独歩の独り世界・旅世界

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カディス Cadiz

  カディスは特に目的があったわけではないが、その名はもう昔から聞いていたし、セビリヤの黄金の塔Torre del Oro脇を流れるグアダルキヴィルGuadalquivilr河の河口付近にあって昔から天然の良港として恵まれ、たびたび歴史の舞台になったこともあって一度は訪れてみたいとは思っていた、、リスボンからモロッコへの玄関口アルヘシラスまでのルートとしては、セビリヤからどっちへ行くか迷うところではあったが、つまりちょうど真南に当たるカディスを経由していくか、いったん地中海側のマラガへ出て下るか二つのルートがあったのだが、もし直行した場合でもカディス経由で3時間半、マラガ経由でも5時間くらいでいける距離であった、、だからセビリヤからアルヘシラスへの直行ももちろん可能だったのだけれど、前にも記したように帰りはマラケシ→バルセロナが決まっていたので帰路にこの辺りをウロウロするわけにはいかなかった、、なら、せめてカディスだけでも寄ってみようかと思ってセビリヤのホテルを探したときにカディスのホテルも一泊だけ予約しておいたのだった、、

 カディスまでのバスは、前の日にスペイン広場に行ったとき、バスターミナルがその近くにあることをインフォメーションで聞いていたので寄って確認していた、、どうやらバスターミナルはリスボンから到着したところプラザデアルマスEstacion Autobuses Plaza de ArmasとそのサンセバスチャンEstacion Autobuses Prado de San Sebastianの2ヶ所あるようだったがこちらのほうが少し小さかった、、カディスまでは1時間半12.45ユーロとのことで、ま、夕方につけばよいと思っていたが、ころあいのよい便として1時発があったので午前中いっぱい時間の余裕があった、、が、皮肉なことに大聖堂には入れなかったのだ、、で、もらった地図を眺めながら100ヶ所近くあるlugares de interes/places of interestのなかから行けそうなところ、価値のありそうなところを探す、、もちろんそれらを全部回るには2,3日は必要だったであろう、、しかしいくらなんでも‥ざっとでよかったのだ、、大まかに街の感じさえつかめればそれでよしとしていた、、実際どこを訪れても書かれた、あるいは口頭で説明されるスペイン語を半分も理解する力はまだなかった、、だからそこがいったい何なのか、なんだったのかがほとんどわからずじまいというところも結構あったのである、、そんなところのひとつ、また迷路のようなサンタクルス街を彷徨い歩いてCasa de Pilatosというところにいってみたが、果たしてそのピラトスの家というのが、ま、かなり古くて、しかも昔の金持ちが建てた家であろうことはくらいはいくらなんでもわかったが、いったいどこがどうして史跡になっているのか、せっかくセビリヤ美人のセニョリータが英語とスペイン語でガイドしてくれたのだが(1時間に一回観光客が溜まったところで解説しながら各部屋を案内してくれた、ま、それほど由緒のある家であったのだろうが)実はよくわからなかったのであった、、ただその家主のコレクションに中国・日本の書画・骨董、陶器などもあって、いやそれだけでなくその調度類や数々のコレクション、建物に金がかかっていることはよくわかったし、たいへんな家であることは説明を待たなかった、、ま、入場料を取られたのは仕方ないとして、シニア料金の設定がなかったのが少し残念であった、、そしてまたうろつきながらホテルに戻り荷物を取ってバスターミナルに向かったのであった、、

Casa de Pilatos;2枚045_640x480 046_640x480


 ま、ガイドブックない旅とは、そんな感じでせっかくいったのに主要観光名所を見逃したり(あとから情報が入ってそれがわかるのだが)、どうしてそこが有名になっているかといった謂れを聞きもらしてしまう旅ということでもあった、、だから自分の眼と直感(臭覚)と諦めが大事ともいえた、、そんなに期待せずに‥、期待していなかった分感動が大きくなるといったことがたまにあって、それが取柄といえば取柄、、ただそれでもヨーロッパの場合はどこでもインフォメーションがあったから、そこに行き着くまでの苦労はあっても観光案内の地図は容易に手に入ったのであった、、それはカディスでも同じであった、、

 カディスの情報も何も持っていなかった、、ただ救われたのは街がそれほど大きくなかったのとホテル予約時に表示されたホテルの場所がバスターミナルから近かったので、ちょっと探しはしたが簡単にその場所がわかったことであった、、そして街の地図はそのホテルでもらえたのであった、、このカディスのホテルはアンティグアのペンション田代みたいなところで貧乏旅行者・欧米の若者のたまり場であった、、たぶんドミしかなかったかと思う、、まったく誰がホテルの従業員で誰が宿泊者かまるでわからない、、が、応対してくれた若者はとても親切で宿のルールを説明してくれ、館内とわたしの寝床を案内してくれた、、宿泊者(これもペンション田代と同じように長期滞在者が多かった)を一人ひとり紹介してくれたがそんなの覚えきれるわけもなかったし、わたしの語学力ではとうてい会話にはいたらなかった、、年が違いすぎて話にもならなかったであろう、、わたしのような年配者・年よりは一人もいなかった、、ま、ヨーロッパ人でこの年齢の貧乏旅行者なんているわけなかったが‥??、、それでも感激したのは4人部屋に相客はなくわたしひとりで使えたこと、、そしてドミを承知で予約したとき、その価格が20ユーロだったが17ユーロにまけてくれたこと、、ヨーロッパで17ユーロで泊まれるとはありがたい、、なので場合によってはもう一泊するかもしれないと断って鍵のデポ代5ユーロだけ最初に払った、、で、そこでまずやらなければならなかったのは洗濯で、一週間分、それまでほとんど雨続きだったから、わずかに晴れ間が見え少しだけ暖かさが感じられたその日を逃すことはできなかった、、が、洗濯機・乾燥機があって確か5ユーロだったと思うが、それをケチったのが失敗となった、、つまり結果的にそのためにもう一泊せざるを得なくなったからである、、次の日までに洗濯物が乾くことはなかった、、ま、安かったからもう一泊してもいいかな、とは思っていたのだけれど‥、、

 夕方からもらった地図を持って街に出た、、そういう意味ではカディスは期待していなかった分いい街であった、、流石に歴史の舞台に何度も立っているだけあって、その旧市街は歴史的かつ重厚な建物群で満ちていた、、そして海があって港がある、、砂州で突き出たようなそのエリア(旧市街)を夕方からの街ブラで半分くらい歩き回ったか‥??、まず、その海の見える先っぽまで行ってみた、、ちょうど日没の時間、その昔イギリスの侵略(16~17世紀)に備えて築造された砦(?城塞)がいくつかあってそこに日が落ちていった、、陽が沈んでから振り返ると街の中心カテドラル辺りが輝きだし絵になる光景だった、、そしてその方向に向かってまた歩きだす、、カテドラル付近の狭い路地は人通りでにぎわっている、ここでもバルやレストランがカテドラルを中心に何軒も軒を並べていた、、が、その日の夕食はペンション田代と同じくシェアメシ(有志が作ってくれ、後でみんなで割り勘にする)があったのだ、、なのでその夜はどこで食事をしようかと迷うこともなくビール(2本で1ユーロ)だけ買って帰った、、9時ころにその後モロッコで何度も食べることになるタジンにありつけた、、食事代4ユーロ、安くてうまかった、、

上;Paseo de Santa Barbara サンタバーバラ遊歩道付近(街の突端)と下;その脇の公園Parque Genoves でみた木に登る(ジャンプする)犬057_640x480 058_640x480

サンタカタリーナ砦Castillo de Santa Catalinaから向こうサンセバスチャン砦Castillo de San Sebastianに沈む夕日;2枚
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遠くセントロ、カテドラル方向を望む;2枚
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カテドラル、右側の塔に次の日登る
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Hotel Casa Caracolの居間兼食堂
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 次の朝には先に述べた理由で延泊を決めていた、、寝る前にもらった紅茶のおかげでほとんど眠れないまま7時ころ起きてしまったが、付いてるはずの朝食は何時なるかまったく予想できなかった、、仕方なく食堂兼居間のようなところでひとりPCに向かっていた、、久しぶりに何ヶ所かmailしなければならないところがあったので時間つぶしには困らなかったが、しかし予定時刻の9時になっても誰もおきてこず、結局朝飯にありつけたのは10時過ぎで誰かがパンケーキのようなものを作ってくれた、、貧乏旅行者にとっての朝食はとても重要でそれまでにネットで検索したホテルは30ユーロ以下で朝食つきをラインにしていた、だからリスボンの宿もセビリャの宿も朝食に関しては安い宿代だったが満足ゆくものがあったのだが、ま、ここの時間の遅そさは若者宿につき&さらに低料金につきおおめにみることにした、、そして朝食後にまた街ブラに出かけた、、その日は両替が主な予定?おおきな仕事?だった、、インフォメーションで両替所を聞くが銀行しかないとのこと、で、銀行はインフォメーションのあったSan Francisco通りに何件もあったが、いずれも入りにくそうなところばかり、おまけに意を決して入ったところは率が悪かったり手数料がとんでもなく高かった、、そんな感じでそのまま旧市街全体をほとんど歩き回って結局両替はできないままもう一度インフォメーションに戻った、、つまり両替率の悪さにびっくりして、再度両替事情の確認にいってみたのだった、、すると少し同情気味に一軒の銀行を教えてくれて、近くだったので早速いってみたが、そこは確かに他より手数料率は低かったのだけれどそれでも例えば100ドル替えたとして手元には66~67ユーロ(ポルトガルの場合だいたい75ユーロくらいだった、、ここの率の悪いところでは63ユーロくらいにしかならなかった)にしかならないのを知ってここでの両替を諦めた、、ひどすぎる、ならば仕方がない、できればあまり利用したくなかったキャッシングで最少額を降ろして最後の一日を何とかやりくりするしかなさそうだった、、そして再び街ブラして新市街との間に設けられている城門と城壁、旧市街で一番高いカテドラルの塔、市場あたりをうろうろしていた、、そしてパンとワインを買ってホテルに戻り遅い昼食、昼寝、、

ホテルを出るとすぐこの広場Plaza San Juan de Diosがあって向こうに見えるのが市庁舎072_640x480_2

Plaza de Espana公園にあるMonumento a la Constitucion 憲法記念の碑056_640x480_2

新市街と旧市街の境となっている城門と城壁074_640x480

新市街の方からみたCadiz旧市街(前日のカテドラルをちょうど逆から撮っている) 075_640x480

カテドラルの塔の上から;2枚
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 夜再び暇つぶしがてら街に出た、、ホテルはほとんどド真ん中にあったから少し行くともう繁華街だった、、ちょうどクリスマスシーズンでイルミネーション煌びやか、家族連れやカップルでにぎわっていた、、そんな街並みをひとりでブラブラしているとふと奇妙な考えが浮かんできた、、わたしにとってクリスマスとはなんだろうか??もしかしたらまったく無縁な行事ではなかろうか?そもそもここ何年もクリスマスを祝ったことはないし、もちろんクリスチャンでないのだから祝う必要もない、、お祭り騒ぎはほとんど嫌いだから当然そんなことはしなかっただけだ、、ということは他人の幸せを祝う気にもなれなかったし、幸せそうな表情を見ているのも辛いというか虚しいというか、そんな場に居合わせた自分が却って悲しくなってくるのだった(ま、若い女性でも連れているのなら別であったであろうが??)、、つまり場違いな感じが急にしてきたのだ、、こんなとこにいてはいけないのではないか‥?一緒に祝い楽しめない輩はとっとと立ち去るべきだ‥と、、そして改めて気づいたのであった、、もしかしたらイスラムの世界ではクリスマスを祝うことはないのではないか??、、あー、だったらこの時期はむしろそっちにいっていたほうがいい、、このあと渡るつもりのモロッコはそういう意味でグッドタイミングかもしれない‥と、、

夜の市場付近084_640x480

  ま、一日延泊したものの、この先約3週間はまったくスケジュールを決めてなかったから明日モロッコに渡らなければならない理由は何もなかったけれど、そしてやはり南ヨーロッパだけあって寒さもそれほど厳しいものではなかったけれど、中米から来た身には多少堪えていた、、ヨーロッパはもういい、早くアフリカに渡ろう、、少しでも暖かいところに急ごうという気持ちは日増しに強くなっていた、、

‥しかしそのモロッコも全然暖かくはなかったのだけれど‥、、