独歩の独り世界・旅世界

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2015 last in Guatemala 15,プエルトバリオスPuerto BarriosからベリーズBeliceへ

 日本を出る時点でのスケジュールプランでは、3月28日にリオドゥルセRio Dulceについている必要があったのだが、なんとかそれは実現していた。なぜ3月28日リオドゥルセ泊が必須だったかというと、日程上の最大の縛りがカンクン発4月2日早朝のフライトだったので、4月1日にはカンクンに戻っていなければならなかった。そうやって逆算していくと、どうしても最短日数で3月28日リオドゥルセとなったのである(同じことだが、それで3/27アンティグア発も必然だった)。ただ、いずれにしろ再びベリーズ経由でカンクンに戻ることにしていたが、リオドゥルセからのルートは二つあってどちらにするかは当初は特に決めていなかった。そのルートとは一つは一番無難な、というか往路に辿った同じ道を、つまりフローレス経由でバスでベリーズinしてベリーズシティ経由でメキシコ/カンクンへ戻る。もう一つはリオドゥルセからプエルトバリオスPuerto Barriosにでてボートでベリーズinするという方法で、それだとベリーズ側の港街プンタゴルダPunta Gordaからバスでベリーズシティへでるというルートであった。で、どちらにするかというより、それぞれのルートを使った場合の時間やコストを調べるというのが、前にも述べたが今回の旅目的のひとつであったから、もしその両方のルート情報を正確に把握できていたならば、どちらでもよかったということだったのだけれど、実際はその時点(3/28リオドゥルセ)でも、プエルトバリオス~プンタゴルダ間のボート情報は全くあいまいだったので、結局はバリオス経由でいくしかなかったのであった。そして、そのあとの日程も当然当初の予定通りではなく、おおよそ次のように変更になっていた。3/29,リオドゥルセからバスを乗り継いでプエルトバリオスへ<プエルトバリオス泊>、3/30,朝一の船でプンタゴルダへ、その日のうちにバスでベリーズシティ乗り継ぎでオレンジウォークまで<オレンジウォーク泊>、3/31,ラマナイツアー参加、夕方オレンジウォークからバスで国境越え、チェトマルへ<チェトマル泊>、4/1,チェトマルからバスでカンクンへ<カンクン空港泊>、少々弾丸だがギリギリなんとかなると思っていた。ひとつ気になっていたのは、先にはっきりわかってなかった書いたプエルトバリオス→プンタゴルダ間の船が、日に何本かあると聞いてはいたが何時に出航するのかがわかってなかったことだった(料金は200Qで約1時間ということは聞いていたし、ベリーズのバス情報も多少調べはついていた)。

 で、3月29日の朝、相変わらず天気いまいちで、さて、午前中どちらに行くがで、これも迷いに迷っていた。プエルトバリオスまでは2時間くらいだったので午後発のつもりで、午前中にサン・フェリペ要塞Castillo de San Feripeにいってみるか、前日寄れなかったフインカ・パライソFinca Paraisoに行くか、いずれにしろ両方は無理そうだったのでどちらにするかで迷っていた。その朝は6時には起きてパッキングを済ませていた。7時頃ホテルの前にパン屋をみつけ、例によって一銭の無駄もできない状態だったから1ヶ0.5Qのパンを1ヶ売ってもらう。それだけでも怪訝そうなパン屋の親父の顔があったが、さらにコーヒー一杯が3Qと書かれていたので、それは安いと思って、その親父にお湯だけ1Qでくれないかといったらあっさり断られてしまった。仕方なく朝食は前日の飲み残しの清涼飲料とパン一個、バナナ一本だけだったが、朝食は抜いても平気だったから、それでも十分だった。7時半に荷物を預かってもらってチェックアウト。前日暗くなっていけなかったドゥルセ川遊覧&リビングストン行き船のでる船着場やリオドゥルセ大橋見物に30分ほど街ブラして、その国道とT字路で交わるエストール方面へ行く道との交差点に戻る。そこがコレクティボの発着点で、道の右側に停まっているのがエストールへいくコレクティボで左側に停まっているのがサンフェリペ行きのコレクティボだった。まだ、どちらにするか決めていなかった。で、それぞれの呼び込みをしている助手に聞いてみた。エストール方面の助手は、アグアカリエンテまでは15Q(エストール~リオドゥルセ間は20Qなのに、どちらからもアグアカリエンテへは15Qで、やはり途中からの乗車・下車は割高になっている)、乗客が集まり次第でるといっていたが、ほとんど客は乗っていなかった。一方のサンフェリペ(方面)行きはそろそろ満員になりかけていて今にも出発しそうな気配、料金を聞いてみると5Qとのことだった。それでフインカパライソを諦める決断?をし、そのコレクティボに乗り込む。その車はわたしが乗るとすぐに発車した。サンフェリペ要塞までは15~20分くらい?そこで降りたのはわたしくらいでそのコレクティボは、まだ大半の乗客を乗せていたので、どこまで行くのか?もっと先までいっているようだった。

リオドゥルセ大橋から下ってくる道、この右側の側道を行くと次の写真の遊覧ボート乗り場に出る。またこの20mくらい手前がプエルトバリオス行きのコレクティボ乗り場だった。Img_0912_640x480

遊覧ボート乗り場とリオドゥルセ大橋Img_0904_640x480

ticket office;リビングストンへは9:00と14:00発の2便あって片道125Q往復200QとでていたImg_0906_640x480_2

同じくボート乗り場だがイサバル湖方面を見ている。この写真左手奥あたりにサンフェリペ要塞がある。何枚かあとにサンフェリペ要塞からこの辺りをとった写真あり、、
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 いきなりイサバルLago de Izabal湖畔があって要塞があるのかと思っていたら、そこは公園のようになっていて、その入り口で入園料20Qをとられる。まさに親子連れがピクニックにでも来たらさぞ素敵な場所と思われる湖畔沿いの公園(故にここはむしろ地元民・グアテ人向きの観光スポットに思えた)をしばらく行くと今度は墓地になっていたりして、その先に思っていたよりずっと小規模な要塞があった。この要塞はそこでもらった資料によると以下のような成り立ちであった。16世紀にはグアテマラとスペイン本国の間ではすでに交易が行われており、その拠点がこのイサバル湖畔にあったBodegasという街?であった(Bodegaは食料貯蔵所という意味があり、それが地名になっていた?。今でもマリスコスMariscosという地名で現存するが、わたしは未訪)。ちょうどその頃カリブ海は英国・オランダの海賊が跋扈していて何度か襲撃にあっていたようだ。Bodegasは広いイサバル湖の南辺にあってカリブ海とはドゥルセ川で直結していた。ちょうど今のリオドゥルセ、正確にいうとこのサンフェリペ要塞の辺りから広大な湖はいっきに狭まってドゥルセ川になるのだけれど、最初はそこに監視塔(1595;Torre de Sande)が建てられる。それは1604年に更に強固なものに建て替えられた(Torre de Bustamante)。しかし17世紀に入って海賊の猛威は増して、今度は要塞に建て替えられる。それが1651年で、そのとき国王フェリペ2世の名を冠せたのがこのサンフェリペ要塞の由来だとか(?、わたしの読解だから正しい訳の保証はなし)。その後も幾多の変遷を重ねたようだが、1955年に新たにその地は発掘されなおして当時を再現して再建されたのが現在の姿とのことだった。

公園の中を10分くらい歩いてこの要塞にたどり着く;サンフェリペ要塞外から2枚Img_0915_640x480Img_0916_640x480



 しかし、その中は小規模なながら大変興味深いつくりになっていて、ざっとなら20~30分で十分そうなところに小一時間もいてしまう(地下道や地下室があってそれは灯りがなくては入れなかったが、すべて見るにはもっと時間が必要だったと思う。なお地下道や地下室は一時そこは監獄として使われたこともありその名残か?)。その砦の最上部からの眺めはなかなかよくて、遠くにリオドゥルセの街・リオドゥルセ大橋が見えたような気がする(はっきり確認できなかったが)。また湖上遊覧の船が特にこの要塞をめがけてやってきて、ここは大変人気のある観光スポットであることを物語っていた。更にそれは帰りがけ、わたしが入場したのはまだ開園まもなくのときだったからまだ人は少なかったのだけれど、大挙押し寄せる観光客(その頃になると欧米の団体客がツアーで訪れるようになって、日本人のツアーもあった)を目の当たりにし、地元の人だけの観光スポットではないことも知ったが、早め見学が正解だったことを思いながら早々にそこをあとにした。雨がぱらついてきて雨宿りしながら帰りのコレクティポを待つが、これがなかなか来なかった。30分以上も待って、やっときたそれに乗ると15分でリオドゥルセに着いた。

サンフェリペ要塞;5枚Img_0918_640x480Img_0920_640x480Img_0922_640x480Img_0926_640x480Img_0930_640x480

ちょうど上の写真のボートの真上辺りを望遠で望むとボート乗り場と大橋が写っていた、、Img_0928_640x480

 前日とその朝の聞き取りで、どうやらリオドゥルセからプエルトバリオスまで行くコレクティボがあるとの情報をつかんでいた。最初はそんなのがあるとは知らなくてバスで行くつもりであった。ただし、バスで行くとすると何社も走っているグアテ行きのバスで一旦モラレスMoralesに出て、そこでプエルトバリオスへいくバスに乗り換える必要があった。面倒なのとバス代がけっこうかかりそうだった。コレクティボがあるならそれに越したことはなかった。リオドゥルセに戻ってホテルで礼をいって荷物を引き取り、そのコレクティボが出るあたりにいってみるが、それらしき姿はなかった。しばらくその辺りをうろついていると一台のコレクティボが到着、そこでやってきた方向に向きを変えたので聞いてみると、たしかにプエルトバリオスまで行くとのことだった。料金は24Q、バスより全然安そうだったし乗り換えの必要がないのがなによりだった。しかし利用客は思ったより少なく、満席になる前に5分くらいの停車で10:35リオドゥルセをあとにした。モラレスまでは思ったより早く40分でプエルトバリオスまで延びる国道CA-9との分岐に着いた。モラレスという街はそこからさらに10分ほど中に入ったところにあるのは何度かバスで寄ったことがあったから知っていたが、そのコレクティボもそこへ寄るのか、それともそのまま左折してプエルトバリオスに向かうのかまでは、もちろんそのときは知らなかった。あとから思えば当然なのだが、もちろんそのコレクティボは右折してモラレスの街へ入っていった。そしてモラレスのバスターミナル兼コレクティボターミナルになっているところで30分も停車したのだった。だからモラレス発は12時になった。そこからはほとんど満席状態が続いたがプエルトバリオスまでは約1時間かかって13時05分に見覚えのあるLiteguaのバスターミナル前の、プエルトバリオスの中心となる市場のところに着いた。

モラレスのバスターミナル&コレクティボターミナルImg_0935_640x480

 特に急いでいたわけでなかったが、思ったより早い到着に、さてどうしたものか?荷物があったので宿探しを先決とした。安宿は港のそばに何軒かあったのを覚えていたので、少し遠かったがそこまで歩いた。最初の宿で部屋代を聞いてみると一泊85Qとのこと、予算オーバーだった。それを払ったら飯が食えなくなる。船着場の近くにもっと安いところがなかったかと港までいってみると、何人かたむろしている(黒人かガリフナ系の)呼び込みのような連中がやってきて、どこへ行くんだと聞いてくる。相手にしてもしょうがないから安宿がこの辺にないかと聞く。と、教えてくれた宿はさっきわたしが寄ったところだった。もっと安いところを知らない?と更に聞き返すと、それ以上安いところはないとの返事、やはりそこしかないのかと諦めて戻ろうとして、ついでに明日朝のプンタゴルダ行きボートは何時か聞いてみた。朝10時半との答え、もっと早いのはないの?プンタゴルダ行きのボートは10時半と13時半の2本しかないような返事。ほんと?‥2本しかない!?‥そんなはずはないだろう‥、、わたしは、こんなやつを相手にしていても埒があかないと思って、確かめに切符売り場<ticket office>に出向いてみた。そこにいたのもガリフナ系の太った女性だったが彼女は陽気でとても親切だった。しかし、答えは同じだった。明日の便は(というかプンタゴルダ便は)10時半と13時半の2本といっている。ということは今から最も早い便は明日の朝の10時半までないということ?、、実は明朝10時半のボートでは明日中にオレンジウォークに着くことが難しそうだったのだ。それはある程度ベリーズのバス情報を持っていたから、そのときとっさに判断できた。明日の10時半のポートではそのあとのスケジュールがメチャメチャになってしまいそうなことも予測できた。少し真剣になって、今日のボートはもうないのか聞いてみた。その答えがよかった。13時半のボートがまだ出てない、それしかないとのこと。そのとき時刻は13:25だったから、それには間に合いそうもなかった。これからイミグレに行ってたら乗れないというと、ほんと彼女には感謝したくなる答えが返ってきたのだ。大丈夫、待っててあげるから!!、、行きがかり上引き返せなくなった。ワンブロック、2~3分のところにあるイミグレはそこから見えていたから、じゃすぐ戻ると彼女に告げて大急ぎでイミグレへ、誰も並んでいなかったから手続きそのものはすぐ済んだのだけれど、そこの係官はやはり小太りの女性で、ちょっと厳格そうなラディノだった。彼女はわたしに出国税80Qを払うよういってきた。出国税?80Q?、なにそれ?、そんなの聞いたことがない!!、しかしその係官に何をいっても(当然)相手にされなかった。仕方なく残り金を全部晒してみると、船代を別にすると75Qしかなかった。あとで如何に焦ってたか(バカをやってたか)と思い返したが、そのときわたしはその係官に5Q足らない、まけてくれ、と頼んでいた。もちろんそんなのに聞く耳持たずだったから(一応ドル払いでもOKといわれたが、そのドルもどこかでなくしていて持金にドルもなかった。ちなみにドル払いだと10ドル)船代の200Qからそれを払う。すでにその場で10分は費やしてしまっていた。ガリフナの女のところへ戻って今度は船賃の交渉となった。今度こそありったけのケツァルをだして5Q足らない、といって残っていたメキシコペソの小銭とベリーズドルの小銭(いくらあったか知らないがそれでも足りないのは明らかだった。もちろんここでもドル払い可であったが)全てを晒して、これしかないという。彼女はメキシカンペソは要らないといって195Qとせいぜい3~40セントのベリーズドルでOKしてくれたのだった。もし時間の余裕があれば、なんらかのものを彼女にプレゼントしたいくらいだったが、そんなものを探している時間はなかった。1時間の船旅はわかっていて、もちろんそのボートにはトイレなんかついてなかったから、トイレに行く時間だけくれと断ってトイレに行くとそこは有料で、お金ないといったら、冷たく追い返された。わたしのために15分待たせたようだったが、よくあることというか、そのへんは鷹揚でわたしのあとから乗ってくるものもいたので、なんだ焦ることなかったと拍子抜けする。その辺が日本人の国民性ということか、こちらの感覚ではどうって事ないことのようだった。ということで、13時半発のボートは13時50分に20分遅れでプエルトバリオスを出航したのだった。

プエルトバリオスのボート乗り場;右のボートがプンタゴルダ行きImg_0937_640x480

 いやー、とんだドタバタだったというか、逆転劇というか、まさかの展開にわれながら驚いていた。が、いずれにしろそのボートに乗れたことは幸運だったように思う。あとから思えばほんとにギリギリ・セーフだったのかもしれなかった。どこかで何か、ちょっとのことで、5分でも違っただけで全く別の展開になっていたはずだった。そうなればそのあとどこかで無理をするか、何かを諦めなければならないことになっていたと思われる。その辺が旅の面白さでもあるがスリリングなところでもあった。そのボートは意外にもリビングストンに寄った。これも予期せぬことのひとつで、その時点で二つの疑問がわいた。1,はリビングストン発プンタゴルダ行きの定期便はあるのか?あるとすればデイリーか?曜日が決まっているのか?そして何時発か?、2,はこのポートはどうやってリビングストンに客がいることを知ったか?あるいはリビングストンの客がどうやってこのボートに連絡をとったのか?、つまりどうすればプエルトバリオス発のボートにリビングストンから乗船が可能なのか?といったことだったが、それらを確かめる術はすでになかった。そうして、リビングストンに寄った分だけ時間はかかって、15時05分にプンタゴルダの港に着いたが、数週間前にベリーズは通過していたとはいえ、グアテマラとはこうも違うのかと、あらためてその異質さを感じていた。

プエルトバリオス港;2枚Img_0939_640x480Img_0940_640x480

何年振りかのリビングストンの港Img_0941_640x480

見えてきたプンタゴルダの街Img_0944_640x480