独歩の独り世界・旅世界

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ミャンマーの旅 6)マンダレー

2010_0106003jpg_blog 2010_0106002jpg_blog  古都マンダレーミャンマー最後の王朝(1853~1885)の都である、この近辺には昔の王朝がたくさんあってインワ、アマラプラも昔の王都だったところだ、マンダレーは現在でもミャンマー第2の都市でミャンマー中央部に位置しヤンゴン以北の中心地となっている、まだ夜のあけやらぬ暗闇の中に放り出されたわたしは、大勢の人がごった返すバスターミナルらしきところで(ここもターミナルがあったわけではない、オフィスの建物だけがあった)右も左もわからず途方にくれていると、一人の若者が声をかけてきた、まずわたしがこの青年に聞いたのはここがマンダレーか?という確認だった、答えはYes、でも町の中心からはとんでもなく離れており、自分のバイクで連れて行くとのこと、わたしはその辺の情報をまったく持っていなかったから半信半疑ながら彼を信じるしかなかった、一応値段の交渉をして安宿に連れて行ってもらうということでわたしは彼のバイクの後部にまたがった、ま、この辺はカンの利かしどころで旅慣れているからできること初心者には勧められない、実際旅行者はほとんど見かけなかったが、もし女性の一人旅あるいは初心者だったらやっぱりタクシーを利用するしかないだろう、で今回はその彼を信用したのがあたりだったようだ、実際バイクはまだ真っ暗な夜道を寒風切って30分ほど飛ばして、やっと町の中心部に入った、わたしは安宿と言ったのに(つまりゲストハウスのつもりだったが)着いたところはホテルだった、フロントで料金を聞くと12ドルの部屋に案内してくれた、もっと安い部屋はないか、なければ他を探すと交渉すると10ドル(朝食付き)の部屋があり他を探すのが面倒なのでOKをだした、ついでに別料金でその日の朝食を頼んだ、バイクドライバーに所定の金額(3ドルだったか)を払い、正直そうな青年だったので今度は市内観光について聞いてみた、すると彼はまず今後の予定はどうなんだ、マンダレーには何日滞在するのかと聞いてきた、いや、その通りだった、今回日程的な余裕はない、最大の目的地はこのあと行くバガンだ、そこは最低3日はほしい、そしてバガンからヤンゴンに戻る、その交通手段は?来てみなければわからないその交通手段および時刻・時間等の情報を事前にもっていなかったから(持ってきたのは20年前のガイドブックだ)、まずそこから調べ逆算していかなければならない、わかる範囲でホテルのフロントに聞いた結果、希望していたイラワジ川をボートで下ってバガンまで行くという方法は時間的に無理、でバスは?毎日午後1時発で7~8時間かかるとのこと、当初大まかに日程は作っていたが、最終的にこのときに今後のスケジュールは決まったといってよい(今から思えばこういう短期間の旅はもっと飛行機を利用したほうが賢明だったかもしれないと思ってる)で、急遽そのとき決まった結論は明日の午後のバスでバガンへ行くということだった、ではまずバスの切符の手配、ヤンゴンではホテルのおばさんがバス会社に電話してその場でバスの切符を発行してくれたが、ここではホテルの誰かが今朝着いたバスターミナルまで買いに行ってくれるという、わたしはバス代と何がしかのチップを渡しバスは何とかなりそうだった、次に残された時間マンダレーをどう回るかということになった、今日マンダレーヒルと市内観光、明日の午前中郊外へというわたしの提案に対し、彼の意見は今日のほうが時間があるからまず今日は郊外へ、そして明日の午前中マンダレーヒルのほうがよい、というものだった、わたしは彼に従った、そしてどうやらそれは正解だったようだ

 後で話してわかったことだが、彼はそこのホテルのドライバーだったのだ(つまりバイクのオーナーがここのホテルのオーナーということ)、彼の取り分は何割だったのだろう、そこまでは聞かなかった、しかし当然自分のホテルに連れてきたほうが率は高いはずだ、おまけに市内&郊外の観光まで確保できたのだから、朝早くからバスターミナルで張っていた甲斐があったというものだろう、カンボジアでもこのあとのバガンでもそうであったが、客にありつけなければ彼らの商売は上がったりとなる、だからかどうか、おしなべて彼らは正直で気が利いて気の回る連中だった、朝早くから仕事をしていたので、いったん帰らせて10時にホテル前で会う約束をして別れる、わたしはホットシャワーを浴びて朝食をとって早速マンダレーの街を歩き始めた、陽が昇るにつれ寒さも和らぎ快適な気候となる、まず向かったのは、ホテルから数ブロック先のマンダレーステーション、ヤンゴンのセントラルステーションと同じく趣のある建物であった、列車が停まっていたので覗いてみた、かなり年代モノであったが、それでもスリランカのモノよりましに見えた、どちらも鉄道も列車も英国統治時代の名残りという面影、今回ミャンマーヤンゴンマンダレーはバスを使ってしまったが、その昔40年位前に読んだ鉄道旅行記にこのヤンゴン(当時はラングーン)~マンダレーの描写があった、それでせめて駅舎だけでも見ておきたいという今回の旅の目的のひとつは達成された、駅を後にし市場に向かう、朝方だったので托鉢中の坊さんがぞろぞろ鉢をかかえて歩いていく、ヤンゴンでもそうだったが坊さんの数は東南アジアではもっとも多いのではないか、また人々は熱心に喜捨をささげている、そんな坊さんがガタガタのバスやトラックを改造したバスにしがみついて移動していくさまは印象的だった、また尼僧も数多く見かけた、そして通りを覆い尽くすように野菜・果物・さまざまな食料品・日用雑貨の露店が並ぶ朝市の通り(青空市場)、我々旅行者にとってもっとも興味深い風景が続く、こうしてマンダレー中心部のおおよその方向をつかんでホテルに戻るとバイクドライバーの彼はすでにそこにいた、彼はわたしの分のヘルメットを用意していた、わたしはそれを被ってオートバイの後部にまたがった、彼は改めて自己紹介し名前はTUNTUNだと言った、そして少し車もすくななったホテル前の82nd Stをまっすぐ南に向かって走り出した