独歩の独り世界・旅世界

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2017 Guate y Mexico 8)Rio Chixoy,Coban,Guate,Antiguaに戻る

 当初、一週間くらいを予定していたグランドサークルは、たった3日で完遂できそうだった。早すぎね?当初の思惑は何だったんだ?勿体つけて回るほどの旅ではなかったのでは?あとからならばなんとでもいえたが、しかし来てみるまでは、それらの地域情報が全くなかったのだから、何とも歯がゆい感じが否めない、、ま、しかし観光ルート以外のところはそんなものかもしれない。それにしても、である。今の時代は情報が先行してしまっていることを思えば、これが正常なのである。自分の足で確かめる、これが旅の基本でもある、、それがうれしい誤算で、3日でAntiguaに戻ってきてしまった、わたしの言い訳というか結論になったのだった。

 さて、その日の朝、わたしはまずRio Chixoyに向かった。わたしはこの河を前日2度ほど渡っていた。プラヤがあるほどの大河ではなかったが、最初にLagna Lechuaにいくときに渡ったとき、いい河だな、写真に撮りたいと思った。で、帰りにヒッチで渡ったときは、絶好のチャンスだった。写真を撮りたいから少し停まってくれないかといえば、その願いはかなえられたはずだった。しかし躊躇ってしまってチャンスを逃していた。もう一回チャンスはあると思っていた、コバンにいくとき通るはずだった。しかし、コレクティボからいい写真が撮れるだろうか、そう思って一計を案じた。なら、5Qほど使えば昨日のLagna Lechuaへ行くコレクティボでそこまでいけるのではないか?橋のたもとで降りて、思う存分写真を撮って、そのあとに来たコバン行きのコレクティボを捉まえればそのままコバンまでいけないか?、そのための費用として、たった5Q払えば済むことではないか?これで心残りはなくなる、、ワレながらいいアイデアに思え、実行に移した。昨日の乗り場から、橋のたもとまで正5Qでて他人から見ればどうでもいい写真でしかなかったかもしれないが、ワレらその写真が撮れて気は済んだのだった。ただし多少危険な目にあって‥、、下手すれば橋から転落するところだったのである。その立派な橋には、ご丁寧に歩行者用の通路が造られていた。つまり車道と歩道が分かれていたのである。なので当然歩行者用の通路をいった、が、これが間違いだった。途中から鉄製の欄干がなくなってしまったのである。頼るものがなくなってしまって、オイオイオイ‥、それでも写真でわかるようにまだ比較的鉄製の通路はしっかりしていたからそのまま進めると思っていた。が、半分ほど行ったところの先の鉄板の通路がかしいでいたのである。その両脇に欄干はなかった。下はかしいだ鉄板だからもし滑ったら、そのままアウトであった。いや、怖くなって戻ろうと思ったが、すでに欄干のない場所だったから、戻るのも容易でなかった。ゆっくり状況を確かめ、左側の鉄の橋梁にしがみついて車道にやっとのことで逃れた。いやはや、冷や汗ものだった、、こんな目に合うとは!?、ま、危険を冒して撮った写真を以下に載せておくが、この橋とこの河は、それだけの価値はあったように思っている‥??、、そしてそのあと5分も経たずにコバン行きのコレクティボがやってきて、7:20にはその客となったが、たぶんそれはPlaya Grande7:00発のコレクティボのようだった(コバン行きは30分に一本くらい出ていて、50Q)。

ホテルをチェックアウトしたのと日の出が同時くらいだったImg_5431

河のたもとでコレクティボを降りたImg_5432
Img_5434まずは河の写真

歩行者通路を渡り始める
Img_5435

途中で危険を感じて車道に逃れる、この時反対側を写す;2枚
Img_5436Img_5437反対側の歩道も手摺りはなかったImg_5439当初降りたところからようやく橋を渡りきる


  そだコバンに一泊し考え。コバンもすで3~4回も滞在物価安く街な気に入た(その後-実は今日の話だから一か月後-にまだYamaneさんがいらしたことを知るが、そのときは連絡を取っていなかった)。到着時間次第で決めるつもりでいた。、お昼に到着したとしても、それからでもGuateに十分帰り着けるのはわかっていた。それが、まさか、10:15にコバンの覚えあるターミナルに着いてしまうとは‥ ! ?、、Puente Chixoyから乗ったコレクティボは、国立公園に指定されているLagna Lechuaの自然保護区内は、完全に未舗装道路で両脇は鬱蒼たるジャングル内の道をいったが、いったんその保護区から出るや否や、道は完全舗装となって、開拓の進んだ山野を思い切り飛ばし始めた。そしてあっという間に、8時半にはXuctzul、つまりフローレスからサヤスチェ経由でコバンにでる国道9号線にでてしまったのだ。そこからコバンまでは南下しながら山を登っていく、、Chisecを過ぎCandelaria辺りまでは記憶があったが、その辺りからコバンまでの登りはいつも眠くなるところで、コバンのターミナルに着いたときは、周りの賑わいで目が覚めたといった按配だった。見覚えのあるターミナルで降ろされ、さてどうするかと考える間もなく、Guate ! ?Guate ! ? と呼び込みの声がかかった。そうか、Guate行きが待っているのか?そう気づいて、声の主にGuate行きはどれだ?と聞いてみると、なんとワゴン車なら55Q、ただしCentral Norteまでしか行かないこと、60Qならモンハブランカが待っているから急いでくれと言われる。それだとZona 1のオフィスまで行くとのことだった。考えてる余裕はなさそうだったので、そのままモンハブランカMonja Blancaの客となった。バスはわたしともう一人を乗せてすぐに発車した。ま、モンハブランカになら間違いない、これまでもCoban~Guate間は独占状態にあるモンハブランカ使っに5Qの差なら、Zona1ま行っ方が楽か?だからこの選択は迷はなかったし正解だったと思う、それにまだ時間は10:20、早ければGuateに14時半ころには着けそうだった。が、実際はそのあと思わぬアクシデントが発生してGuate Central Norte着は15:15になったのだったが‥、、

 モンハブランカはあのでかい図体にもかかわらず、よく飛ばすのである。ほとんどが追い越し車線のない山道をノロノロ登っていくトラックが邪魔でしょうがない。その追い越しのタイミングを計りながら追い越しをかけるのがドライバーの腕の見せ所、チキンバス顔負けの技術を持つドライバーばかりである。幸い前の方の座席だったので今回も、Puruluhaからの山越えを大いに楽しませてもらった。El Rancho手前のモンハブランカ専用休憩所でランチタイム、せっかくトイレ付きながら使用不能で2時間も我慢させられて、ようやく平静を取り戻すことができたが、ここの食堂は利用せず、外の売店で買った昼食は、少々失敗であった。13時に再び満員のバスは走り出す、、しかしこのあと1時間くらい走ったあたりで、これはよくあることのようにも思われるが、わたしは初めての経験をする。右後方でちょっとした破裂音がして、バスは急停車、どうやら右後輪がバーストしたようだった。で、どうするのかと思っていると、バスは来た道を引き返し始めた。そして10分も走らないうちに国道沿いのpinchazo<パンク修理業者>を見つけ、そこでバーストしたタイヤの修理を任せたのだった。一時はどうなることかと思ったが、回復まで1時間かかっていないのだから、手際がいいというのか、慣れているというか、またそれほど多くのpinchazoが一定間隔であるということはパンクが非常に日常的なことであることをうかがわせた。そのために、たった45分しか費やしてないのだから、ま、鮮やかなリカバリーであった。それでもそのバスは点検のために全員をcentral norteのターミナル降ろ代行バスがZona1のオフィスまで乗客を代替輸送してくれた。zona 1のモンハブランカのオフィスス着が15:45、そこからは少しわかりにくくなったものの、近くのメトロバスの駅から、いつものSanta Ceciliaまで行って(1Q、乗り場を間違えて30分ほどかかってしまった)そこからTrebolの手前を右方向に7a Avenidaまで行けば、もうそこがAntigua方面へ行くバス乗り場になっていて、たぶ16時半ころのバスには乗れていたと思う。なのでAntigua着が17:35でEulvia宅には17:45の帰着だった。あっけない旅の幕切れで、その日から3日間はまたEluvia宅の世話になったのだった(因みにPlaya Grande→Antiguaを振り返ってみると以下になる、Playa Grande → Coban 3h15min.50Q,Coban→ Guate 5.5h 60Q,Guate→Antigua 2.0h 11Q、 トータル11.0h 120Qといったところか?? つまり一日コース?で行けてしまうのだ)。

どうでもいい写真だが、ま、モンハブランカの車窓から;4枚と休憩所とパンク修理の様子Img_5442Img_5444_2Img_5446
Img_5449Img_5452
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 2/15(水)にAntiguaに戻って、2/20(月)の早朝まではAntiguaにいた。内訳としては2/15~2/18までElvia宅、2/18~2/20がTashiroだった。Eluvia宅では、Ryosuke君健在、それとジャマイカから来たというおばさん、彼女はスペイン語学習一週間にしてわたしより喋れたのだから驚き、それとアメリ育ちKoreanの青年と顔ぶなっていた。その間Eluvia宅では洗濯とそれまでwifiが繋がらないところが多かったのでmailのチェック及び送受信(特にairbnb関係)、そしてブログ一本仕上げて、あとは絵ハガキ書き、土産の買い出し等でけっこう忙しくしていた。その中で特筆すべきこととして絵ハガキ書きにともなって知ることになったグアテマラの郵便事情について少し書いておこうと思う。わたしは今回特に宛てなく数枚の絵ハガキをSan Pedroで仕入れてあった。移動中は書く時間がなかったが、Antiguaに戻って、時間ができたので何人かに絵ハガキを書いた。郵便局はスーパーボデゴナの手前の角にあったから、Eluvia宅からいえば1ブロック、すぐに出かけた。が、いつも利用していたそこは平日にもかかわらず閉まっていたのだった。そんなはずはないと思いつつも、局員がでかけているのかとしばらく待ってみたが、帰ってくる様子はない、そんなときに一枚の貼り紙が貼ってあるのを見つける。正確に解釈できなかったが、なんか変な内容だった。写真を撮ったのでそれを載せておく、、

Img_5457

英語で書かれているそれは、どうやら今は郵便に関すサービスはやってません、という内容に読めた。どういうこと?どうなってんだ?ということになった。しかしきちんと説明してくれる人はそこにいなかった。で、思いついたのがAntiguaのINGUATだった。観光局にいけば何かわかるかもしれないと思っていってみた。が、そこでの説明も英語力の問題ではっきりは聞き取れなかった。が、やはり今は郵便事業は政府の問題とかで、まったく機能してないから、もし外国に何か送りたい場合は、よその国、例えばメキシコにでもいってそこから出した方が確実だ、というような信じられない話を聞かされたのだった。ちょっと当惑してしまった、郵便事情が壊滅している?それでよく国が成り立っているものだと逆に感心してしまった。当面わたしの問題としては今書いたばかりの絵ハガキを何とか出したい、ということだった。上の文面ではfrom private to publicとあってこの意味するところもよくわからなかったが、もしかしたらプライベイトの業者があるなら、そこで一つの回答が得られるかもしれないと思ってAntiguaの街を少し歩きまわってみた。一件見つけたのが名の通った国際宅配会社だった。そこで聞いてみると、確かに今の政府の郵便事業は破綻している、ポストカードも自分のところで扱っているから、受け付けますといってくれたのだった。なのでその場で一通10Q払ってお願いした(郵便局で受け付けてくれていたときは確か8Qだったと思う。たいして違わなかったから、むしろ安心できた)。結論からいうとその郵便は、ちゃんと日本に届いたのであった。ただしグアテマラの切手が貼られてなかったのはいうまでもない、郵便局には上の貼り紙のほかに、いずれ販売予定?の切手の写真が張り出されていた。その切手で郵便が届く日が果たしてくるのであろうか‥??

Img_5458Img_5460_2



 さて、この件に関して、実はGuatemala事情に詳しい方からのコメントも頂いているので、そのコピーも掲載させていただこうと思うのですが、これって無断掲載になるのでしょうか?もしかしたら勝手に載せたとして問題になるかもしれませんので、一応お名前は控えさせていただきます。

<<郵便局については、10年くらい前に民間委託されていて、おかげで郵便がちゃ
んと届くし送れるようになっていたのですが、昨年、委託先の業者が延長希望をしたの
に認められず、業者の方が「これ以上続けられん」と通信省に郵便局を返上してしまっ
たのですね。それ以降、通信省は「ちゃんとやる」「再開する」「2017年からやる」と
狼少年状態で、未だに復活していません。海外からの郵便は一応届いたものを保管して
、宛名人が郵便局に問い合わせをすれば、運が良ければ引き取れるようですが、こちら
から発送は不可能です。ものすごく不便なのですが、そういう事情で郵便局はあるけれ
ど、まともに営業している状態とは言えません。>>

 この方はグアテマラ在住の日本人の方で、いつも適切なアドバイスやサジェスションをいただいている方です。グアテマラ事情については、グアテマラ人より精通されている方として、わたしは常々敬意をもって指導を仰いでいる方です。今回は率直にこの件について問い合わせたところ上記の回答をいただいたのでした。より具体的にその状況が伝わったことと思います。なお余談ながら、この方から、わたしの荷の延着についても適切な解説をいただいております(それはどこかに書かなかったかしら?)。この方についてはいずれのときかに改めて紹介させていただくとして、わたしのブログも多くの方に支えられて成り立っているという裏事情を少し暴露させていただきました。今回はこのへんで‥、、