独歩の独り世界・旅世界

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ミャンマーの旅 5) マンダレーへ

 イスラム圏を旅していると、朝方コーランの読誦に起こされてしまうことがよくあるが、この仏教国で朝方4時頃からラウドスピーカ-で流されたお経のようなものはいったいなんだったのだろうか?ユダヤ教のようでもありイスラム教のようでもあり仏教だったのかもしれないが、ともかくそのうるささで安眠を妨害されてしまった(そういえば宿の近くにイスラム教会はあった)、もしあれが毎日のことであるならよく苦情が出ないものだと、逆に感心してしまう

 で、寝不足のまま起こされ、シャワーを浴びたりして(そういえばホットウォーターを使用した、つまりそんなに暑くなかったということだ)時間を潰し7時に朝食に向かう、食堂は屋上にありこんなに高いビルだったのかと改めて驚かされる、7,8階の高さで眺めがよく、ヤンゴン川からシェダゴンパゴダまでヤンゴン市外が一望のもと、すでに高く上ったお日様がヤンゴン川のほうから射している、日の出も見られるとのことだった、朝風がすがすがしい、バイキングスタイルの食卓にはすでに10人近くのヨーロッパ人たちがそれぞれ好きなものを皿にとっておしゃべりしながら朝食を楽しんでいた、そう、ここのゲストハウスは実は朝食が素晴らしいことで特にヨーロッパ人たちが口コミで情報を流して有名になったらしい、実際その朝食は、表現が難しいのだが、まぁよくあるバイキングスタイルの朝食の定番、肉料理・卵料理・サラダ類・果物数種・飲み物各種の他、ここでしか食べられないようなオリジナリティのあるミャンマー風、そして中華風料理が並んでいていずれも美味であった、印象に残っているのは炭火焼トースト(もちろん自分で焼くのだが)、トーストも確かに炭で焼くとちょっと違う、で、ともかく満足・満腹の朝食となった、そういえば1階のフロントに宿泊者以外の朝食料金(宿泊者意外でも利用可ということ)10ドルって書いてあったから、それだけオーナーの自負もあったのだろう、何せここヤンゴンで朝食にサモサとかモヒンガーを路上の小さな椅子に座って済ませプラスお茶かコーヒーを飲んだとしてもせいぜい1ドルの半分(500k・50円)くらいなものなのだから、そう思うと7ドルで泊まって10ドルの朝食にありつけるならばお得感あり、人気がでるわけだ、ということで、数日後にヤンゴンに戻ったら今度は7ドルの部屋に泊まろうと、その予約を入れて街に出る

 その日の夜のマンダレー行きのバスをホテルで予約していた、どういうわけか長距離のバス便は夜行しかないようであった、で、それまでの時間潰し、後から思えばその時間潰しはボージョーマーケットが一番よかったのではないかと後悔したのだが(結局ここに行く時間はその後とれなかった)なぜか足は川のほうに向いてしまった、川沿いにあるというボータタウンパコダを目指す、30分くらい歩いて到着したのだが有料だったので境内には入らずそのまま川辺に向かって、対岸に渡る船着場を探す、実はわたしが持っていた20年前のガイドブックにはその船着場は明記されていたのだが、それらしきところはすでになかった、何人かに聞いたが言葉が通じなかった、その昔あったかも知れない船着場辺りには、小さな貨物船が停泊していて人海戦術で白い大きな布袋を背負って岸のトラックに運び込む日雇いと思われる人夫たちが蟻のように船とトラックを往復している、中身は米だった、あの嵩からすると50kgくらいありそうだった、重労働だ、しかしこれを機械化すれば彼らの仕事はなくなる、難しいところだ、そんなことを考えさせられるシーンだった

 日中はやはり暑くなってくる、暑さと歩き疲れ、水分補給に道端のオープンレストラン風のお店に入る、客はいない、どうやらそこはナイトレストラン?夜バンドが入って歌と踊りと食事を楽しむ場所のようであった、客はいないがオープンはしているようで従業員が珍客を受け入れてくれた、まずビールを頼む、そして参考までにとメニュウを見ているといろんなミャンマー料理・中華料理に混じって、なんと寿司があるではないか、それも他の料理に比べて結構安い、そんなバカな?半信半疑で確かめるべく早速オーダーしてみる、しばらく待たされて出てきたものは正真正銘の手巻き寿司、これは当りだ、安くてボリュウムもありうまかった(ちなみにビールと手巻き寿司で4000K,4ドル?)、うんナイスランチ ! !

  ホテルに戻ってチェックアウトしバスターミナルへの行き方を聞く、まずタクシーを勧められる、そのほうが簡単確実という理由からだが、まだ時間がたっぷりあったのでブラブラしながらバスで行きたいというと、バス乗り場とミャンマー数字(1~10)をメモに書いて教えてくれた、スーレーパコダから43番のバスに乗れということだった、早速そのメモを見ながら車のナンバープレートを見るとそれまで皆目わからなかった数字を読むことができた、なのでスーレーパコダ近くのバス停で43番のバスもすぐに見つけることができた、タクシーだと1時間バスだと1時間半はかかると聞いていたが、6時発なので時間はまだ5時間近くあった、しかし流石に昼最中に歩き回るのは躊躇った、折から43番のバスは始発だからガラガラそのままバスに乗ってしまった、ガラクタというかおんぼろのバスだったが何とか座席がくっついており、それに座ることができたので1時間半はそれほどしんどくはなかった、途中から満員状態になったが、座りながら街並みや人々の生活ぶりを直接観察できるのでタクシーよりずっと楽しい、おまけにタクシーだと10ドルは取られるところたったの200K(20円?)1/50なのだから、実に我々向きである、もっともそのバスには旅行者は乗っていなかったが‥

 バスターミナルというのもインフラのひとつだと思う、そこを見るとだいたいその国の経済状態はわかる、バスターミナルが整備されているとなんていうか我々バックパッカーはなんかほっとするのだ、経済発展途上国はどんどんバス網が発達しバスターミナルも新しく大きくなっていく、しかしヤンゴンから1時間半も離れたところにある北部方面のバスターミナルは広大な敷地にただ乱雑に何十社かのバス会社のオフィスがあるだけでターミナルと呼べるものではなかった、どこへ行けばよいか皆目見当がつかない、しかし時間はたっぷり3時間もある、もしこれが出発時間ギリギリに着いたとしたら恐らくパニックになってしまっただろう、やはりこういうときの時間的余裕というのは貴重なものだがそれにしても3時間は長すぎる、一通り敷地全体を歩いてみてどこか休めそうなところを探す、朝が早かったから眠くなってきたのだが適当なところはなかった、で仕方なく食べ物屋さんに入ってビール頼んで暇つぶし、ビールだけでは物足りなくなってつまみを探すとポテトと魚の揚げたものがあった、つまみにちょうどよかった、そこで書き物したり転寝したりして何とか2時間が過ぎた、1時間前になってオフィスを探し始める、バスの切符もオフィスの看板もミャンマー文字だからお手上げ、切符を見せながらどこだどこだと聞いているうちに親切なオッサンがわたしをそのバス会社まで連れて行ってくれた、そしてそこで1時間待ってバスは定刻に出発したのだ、長距離バスだけあって車体はかなり新しいもので快適なバス旅は見た目は約束されていた、しかし恐れてたことが現実になった、乗客はほとんどミャンマー人(わたし以外の外国人旅行者は1人か2人だった)で何と彼らはほとんど全員わたし以上の防寒着を持っていたのだ、どういうわけかエアコンは通風状態で暖房にはならずかえって冷房効果になっていたように思う、その夜わたしは持っていた衣類(前述したが防寒着は持っていたが真冬用ではなかった)を重ね着して何とか寒さに耐えた、途中寄ったドライブインでも湯気の立つものがたくさん売られていた、そんなドライブインに2、3回寄ったか、そしてそれでも多少は眠ったか、朝の5時頃大きな町についてみんなが降りだした、14時間くらいかかると聞いていたからそこがマンダレーだとは思わなかった‥

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