独歩の独り世界・旅世界

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ミャンマーの旅 7)ザガイン・アマラプラ・インワ

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 マンダレーの名前は聞いたことがあってもザガイン・アマラプラ・インワなんていう地名を知っている人はミャンマーを訪れたことのある人以外はまずいないだろう、実はわたし自身その時まで知らなかったし、ましてそれらの地がマンダレーより重要かつ印象に残るところだとは想像すらしていなかった、たぶんドライバーのTUNTUN君はもとよりそんなわたしを見透かして最初にマンダレー郊外へ行くことを勧めてくれたように思う、ものの5分も走って町外れに近いところで彼はバイクを止め、最初の見所、マハムニパゴダに寄る、詳しい打ち合わせをしたわけでないが彼はよく心得てくれていて境内散策はわたしの自由にしてくれた、マンダレーではけっこう大きく由緒のある寺院らしい、参詣者もけっこういた、が、わたしにとってはヤンゴンのシュェダゴオンパゴダの印象があまりにも強烈だったため、それほど興味が湧いてこずざっと流して彼が待っている場所に戻った、そしてバイクはすぐに大きな湖(池?)のほとりを通って田園風景の中を南に進む、車の数は少なく風が気持ちのよい快適なツーリング、道は所どころ工事中であったが一応舗装されていた、ものの3,40分走ったか、右手田んぼの向こうに小高い丘陵が見えてくる、近づくにつれその山腹に白いものが見え出した、さらに近づくとどうやらそれはパゴダらしいことがわかった、しかし、そんなバカな!その数たるやその丘陵全体に散らばっていくつぐらいあるのかわからない、無数の白いパゴダ群が山の裾野から中腹、頂上へと連なっている、写真の撮れそうな所で停まってもらい、しばし感嘆してその風景を眺める、‘何なんだ、ここは!’2回目の呟きはそこで発せられた、それがザガインヒルであった、もうそこはイラワジ川のほとりで向こうに大きな鉄橋が見えていた、このあとあの鉄橋を渡りザガインヒルの上まで行くという、写真を撮って早速またバイクの後ろにまたがった、見るからに新しそうな大きな鉄橋はまだ開通したばかりとのことだった、それと並んで古い鉄橋も残っていた(どちらだったかよく覚えていないが鉄道との2段式になっていた)、我々は新しい道を行く、渡り終えたところで何がしかの料金をとられた、いくらだったとかそんな話をしたのだが記録に残っていない、渡るとそこはザガインの街、道は右手に折れザガインヒルに向かう、しばらく行くと入り口があった、登山口といったほうが正確か、そこで彼は待つという、たぶん車道もあったかもしれないが、やはりここは歩いてゆっくり登っていくほうが見ごたえある感じだ、それにわたしは山登り・山歩きを苦にしておらず、むしろ望んでのこと、彼はたっぷりわたしに時間を与えてくれた、頂上まで上り1時間下り30分といったところ、登りながらいくつかのパゴダを参詣し、またそこから見える無数のパゴダと眺望を楽しむ、遠くにさっき渡った大鉄橋とイラワジ川が霞んでいる、素晴らしい景色だ、そうやって頂上まで足を延ばし着いたところから360度いったいいくつの白いパゴダを見渡したことだろう、そんな風景を初めて目にし驚嘆しているその場にも大きなパゴダがいくつか建っていた、ここはたぶん観光地だと思われるが、どういうわけかその日そこで観光客らしき人には会わなかった、ほとんど人気のない頂上付近をぶらついていて、思わずわたしは気を引き締めた、その頂上に建っていたパゴダは日本人戦没者の慰霊塔だったのだ、その数10に及ぶ、もちろん日本語で**県**隊有志寄贈とか建立とか書かれているのだから、すぐにそれとわかり、あらためてこの地で70年前に何があったかに思いを馳せた、わたしにはその一つ一つに手を合わせることしかできなかった‥

 ちょうど昼の盛りに近く気温も上がってきた、登りの高揚感とは少し違ってもの思いにふけりながら山を降りた、彼に飯を食いに行こうと促す、流石にガイドをやっているだけあってすぐに行きつけの店へ連れて行ってくれた、そのときまだミャンマーの料理がよくわかっておらず、英語のメニュウを見てわたしは焼きそば、彼はチャーハンを頼んだ、なんかチャーハン・焼きそばの他スープや付随のものがたくさんでてきて、それも美味しく食べた、そしてまたバイクにまたがり橋を渡って着いたところはアマラプラ・タウングゥタマンレイクに架かるウ・ベインブリッジのたもとであった、その道すがらTUNTUNの生立ちなどを聞く、彼はバガンの近くの村の出身で実家は農家、両親が農業をやっており自分は長男で兄弟姉妹が10人くらいいる、家計を助けるため高校卒業後マンダレーに出てきて最初ホテルで働いていたこと、そこで独学で英語を学びタクシーのドライバーに、事故を起こしてバイクのドライバーになったことなどを話してくれた、稼ぎのほとんどを実家に送っていること、売り上げのほとんどはオーナーに持っていかれることなどかなり突っ込んだ話もした、まぁお互い同じ程度の英語力なので結構通じるものがあったし気心も通い始めていた、しかしやはり言葉の問題でどういうわけかインワは飛ばしてしまった、あまり見るところがないとのことだったか、時間が足りないとのことだったか今では不明、結局その日の午後はこの珍しくも200年前に作られて未だ現役のタァゥングタマンレイクに架かる木橋ウ・ベイン橋を行ったりきたりして過ごすことになった、この橋は全長3kmくらい?実際はわからないのだが渡り終えるのに片道3,40分はかかったから、そんなもんではないかと思う、ここはこの由緒ある趣のある橋が有名で観光地化されており、土産物屋・飲食店がたくさんあり観光客も多く、また土産物売りも多かった、そんな観光客を当て込んだ年老いた物乞いたちも橋の上で多く目にした、それに混じって地元の高校生や一般の人たちも生活道路としてこの橋を渡って行く、幅2,3mの木橋は結構な賑わいであった、板の間から下の水面が見え、また橋上からの湖、そして遠くの山波・田園風景・白いバゴダの眺めはなんとも美しく、のどかでのんびりしばし時を忘れさせてくれるものだった、対岸の寺を訪ねて戻ってくるともう夕方に近かった(だからインワを飛ばしたのだったかもしれない)、この湖で夕陽を撮ったらどうかとのTUNTUNの勧めで、撮影ポイントを探してもう一度橋を渡って対岸へ、湖畔に降りてその時を待つも結果的にあまりいいショットは撮れなかった、ポイントの問題だったか、安物のカメラで広角がきかなかったからか、あるいは腕の問題だったか、いずれにしろTUNTUNのもとに戻ったときすでに日は暮れてしまっていた、夜道をマンダレーの町へ戻る、折からちょうど帰宅ラッシュアワーで国道はバイクで溢れていた、この国の成長も著しくバイクの普及度に驚かされる(女性のドライバーも多かった)、その日の夜はもちろん彼の案内でビールの飲める安食堂に連れて行ってもらった、そこは数少ないマンダレーでの安食堂として著名なところだったようで外国人観光客が何組か来ていた、その夜の食事はTUNTUNと二人で宴会となった、中華からミャンマー料理まで好きなものを見て選べるところだったのでうまそうなものを指差しで注文(料理名わからず)飲み放題食い放題をやってしまった、貧乏旅行者にとって何がうれしいかといえば安くてうまい食事にありつけたとき、たびたび値段を出して恐縮だがその日の夕食代二人で8600k'(9ドルくらい?)わたし大満足、TUNTUNも喜んでくれたようだった