独歩の独り世界・旅世界

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メキシコ・キューバの旅 9)カマグェイCamaguey




 シーナイーラとその彼氏はわれわれのためにほんとによくしてくれた、昨日の夕方にはわたしのツレのリクエストに応えてココタクシーのお土産を探し回ってくれた、いつもいつも気を遣ってくれた、、それが特別のはからいでなく、ただ普通の当たり前のこととして、客をもてなす心として備わっているのが身にしみてわかる、それが彼らだけでなく普通のキューバ人が普通に持っている所作であった、、思えばわれわれ日本人も昔普通に持っていた当たり前の所作・振る舞いなのだが‥

102_640x480この卵の殻で作られたココタクシーの土産は結局どこにも売っていなかった、、

 そんな彼らに送られてわれわれは7時15分にはバスターミナルにいた、他にも外国人の待ち客が数人いたがわれわれはトップでカマグェイまでのticketを手に入れた、、それでもなんだかんだでバスが出たのは8時くらいだったか、それが定刻だか遅れているのかはわからなかった、カマグェイまでは4~5時間で着くはずだった、つまり昼頃には着くだろうと見込んでいた、、が、ものの30分も走った辺りでバスは突然止まってしまった、、山の中というか原野の真ん中、周りは何もないところ、何かのトラブルor故障だろうと高をくくっていたら、これがとんでもないことに発展していった、、まず、バスの止まってしまった原因はなんら説明なく(説明されてもわからなかったかもしれないが)、たぶん故障だと思われたが応急処置の甲斐なくお手上げ状態のようだった、そのうちにそのバスの脇にキューバ人用のローカルバスが現れて、そのバスがわれわれのバスの修理かなんかで停まっていたトラック(たぶんケータイかなんかで修理を依頼した?)に衝突した、つまり故障で停まっていたわれわれのバスとその小型トラックと事故を起こした民間のバスと計3台が原野の真ん中で立ち往生状態になった、そのうちにポリスも来た、われわれは何がなんだかさっぱりわからず(われわれのバスの乗客はほとんど外国人、日本人も3人いた)ただ待ってるよりほかない、2時間くらいして救援のバスが来たが、それもすぐには出てくれなかった、最終的にその救援のバスがそこを離れたのは12時半、つまりもうカマグェイについていておかしくない時刻であった、、実に4時間もただただなす術なくそこで待っているしかなかったのだった、お詫びも説明も一切なく、、こんなことは他の国ではまず考えられないことだ、、しかしお国事情を知っているわれわれ旅行者は嘆きこそすれ誰一人文句を言うものはいなかった‥まずは(代わりの救援の)バスが動きだしてくれたことを喜んだ、こうして途中の大きな街サンクティスピリティスSancti Spiritusには13時半頃、シエゴデアビラCiego de Avillaは16時過ぎ(この間に昼食休憩1時間くらい)、そしてカマグェイには18時20分、そう予測よりなんと5~6時間遅れ、かかっても5時間の距離を12時間くらいかかっての到着となった、、こういう旅は体力もさることながら精神的に疲れるものだ、もうどうでもよくなっていた(われわれより大変だったのはサンチャゴデクバまで行く人たちで遅くとも夜の8時頃くらいには着くはずのところたぶん深夜0時前には着かなかったはずだ)昼頃着いているならホテル探しも簡単なはずだったが、もうすでに日が暮れてだいぶ時間がたっていた、明日のサンタクララ行きの時間を確かめに行ったら12時頃にバスがあるが例によって30分前に来いといわれ、そのオフィスから出てきたところで同じバスに乗っていたイタリア人からのわれわれの名前を呼ばれた、えっ?何?何故?とっさに事情が飲み込めなかったのだが、どうやらわれわれを待っていてくれた人がいるらしいことがわかった、車が迎えに来ているという、それでもわけわからずともかくもうこれ以上オンボロにはなりようがない、漸く走っているといった、相当年代ものの待っていた車に一緒に乗り込んだ、その中でイタリア人がいうにはどうもカサパルティクルの人が迎えに出した車らしいことがわかった、、が、どうやら彼とわれわれの行き先は別だったようでまったくどこを走っているかわからなかったが、彼は先に一人降りていった、そのあと4、5分走ってその車は一軒の家の前で停まった、バスターミナルから15~20分くらいは走ったか、で、その時漸くわかったことは、その車の運転手がてっきりカサパルティクラルの人と思い込んでいたのだが、どうやらタクシーの運転手だったらしいこと、でタクシー代を要求してきたから言われるまま4cuc払う、後は家から出てきた人の言いなりになった、タクシーは去っていった、、後にわたしはこの一件を悔やむことになる、、

028_640x480手前のトラックが実はキューバ人用のバス、下の写真が乗客の降りたそのバスの内部、手前に写っている女性はわたしのツレ

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 考えられることは、たぶんトリニダのカサパルティクルからわれわれのことがカマグェイの知り合いに伝わった、カマグェイのカサパルクラル同士は知り合いでそれぞれ客を迎えることになったので、その迎えに一台のタクシーを頼んだ、タクシー運転手はいわれたままわれわれを待った、、普通なら昼ごろに着くわれわれを ! ! が、来なかった、そのバスの到着が遅れることを知っていたか、バス会社から知らされていたか?は、わからない、しかしなんと彼はわれわれを5時間以上待ち続けたことになる、、信じられないことだった、もしその推測が当たっていたとしたら、あの時少なくとも倍の金額を、あるいはチップとして10cucくらい上乗せするのが、普通の心の持ち主ではないかと、、いやー、それに気がついたときはすでに遅かったのだった、、

 しかし、それに気づいたのはもう少し後だったのだ、その時紹介された家では、すでに先客があってその日は泊まれないとのこと、で近くのカサパルティクルを紹介するということで、そこから歩いて5分くらいの別の家まで連れて行ってくれた、つまりそのときはなんだか連れまわされて、別に頼んだわけでもないのにいったいどうなってんだ、との想いのほうが強かったのだ、、そうやってすったもんだの挙句に一軒のカサパルティクラルに落ち着いたというわけだった、そこも先の家もともにりっばな邸宅だった、、いつも思うことは当然カサパルティクラルは他人に部屋を提供するのだから、結構大きな家、裕福な家庭に限られている、それにしても総体的にこちらの家はみなりっばなこと(部屋数が多い)、またそこのご主人で仕事をしている人はほとんどなく(ま、だいたい年配者で、リタイアされている方が多かったのかもしれないが)また民宿だけで家計がまかなわれるとも思われないので、キューバの経済状況、あるいは雇用状況、年金などの社会保障制度がどうなっているのか等々、不思議がいっぱいであった、、が、少なくともその日、バスの遅れの実態(有事)にみる、どうしようもない部分と前から言っているカサパルティクラルにみられるすごい部分としての強力なネットワーク等々、キューバの実態が良くも悪くも現れたように思えた、、その家で頼んだ夕食も結構豪華なものでビールを飲みながらようやく落ちつきをとりもどすのであるが、そのときタクシーの一件に気づかされたのであった、、

 次の日にあまりいいことがなかったのは、その件でツキを落としてしまったからだと、自分に言い聞かせた、というのも旅しているとそういうことが多く、多少の出費(tip、心付)や寄付・ドネーションをすると不思議と後からいいことが起こり、またその逆もあるものなのだ、次の日の失敗はこんなところから始まった、まず、その日のうちにサンタクララへ行く予定だった、バスが昼ころにあるので午前中にできたらカマグェイを散策したい、しかしその家からはバスターミナルも世界遺産に登録されている歴史地区も少し遠そうだった、ではどうするか?、、アイデアとしてハバナでオールドハバナを自転車リキシャで回ったときのようなものはないか?理想は馬車だったのだけれど馬車の貸切は高そうだったので自転車の場合は1時間いくらくらいか、そこのオーナーに聞いてみた、すると近くにその仕事をしている人がいるから呼んできてあげる、直接交渉したら、といってくれた、すぐにやってきた親父と交渉したら1時間4cucでOKとのことだった、ハバナでも値切ってその値段にさせたから、ま、それならいいかなとそれ以上値切らなかった、つまりそれでこちらもOKしたのだけれど、結果的にいうとそのとき確認が足らなかったのだ、実はあとからもめた、これはわたしの語学力に問題があったかと結局は彼の言い分に折れたのだけれど、後から彼が言うには自分は1時間一人4cucと言ったのだと主張した、わたしは1時間二人で4cucと誤解したことになったのだ、つまりこれはちょっとした行き違い・くい違い、そう、昨日上げるべき人にあげなかった分、今日こうして別の人に払わされることになった、とわたしは解釈せざるを得なかった(うまく流れているときはこういう行き違いは起こらないのだ、ま、有神論者といわれても仕方ないところだが‥)、それでも約2時間われわれと荷物を乗せて世界遺産都市の街を懸命になって自転車で回ってくれたのは事実だった、、

033_480x640iglesia de la Soledad

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037_640x480Plaza Trabajodor 、以下は不明
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 カマグェイの見所はいわゆる歴史地区があってそこに歴史的建造物がいくつも残されていた、一ヶ所にまとまっていたわけでないから、それを巡るにはやはり自転車リキシャがもっとも適当な乗り物だったかもしれない(もちろん馬車のほうが優雅でいいのだけれど、ここの馬車はもっぱら公共交通手段として使われていて観光用はなかった、それについては後述、なお余談だが馬車を使って優雅な観光巡りをしたことがある、前にそのことも書いているがミャンマー・パガンでの話)、、ただ残念なのはここでは地図や観光情報が手に入らなかったから写真は載せられるがその名称を併記できないことをお断りしておく、いずれにしろ自転車リキシャで約2時間一通りカマグェイの歴史地区は見て回れた、で、その足でバスターミナルまで連れて行ってもらったのだった、、

 さて、そこでの話、ちょっともめたけれど渋々16cuc払った、一生懸命やってくれただけにちょっと悔しいというか後味が悪かった、と、そこへ次の手配師・やり手?が現れた、どこへ行くんだ?と聞いてくる、サンタクララへ行くつもりだ、と答えると、バスと同じくらいの値段でタクシーで行ける、そのほうがぜんぜん早く着く、と言ってきた、、こういう話は何度か聞いていた、たとえばハバナでバスを探していたときViazulあたりに待機していたタクシー運転手から声がかかったことが何度かあったし、トリニダでもサンタクララまでならタクシーの乗り合いがあるということを聞いていた、半信半疑であったがこの情報は重要であった、ちょっと聞いてみたくなった、それってどういうこと?ま、要するに乗り合いタクシーで人が集まれば均等割りでバスと変わらないくらいの値段で目的地まで行けるとのことだった、ではサンタクララまでいくら?一人25cucとのこと、たった今もめたばかりだったからしつこく確認した、二人で50cuc、バスだと一人20cucくらいだったから確かにそれほど違わない、ま、早い話日本でいう白タクというやつで、その手配師がこういったバスターミナル周辺にはどこにでもいた、ということはキューバでの移動法は白タクということを承知なら、もしViazulがだめでも同じくらいの料金で何とでもなるということがことがわかったのであった、、ちょっと遅すぎたが、とりあえず、それを確かめる意味でその話に乗ってみた、、50cucでOK、でどうすればいいの?30分以内に車が来るからその辺で待っていてくれとのことだった、、わたしはその間、この国で今なお活躍している公共交通機関としての馬車をそれが行き交うたびに写真に収めていた、、

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 106_640x480_3これは別の場所で写したもの

 ここで突然馬車の話になるのだけれど、実はわたしがこの国を再訪した大きな目的のひとつに馬車が健在かどうか確かめるという意図があったのだ、、それは12年前サンタクララでの出会いから始まった、そのときハバナではもう見かけられなかったがサンタクララではまだ馬車が公共交通機関として機能していて車と共存していた、それを見てわたしは感激してしまったのだ、そしてその速度、乗り心地に魅了されてしまった、これはおそらく世界で最良の人間の足に変わる公共の乗り物である、その歴史は長い、いまや世界は自動車によって席巻されているが、馬車を捨て去る謂れはない、なぜこれほど経費がかからず排気ガスもでない(馬糞の問題はあり)健全・安全な乗り物をもっと利用しないのか ! ?と、キューバでは未だ広く馬車が利用されているのを知ってそれがわたしがキューバを愛する最大の理由になったのであった ! !(今回バヤモというところに行ってみたかったのもその理由からである)その後わたしは広く世界を旅するわたしの友人たちに、もしどこかで馬車が公共交通機関として使われているのを目撃したらぜひ知らせてほしいと頼んだ、観光用としてはかなり広く供されていることはわたしも知っている、しかし公共交通機関としてのそれは、まだどこかで利用されていると思うがいまや極端に少なくなっていて、残念ながら未だその報告を受け取っていない(スミマセン、どなたかご存知でしたら教えてください、何なら公共交通機関としての馬車を守る会の会長をやってもいいと思ってます??)で、今回もハバナを出るやトリニダでも、ここカマグェイでも、その後に寄ったサンタクララでももちろん健在であったのだ、ということはたぶんハバナ以外ではまだまだ馬車は現役で活躍しているということの確信が得られたと思っている、同時にもしキューバの馬車が廃れる日、それはキューバの魅力が廃れる日とわたしは勝手に規定している、キューバは日本語表示では‘救馬’がふさわしいのではないかとそれこそ勝手に決めさせていただいている、、そんな馬車の行きかう様子を眺めながら大いに安心していたのであった、、

 さて、約束どおり11時頃にはその手配師が戻ってきて一台の車を導いてきた、、それはタクシーでなくキューバの若者が運転する比較的新しいプジョーだった、そこにはその運転手よりさらに若い10代か20代そこそこの若者が二人乗っていた、その手配師は支払いは降りるときでいい、しかしちょっとガソリンを入れるのに小銭がない、6cucもってないかと聞いてきた、、わたしは何の疑いもなくそれを前払いした、後でわかったことだがそれがこの手配師の手数料だったようだ、で、それが後に多少の波紋を呼ぶことになった、、、