独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala/Antigua 3)ペンション田代 その③

 これはわたしの偏屈ゆえの偏見と思われるが、おおかた一人旅の人たちにはまったく異論、違和感はなかったのだけれど、わたしがどうも苦手としたのがカップルであった、ここで知り合った一人旅の人たちは皆それぞれ目的を持ち、それこそ老若男女を問わず個性的な旅をしていた、無目的も目的のうちと思えばM氏も日本を出て1年以上になるのであろうか、沈没もひとつの旅のスタイルだったし、あるものはダイビング目的でユカタンを経由してきたもの、あるいは南米にサッカー観戦に赴くもの、あるいは語学習得を目指して長期で滞在しているもの、世界一周中のもの、中南米を目的地としているものもいたし通過地点としている人たちもいた、もちろんカップルの旅もその形態のひとつかもしれないが、やはり少し違うような気がする、つまり己の開かれ方が違うのだ、旅とは己の自由を確認するもの、己の存在を再確認できるものと勝手に定義づけているわたしにとって、その確認のためにはどうしても他者・世界が重要になってくる、その他者・世界と関わりあうにはできるだけオープンな個人である必要があるのではないかと勝手に思い込んでいるのである、つまりカップルの場合はどうしてもそれが少し狭くなってきてしまう、ま、それは仕方のないことだが、、、特に欧米の若い者はカップルで旅している連中が多かったが、それでも彼らの個人としてのオープン度はわれわれよりはるかに進んでいる、わたしが近づきがたかったのは特に目立った日本人のいわゆる、新婚旅行カップルというやつであった、これは困った存在だった、半年~1年かけての新婚旅行世界一周??おいおいおい、いい加減にしてくれっていう感じであった、、、かくいうわたし自身が、30年前に半年かけて世界半周の新婚旅行というやつをやっていた、そのときはまったくそんなことに気づいていないのだが、他人から見れば、第三者から見れば、それは異臭ぷんぷんハナモチナラヌものだったのかも知れない、やはり他人の立場になってはじめてわかることはある、旅は一人に限る‥ (その後われわれの結婚は破綻していた‥だから?こんな恨み言?を言っている?‥のかもしれない、が、今気がついた、新婚旅行は旅ではなかった、旅と旅行は別物だった‥??)

  ついでに個人の旅のスタイルについて付言するならば、途中でジョイントする仮カップルについてはなんら問題はないと思っているし、それはそれでひとつの方法論だと思う、今回の旅で出あったそんな例を二つ、ひとつはサンペドロで出あったKさん、Cさんについてはすでに述べたが、部屋代を割り勘にするシェアカップルはいまや一般的である、田代で会ったIさんはわたしと同世代、やはり定年退職組みで彼はバイクでの世界一周に挑んでいた、さすが団塊の世代、頑張っていると拍手を送りたいほど若々しかった、彼はドイツ人?と一緒であった、話を聞いたらコロンビアのカルタヘナからパナマへ渡る船で一緒になってここまで一緒に来たと言っていた、この先はまた一人旅で北米を北上アラスカに向かうとのことであった、面白い(&凄い)オジサンだった(彼はPC持参で現地からブログで報告しているといっていたから見たことがある人もいるかもしれない??)、、、

 そう、田代には旅のツワモノがたくさん行き来していたのだ(われわれのような年配者も結構いたが、若い女性の一人旅の多さにも驚かされていた)、が、当初はそんな一人旅の連中ばっかりだったから何も問題はなく、むしろ居心地はほんとによかったのだけれど、4月に入るとセマナサンタが近づき、また日本のGWも近づいたせいか、前述のいわゆるカップルを見かけるようになり、その連中にキッチンを独占されるとお手上げであった、で、わたしはその期間(セマナサンタの間)田代から逃げ出すことを考え始めていた、(その件はいずれまた書くとして)それとは別に特筆すべきことを書いておきたいと思う、それは田代は日本人だけでなく外国人にも人気があった、知られていたということ、、、ペンション田代には看板がない、それはそれでも比較的に治安の良いとされるアンティグアにあって、やはり防犯上のことを考えてのことだったと思う、だからガイドブックか口コミ以外でその場所、その存在を知る手立てはない、にもかかわらず外国人の宿泊者が意外と多かったのだ、ほとんど欧米系のカップルあるいはコリアンであったが、、、その理由は前にも書いたが、まず基本的に料金が安い、そのわりに設備・管理が行き届いている、だからいつも清潔で綺麗だった、そして立地のよさ、バスターミナル、市場、スーパーが5分以内という立地は他にもその周辺に安宿はもちろんあったが、それら基本条項をあわせて比較すれば、外国人といえどその情報が流れていたであろうことは頷けた、もうひとつ見逃せない点があった、それは田代さんの人柄もさることながら、現地の女性アンティグエナAntiguenaであった奥さんの存在が大きかったと思う、実にやさしく親切で気が利いてよくできた人であった、、、その奥さんにいつも無理難題を言ってしまうのであった‥(もうひとつわれわれにとってありがたかったのは、20分間日本語入力のできるPCが使えたこと、またわたしは利用しなかったが震災後の日本への安否確認の電話を無料にするなど、ほんとに細かい心遣いが感じられた) で、最終的にはわたしはそこに約40日間世話になってしまった、途中出たり入ったりがあったが帰国日となった5月の17日にまだそこに滞在していたわたしより古い人はTさんとnaokoさんの二人だけであった、、、