとするしかなかった、、夜の10時半発のバスは値段が同じということで、ちょうどその日カハマルカから乗ってきたバスと全く同じ2Fの一番前の特等席になったが、それは夜行バスでは何の価値もないことだった、、が、そのとき隣のシートだったカップル(後でフランス人とわかる)が、スペイン語が十分でないわたしを何かとサポートしてくれたのだが、その彼らと知り合ったのが次の分かれ目となったかもしれなかった、、

 わたしにとってワラスは、それこそ40数年前の旅で寄ってなかったところだったので今回の目的地のひとつになっていた、、その意味で今回の旅ではクスコ・マチュピチュを目指してなかったのだが、そこはすでに40数年前に訪れていたからであった、、もちろん再訪の価値は十分あるところと思われたが、時間的・資金的な問題で、それより未訪地を優先していたということであった、、で、そこはいわゆるアンデスの5~6000m級の山々が峰を連ねるコルディエラプランカCordillera Blancaの登山基地として有名なところで、昨年のヒマラヤに引き続き山の写真を撮りたいと思っていたのだった、、

 そのバスは前回ペルーのバスシステムについて述べたが、いわゆるハイクラスのバスだったので、値段が高く、その分過剰とも思われるサービスがついていた、、バスアテンダントが乗っていて飲み物や軽食が提供された、、しかしそんなものは特に夜行バスだったので必要なかったし、おそらくそんなサービスなしで半額くらいのバスはあったはずだった(もしわたしがそれをきちんと伝えられたら、もしかしたらタクシードライバーはそれなりバス会社に連れてってくれたかもしれなかったのだ)から、よけい悔やんでいた、、それでもほとんど途中を覚えていないから眠ってしまったようだった、、バスは朝の5時半にワラスのバスターミナルのようなところ(ワラスには総合ターミナルがあったのだ)に着いていた、、しかしそこでも、実のところどうすればよいか全くわかってなかった、、まず宿探しだったが、そのターミナルがどこにあって、どっちに行けばセントロで、どこにホテルがあるのか?朝早かったのでインフォメーションもあいてなかった、、そのとき隣の席だったフランス人のカップルがどうもこちらのガイドか呼び込みのような男に捕まっていた、、いや、交渉していのかもしれなかった、、で、わたしに声をかけてくれ、宿は決まっているのかと英語で話しかけてきた、、彼らが言うには、この男が安宿を知っていて、そこはタクシーでないといけないが一人2ソルで連れて行ってくれるといっている、、もしよければ同乗してもかまわないというようなことを言ってくれた、、ちょっと迷ったがこの場に及んでなす術がわからずにいたので、わたしも同行させてもらった、、どこをどう通ったか全然わからなかったが、しばらく走ってパルケセントラルと思われるところを曲がって少しいったところで車は停まった、、で、その男が先導してくれてその宿のオーナーに会わせてくれた、、わたしは別にそこに泊まるつもりではなく、まずは街中へと思って同乗したのけど、他を全く知らなかったし、そこが安かったので(バストイレWiFiつきで30ソルはカハマルカかよりも安かった)泊めてもらうことにした、、部屋が決まると、その男はまだそこにいて、というかその男はホテルの呼び込みでなく本業はトラベルエージェンシィの客引きでだったようで、そのカップルと話し合いを始めたのだった、、次の日のワラスからのツアーを彼らに紹介し始め、わたしも興味があったので一緒に聞いていた、、いくつかの日帰りツアーの説明をしたあとで、彼はトレッキングの話を彼らと始めたが、もしかしたらはじめからフランス人カップルはトレッキング目的でここに来ていたのかもしれなかった、、そしてその話はまとまったようだった、、そのあとその男は矛先をわたしに転じてきた、、貴方はどうする?と聞いてきたのだ、、わたしはトレッキングの話も日帰りツアーの話しも寝耳に水で、何しろ予備知識は全くなく、ここで情報を得てから考えようと思っていたところいきなりトレッキングの話だった、、ペルーの最高峰ワスカランHuascarán 6768mの脇を通って、その隣の山塊を4日間で回るというもの、しかしわたしはそのつもりできていないといってみたが、靴等は借りられるし4日間のキャンプ代・食事代・荷物の運搬費・ガイド代等全て込みで350ソル(125ドル)、何も用意してなくても行けると強く勧められてしまった、、なぜその話に乗ってしまったかをあとから分析すれば思い至ることがないではなかった、、1,山の写真が撮りたかったので、もしかしたらそれはチャンスかもしれないと思ってしまったこと、、2,山歩きはかつてしていたし、何より去年はヒマラヤのトレッキングにでかけて8日間歩いていたこと、、3,同じようなツアーは、グアテマラで5日間のジャングル踏破の経験があったこと(2013のミラドール)、、つまり準備はしてなかったが、たぶん何とかなるだろうと思ってしまったのだった、、まったく予定外の選択だったが、ま、それもいいだろうくらいの気持ちで、彼らとともに次の日からのトレッキングに参加することにしてしまったのであった、、で、その日は確かにチラッと雪山が見えたりして、ワラスはいいところだなあ、このホテルも日当たり抜群で安くていいところにあたったなぁと、かなりうれしい気分になっていた、、しばらくはシャワーに浸かり、荷物の整理、洗濯物の依頼、mailのチェック等でのんびりしてから街にでた、、その宿はパルケセントラルから4ブロックほど登ったあたりにあったので、パルケセントラル(Plaza de Armas)までは5~6分だった、、カテドラルの対面の建物が市庁舎?でその一画にあったインフォメーション(ここもツーリストポリスのセニョリータが係りのようだった、、前回少々述べたがここのツーリストポリスの婦警も美系が多かった)で地図をもらい街ブラ、インディヘナが多かったが、大きな街でずっと洗練された都会だった、、数ブロックいったところにワラスのメルカドがあったので、ここでも山高帽を探すがメルカド内に帽子屋はやはりなかった、、登山基地だけあってその関係のエージェント(旅行代理店;登山、トレッキング、日帰りツアー、バスのticketなどを扱っていた)、登山用具のレンタルショップ等が多いのは当然として、やはり観光客が多いからかみやげ物屋やレストラン等も多く、街の中心部はかなりにぎわっていた、、晴れていれば街中から雪山が見えるはずだったが、ここでもそれは叶わなかった、、

Huaraz パルケセントラルPlaza de Armas ; 2枚187_640x427188_640x427

 しかし翌日、心配した天気はなんとかもちそうで、6時に迎えに来た車にフランス人カップルともう一人東洋系の男性とわたしがそのホテルから乗り込んだ、、15人くらい乗れそうなワゴン車にはすでに何人かが乗っており、そのあと市内を30分くらいピックアップに回って、ほとんど満席になって車はユンガイYungayという街に向かって出発した、、ユンガイ<2500m>からはほぼ直角に右折、ペルーの北から南南東に走るアンデスの山並みCordillera Blancaコルディエラブランカの山すそに分け入っていった、、けっこう登ったところにチェックポスト<3400m>があったが、その手前で朝食時間が30分くらいあって、8時半頃チェックポスト、そこで我々Santa Cruz トレッキンググループは一人65ソルの入域料(Parque Nacinal Huascaran)を払わされた、、そのとき初めてわかったのだが、全部で15人くらいいたそのときのメンバーのうちの大半はトレッキング参加者でなく、その途中にある湖Lags Llanganuco(ヤンガヌコ湖、二つの湖があって手前がChinancocha、奥がOrgoncochaと呼ばれていて男性湖と女性湖とに分かれているとのことだった)に行く日帰りツアーだったようで、それだと入域料15ソルとのことだった、、で、そこから10分くらいいったところに最初の湖があって、少し離れたところにもうひとつの湖があった、、いずれもU字谷に神秘的な佇まいは、ま、絵になるところではあったが、どちらが男湖でどちらが女湖だったかは忘れた、、そこで写真タイムをとって、その後また少しの登ったあたり<4000m付近>で日帰り組は全員車から降りていった、、そこからどこへ行くのかは知らなかったが、この車が数時間後、我々をどこかに降ろして引き返してきて、またワラスまで連れ帰るといったツアーのようだった(確かその日帰りツアーは40ソルと聞いていた)、、しかしこの車?この道?の圧巻はその後だった、、そこから道は九十九折の登りになって高度を増していった、、雪山がだんだん対等の位置で現れ、先ほど通った二つの湖が遥か下に眺められるようになった、、よく見ると進行方向右手に氷河が見え出した、、残念ながら雲がかかっていて頂上は隠れていたが、晴れていればペルー最高峰のワスカラン<6768m>がその上に聳えているはずだった、、左手にはやはり6000m級のワンドイHuandoy、チヤクララフChacraraju、5000m級のピスコPisco、ヤナパチャYanapaccha、、しかしやはり頂上付近は雲の中だった、、われわれの車は1時間半以上の悪戦苦闘の末雪線に近い4767mの峠を11時頃に越えた、、峠を越えると九十九折ではなくなったが雄大な山肌を縫う下りとなった、、しばらくは左右に雪面を見ていたが、1時間ほど下ってバケリアVaqueria<3800m>という集落についた(12:00)、、そこがトレッキングの出発点だった、、

チェックポストの手前で朝食;2枚195_640x427191_640x427

ヤンガヌコ湖<3800m>;2枚、左が手前のChinancocha、右が奥のOrgoncocha197_640x427203_640x427

湖から車で1時間くらい登った4500m付近からの眺め、右に屹立しているのがHuandoyワンドイ6160m214_640x427

同地点から右方面に氷河が見えている、その上がペルー最高峰のHuascaranワスカランNorte北峰6664m、Sur南峰6768mだがいずれも雲の中;2枚212_640x427206_640x427

峠を越えるとアマゾンの水源?4500m付近に湖沼がいくつもあった218_640x427

峠の向こうは山容が変わって傾斜がゆるくなった(だから湖沼が存在する)、、長い下りが続く、、249_640x427

バケリアVaqueriaの集落ではラバmulaが待っていて、すぐに荷造りが始まった;2枚220_640x427
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  そこで降りたのは7人で、そのうちの一人がガイドだった、、そのガイドはまだ歳若く経験も少なそうで、どうもいまいち信頼感に欠けた、、というのも今後の行程の話を全然してくれなかったからだ、、で、ともかくそのガイド氏から昼飯のサンドイッチをもらいしばし昼食休憩となったが、その間にガイド氏と待っていた馬方氏が3頭のラバに荷を積み出発の準備を整えた、、トレッキングのメンバーはわたしの他はみんな20代? - たぶん30代はいなかったのでは?いたとしても30代前半?歳は聞かなかった‥、、 - フランス人のカップルと東洋人の若者はマレーシア人で名前をケイン君といった、、そしてあとの二人はカナダ人の女の子の二人組だった、、ガイド氏は英語も話せたと思うがほとんど何の説明もないままわれわれは13時ころようやく歩き始めたのだった、、最初は急峻な下りだった、、一気に30分300mほど下ってユルマ川Rio Yurma<3500m>にかけられた橋を渡って、一登りしてその河岸の村ワリパンパHuaripampa<3600m>までワンピッチ、、そこまではほとんどが下りだったので何とか遅れずについていけた、、が、しばし休んで、そこからはなだらかながら登りになった、、そのとき今日の行程は4日間のうちでは一番楽でほとんど急な登りはないと、はじめて説明があって、4800mの峠を越えてきたにもかかわらず高山病の兆しもまったくでてなかったので調子は悪くないとずいぶん楽観的な気分でいた、、しかしだんだん高度の影響はでてきたようだった、、わずかの傾斜がきつくなりだして、少しづつ遅れ気味になっていった、、このとき元気だったのがカナダの女の子二人組みで、そのときの足取り及び装備からして、どうもこの子達は山やさん(本格的に山登りをする人、そういえば今思い出したことだが、彼女たちは通常4日かかるこのトレッキングコースを3日で回るといっていた)で、直接は聞かなかったが6000m峰のどこかを狙っていてそのための高度順応トレーニングとして参加しているといった感じの軽やかな足取りだった、、ワリパンパ分岐の休憩地点から30分くらいで村を抜け、少し登って牧にでるとそこにチェックポストがあった、、途中ところどころで小休しながらであったがそこまで1時間、そしてそこからは傾斜のない湿地帯となった、、しかしちょうどその辺りから雨がぱらついてきて、ほとんど平坦ではあったが足場がぬかるみだし、きつい行軍となった、、その日のキャンプ地(何もないところだったが、先行の馬方氏がテントを張っていてくれた)にやっとのことでたどり着いたのは16時半で、先頭を歩いていたカナダの女の子たちからは30分くらい遅れてしまったかもしれなかった、、いや、しみじみ、楽なコースとはいえ、その高度を、つまり空気が薄いという影響を感じないわけにはいかなかった、、

一旦川まで下って一登りしたワリパンパの分岐、ここまでワンピッチで小休止223_640x427

少し登りが続いて小休止;左フランス人の男性、中カナダの女性のうちの一人、右ガイド氏224_640x427

更に少し登ると村の境界?放牧されている動物が入らないように囲いと柵があった225_640x427

その先にチェックポストの小屋があった242_640x427

気持ちのよい湿原?だが雨がぱらついていた226_640x427

足場はだんだん悪くなっていった234_640x427

キャンプ地付近;3枚、周辺は放牧地になっていた229_640x427235_640x427230_640x427

 そのキャンプ地は3900mくらいだったが、まわりは牧で5000m峰の麓、脇に渓流の流れるとても気持ちのよいところで、雲さえなければ頭上に5000m峰が聳えているはずだった、、あいにくの雨で、それから夕食まではテントの中でお茶を飲みながらの談笑となった、、そこで次の課題に直面する、、もっとも驚かされたのはマレーシア人のケイン君の英語が完璧だったことで、ま、金融関係の仕事をしていたらしいから、それは肯けるのだけれど、その場でみんなの会話に入れないのがわたし一人だったことである、、しかも年齢差もあるし体力差もでてしまった、、このトレッキングは失敗だったかとそのとき思い始めていた、、その間ガイド氏は別テントで馬方氏と食事の準備をしていたと思うが、彼はほとんど我々とは接触せず一緒に話をすることもなかった、、その夕食はなかなか素晴らしいものだったが、そのあとで初めて彼は明日の行程の話をしてくれたのだった、、それによると明日は一番きつい行程で4800mの峠を越える、、登りが4時間で下りが3時間くらいかかるだろうという説明だった、、このときわたしはUターン、一人で戻ることを決めたのだった、、それは次の朝まで表明はしなかったが、早い話それまでの行程からみて、まず無理であろうこと、少なくともパーティであるからわたしが行けば必ず他のメンバーに迷惑を及ぼすであろうことは火を見るより明らかだった、、それとその場からなら来た道を戻るだけだから、帰路の心配もないと思われたからでもあった、、そして次の朝、朝食のときにそれを伝え、みんなと別れ一人で来た道を引き返したのだった、、

 あえてもうひとつ理由を付け加えるならば天気がいまひとつだったことも、その決断を促したといっていい、、なんとか峠を越えられたとしても何も見えなかったら‥??、、その朝の天気はその可能性を(半々くらいで)示唆していた、、なのでキャンプ地を離れるときはその日も雨具を必要としていた、、それでも下りは楽な道だった、、そこは他人に気兼ねなく一人で歩くには本当に気持ちのよい場所で、これで晴れていたらもう文句のつけようのないところだった、、行きに休んだワリパンパの村の分岐まで、それでも3時間かかってしまう(往路も3時間だった)、途中からは雨も上がり少びり歩きすぎてしまったようだった、、そこで村の子供にチョコレートをせがまれしばし休憩する、、が、そのあとにもう一苦労が待っていた、、前日に車を降りたバケリアの村まで、下りは30分だったところ、その登りに何と1時間もかかってしまったのだ、、そのときも息切れが激しくて、ここでこんなに苦しくて足が進まないのに更に1000mも高いところを登るなんて、わたしにはいかに無謀であったか、やはり引き返して正解だったと、つくづく思い知らされることになったのであった、、バケリアまででれば、ユンガイまでいくコレクティボをつかまえられる、ユンガイからはワラス行きのバスが何本も出ているとガイド氏から聞いていた、、で、いつ来るかわからないコレクティボをその朝昼食分としてもらってあったサンドイッチを食べながら待ったが、そのコレクティボが来るまでの間一台の車の通行もなかった、、やはり4800mの峠越えの道なんてほとんど通る車はなかったのである、、それでも30分ほどで13時頃コレクティポが下から上がってきた、、しかしその車は満員で席がないといわれてしまう、、オイオイオイ次に何時に来るかわからないではないか‥??、、何とかつめてもらって一人分のスペースをつくってもらった、、1時間かかって峠まで登り、そしてその日も雲がかかって山頂付近は見えなかったがコルディエラブランカの絶景を楽しみながら湖まで下ってユンガイには15:45に着いた、、15ソルだった、、そこはコレクティポのターミナルでワラス行きのコレクティボが待っていた、、乗り換えるとすぐに発車、ワラス行きが何本も出ているというのはこのことをいっていたようだった(実際10~15分おきくらいにあって5ソルだった、、バケリアを通るユンガイ~ヤナマYanama間のコレクティボは30分に一本くらい?料金はどこで乗り降りしても15ソルとのことだった)、、そうして土砂降りのワラスのコレクティポターミナルに着いたのが17:10で、しばらく雨が止むのを待ったが、いっこうに止む気配なくしかたなくタクシーで荷物を預けてあったホステルCasa Cabañaに戻った、、思うに、やはり準備不足(トレーニング不足や装備の不備、事前の下調べ)はあったが、一番の欠落(失敗・後悔)は登山シーズンといわれている5~8月をはずしてしまったことにあったのではないかと今は思っている‥、、

その朝、別れ際に写真をお願いした;左からフランス人女性、カナダ人女性、マーシアのケイン君、カナダ人女性、フランス人男性233_640x427

こういうところを一人で歩くのは気持ちがいい、、これで晴れていたら尚のこと‥239_640x427

ワリパンパ村のトレッキング道、このあたりでは雨はやんでいた、、244_640x427

最初の日も休んだワリパンパ村の入り口で子供達;2枚246_640x427245_640x427

Vaqueriaの集落、逆方向から(初日に写したもの)221_640x427

帰り道にもう一度ワスカランを狙ったがこの日も雲の中だった262_640x427

ワラスのコレクティボターミナルに着いたときは土砂降りだった270_640x427