独歩の独り世界・旅世界

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メキシコ・キューバの旅 10)サンタクララ Santa Clara へ

 その日はもう12月30日だった、その若者たちはどうやら首都ハバナを目指しているらしかった、が、いったいどこの人で(たぶんカマグェイの人だったのだろう)何をしている人たちか、またクラッシックカーやおんぼろカーで有名なキューバで、こんな若者がどうしてプジョーの新車なんかに乗れているのか、といったことはまったくわからなかった、実はあまり話さなかったのと、ま、あまり通じなかったのだ、それは年が違いすぎたせいか、あるいは日本人に関心がなかったか、またはこちらがほとんどしゃべれないと思ってのことだったか、それも話してないからわからなかった、だからわれわれはサンタクララまでの4時間あまり、ほとんど外の景色を眺めているか彼らの振る舞いを観察していただけだった、そういえば今思い出したのだけれど、彼らは若さゆえ、というかこれは世界共通のことなのか、その間ずっとカーステレオのボリュームをいっぱいにあげていたので話しをする余地はまったくなかったのだ、、つまり彼らにとってわれわれはちょっとした小遣い稼ぎのための邪魔者?闖入者にすぎなかったともいえた、、ただ一度だけそうしようと思えばできた機会があった、それは昼飯のためにドライブインに寄った時だった、、

 カマグェイを11時15分に出発したその車は、あの手配師がいっていたガソリンの補給もせずに、むちゃくちゃに飛ばして1時間半でCiego de Avilaの街を通過、何しろ交通量が少なくまたこの若者の運転も結構うまかった、さらに30分くらい走って大きな街Sancti Spiritusの手前で右に折れた、そこまでは昨日通った道だった、しばらくいって国道1号線?ハバナまで続くし高速道路のような自動車専用道に入る手前辺りで、昼食をとることになった、その辺りは、つまり立地的に(自動車専用道の出入り口、&その道路の最終地点であった)ドライブインが何軒かあって呼び込みも行なわれていた、しかもそのレストランは(たぶんその辺りのレストランはどこも)めちゃめちゃ安かったしうまかったのだが、その時もしわれわれに少しの金銭的余裕と言葉がもう少し不自由なくしゃべれるという心の余裕があったなら、彼らに飯をおごり同じテーブルで会話もできたことであろう、、が、その時少なくともわたしはまだ先ほどのリキシャマンに8cuc騙されたという想いを引きずっていたし、現実的に残りのcucがもうわずかしかなかったのだ(&この若者たちとゆっくりおしゃべりしてみようという気持ちも会話力の自信もなかった)、だからかえってこの若者たちよりもみすぼらしい昼食をそれぞれのテーブルでとることになった、彼らは普通の定食にデザートのアイスクリームまでつけていたのに、われわれは一人前2cucの料理をを二人で食べてビールも飲めないという有様だった、、が、そこの料理(Masa Fritaという豚肉の料理)のうまかったことよ ! !

030_640x480これはそこのドライブインの写真ではないが、だいたいメニュウは同じ、Masa Frita 50と表記されているのは人民ペソで50cucということで1cuc=24~25cupだから2cucということ、cervesa 25はビール1cuc約85~90円

2011_1230_140739p1030386_640x480食後、国道1号?自動車専用道路を走る

 そのあと、それこそまったく交通量の少ない自動車専用道路を100キロ以上(たぶんずっと130kmくらい)で飛ばして15時過ぎにはサンタクララの街に入った、、で、できたらゲバラ廟でMonumento Ernest Che Guevaraで降ろしてくれないかと頼んでみた、それは快く応じてくれたのだけれど、驚いたことに、というかそれが普通なのかもしれないが、どうやら彼ら3人はサンタクララの街にはじめて来たようでそれがどこにあるか知らなかったのだ、しかし彼らは人に聞いてそこまで連れて行ってくれた、で、そこで降りてわかれる際に例の6cucの問題が浮上してきたのだった、、あまり話さなかったが決して悪い連中でないことはわかっていた、むしろ車の所有者?年長の若者は礼儀正しく好感の持てる青年であった、だから気持ちよく約束の50cucを払うつもりだった、しかし彼らは前払いした6cuc分のお釣りを持っていなかったのだ、このとき間の悪いことにわれわれも細かいお金を持っていなかった、それに少なくなりかけていたcucだったので6cucはわたしにとっては結構大きかった、またまた彼らは通りがかりの人に両替できないかと聞いてくれた、が、それもかなわなかった(思うにたぶん誰もcucを持っていなかったのではないかとあとから気づく、cup人民ペソは持っていたのだ)、その時ひらめく、霊廟に入るにはお金がいる、そこで崩してくるから待っててくれと言い残してあわてて事務所に向かった、と、そこでさらに最悪の事態を知ることになる、、閉まっていたのだ、、警備の人に聞くと年末年始は休館とのことだった、昨日までは開いていたとのこと、そんな ! !いわれてみると観光客はまばらにいたのだが確かにその数は少ないし土産物屋も食べ物の屋台もでていなかった、ここに至ってなすすべなし、二つの問題が解決しない‥、一、お釣りをもらえない、二、ゲバラ廟は見学できない、、ま、いずれも嘆いても詮なしで諦めるしかなかったのだが、わたしは彼らに状況を説明しひとつの提案をしてみた、、お釣りはいらない、その代わりこのあとサンタクララのバスターミナルまで乗せていってくれ、その前に写真だけ撮りたいので少し時間をくれ、というものであった、彼らもこのあとハバナまで行くのでそれほど時間に余裕があるわけでなく、あんまりいい顔はしなかったが了解してくれた、われわれは大急ぎでゲバラ廟のモニュメント像を写真に収めて再び車に乗り込んだ、わたしは前に来たときに中に入っているが、せっかくそのためにわざわざキューバまで来たわたしのツレにとっては少なからずショック?悔しい想いであっただろうと推し測れた、なぜそこまで調べておかなかったか、とわたしも自分をさいなむ、、どうも昨日あたりから流れがおかしくなっている、、

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  わたしはそこからバスターミナルまではそんなに遠くないこと、もしそこでタクシーを拾ったとしても2~3cucくらいなものであることを知っていたが、彼らはバスターミナルの場所も行き方も知らず、それでもなんとか人に聞きながら10分くらいでわれわれをバスターミナルまで連れて行ってくれた、、そこの待合室でしばし休憩、明日のハバナ行きのバスを調べていると、早速次の手配師が現れた、、それはタクシーの運転手だった、どこまで行くんだ?ハバナ、ただし明日、とわたし、タクシーだと同じ料金でハバナまで行ける、そのうえ指定の場所まで行くから向こうでバスを降りてからのタクシー代がかからない、と言ってくる、なるほど、ここでもその手があることをまず確かめて、せっかくいい寄ってきたその運転手にセントロまでいくらで行くか聞くと4cucとのこと、ふつうは2くらいではないか?たぶん地元の人はそのくらいだったと思う、しかし彼はわれわれをカモと思ってか折れなかった、たぶんここのタクシーの連中は皆グルでわれわれ旅行者にはそういってくるように思われたので4cucでOKをだし、その代わり適当なカサパルティクラルを探してくれるよう頼んだ、で、その途中でもう一件の(小さな、しかし負の連鎖がまだ続いていたことを意味する)事件に遭遇する、、

 わたしは両替所がないかと訊ねた、彼は街の中心にあるCadeca両替所に連れて行ってくれたが閉まっていた、それを知っていてのことか年末年始は休みだと言った、そこでよく確かめなかったのがまたまた損する発端になったのだが、彼はわれわれが両替を必要としていることを知って親切心からか個人の両替商を見つけてくれた、その両替商は100ユーロ124cucと言ってきた、その当時100ユーロ124cucはそれほど悪いレートでなかったのでOKして100ユーロをわたしてしまった、しばらくして戻ってくるとその両替商は120しかよこさなかった、すでに両替所が閉まっててしばらく開かないので120しか渡せないとか何とかいっている、どうも足元を見られてしまったようだ、こちらの窮状を察してのあこぎなやり方だ、すったもんだの末、というのもここで替えておかないとにっちもさっちもいかなくなると思って仕方なく折れてしまった、またまた4cucの損失、いったい今日は何度こんなことになるのか?つきの落ちてるときってあるものだが‥

 そのあとそこの近くにあった一軒のカサパルティクルに落ち着いて(ここは今までのカサパルティクラルに比べるとちょっとレベルが落ちたが)街に出たとき、そこはセントロに近かったのでそのカデカ(Cadeca両替所)によってみた、そこには年末年始の業務案内が出ていて、明日31日は9時から12時と書かれているではないか ! 何のことはない、両替できるではないか ! !騙された、いや、よく確かめなかった自分が悪かったのだ、、そういう悔恨があるとき、わたしは自粛?自分に制裁をくわえる、その日の夕食はそれまでの最低、ホットドッグ一本(1cuc)となった、そのとばっちりをもろに受けたツレがよくヘソを曲げなかったもんだと今でも不思議に思っている、、

2011_1230_163248p1030394_640x480サンタクララの馬車も健在だった