独歩の独り世界・旅世界

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ミャンマーの旅 4) シュエダゴンパゴダ

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 やはり年をとったせいか、あるいは昔のようなほんとの貧乏旅行でなく多少の余裕があったからか、どうもいつもの旅の感覚をとりもとせないまま、はじめの2日間ミス・ドジを連発させてしまったが、ようやく街の雰囲気、人々に慣れてきたようだ、串揚げを食べながら、さてこの後どうしたもんかと思案、ともかくこのうるさく付きまとう日本語を話す青年をどう振り切るかを考えて次の手を打つ、まずヤンゴンセントラルレイルウェイステーション(立派な建物だったが、列車の本数が少ないからか意外と閑散としていた、たぶん今や鉄道はそれほどポピュラーな移動手段ではないのであろう)前の茶店で、例のせいぜい高さ30cmくらいのプラスティックの椅子に腰掛けてお茶を飲みながら、シュエダゴンパコダへの行き方を聞く、もちろんわたし一人で行くことを強調して、どうやって行けばいいかを聞いたら、歩いて30分くらいで行けるとのことだった、また、すでに夕暮れに近かったがこの時間からライトアップされる夜が特にいいと教えてくれた、で、まぁいろいろ教えてくれたお礼も兼ねて、では夕飯をご馳走するから8時にホテルへ来いといって彼と別れ、シュエダゴンパコダのほうへ向かって歩き出した、地図を見た限りでは歩いていけそうな距離ではなかったがタクシーの失敗が身にしみていて、ここは踏ん張りどころ、実際けっこう遠くて着いたときにはけっこう疲れてしまっていた、やはりそれなりに立派な入り口だったが、実はそこからはその全体・そのすごさはまったく見えてなかった、両側に仏具や花や土産物を扱う世界中どこへ行ってもおなじみの門前町風の店が居並ぶ長い回廊を登ったところに入場料を徴収しているところがあった、もちろん外国人だけだが、その額は5ドルであった、直感的に高いなぁという拒否反応が現れる、そして少々迷う(これまでに何回かケチって見逃してきたもの多々あり)、しかしそれはそのすごさを知らないが故の躊躇だった、5ドル払って、さらに少し登って登りついたところに開けた曼荼羅の世界、思わず‘何なんだ、これは!!’と叫んでいた‥

 表現力のあまりないわたしにとっての驚きを表す最高の賛辞が‘何なんだ、これは!!’である、この言葉をここを含めてミャンマーで3度叫ぶことになる、表現力がないからそのパコダの凄さを描写することができない、行ってみてくれとしか言いようがない、ともかく今まで見てきた世界中の寺院の中でも特異?かなり特別に素晴らしいといっても過言ではないような気がする、ここを見ただけでもヤンゴンに来た価値があったように思う、陳腐な表現しかできないが、シングッタヤの丘の頂きに造られたパゴダのワンフロアーには大仏舎利塔を中心に百にも及ぶ大小さまざまな神様?・仏様が祀られ、金銀きらめく装飾を施した小寺院が乱立している、そしてそれぞれ自分の神様を持っているらしく地元の人たちは自分の神様の前に座してじっと動かない(祈りをささげている・瞑想している)その人々の数の多さも驚異的であった、外国人ツーリストはほんのわずかで圧倒的に地元の人たちの今の信仰対象の寺院であることが窺われる、そして今のビルマの人々がほんとに信心深い仏教徒であることを知らされた(おそらく周辺仏教国‐スリランカも含む‐の中でも、その数及び信仰の深さにおいて、他を圧している)

 何時間そこにいただろうか、放心状態に近い足取りで真っ暗な道をとぼとぼと街中に向かう、やはり30分以上かかっただろうかホテルに着いたときはさすがに疲れきっていた、ヤンゴンをほとんど歩いて回ってしまったのだから無理もない、ま年のせいでもあるが‥時間は8時15分前、果たして彼は来るであろうか?8時過ぎても彼は現れなかったが、しばらくしてホテルのドアが開いて彼が入ってきた、日本人の女性を一人連れている、何でも8時前からホテルの前で待っていたとか??ホテルの前かなかかの違い??ま、いいや、ともかく彼がやすい飲み屋に連れて行ってくれるはずだ、聞くところによると日本の女性も何日か前に彼に声をかけられ友達になったとか、今日が最後の夜なのでご一緒させてくれとのこと、もちろん歓迎、しかし一応割り勘前提でお願いしますと断りを入れていわゆる屋台が集まる中華街に向かう、途中で(最初からだったか?)いつのまにか彼の友達もくっついてきた、そしてミャンマービールで乾杯しているうちにまた一人、ま路上の屋台で大宴会が始まってしまった、酔っ払ってしまってよく覚えていないが、よく食べよく飲んだ、日本語ができるから彼らとも意気投合した、最後の勘定も最初の約束どおり彼の分だけはわたしが持つことでトラブルにはならなかった、が、どこでどう食い違ったか酔った勢いであったのか、ま日本人は確かに彼らよりは多少金を持っているからか、要するに2次会としてカラオケに連れて行けという、で彼らは強引にわたしを連れてカラオケ屋に入る、勘定はわたし持ちだという、冗談じゃない、そこまでする義理は何もない、ましてわたしはカラオケ大嫌いで(歌が歌えないから)日本でも行ったことがないのに何でヤンゴンのカラオケ屋で彼らをもてなさなければならないのか、酔った頭でどうすればよいか逡巡する、せっかく彼らといい関係が築けそうだったのにどうこの場を乗り切ろう、ここで今日のタクシーの件を思い出し、これ以上傷を深めてはならないとわたしはそのカラオケ屋から一人逃亡して難を逃れた(日本人の女性は屋台でさよならしていた、ミャンマーの人はおおかた、いやほとんど善人だった、しかしやはり油断するとつけこまれます、これは世界中どこでも同じですが‥)

Yangon Central Railway Station2010_0104015jpg_blog