独歩の独り世界・旅世界

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中欧 バスの旅 17) シギショアラ/ルーマニア


 その列車はハンガリーウクライナとの国境に近いルーマニアの北部SatuMare発ブカレスト行きの急行列車だった、、3時間くらい歩き通しで疲れきったわたしは5時前には駅に戻りひたすら汽車の到着を待っていた、、18時25分に到着した列車に乗り込むと、そこはよく知られたコンパーメント式の部屋ではなく、向かい合わせで8人がけのオープンスペースであった、、一応座席は指定であったが先客が3人いて、好きなところに座るよう指示してくれた、、わたしを入れて4人なのでスペース的にはらくらくであった、、しかも列車の外見はそれほど感じなかったが中はきれいで乗っている人たちもみんな上品で気さくな感じであった、、定刻に列車は発車し、しばらく薄暮の平原を走ってだんだん闇にまぎれていった、、ほとんど停車せずに進むこと3時間くらいで大きな街に着いた、、クルジュナポカ(Cluj Napoca)という駅で多くの人が降り多くの人が乗ってきた、、ここまでずっとおしゃべりを続けていた中年の女性二人と男性一人のうち女性一人が下車し残った二人がどうやらご夫婦だったことがそのとき判明した、、この駅に30分ほど停車し(もしかしたら機関車の入れ替えか客車の増車をしていたのかもしれなかった)汽車は再び夜の闇にまぎれた、、夜半1時35分着ということがこの時になって心配の種となってきた、、少々眠気を覚えてきたが寝るわけにはいかない、、それでなくとも言葉はほとんど通じないのだから、時計と停車する駅の駅名表示を常に気にしていなければならなかった、、たぶんシギショアラはいくらなんでもそれほど小さい駅とは思われなかったから、少なくとも数分は停車するだろうとは予想していたが、それでも起きていなければならなかったし、実際到着予定時刻の1時35分を過ぎてもそれらしい駅に着かなかったので余計気がかりとなった、、なので10分遅れでシギショアラに着いたときは胸をなでおろす気分だった、、が、それもつかの間予期せぬ展開となる、、つまり真夜中到着でも大丈夫だろうと安易に思っていた理由のひとつは、ガイドブックに駅前のホテルが紹介されていて夜遅く到着しても安心というようなことが書かれていてそれを自分都合に解釈してしまっていたからだ、、後で読み返してみたら決して夜遅くとは書かれてなかったし(そこには夜到着しても便利と書かれてあるだけだった)ましてや深夜などという文字はどこにも見当たらなかった、、それでももしかしたらという期待をこめてほとんど誰も降りなかった駅舎から表に出た、、真っ暗で灯りのついている建物はどこにもなかった、、それにひどく寒かった、、灯りはついていなかったが駅前ホテルはすぐに見つかり戸をたたいてみた、、反応があるはずがなかった、、この街は街全体がとっくに眠りに入っているといった感じであった、、それでも数台のタクシーが駅前に停まっていた、、もしどこかのホテルが開いているとすれば必ず声をかけてくるはずだったが誰一人寄ってこなかった、、たぶんタクシーの運転席で眠りについているようだった、、なすすべなし、予測が甘すぎた、、すぐに駅舎に戻った、、外は寒くていられないほどだった、、灯りのついている駅舎には汽車待ちと思われる人々が何人かいてあるものはすでに長椅子に横になって寝息をかいていた、、わたしは30年前のヨーロッパ旅行を思い出していた、、今や世界で行ってみたいところの上位にいつも名を連ねているあのフランスのモンサンミッシェルの鉄道駅で列車が次の日までなく駅舎泊せざるをえなかったことを‥、、それも奥さんと一緒に、というかそれはわれわれの新婚旅行の途上であったのだが、決して忘れることはないだろうその思い出と同じようにこの日のことも忘れることはないだろう、、なぜならこのシギショアラでも駅舎泊を決め込んだのはいいのだが結局は寒くて眠れなかったのから‥ ! 、、その寒さは半端ではなかった、、着れるものはすべて着て念のために持ってきていた雨具のポンチョをかぶって横になったが、駅舎の中とはいえもちろん暖房はなく大理石の床は冷えきっていた、、おそらく外は0度近くまで下がっていたと思う、、わずかにまどろみはしたが決して深い眠りをうることはできなかった、、特に明け方5時半ころが一番冷え込みが厳しく起きてても体を震わせていた、、だから6時に駅のコーヒーショップが開いたとき助かったぁ、生き延びたぁという思いがしたほどだった、、1杯2.5レイ(約70円?)のカプチーノはどれほどの価値があったものだろう、、値千金というやつだ、、暖かい場所での温かい飲み物のありがたさをしみじみ味わった、、たった一杯のコーヒーで1時間も粘って(10人くらいしか入れないそのコーヒーショップというか売店のようなところは開店早々満席となっていた)7時になってから意を決して外に出る、、日本の真冬の寒さだ、、少し明るくなり始めてはいたが外はまだ闇だった、、誰も歩いている人はいなかった、、地図を頼りに街へ向かう、、が、地図の描き方がおかしいのか寝ぼけ眼だったからか道を間違える、、何度も修正しながら歩いていくとやっと川にでた、、橋の袂から右手に奥に見えたその景色は夢を見ているようだった、、世界遺産シギショアラの丘の上に聳える時計塔を中心とした中世の建物郡は明けゆく薄暮の闇の中、照明に浮かんで幻影のようだった、、たまたまその場所は間違ってたどり着いた場所だったが、そのときその場所から見た光景が一番強烈だった、、5時間後にもう一度そこから眺めてみたがそれほどのインパクトはなかった、、いずれにしろそこに来て初めて目的の場所がつかめたので、その方向に向かって再び歩き始めた、、まだ明けやらぬ街角にポツリポツリ人が動き出していた、、学校へ通う子供たちだった、、が、どうもその子達とわたしと向かっている先が同じようだった、、丘の上の時計塔のほうへ向かっている、、坂を上るとすぐ由緒ありそうな時計塔があってその先にさらに丘の上に向かってとっても珍しいつくりだと思うが屋根つきの階段道があった、、それはガイドブックにも載っていて、それを登りきると山の上教会とドイツ語学校があるとのことだったので、わたしはそこまで行ってみようと思っていたのだが、その学校はドイツ語の学校だったかどうかまではわからないが現役の学校はたしかにあった、、わたしはてっきり昔の学校と思っていたのだが生徒たちは皆そこに集まってきていた、、わたしは彼らと一緒にその木製屋根つきの階段道を上って行ったのだった、、おそらくここは世界遺産に登録されている場所で有名な観光地だったから彼らにとってはわたしのような旅行者は決して珍しくなかったのだろう、、ただ偶然彼らの通学時間と重なっただけかもしれない、、しかしわたしからすればその観光地はまさに彼らの生活の現場であったということがとっても興味深かった、、それにそのときは朝が早く観光客は一人もいなかったからよけい印象に残ったのかもしれない、、わたしはここでもその丘の上からの眺めを独り占めにしていた、、ところが驚いたことにこんな早朝に親子連れの観光客が現れた、、しかもその中年の女性とおそらく20代の娘さんはなんと日本語を話していたのだ、、うわぁまいったなぁ、なんでこんなところで ! ?と思いながらなぜかわたしは挨拶を交わさなかった、、どう言ったらいいのだろう、、めんどくさかったというのが正直の話、、そう、わたしがそのとき感じていた雰囲気を壊したくなかったとでも言ったら、ちょっとかっこつけすぎか?ともかくその遭遇はそのときのわたしの気分にとっては避けたいものだったのだ、、早々にその場去って時計塔の前にあるドラキュラのモデルとなったウラド・ツェペシュ?の生家の前を通って下まで降りた、、そしてそのまま歩いて駅まで戻ると駅前のホテルは開いていて他に適当なところが見当たらなかったので朝食をとるために中に入った、、よくわからないのだがそのホテルのレストランは、といっても、ま、駅前食堂といった感じだったが、すでに満席に近い状態、、地元の人たちでにぎわっていた、、たぶん他にそういう場所がなかったのかもしれない、、そこでわたしはメニュウを見せてもらってルーマニア料理として名高いチョルバというのを頼んでみた、、出てきたわけのわからない具の入った(あれが牛の胃袋だったのだろうか?)ちょっとすっぱみのあるスープは、パンとよく合い冷えた体を温めてくれた、、安くてうまい朝食だった、、空腹が満たされ、気温も上がってきた、、さてどうするか?時間はまだ9時ころだった、、

 ブタペストを出るときに描いていた構想は、ブカレストはやめにしてシギショアラからシビウという街に出てオラティシエ、ティミショアラあたりまで行けないかなぁ、というもので一応3泊4日くらいを予定していた、、このシギショアラからシビウという街までは鉄道はなかったが道が通じていたのでたぶんバスがあるのではないかと予想はしていた、、で、その時間になると駅舎に向かって右手100m位のところにあるバスターミナルのオフィスも開いていたので駅前ホテルを出てそこへ行ってみた、、英語は通じなかったが単なる留守番のようなおばさんにシビウ、シビウと言って時計を指差してみた、、どうやら通じたようで12時半という答えが返ってきた、、次に駅前に並んでいるタクシーのところへ行ってビエルタンビエルタンと言ってみた、、これも何とか通じて料金の交渉、往復60レイ待ち時間1h10レイとのことだった、、ビエルタンはここから行けるもうひとつの世界遺産登録の地で、その昔(12世紀ころ)この地の防衛を任されたザクセン人の造った要塞教会が残されているとガイドブックにあった、、交通の便はなくタクシーで80~120レイと書かれていた、、問題はそこまでの距離がわからなかったことだ、、つまり時間がどのくらいかかるのか見当がつかなかった、、で、料金はわかったが時間はどのくらいかかるか一生懸命聞いてみたがそれは通じなかった、、それは彼らにとっては想定外の質問のようだった、、ここは決断、賭けをするしかない、、ガイドブックの料金より安かったのでOKをだしてタクシーに乗り込んだ、、タクシーは田園風景の中の国道を飛ばして行った、、その野山の自然はどこか日本に似ているように思った、、なだらかな丘陵が続いていてのどかな風景であった、、小さな街を通過するたびにヒッチハイクのサインを送っている地元民が多いのに気づく、、どういうことだろう?言葉が通じないから勝手に想像する、、わたしが思ったのはまず貧困、あまり余裕がないからそうしているのではないか?次に金はあるが廉価な公共交通機関つまりバス便がない、、まぁわれわれがヒッチをやる理由と同じことだが、それにしてもこうも大勢のしかも地元の人たちがみんなそうしていることにちょっと不思議な思いがした、、が、その答えを日本に帰ってから読んだ本で知ることとなった、、いわゆる目からうろこ的な話なのだが、実はその習慣の始まりはなんとあの悪名高きチャウシェスクの時代に経済が困窮した時、政府が国民全体にヒッチハイクを奨励したのだとか ! ?、、本当ならば面白い話ではないかと、わたしは思ったのである、、ただ今はどうなのだろう?、、ヒッチする人は大勢いても乗せる人が少ないのではないか?、、時代は変わっても習慣だけが残っている?、、ずいぶんと大勢の人が街角で車待ちしているの見かけたのでそう思うのだが、それよりもこれもこの地で多く目撃したあの荷馬車をもっと活用・奨励すべきではないかと個人的には思うのであった(それこそ時代錯誤 !?)、、

 で、世界遺産ビエルタン要塞教会には30分ほどで着いたから距離にしたらシギショアラから30km位といったところか?それこそ観光客も誰もおらず地元の人もまばらな田舎の山の中にそれはあった、、周りが山に囲まれた商店も土産物屋もない素朴な村だった、、それはそれは古そうなしかしがっちり頑強に造られた城壁は三重になっており、まさにお城のような教会だった、、そこにも今朝ほど上り下りしたシギショアラの階段と同じ木製屋根つきの階段が入り口から少し高台に立つ上の教会まで通じているのが興味深かった、、写真を撮って一回りして30分で車に戻った、、来たときの道をまた30分かけてシギショアラの街に戻った、、最初に交渉したタクシーの運転手は待ち時間1時間20レイと言っていた、、わたしが乗ったタクシーの運転手は実は2台目のタクシーだったのだが、やはり待ち時間のことを気にしていた、、別に安くしてくれたからそのタクシーにしたわけではなかった、、最初のときはまだ行くかどうか決めておらずただ値段を聞いただけだったのだが、彼らが待ち時間を必ず言ってきたのには理由があったのだ、、つまりすべてのタクシーは無線によって管理されており彼らが自由裁量で値段を決めるわけにはいかなかったようなのだ、、彼らは完全に忠実善良なサラリーマンなのであった、、教会の前では十字をきる敬虔なクリスチャンでもあった、、そんな人たちにどうして値切り交渉ができよう、、彼らは決してぼろうなどという姑息な了見は最初から持ち合わせていなかったのだから、、だからわたしは待ち時間が30分になったから半分にまけろと普通なら言ってしまう言葉はそのときは吐かなかった、、余裕を持って戻ったきた街で時間つぶしに絵葉書なんぞを探してみたが、それこそ土産物屋らしき店さえ見つけることができなかった、、世界遺産の地としては珍しいところだと思えたが、その後に行った街も大方同じようなものだった、、ますますルーマニアが気に入ってきた、、土産物屋の代わりにうまそうなパン屋が眼に入った、、3つで100円くらいだった、、駅前のベンチでバス待ちしながら食べたブルーベリージャム(もしかしたらチェリージャムだったか?)ののったパイのようなパンと生クリームが入ったドーナッツのようなパンは予想以上にうまかった、、

早朝の世界遺産の街シギショアラ;3枚2010_1014005jpg_blog 2010_1014_132204p1020801_640x4802010_1014_141231p1020819_640x480

珍しい丘の上に続く屋根つき階段道(正面)2010_1014019jpg_blog

ビエルタン要塞教会3枚とそこからの眺め(そこにもシギショアラと同じ屋根つき階段があった)
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ここは馬車が現役だったので、馬車好きのわたしをうれしくさせた、、2010_1014_162009p1020839_640x4802010_1014_181432p1020841_640x480