独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

モロッコへ アルヘシラスAlgeciras~タンジールTangier~ティトゥアンTetouan

 前日の夕食は9時の予定が10時半になっても食えなかったし(そのあと何とかありついたが)その朝は前日に引き続いて9時になっても誰も起きてこなかった、、わたしは10時15分のバスに乗りたかったので9時半ころにはチェックアウトしたかったのだけれど、朝飯はどうでもよかったが、鍵のデポ代(5ユーロは朝飯代より高価)は返してもらいたかった、、9時になっても誰もスタッフが起きてこないホテルなんて早々あるものではない、、あきれ果てて途方にくれていた、、スタッフルームらしきところにいってみたが、誰も起きてはくれなかったし誰がスタッフで誰が客かもまるでわからなかった、、これがカディスの安宿の実態であった、、

 10時近くになってやっと一人が気づいて起きてくれたが、5ユーロと鍵を交換すると彼はまた部屋に戻って寝てしまった、、わたしはまだ間にあいそうだったので急いでバスターミナルに向かった、、アルヘシラス行きのバスは朝の8時から夜の20時までに8本あって料金11.67ユーロ、時間は約2時間とのことだった、、アルヘシラスまでの道はさすがヨーロッパを思わせるもので高速道路ではなかったが快適なものだった、、途中の景色もなかなかなだったが驚きも少なからずあった、、ひとつはジブラルタル海峡の向こうに、つまりアフリカ側にとてつもなく高い山が雲の上からでており、そんな山があって、しかもそれが海峡を隔てて雲の上に浮かんでいる光景なんてまったく想像してもいなかったから信じられなくて目を疑ってしまった、、もうひとつはアルヘシラスが見え出した辺りでそれまで一週間にわたって垂れ込めていた暗雲が晴れ、久々の陽光を見、そして浴びたときだった、、おそらくヨーロッパの冬場はずっとあんな感じの雲で覆われているのではないかと理解できたのだけれど、それがやっと地中海の海洋性気候が優位になる地にきたということだった、、やはりその明るさはかけがえのないものに思えた、、

車窓から;2枚(写りがよくない)089_640x480 093_640x480

アルヘシラスが見えてくる
095_640x480


 アルヘシラスの街の情報もなかったので到着したターミナルが終着かどうかもわからなかった、、全員が降りたわけでなかったのでまだ先がありそうだった、、なので港にいくにはどこが近いのかドライバーに聞くとそこで降りろとのこと、慌てて下車したはいいが、港の方向がわからない、インフォメーションもない、、あてずっぽに歩きだす、、船でも見えれば簡単なのだけれどまだ街中だったので何人かに聞いてやっと桟橋近くまで来た、、あとから思えばカモを物色していたということがわかるのだけれど、そのとき二人組みのおっさんが近づいてきて、ticket売り場は向こうだと親切に教えてくれた、、いわれた方向を見ると確かにエージェンシーが何軒か並んでいた、、もちろんちょっと怪しんだ、違うんじゃないの‥??が、これがガイドブックのない悲劇の始まりだったのかもしれない、、どこが正式なticket売り場か、そしてその船賃がいくらなのかの情報をまったく持っていなかったので、そのまま教えられたところにいってしまった、、そしてまんまとその手口に乗せられ騙されてしまったのだった、、ま、今思えばそういう知らない客を鴨にする悪徳業者とその手先だったことがわかるのだけれど、こちらは正しい料金も知らなかったからタンジェまでいくら?セウタだったらいくら?と聞いたその答えが、どちらも正しい料金だと疑いもしなかった、、で、へんな話し安いほうで手を打ってしまった、、それがタンジェだった、、いやモロッコへはそこからセウタとタンジェ両方にフェリーが出ていることは知っていた、、そしてモロッコ情報をくれたわたしの先輩O氏はセウタに行ってしまって失敗だったというような話しをしていたような記憶があった、そのときにフェリーの値段を聞いておけばよかったのだけれど、そんな悪徳業者が存在するなんて思ってもいなかったから、わたしはいわれるままの料金でticketを買ってしまったのだ、、本来なら20ユーロだということがあとからわかったのだがわたしは27ユーロも払わされて‥、、その手口はなかなか巧妙だった、、即ち最初の男たちがわたしのような新参者を物色していて、鴨が来るとその業者に誘導する、、そして彼らは何軒かあるエージェンシーのどこで買ったかを遠くから見ている、、たぶんわたしが去ったあとでその業者のところへいって多少の心づけをもらう、という仕組みのようだった、、モロッコは少し気をつけたほうがいいとも聞いていたけれど早くもその洗礼を受けてしまったようだった、、しかし考えてみれば不思議なもので、もしそのあとでわたしが本来の料金を知ることがなければ、親切なおじさんがいたということで話は終わっていたかも知れないのだ、、まして船賃なんて例えば27ユーロといわれればそんなもんかとそれで納得していたはずなのだ、、そう思うと事前情報はあったほうがいいのか、ないほうがいいのかわからなくなってくるのである(少なくともわたしのためでなく世の中のためには‥??世の中には‘知らぬが仏’ということわざもある、、)、ま、そういう意味では幸か不幸か、その後でおかしいと気づいてしまったのだ、、どこで気づいたかというと時間がないから急げ(これも巧妙な仕掛けのうちだと思われる)といわれた桟橋に向かっていたとき、そこにチケット売り場があったではないか‥!!、つまり最初に男が声をかけてきた少し先に一般のticket売り場がずらっと並んでいたのであった、、気づくのが遅すぎたというか、これは完全にしてやられたのであった、、が、タダでは転ばなかった、、それは教訓となったのである、、むしろ被害が7ユーロで済んだよかったと思うようにした、、そしてそれ以降はモロッコで騙されたり被害にあうようなことは何も起きなかったのだった、、それだけではなかった、そのticketを買ったエージェンシーでセウタにするかタンジェにするか迷っていたときにモロッコの地図はないかと聞いてみた、、すると船会社が出している簡単な地図が載っているパンフレットをくれた、、実はその地図がその後のわたしの旅にどれだけ重要になったかを思うと、そのときは腹立たしかったが、その7ユーロが貴重な価値を生んだことになる、、となると何が幸いし何が災いになるのかは一概には言えなくなってくるのである‥??、、

 ともあれわたしはタンジェに向かっていた、、どちらでもよかったというとヘンに思われるかもしれないが、それこそ情報を何も持っていなかったから、もう行き当たりばったり、その場その場で次を決めていくしかなく、それで多少セウタのほうが近そうであったが、どういうわけかタンジェのほうが安かったのでそちらを選択したということだった、、1時発と騙され急がされたその船が出航したのは2時だった、、この航路は今やセウタへもタンジェへも数社の運行があって2時間に1便くらいの行き来があった、競争も激しいそうであった、、そしてタンジェまでは2時間、あっという間のアフリカ上陸であった、、いや、このフェリーには35年前に確実に乗っていたはずだ、、が記憶はまったくなかった、、だから地中海の陽光、ジブラルタルの断崖、アルヘシラスへ向かうバスから見えたアフリカの高い山、すべてが新鮮だったし気持ちが昂っていた、、で、甲板でそれらにカメラを向けたがバッテリー切れで写真がとれない、、一瞬諦めかけたが思いついて船中のコンセントを探してみた、いや探すとあるもんだ、とんでもないところにそれを見つけほんのわずか充電し、ギリギリでジブラルタルが写せた、、そんなんで16時に上陸、モロッコ時間15時だった‥、、

俄か充電で取ったジブラルタル方面;2枚(上は望遠で)099_640x480 100_640x480

船上から見えたアフリカの山、これがバスからはもっともっと高く見えたのだ、、
102_640x480


 入国手続きは船上で終わっていたのでなんら問題なかったが、まず直面したことはインフォメーションがなく、そこがタンジェのどの辺かわからないということだった、、街まで遠いのか歩いていけるのかがわからない、そして英語もスペイン語もほとんど通じなくなった、、なんとか通じない言葉で得た情報は、ま、最初に接触したのはどこにもよくいる客引き(タクシーの)だったから、彼が言うには街まではそうとう遠いらしいこと、そしてタクシーしか足はないというもので、いくら?と尋ねるとかなり高いこと(たぶん200Dhくらいだったと思う)をいってきたのでもう相手にはしなかった、、そんなはずはない、遠いかもしれないがバスがあるのではないか、そう思ってまともそうな人に聞くと、ちゃんとバスの時間と乗り場を教えてくれた、、が、その時間まで1時間くらい時間があった、、その間に両替と簡単な食事、まだモロッコ通貨が使い慣れずに困っているとユーロでOKとのことで2ユーロで食事ができた、、1ユーロが10Dh(ディラン)だった、、

 いや、知らないとは恐ろしいことで、その港からタンジェの街までなんとバスで1時間もかかったのだった、、歩けるわけがなかった、、だからバス代が25Dhかかり、そのときはそれが高いのか安いのか判断しようがなかったが、その後モロッコ中をほとんどバスで走ってみてはじめてそれが安くなかったことを知る、、モロッコの場合1時間乗車でせいぜい15Dhだったのだから、、そしてその間はほとんど眠ってしまったようだった、、

 タンジェはかなり大きな街だった、、そんなところにそれこそ地図もなしに放り出されても路頭に迷うばかり、で、バスターミナルの外で降ろされ(混雑していて中まで入れず)、さてどうしたもんかと迷っていると、こういったところがヨーロッパにないこれらの国(中米しかり)の魅力なのだが、すぐに声がかかるのだ、、つまり暇人・おせっかいが多いということだが、どうしてどうして彼らは我々のような貧乏旅行者にとってはありがたい存在で利用価値はおおいにありなのであった、、彼らから得られる情報は侮れなかったからだ、、どこへ行く?ホテルを探しているのか?と次々に声がかかる、、しかしそのときわたしは彼らをすべて振り切ってバスターミナルの中に入っていった、、バスの情報とりわけティトゥアンTetouanへいくバスを調べたかったのだ、、というのはどこへ行くとも決めてはいなかったが、そのとき先輩O氏から聞いていた情報を思い出していた、、そして彼からもらったモロッコの地図が唯一の頼りでもあったのだが、それを見ながら確かそれほど勧めてはいなかったがティトゥアンという街のことが頭に浮かんでいた、、どんな街かまでは聞いてなかったが街の名だけは残っていたのだ、、その街へ行くバスはあるか‥??すると、なんと呼び込みがその街の名を告げているのが聞こえてきた、、そいつを探し聞いてみるとすぐに出るのだという、、まさに飛び乗るという感じでそのバスに乗ってしまった、、あとで聞くとタンジェも見所の多いところだったようだが、ま、それはそれ、これが流れというものであった、、そのまま1時間あまりでティトゥアンに着いた、、タンジェを出たときはまだ黄昏であったが、すぐに闇となりバスは山間を縫って走り、煌々と明かりがともる大きな街に着いたが、そこがティトゥアンだった、、バスターミナルも比較的大きかったが、やはりインフォメーションはなく、また言葉もほとんど通じなかった、、彼らに英語かスペイン語がわかるかと聞くとフランス語ならという返事しか返ってこなかった、、もうここはとっくに日が暮れていてそれこそ右も左もわからない、、セントロの方角さえわからないしそこまで歩けるのかどうかもわからなかった、、こういうときはともかくセントロへ出れば何とかなると思っていたので、何人かに聞いてみると返ってくるのはプティタクシー?でいけ、との答え、タクシーか‥それしかないかもしれないと思い始めていた、、プティタクシーとはどうやら小型タクシーのことらしかった、、それも7Dhくらいとのこと‥、で、今度は直接タクシードライバーと交渉してみた、、セントロまで行きたい、できれば安宿を探したい、ということをやっと少しわかってくれたドライバーが言うには10Dhで連れて行く、ホテルも探してくれるとのことだったのでその車に乗り込んだ、、

 セントロは坂をだいぶ上がっていった高台の上のほうにあって歩ける距離ではなかったし、その界隈の賑わい・人通りはバスターミナル近辺の比ではなかった、、だんだんアラブの世界の感じがしてきて、ごちゃごちゃしているのがたまらなかった、、もうどこでもよかったのだけれど、そのドライバーはセントロの近くで車を停め歩いてホテルを探し始めた、、ついて来いというので彼に従う、、上限は100Dhといってあったからその範囲で当たってくれた、、だいたい迷路のような細い路地の奥にあった、、何軒目かで条件に適うところがみつかった、、OKすると彼はタクシー代のほかに謝礼を求めてきた、、それも50Dhという高額だった、、それが10Dhくらいだったら払ってあげたかもしれない、、しかし50と聞いたとたん冗談じゃないとわたしは怒りだした、、そんな話はしていない、オレはタクシー代の10Dh以上は払わないと突っぱねた、、お互い相手のいってることがすべてわかったわけでないので完全に物別れ、さてどうしたものかとわたしは頭を抱える、、で、もうどうしようもないと判断、わたしは日本語か英語で啖呵を切ってその場から逃げ出した、、もちろん10Dhは払ってあげたが‥、、彼が追いかけてくる気配はなかった、、わたしは大急ぎで迷路を出てセントロの雑踏にまぎれる、、そして改めてホテル探しを始めた、、もうどこでもよかったが、たまたま出くわしたところはセントロの広場に面していて眺めの悪くない安宿だった、、さっきのところよりぜんぜんよいではないか、しかも値段が50Dhでこちらのほうが安い‥、、こうしてとりあえずモロッコ初日はティトゥアンの安宿に19時ころ落ちついたのであった、、

ホテル前の雑踏(ボケてるが)109_640x480_2

ホテル部屋から;2枚、この広場は部屋からよく見えたが、ここが何かはわからなかった、ただ警備が厳重で中に人は入れなかったから何か重要な建物だと思われた、、112_640x480_2113_640x480