独歩の独り世界・旅世界

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メキシコ・キューバの旅 7) トリニダTorinidadへ

 あくる日(27日)トリニダ行きのバスは(もしかしたらそのバスはサンティアゴデクバ行きだったかもしれない、よく確かめなかった)12時だったか12時半だったが、いずれにしろ昼ころの出発であった、で、その時点で今後の予定を次のように決めていた、ハバナ発の飛行機の便が1月2日と決まっている以上12月31日にはハバナに戻って来たい、そうやって逆算すると30日にはサンタクララにいなければならない、もし夜行バスがあれば28日の夜トリニダからサンティアゴデクバへ、そして29日の夜また夜行バスでサンタクララへ戻るのは計算上可能だが、いかにも強行軍だし第一夜行バスがあるかどうか、あっても座席があるかどうか、どうもこの選択は難しそうだった、サンティアゴデクバは今回諦めるしかないかもしれなかった、、いずれにしろ31日にハバナに戻るとして、その日の宿は確保しておきたかった、ガリアさん宅はその日は都合が悪いとのことで、近くの知り合いのカサパルティクラルを紹介してくれるとことになった、なのでガリアさんところは結局一泊しただけで、次の朝朝食後に1ブロックほど離れたところにあるルイスさん宅に連れて行ってくれた、そこはかなり部屋数の多い家で大家族が住んでいるようだった、家族構成まではその時わからなかったが(後で聞いてびっくりしたのだが)、その日はそこに荷物だけ置かせてもらい、31日に戻ること、これからトリニダに向かうこと、できればViazulまで行きたいのだけれどタクシーを呼んでほしいということをお願いした、快くすべてを了解してくれ少し早かったが、われわれはかなり軽い荷物でViazulまで行くことができた、、(Viazulのターミナルは25日に行ったところ、近距離の適当な交通手段がなく、タクシー代5cucはやむをえなかった)

 そこでまずしたことは昨日手に入れたバスのticketがそのまま乗車券でないのに気づいたから、それと引き換えにバスの座席券を得ることだった、そうつまりそれは座席の引換券(確約証?)に過ぎなかったのだ、で、窓口で聞いてみると案の定正式な座席番号の入ったticketをくれた、たぶんこれでもう大丈夫、後は出発までの2時間をどうすごすかという問題だけ残った、、幸いにわたしのツレにとってはそこで大量のゲバラ関係のグッズ、写真、写真集等が売られていたので、どうやらそれほど退屈な時間にはならなかったようだが、わたしは12年前もこうしてなすすべなくバスを待っていたことを思い出していた、、そういえば、そのときと何にも変わっていないな‥

 建物はまったくそのままだったし、バスも新しくなってるようには見えなかった、また便数こそ増えたようだが、行ける街も限られていて変わってないようだった、、なによりバスターミナルに出発到着の掲示板ひとつなく、何はともあれバスの運行システム及び空席状況等がコンピュータによって管理がなされてなく、未だ手作業?出発間際にならないと確認できないという前近代的システムに依存している状況にあった、、ま、これは競争他社のないこの国独特のシステムと言ってしまえばそれまでだが、いずれにしろ12年の間に進歩がまったくないというお粗末さ?だった、、が、そこはよくしたもので、その変わらないが故のよいところもちゃんと残っていたのだった、、それは皮肉なものでバスの運行システムが電算化されていないことと反比例(この場合は比例か?)するように、前から話しているカサパルティクラル・民宿ネットワークが昔のまま実に素晴らしく機能していたのである、、もちろんこれもどこかに中心・センターがあってそこでコンピューターネットワークによって集中管理されているわけではない、あくまで個人の情報を元にすべて電話によって繫がっているシステムで、これは驚くべきものであった、、12年前の旅のときにそれに接して賛嘆した記憶がある、それもここViazulからはじまった話しであった、、そのときわたしはサンタクララへバスで行くつもりでここに来ていた、とサンタクララの宿は決めているのか、とここの誰かに聞かれた、決まっていないと答えると、民宿のひとつを紹介してくれ電話をしておいてあげるといってくれた、、わたしはありがたくその住所をいただき、もしサンタクララに着いて適当の宿がなかったら行ってみるか、くらいに考えていた、ところがそのバスがサンタクララに着いたとき、まったく見ず知らずの土地で誰かわたしの名を呼ぶものがいるではないか、このときの驚きはたぶん生涯忘れることはないであろう、、そして同じことが今回も起こったのであった、、

 昼ごろ、定刻どおり出発したバスはそう確かにアストロ(キューバ人用長距離バス)のターミナルにも寄った、ここのターミナルのおばさんが一昨日言っていたことも正しかったのだ、、そうしてまもなく国道1号線?に出、その高速道路のような自動車専用道路をものすごいスピードで飛ばしていく、何しろ車が極端に少ない、それはこ12,年前にサンタクララへ向かったときと同じ道だった、、3時間くらい走って休憩が入る、わたしのツレはそこでまたまた素敵な土産を見つけるのだが、迷った挙句に買いそびれる、こういう時は買ってしまったほうがよいのかもしれない、同じものをその後見つけることができなかったとあとで言っていた、、バスはそこから1時間くらい走って右折した、片側一車線の普通の道になった、17時頃世界遺産の街シエンフエゴスCienfuegosを通る、ちょっと洒落たというか歴史的価値のありそうな街並みだったが、ま、降りてみるまでもなさそうだった、確かその辺からそれまでの田園風景に加えて遠くに山が見え出した‥??とうろ覚え、まもなく日暮れを迎え、シエンフエゴスから1時間半、トリニダには18時45分に着いた、そう、そこでわれわれはまた名前を呼ばれたのだった、、たぶんそれはガリアさんの手配だったと思う、彼女がトリニダの知り合いを紹介してくれてはいた、しかし実際にわれわれを待っていてくれたのは、その人ではなかったのだ、、詳しくは聞かなかったが(当初そうとは知らず、てっきりガリアさんが紹介してくれた人だと思っていたが、名前が違っていた)たぶんガリアさんの知り合いは都合がつかず、そのまた知り合いに連絡しくれたのでは?(つまり、これが凄いネットワークということ)と推測した、いや、われわれにとっては誰でもよかったのだ、いずれにしろそれはありがたかった、そしてその一家がまた素晴らしい人たちであった、、&トリニダという街も素晴らしかった、、、

2011_1228_105239imga0155_640x480その日作ってくれた夕食、これがまたうまかった、、