独歩の独り世界・旅世界

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チワワ Chihuahua 2012,09,19~21

 最初からそのつもりだったわけでなく、なりゆきでチワワに長居してしまった。どうしてそうなったか、なぜチワワだったのか?別に犬好きではないがチワワといえば犬である、、そのチワワとこのメキシコ北部の小都市チワワとの関係は?

 まず、犬のチワワとこの街(いや、この辺?)は関係がありそうだ、といっても例のチワワ犬をそこで多く見るということはなかった、要するに犬種のチワワはこの街ということではなくシウダファレスからこのあたり、さらに南まで広がるメキシコ北部にあって広大な面積を有するチワワ州が原産地のようであった(これは知らなかったのだが、そんなことではないかと思ってたら、やはりそうだった)。で、今いるチワワはその州都であるがわたしがここに寄った理由もあったのである。ひとつはこの地が初めてであって、ここから出ているというメキシコにわずかに残る鉄道のひとつチワワ鉄道に乗ってみたかったこと、そしてもうひとつが、こちらのほうが動機としては大きかったのだが、ここがメキシコ革命のもうひとりの英雄パンチョビリャが生まれ、活躍した本拠地であったからだった。で、次の一日はしばしの休養を兼ねてチワワ鉄道の情報とパンチョビリャの博物館を探して一日がつぶれた。午前中は昨日すでに閉まっていた銀行でトラベラーズチェックを両替し、そして体調すぐれない息子をホテルに残してわたしはまず観光案内所tourist informationを訪れた。そこは政庁舎(Palacio de Gobierno)の一角にあって、その政庁舎自体がメキシコ独立の父といわれているMigel Hidalgo 神父が処刑されたところとして、その独立史を描いた膨大な壁画が見もののところでもあった。そこで地図をもらいチワワ鉄道駅の場所とそこへの行き方、博物館となっているパンチョビリャの家・革命歴史博物館の場所と行きかたを聞いた。そしてその二つが歩いていける近さであることを知ったのだが、そこへ行くバスの乗り場とその行き先についてはいまひとつはっきり理解できたわけではなかった。というのもバス乗り場は確かに1ブロックほどのところにあったのだが、一方通行の多いこの街の道路で、わたしはどうやら反対方向へ行くバスに乗ってしまったようだった(それは後で気づいたのだが、行き先表示は言われた通りのものだった)。そしてチワワ鉄道駅の近くで降りたいというわたしのスペイン語が通じなかったか、あるいはそれに対してそのドライバーがいったことをわたしが理解できなかったかのどちらかで、たぶん後者だったのではないか(このバスは反対方向へ行くバスだというようなことをいったのだと思う)?それでもお構いなしに(というか何を言っているか聞き取れずに)わたしは乗り込んでしまったものだから、結局そこには着かず反対方向の終点まで行くことになった。途中で気づいたが、その場から戻るにも正しいバスに乗れる自信がなかったので終点まで行くことにしたのだけれど(それなら時間がかかっても確実に目的地にはいけるから)結局15分で着くところ1時間半くらい乗り続けたことになる、片道分のバス代6ペソで‥、、

<観光案内所の入っているPalacio de Gobierno>122_640x480_2

<Aaron Pina Mora氏の描く独立史の作品群のうちのひとつ、Miguel Hidalgo神父の処刑>

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<政庁舎内部の一室>129_640x480

<政庁舎前の公園Plaza Mayorから政庁舎をみる、仮設のステージも見える>131_640x480

 それでも折り返したバスでなんとか目的地近くに降ろしてもらい(というのもその駅に行くバスはなく、近くのバス停で降りたいということをドライバーにいうようにインフォメーションでいわれていた)数ブロック歩いて駅に着いた、、そこでいくつかは納得した、、わたしが想像した駅とかけ離れていたからだ、、まずその建物に駅舎の面影がなかったばかりか、周りは普通の住宅街で商店ひとつないのである。どこが駅舎かわからずにその建物に入ると切符売り場があったが人は誰もいない、案内の女性が食事していた。その向こうに確かにプラットフォームらしいものと線路が見え客車も停まっていたかもしれない、が、もうよく覚えていないがそこが駅舎だったのである、、早速来た目的をつげタイムテーブルと料金等を聞く(というかそこの案内板をみて確認する)、、そして曜日を確認した上で何度か聞き返した、明日は2等列車はないの‥??

<チワワ鉄道Chepeの駅舎とタイムテーブル・料金表>014_640x480015_640x480023_640x480 024_640x480


  そこでわかったことは以下のことであった、、ここチワワと太平洋岸のロスモチスを結んでいるこのチワワ鉄道は一日一本、それぞれの地から朝の6時ころでて夜の9時から11時ころの間にそれぞれの地に着く(添付写真参考)、その時間差は何かというと急行か普通かの違いである、問題は急行か普通か(ちょっと紛らわしいが一等か二等の差ともいえた)での料金差であった(これも写真で確認を)。われわれはその鉄道が高いことは知っていたから、予定としてはCreelというところまでいって、そこで一泊して次の日またチワワまで戻ることにしていた。で参考までにチワワ~クリールの料金をみると片や596ペソ、片や991ペソの違い(600:1000である、日本円にすると3900百円と6500円の差)、これは大きかった、二人分だと5000円差になる。ならば二等の普通列車にしよう、、ところがあいにくというか、その日が9月の20日で木曜日、次の日の金曜日はなんと一等の急行しかない日であった。てっきり一等の急行と二等の普通が毎日一本づつ出ていると思っていたわたしには思わぬ誤算であった。ここで一日無駄に過ごすのはなんとも痛い、どうしよう‥??、次の日の切符を買いにそこまで出かけたのに結局買わずにそこをあとにした、ビリャの博物館の場所を聞いただけで、、

 そのCasa de General Francisco Villa(Museo Histrico de la Revolucion 革命歴史博物館が正式名称)がまたわかりにくかった、ほんの近くと聞いていたし、駅の女性も2.3ブロックいったところのような言い方だった、要するにきちんと聞き取りができていないということでもあったのだけれど、ほんの数ブロックのそこを見つけるのにその後2、3人に聞くことになったのである。住宅街の真ん中にあってメキシコの国旗でも掲げてなかったらそれとはわからないような建物であった。メキシコの軍隊に警備されたそこは生々しい写真も含めて見ごたえはあった。なにしろたった100年前の史実である、サパタ並ぶ両雄の活躍は今でもメキシコ人の心のよりどころ、今でもヒーローのはずであるが、ウィークデイであったからか、またチワワのそれも郊外といった場所のためか見学者は少なかった、、

<革命歴史博物館の正面と中>138_640x480137_640x480

 帰りのバスは簡単だったが、念のため何本も来るバスのうち同じ行き先表示のバスに乗った。それでも降り場所をひとつ間違えたら次の停留所がとんでもなく離れていてずいぶんと歩かされた、どこでもいえることだが市バスに乗れるようになるには時間がかかる。ホテルに戻ると食事以外はどこにも行かなかったといって息子はそこにいた。体調が思わしくなさそうだった、喉の調子が悪いといっていた。ま、疲れの出るころなので一日休ませていたが、ある意味逆にそれが迷いを消した。無理して明日の高い列車に乗ることはない、何しろひとり分の差額が一日分のホテル代だったのだから、、それで明日もう一日ここで休養することにしたのだ。ただし明日の列車なら朝タクシーを使うしかなかったのだけれど、もう一日滞在するなら、先ほどいったときに何もない駅前にたった一軒だけホテルがあって、そこで値段を聞いてみたら400ペソで、今いるところと変わらなかったから、それなら明日ここをチェックアウトして昼間にバスで移動としようという大変けち臭い作戦を立てた。それには息子も同意してくれた。それで次の日の昼にチェックアウトしてホテルを移り、駅のまん前にあるそのホテルで土曜の朝6時発の列車に備えたのであった。

 チワワに着いた最初の晩は、ホテルが街の真ん中近くだったので7時ころ夕食のために出かけた。歩行者天国があって、その界隈は特ににぎわっていたが、驚くべきことにそこの商店街の半数は靴屋さんだった。きっと革製品が生産が多いところなのだろう、、ところがその肉を食わせるレストランがほとんどないのである、、そんなはずはないと歩き回って捜しているうちにそれらの商店がどんどん閉まっていく、、2,3目に付いたレストランももう一度戻るともう閉まっていたりして少し慌てた、、どこもみんな閉まってしまう、、ようやく一軒見つけた手ごろなカフェテリア形式の店ももう店じまいを始めていて客は一人もいなかった。何とかお願いして食事をさせてもらい、またそこは安くてうまかったのだけれど、たぶん8時にはすべての商店が閉まってしまう気配であった、、早過ぎないか‥??、で、次の晩もそう思って最初から目に付けていたレストランに7時には行ってみた、が、やはりもう客はぜんぜんいなかった。そこで食事を終えて帰ろうとしたときにそこのマスターから、今晩政庁舎の向かいの公園<Plaza Mayor>でフェスティバルがあるのを知っているか?と聞かれた、知らないというと、8時から始まるから行ってみろという、確かにその公園で一昨日着いたときも昨日もなにやら仮設ステージみたいなものを作っている光景は見ていた。どうやらそこが会場らしかった。で、行ってみるとすごい人、お偉いさんか来賓が舞台に勢ぞろいして挨拶をしている、それが終わると花火が打ち上げられ、そしてわれわれは知る由もないがたいそう有名そうなアーチスト<あとで知ったのだがMargaritaという女性singer>のステージが始まった。その夜は何でもそのお祭りの最初の晩のようであった。あとでそのお祭りの案内リーフレットをもらってびっくりした。それはすでに何回目かを迎える国際芸術祭だったのである、、

<前掲のPlaza Mayor公園を反対から見たもの、仮設ステージが見える>130_640x480

<夜のステージ、ビデオを載せられないのが残念>002_320x240_2005_320x240 008_640x480_2


  こんなことだけで判断するのは早計かもしれないが、今メキシコは元気である、少なくともそのように見える、最初の日に目撃したカテドラル一帯の大掛かりな再開発デザインとその工事の模様をみても、それはひとつの活力に見える、そしてこのフェスティバルである。第8回目?となる国際芸術祭に参加している国々、アーティストは当然地元メキシコからが一番多いが、その他アメリカ・カナダ・コロンビア・キューバドミニカ共和国・イギリス・フランス・ドイツ・スペイン・ベルギー・ルーマニア・インド・中国と多彩である。まず思ったのは何で日本からの参加がないのか?そもそもこの芸術祭のことが何らかの形で知らされたことがあったか、知っていたか?少なくともわたしはここにきてそのときたまたま知ったので、まさかそんな大きなお祭りに遭遇するなんて思っても見なかったことだったのである、、そしてそれは音楽だけでなく舞踊・演劇・さまざまな舞台ショーがいくつかの会場で、その日<9月20日>から毎夜10月の12日まで催されるとのことであった。

 3日目の晩もちょっと面白かった。その夜はホテルを移って駅前の安ホテルにいた。そこは前にもいったとおりお店らしきものは何もなく、食事するにはバス通りまで数ブロック歩かなければならなかった。いや歩いていっても時間が遅ければ閉まってしまう、、で、実はその夜は食いっぱぐれてしまったのであった。ま、あまり空腹感がなかったのでそれは別にどうということはなかったが、実はわたしはそこで2時間も列車の到着を待つこととなったのである。どういうことかというと、そのチワワ鉄道のロスモチス発の列車は(その日は急行のはずだったから)9時ころ到着のはずだった。それは駅に面した部屋からでもわかることだったけれど出来たら写真に撮ろうかと思って、わざわざ外に出て8時半ころから待っていた。ひとつには明後日ここに戻ってきたとき、そのままタクシーでバスターミナルまで行く予定をたてていたので、普段は一台のタクシーもいないそこに果たしてタクシーが来るのかも確かめたかった、また実際何時に着くのかも重要だったのである。そのままタクシーでバスターミナルに行って夜行バスに乗るつもりだったから、バスの時間に間に合うかどうかという心配もあったのである。時刻表はあくまでも予定だから実際いつも何時ころに着くかホテルのオーナであるセニョーラに聞くと9時半ころだという、そして出迎えの自家用車やタクシーが集まりだしたのも9時間半くらいだった。しかし列車は10時になっても到着しなかった。それでも誰もいっこうに気にしている風はない、最初からそんなものと思っているようだ(実際時刻表はまったく当てにはならない?)。10時半ころようやく遠くに汽笛?が聞こえ、まもなく到着したが、そこで成すすべなくじっと2時間もその到着を待っていたのはわたし一人だけだったようだ、、タクシーは結構集まっていてそれでなくても少ない乗客を取り合っていた。タクシーに関しては安心だったが、果たしてその時間にターミナルに行ったとしてバスがあるかのはなんとも心もとなくなった、、こうして駅前の宿で眠れない夜を過ごしたのだけれど、なんともここチワワを印象深くしたのはこの宿のふっくら美人のセニョーラ(英語のlady)と初日にことのほか親切だった美人のセニョーラ、二人のセニョーラがこの地を特に忘れがたくした、、ビリャがこの地を愛しここの女性を多く愛したのがうなずけたのであった、、

<やっと到着した列車とホームの様子>017_640x480021_640x480