独歩の独り世界・旅世界

他のサイトに書いていた'独歩の独り世界・旅世界'を移転しました

2015 last in Guatemala 16,プンタゴルダPunta Gorda~オレンジウォークOrange Walk

  まず何よりも異常に感じたことは、いくら田舎の港街とはいえ、そこは一国の玄関口のはず、それが人っ子一人おらず、ただ剥きだしのコンクリートの埠頭があるばかり、その付け根にある建物がイミグレのようだったが、この閑散さはいったいどういうことなのかと半ば呆れてしまったのであった。しかしそれはそこだけのことではなかったのだ。20人足らずの入国審査に20分ほどかかって(もちろん係官は一人)有刺鉄線で囲われたその一角を出ると、その前の通りにも人影はなく、また商店の類さえない。旅行者相手に商売を、というのが今まで通過したどこの国境にも見られた光景であったが、そんな影(人影も店も)は微塵もないのであった。これではわたしはどこへ行けばいいのかさえわからず、誰かに聞くもその人影さえないのであった。少し歩いて、まず見つけたのがバスターミナル(オフィス)だった。が、そこもバスターミナルにしては、はじめて目にするといってよい無人状態、つまり建物の戸は閉ざされていて中にさえ入れず、またバスを待つ人もいなかったのだ。白昼に人の気配がまったくないというのは少々異様であった。バス情報も村(街?)の情報も聞けず、さて、どうしたもんか‥、とそこにバスの時刻表なるものが貼ってあるのに気づいた。そのとき初めて気づいたのだけれどその日は偶々日曜だったのだ。だからなのか‥??、、そしてそこはかなり暑いところでもあった。船着場からそこまでたった数十m、しかしこの暑さの中荷物を担いでホテルを探し回る気にはなれなかった。で、休みがてらそのバスの時刻表をチェック、朝の3:50からベリーズシティ行きのバスがあることはわかったが、最終も夕方3:50となっていた。そのときは3時半を回ったころで、最終バスには乗れそうだったが、それに乗ったところでいきつける先を考えると、どうもその日はプンタゴルダで宿を探すほうが賢明に思われた。しかし、右も左もわからず教えてくれる人もいない街を荷を担いであてどなく歩き回ることなど気の進まない話であった。そこで思いついたのが、それまでの経験でベリーズの治安は決して悪くないことはわかっていたし、誰もわたしの重いバッグをもっていくやつなんかいないのもわかっていたから、そこに荷物を置いていっても大丈夫だろうということ、ただ、戻ったときにそれがわたしのものである証明だけのために一応もっていた鎖と鍵でそのバッグをそこのベンチに括り付けた。そして、ほとんど空身になって宿探しに出かけたのであった。

プンタゴルダの埠頭、突き当りの建物がイミグレImg_0945_640x480

イミグレをでたところ、この有刺鉄線内がイミグレ等のオフィスと船の乗り場Img_0946_640x480



 どうも、この街には中心というところもなさそうだった。商店も人通りもないから、人に聞くことも勘を働かせることもままならずに、ただ闇雲に歩いていくしかなかった。そのときようやく一人の青年に出会う。話しかけて聞いてみる。ここは英語であった。この街に安いホテルはない?彼は親切に安いかどうかわからないがと断って、近くあるホテルを二つ教えてくれた。いずれもワンブロック内にありそうだった。早速教えられた道を行く。最初のホテルは見るからに高そうで、聞くまでもないと思って中に入らず、もうひとつのほうへいってみる。そこはわたしより高齢のジイさんがやっているようなところで、顔立ちは東洋系(ということは中国系か)でよく喋る親父だったが、たった一つ空いてるという部屋も思ったより高く(56Bz$)、それよりちょっと慇懃さを感じたのでパスする。そこからワンブロックのところにもう一軒あった(ホテルはこのように何軒か見つけたがその間に商店というものが一軒もなかった)。そこはなかなかよかったのだけれど(46Bz$)それでもわたしには少し高級&高く感じたので決めかねてしまう。応対の女性に、もうすこし探してみてなければ戻ってくると謝って、もう一度街にでる。相変わらず人通りはない。で、結局他に見つけられずに、そこに戻ると、そのホテルの前にタクシーが一台停まっていた(タクシーもそのときはじめてみたのだし、そもそも車の通行もほとんどなかった)。といっても客待ちをしていたわけでなく休憩中のようであった。そのドライバーにこの街には安宿はないのか?と聞いてみた。Hotel Mira Marへは行ってみたか?と逆に聞かれる。その場所もホテルも知らないというと、すぐだからと行き方を教えてくれた。タクシーで連れて行くといわないのが良心的に思えた。実際そのホテルはそこから2ブロック5分もかからないところにあったのだから、、そこは先ほど下船した桟橋のすぐ近くにあって、もしわたしがイミグレを出て最初の通りを右に行かずに左に行っていれば一分とかからずに見つけられたところにあった。そのホテルの前はレストランになっていて、そこそこ客がいてもうビールを飲んで陽気にはしゃいでいた。それと同じノリの陽気なおばさんがオーナーだった。一泊30Qだったので話はすぐにまとまる。運がよければ一分で見つけられたホテルに1時間もかかって、ようやくたどり着いたといった有様だった。そしてそのオーナーにこれから荷物を取ってくる、そして今現在ベリーズドルを一銭ももってないことを告げ、銀行の場所なとを聞いて再び街にでた。

 たぶん日曜だったからだと思うが、少ないながらも存在した商店はすべて閉まっていて、銀行の隣にあった、例によって中国人経営のスーパーが一軒だけ開いていた。空腹感より渇きが優先で珍しくコーラとアイスクリームを買う。バス停から荷物を持って宿に戻りシャワーを浴びて片づけをするともう夕方近くで、少し空腹を感じてきた。心配だったのは安食堂が見つけられないでいたことだ。陽気なおばさんに宿代を払ったときに、このレストランでは何が食べれるのか聞くと、今は飲み物しか出せないといわれてしまい(その時間は出せないといったのか、今はレストランはやっていないといったのかはわからなかったが)、美味しい中華屋があからそこに行くといいと教えてもらっていた。で、そこは少し遠かったが、いい散歩になると思って出かけてみる。もっとも近くにはガリフナの生演奏をしているレストランだかカフェバーのような店があって、外国人観光客もけっこう集まっていて賑やかな、ま、地元の酔っ払いも少なからずいるといった海辺の開放的な雰囲気の店もあるにはあったが、そういったところは好みでないことを(年齢的にも)見抜いて、教えてくれたようでもあった。だから、せっかくの中華屋だったが安くはなかったのでやめようかと思ったが、他に適当なところを見つけてなかったこともあって、もっとも手ごろなチャーハンをテイクアウトし帰りに再びチャイニーズのスーパーに寄ってビールを仕入れて例によって部屋食とした。その夜も早めに寝入ってしまう。

時計塔と広場があったから、もしかしたらここがプンタゴルダの中心かもしれなかった。元気な子供たちの遊び場になっていた

Img_0948_640x480

 そのホテルのおばさんは一階のわたしの部屋の前の通路(屋外)の奥に大型犬を一頭飼っていた。頑丈な鉄檻の中に入れられたその犬の犬種は確認しなかったが、そいつが夜中に、理由は不明だったがやたらに吠え出したのである。その咆哮は尋常でなく、ま、そのために起こされたようなものだが、まだ真夜中であった。それがおさまる気配もなく、また早寝したためそれでも5~6時間は眠れたようだったから、それから寝なおすこともできなかった。で、当初は8時ころのバスで行くことを考えていたのだけれど、それならそれで早いバスでもかまわないではないかと思い直して、それでも早すぎるくらいだったがゆっくり準備して3時半に鍵を部屋の中に置いてホテルをでた。バスターミナルまでは100mくらい?、もちろん外灯もついていたしターミナルの建物も灯りはついていた。すでにバス待ちしている人が二人ほどいて、わたしの後から二人ほどくる。いったいこの人たちは何でこんなに早くどこに行くのか?と不思議であったが、3:50のバスは少々遅れて到着し4時ころ発車すると少し市内をまわって集客し4:15に本格的スピードを上げて走り出したころには4~50人は乗れるロングボディのバスはほとんど満席状態になっていた。そのあともどんどん人は乗ってきて超満員になった一番のバスは2時間くらい走って大きな街に着き、かなりの乗り降りがあった(あとから地図を見ると、たぶんインデペンデンスIndependeensというところのようだった)。そこを6時にでると7:15まで大きな街はひとつもなかった。たぶん次に着いたところはダングリカDangrigaと思われた。そこではかなりの乗客が下車し立っている客はいなくなった。そのときちょっと珍しい光景を目にすることになった。それは隣に座っていた親子連れ(お母さんと10歳前後の娘二人)のインディヘナはそこで降りたのだけれど、そのあとガリフナの若い男が座った。そこでは少々の停車時間があり、まもなくバスは発車した。そしたら、そこで降りたと思った親子連れはトイレにでも行ってたのか、いつの間にか戻ってきていて、自分の席が座られてしまったので仕方なくその脇にたっていた。しばらく走ってから集金に来た車掌がそれに気づいて、そのガリフナの男に立つ様にいってその親子連れに座らせたのだった。そのときそのガリフナの男も文句ひとついわずにそれに従ったのだ。そんなことはここでは当たり前のことだったのかもしれなかったが、わたしにはなかなか新鮮に映ったのである。強いていえば、車掌の一言に重みがあり、威厳があり、信があったということと、一般的なモラルの高さが感じられたということだった。若い国であるが故に逆に将来に可能性もあり、楽しみでもある、そんな一コマにも思えた。それと同じような意味では車窓を見ても同様だった。まったく手付かずの原野・荒地がほとんどであって、将来いかようにも開発される余地がゴマンと残されている国なのであった。そんな山中を、高い山があるわけでないから緩やかな起伏の完全二車線の舗装道路を、バスはゆったりと - というのも、交通量も少なく従って渋滞もないから、むやみやたら飛ばす必要なく - 走ってちゃんと時間通りに首都ベルモパンBelmopanに8:50着、9:05発でベリーズシティには、これも時間通り10:15に着いたのであった。プンタゴルダ~ベリーズシティ6時間半22Bz$(1200円くらい?、なおこの間はExpressもあって、それだと5時間くらい24Bz$だったか?)だった。

3時半ころのプンタゴルダのバスターミナル、前日宿探しに行ったときにバッグを縛り付けた椅子も見えているImg_0949_640x480

朝6時ころ、インデペンデンスのバスターミナルと思われるImg_0951_640x480

ダングリガバスターミナル付近のロータリーImg_0956_640x480

ベルモパンのバスターミナルとベリーズ独特のロングボディのバスImg_0957_640x480


 ここまでくればあとは一度通った道、半分帰りついたも同じだった。それも時間的には全然早く、このまま次のバスに乗れば昼過ぎにはオレンジウォークにつけそうだった。なので例の手を使えばベリーズシティに数時間寄り道することも可能だったが、特に調べなければならないところとか、興味があるところがあったわけでなく、そのままそこでチェトマル方面行きのバスを待ち、11時発のバスが来たのでそれに乗ってしまった。オレンジウォーク着が12:45、そこからはホテル探しをしなければならなかった。前回寄ったときのホテルは少し遠かったし高かったので、前回バス情報を教えてもらったターミナルの売店のオヤジさんにどこか安い宿を知らない?と聞いてみた。すると、自分よりあそこにいる男が詳しいと、その人を教えてくれた。その男もオヤジさんだったが、バス待ちの客やバスの乗客相手にパンや飲み物を売り歩いている男で、親切に近い安宿の名前と行き方を教えてくれた。その宿はターミナルから5分くらいのところにあって、すでに一度訪れていた街だったので、案外簡単に見つけることができた。メインストリートに面していて思ったより立派な建物で安宿には見えなかったが、できるだけ安い部屋を希望といったら、バス・トイレ付でなければ35Bz$といって見せてくれた部屋は、通りに面したかなりいい部屋で即決となった。ついでにラマナイツアーのことも聞いてみる。そのオーナーは台湾系だったが、かなり親切で特におばさん(わたしと同じくらいの年?)がわたしによくしてくれて、ラマナイツアーは100Bz$とのことで、そこでも予約できるといって明日のツアーをすぐに問い合わせしてくれた。どうやら問題なく、朝の9時に待っていれば迎えに来てくれるとのことだった。そのとき聞き逃したことがひとつあった。ひとつは確認したのだけれど、それはラマナイの入場料が含まれているかどうかで、それは含まれているという返事、聞き忘れたのは昼食のことだった。で、わたしは昼食は含まれていないと思ってしまったのだった。

 鍵をもらって荷物を置いて、すぐにシャワーを浴びて早速買い物に出かける。近くの中国系のスーパーでカップヌードルとトマトとビールを買って戻り、そのホテルは台湾茶やコーヒーのサービスがあったので、その湯をもらい簡単に昼食、なかなかいいホテルにあたったのを気をよくし(ビールも飲んだから?)それから少し転寝となった。そのあと荷物のかたずけや久々にネットが繋がったのでmailチェック等を済ませてから、本格的に街にでてみた。近くに由緒ある教会があって、その傍をきれいな川が流れていた。その川沿いの道をしばらく行くと川は道から離れたが、その方向にバンキタス文化会館Casa de la Cultula Banquitasというのがあって、そこまで行くと再び川が現われてインデペンデンスプラザIndependence Plazaという広場のところにでた。そのバンキタス文化会館は入場無料でオレンジウォークの歴史を伝える写真や展示物が飾られていた。しばらくその界隈をぶらぶらしながら、例によって食べ物屋・安食堂を探していた。が、ここでもこれが難問となった。なかなか(わたしにとって)適当な店が見つけられずにいた。屋台はタコスやさんくらいしかでてなかった。市場近くをウロウロし、結局夕食ねたにタコスとビールとトマトとスイカジュース(全部で10Bz$だから500円くらい?)を買って帰り、いつものように部屋食としたのだった。いつもながらしけた食事だったが、それでもこのとき面白い発見があったのである。わたしはこの街の名前がオレンジウォークだったから、当然オレンジの産地と思っていた。で、今まで市場でもめったにオレンジは買ったことがなかったが、ここでは特にそれを探してみた。わたしが見つけたのは市場近くの屋台売りだったが、見た目が相当ひどいものしか売られてなかった。日本では決して店頭に並ばない代物、ま、しみだらけといった感じ、だからか?とんでもなく安かった。4個で0.5Bz$だったから一個当たり10円以下。で、どんなものかあまり期待せずに食べてみたのだが、皮は薄く(これほど薄いオレンジの皮というのも初めでだったかも知れない)中身は見事に最高級オレンジだったのである。ここのオレンジもグアテマラのコーヒーと同じかと思った。グアテマラの上等なコーヒーは全て輸出用になってしまう。ここのオレンジも見栄えのよいものは全て商品価値があって出荷されてしまっているのだろう。残っているのは商品にならないものばかり?、しかし、見た目はともかく中身が上等で、かつ安いのなら消費者にとってこんなにうれしいことはないと思うのだけれど、果たして重要なのはどっち‥??、、

由緒ある教会と聞いたが詳しくは控えてない、La Inmaculada ChuchImg_0960_640x480

教会の傍を流れるNew RiverImg_0959_640x480

Independence Plazaと右の建物がBanquitas House of CultureImg_0964_640x480

オレンジウォークの中心(ここは英語圏なのでパルケセントラルとはいわないが)とクロックタワーClock TowerImg_0970_640x480

証拠写真;夕食のビールが3本とスイカジュースと4個のオレンジImg_0972_640x480