独歩の独り世界・旅世界

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ダフラ Dakhla

 ダフラはちょうど北回帰線(北緯23度26分前後)辺りに位置し、西サハラもモロッコの領土としたらその最南端にある、西サハラの中ではラアユンに次ぐ(あるいは同規模?)都会であった、、スペインのカディスがそうであったように海流の影響で?発達した砂州の上に築かれた街のようで天然の良港を備えていた、、

 その手前40km地点の、そこを直進するとモーリタニアに至る道の分岐点辺りまではほとんど風景は変わらなかった、、タンタン~ラアユン間と同じ固い砂漠地を走る一本道でずっと大西洋が右に見えていた、、その朝バスは7時発と聞いていたので6時にチェックアウトしてまだ闇の街を歩いてオフィスまでいったが、誰も来ておらずオフィスも閉まった状態、、6時半になってやっとバス会社の人が現れるがバスは来ない、、7時になっても夜は明けず小さなオフィスで他の乗客とバスを待つが、言葉がまったく通じないので同じバスに乗る客かどうかはわからなかった、、たぶんアガディールかマラケシュ発のバスは7時半について1時間遅れで8時発となった、、途中アルヘシラスでもらった地図には(この辺まで載っていた地図はこれしかなく重宝する)いくつかの街?が記載されてあったが、実際街といえそうなところはBoujdourというところ一ヶ所しかなく、そこは10:40着で約30分の休憩となった、、そこで少し食料を仕入れた、、そのあとはほとんどノンストップで延々と続く砂漠の一本道を行く、、3時間くらい走って砂漠のなかのガソリンスタンドだったか、突然バスは停車した、、たぶんそれが昼食休憩らしかったから食べ物屋もあったかもしれないが、ちゃんと説明がないまま(言ってることがわからなかっただけだが)しばらく休憩時間となった、、ちょうどそのとき海鳥の大群の乱舞に見舞われた、、見ると大西洋がすぐそこだった、、食事代をケチってをその淵まで歩いていってみた、、砂漠状の砂地を行くと突然切れて崖となって陸地は消えていた、、その下は大西洋の荒波、、そして海鳥の乱舞、、ところがその海鳥は常に舞ってるわけでなくほとんどは一ヶ所にとどまって、リーダーの指示でも待っているのか、なかなか飛んでくれないのだ、、そのきっかけが何なのかわからず、あるとき一斉に飛び立つ、、なのでこちらはカメラを構えたまま動けない、、そうこうしているうちに休憩タイムは終わってしまった、、結局食事はとれず、何とか一度の乱舞を撮れたきり、それも写真ではうまくとりきれなかったのだが、実際そのさまはここまできた甲斐あったと思わせるほど美しいものがあった、、

Boujdorで休憩(ダフラ行きのバス)006_640x480

海鳥の乱舞;3枚(この写真は1/1の現地レポートとダブります‥) 
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サハラ砂漠の崖っぷち、大西洋を右に見てる(南西に向いて撮っている)
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逆に北を向いて撮っている、同じ位置で撮っているのだが光線が違うので明るさも変わっている?
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東方向に我々のバスが停車中、、
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ダフラへの分岐を右折した辺りの風景
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 バスがダフラへの分岐を右折した辺りから風景が少し変わる、、奥深く入り江が入り込んでいて、そこは一大レジャースポット??、、海にはレジャーポートやウィンドサーフィン、パラグライダー?などのマリンスポーツ、陸地にはキャンピングカーが目白押しで、ここがモロッコかと疑いたくなるような光景が広がっていた、、ダフラ自体がそういう意味でレジャー産業をも含めた観光都市のようであった、、ダフラの街はその分岐から45分、バスはモスク近くのSATのオフィスに16時15分に着いた、、街中と海岸通りを抜けてきたので街の大きさ、賑やかさ、活気がそうたとうなものであることはバスの中からもわかった、、まだ、日が高かったのでしばらく街ブラしながらホテルを探した、、が、ホテルはなかなか見つけられなかった、、その近くには結局2軒しかホテルがなかったのだが、一軒目はバストイレなしで一泊50Dhとあったがすでに満室で、他に近くにないかと聞くが返事がなんていっているかわからなかった、、仕方なくまたうろついて探す、、モスクの近くにようやく別の一軒を見つけるが、そこも安い部屋はすでにいっぱいでバストイレなしで80Dhしか残っていなかった、、どうもここは観光客というよりビジネス客?労働者が多く宿泊している気配であった、、もう辺りが夕暮れ近くそこに決めざるを得なかった、、荷を置いて早速街ブラ、、その辺りがおそらく中心街だったと思われるが人通りりは多かった、、その人の流れとともにメインストリートをずっと歩いていった、、ひとつには適当なめしや探しでもあった、、港町だから魚が食えないか‥??次の日市場で魚は大量に目にするがそのときは市場にはいっていなかった、、それでも魚屋は通りに何軒かあってイカ・タコも目にする、、が、やはり生食は無理そうだった、、そんな魚屋の隣が食堂になっているところがあって堪らずに入ってしまった、、そこでちょっとしたミスを犯す、、値段を聞かずに注文してしまったのだ、、大量の魚フライがでてきて結局食いきれず半分は持ち帰らざるを得なくなったが、その量と付け合せ等のセットで30Dhは仕方なかったが、最初から値段聞いて半分にしておくべきだったのである、、帰りにモロッコの丸パン2ケ;1Dh、オレンジジュース;5Dh、干しイチジク;4Dhなんかを通りの店で買って帰る、、ホテルで明日の昼飯用に持ち帰った魚フライで魚フライサンドを作った‥、、

ホテル近くの公園とモスク001_640x480

 次の日、風か強くて寒い一日だったが、朝から街ブラでまたまたこの街のバス会社めぐりを始めた、、この先に行くバスの情報と帰りのバス便情報の収集であった、、一応予定としては夜行バスでもあればそれでタンタンまで戻るつもりであった、、乗ってきたバス会社SATはこの先までいくバスはなく、しかし帰り便はマラケシュまでいくバスがあって12時だったか?タンタンまでの料金としては250Dhで来るときと同じく一番安かったが、帰り便に関しては時間帯が悪すぎた、、夜行バスがなかったので他のバスを探す、で、スプラトゥール社の場所を聞くと1ブロックいったあたりにあるとのこと、すぐ近くだった、、やはりモロッコではここが最大手?マラケシュまでのバスがやはり12時発で450Dh21時間‥、、アガディールまでならさらに何本かあってタンタンまでは280Dhとのことだった、、ここのバス会社はそればかりでなくラアユン~スマラSmara(ラアユンから内陸に4時間くらいのところにある街?)や特に重要な情報としてダフラ~ガルガラ(ゲルガラ?Gargarette?Gargara?Guergarat?どれが正しいのかよくわからない、モーリタニア国境近くの村?)まで行くバスが一便あった、、それはダフラ発23:30、5時間半から6時間150Dhとのことだった、、つまりモーリタニア国境近くまで行くバスがあったのであった、、そのオフィスの通りをはさんだ向かい側にSatasのオフィスがあった、、そこにも顔をだして聞いてみる、ここからさらに南に行くバスはなしマラケシュまで行くバスもなかったが、アガディールまで行くバスがあって、それだと夜の22:00発でタンタン着10:30ころ、料金は270DhでSATより高くスプラトゥールより少し安い、時間帯としては問題なし一番よいかもしれなかった、、最後にCTMも探してみた、、しかしここのCTMはラアユンのスプラトゥール状態、つまりここではCTMだけがとんでもなく離れたところにあったのだ、、それはなかなか見つけられなかった、、なので三社の情報をつかんだあと適当に街ブラしてみた、、もしかしたら来るとき通ってきた飛行場の近くなのかもしれなかったので、そちらへ向かって歩いていく、、モスクから海岸通り、内海越しにアフリカの大地が連なっているのが見える素敵な公園、そしてその一画に海に面した高級ホテルと高級レストランがあった、、そのレストランの名称がサマルカンドだったので先日ラアユンであったロシア人を思い出し、もしかしたらここはロシア人が多いところなのかもしれないとあらためて思う、、そこ(レストランでなく公園)は眺めもよく休むのにちょうどいいところでホテルからも近かかったから午後からもう一度来てそこで昨日作ったサンドイッチを食べることになった、、そこからは巡視船二艘が停泊しているのが見えていて、どうも軍関係の施設が近くにあるのはわかったが、漁港がどこにあるのかがまったくわからなかった、、しばらくいくと海軍のエリアとなり引き返すと空港・空軍の敷地となった、、そこらあたりまでは直線的に歩けば30分くらい?、わたしはぶらぶら歩きだから1時間くらいかかっていた、、その辺りが一方の中心で四つ星の高級ホテルなんかもあった、、が、そこまでの間に漁港とCTMを見つけられずにいた、、しかたなく昨日通ったメインストリートにもう一度出ていったんホテルに戻る、、そこでチェックアウトして荷物を預かってもらいCTMの場所、といってもよくわからないから方向だけ聞いて再び街へ、、教えられた方向へ行くと広大な空き地があってそのあたりをうろついていると遠くにガソリンスタンドがあってどこの会社かわからなかったが路線バスらしいのが停まっているのが見えた、、時間はたっぷりあったからそっちのほうへ歩いていってみると、ずばりCTMのバスが駐車していた、、で、その近くにオフィスもあった、、早速情報を聞く、全国ネットのCTMも南はここまでで、これより南下するバスはないとのことだった、、マラケシュまでのバスは3本あって、ダフラ発10:00,12:00,22:00とのことだった、、22時発はSatasと同じだったが、三つの理由でSatasのほうがいいかな、と思った、、というのは、1,料金が20Dh高い、2,このオフィスまで遠い、3,タンタンのオフィスが遠い、、なのでこの時点でCTMとSATが消えた、、で、迷ったのは以下だった、、

プラトゥールのオフィス前に停車中のバス022_640x480_2

海岸通りの公園、正面にレストランサマルカンドがある036_640x480_2

その公園から内海の眺め、巡視船?が停泊していた、、遠くの大地がアフリカ大陸 039_640x480


  一応帰りのバスとしてはSatasがよさそうだったが、もう一日延ばしてスプラトゥールでさらに南下してみるというのもそうとう魅力的なアイデアだった、、つまりたった一日の延長でモーリタニアへの道のより詳しい情報が得られるのではないか‥!?、、その方法としては、一日一本の23時半発のバスでガルガラ(?読みは不明、モーリタニア国境近くの村)まで行ってみる、、朝ついてそこからのルート情報をあさる、、たぶん国境までは乗り合いのタクシーがあると思われた、、ま、国境までは行かないとしてもより正確な情報が得られるのは確かであろう、、そして折り返しのバスがカルガラ14時発20時ころダフラ着、、そうすれば22時発のタンタン・アガディール方面行きのバスに乗れる、、‥往復料金が300Dh、ただ行って帰ってくるだけ、途中の風景なんかは今までと同じでずっと変化がなくそれほど価値はないと思われた、、問題はその情報の価値とわたしの体力の問題であった、、ここで得られた国境近くの村まで行くバスがあったということ、そこから国境までは乗り合いタクシーでいけそうだ、という情報で十分かどうかであった、、国境が開かれているかどうかの確認は重要だったが、それはわざわざ現地まで行かなくとも確認はできそうだった(モーリタニアは要VISAの国なのでその取得時に確認してください)、、少なくともダフラの街で見かけたブラックアフリカンの人々、つまり彼らはモーリタニア方面から来ていることは確かだったし、ダフラの海岸通りの、たぶんツーリストには有名だったと思われるスペインレストランの前に停まっていたアフリカ仕様の旅行用トラックを見れば、それが向こうから戻ってきたのか、これから行くのかはわからなかったが、このルートを通る以外の道はなかったのだから恐らく開かれていると思われた、、なのであとは体力の問題、つまり二日連チャンの夜行バスにわたしが耐えられるか‥??、、それらをしばらく自問自答してみて総合的に、今回はここまででいいかと結論づけた、、もっと若かったらとか、日程や資金に余裕があったらとか、言い訳はいくらでもできたと思うが、なにより当初の予定よりはずっと南まで、それこそモーリタニアまであと一日のところまで下れたのだ、、そして行こうと思えばいけそうだということがわかっただけでも十分ではないか、というのが最大のいいわけとなった、、

 Satasのオフィスから中心街を背にして大通りをまっすぐ行くと海があって、そのあたり一面が広大な空き地になっていた、、そこにも海鳥がたくさん乱舞していて前日と同じ光景を目にすることができた、、そこの海鳥はカモメのようであった(たぶん前日もそうだったと思うが)、その近くに漁港があってもおかしくなかったがそれが見当たらなかった、、そのあとに訪れたエッサウィラやサフィといった街の漁港はすさまじく迫力のあるものだったが、とうとうここでは漁港を見つけることができなかった、、もしかしたらタクシーでないといけないほど遠くだったのかもしれない‥??、、というのもその空き地は大型トラックの駐車スペースにもなっていて近くにいくつか魚の冷凍工場があったからだ、、ラアユンであったロシア人がやっていたビジネスとはこのことだったと思う、、まさか彼の工場ではなかったと思うが、興味を覚えて近くまでいってみた、、冷凍された巨大マグロが冷凍車に荷積みされていた、、ここから空港まで運んで航空便を飛ばせば瞬く間にロシアに届く、、これはたいへん効率的なビジネスに思えた、、彼の発想かどうかはわからないが、この交易は当たりであろう、、このビジネスは日本へは無理なのだろうか‥??、それともすでにどこかがやっているのだろうか‥??、、おそらくこの近海はまたとない漁場なのであろう‥、、それは市場に行ってみて見事に実証されたのであった、、時間をもてあましていたわたしはその足でまたマリンドライブ(海岸通りの公園)に行き、もう午後も遅かったがしばらく昼食休憩をとった、、その向かいに辺りに先にちょっと触れたレストランCasa Luisがあってその店名からスペイン人の経営と思われたが、いずれにしろ写真にあるようなトラックやバイク、4輪駆動車が多く停まっていたから欧米のツーリストには名の知れたレストランであったのであろう、、ということは逆に安くはないということもわかるから中には入らなかったが、ビールやワインを飲んでいる連中がいて無性に羨ましかった、、もっともたとえ金に余裕があったとしても日本人ひとりで入るにはちょっとした勇気がいったと思う、、わたしは横目で眺めて我慢していたけど、そう、それよりもそこに停まっていたアフリカ仕様のトラックがより羨ましかったのである、、やはりアフリカ走破はこれで行かないと、と自分の貧乏を恨めしく思うのであった、、それは同時にブラックアフリカの近さを教えてくれているようでもあった、、

中心街から5分くらい歩いてくると海に出た、、遠くにぼやけているのがアフリカ本土004_640x480_2

海鳥が盛んに舞う、、008_640x480_5

手前の空き地、向こうにあるのが冷凍工場、駐車中トラックも見える010_640x480

冷凍されたマグロ?012_640x480

冷凍車は日本製だったか?? 013_640x480

ダフラのマリンドライブ;最も気持ちのよいところ014_640x480_3

道路を渡った向かいにあったレストランCasa Luis
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アフリカ仕様の自家用トラック?やバイク、4駆がいつも停まっていた
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 再び街の中心に戻る、、市場でパンを買って魚屋をのぞいてみる、、この大量の魚 ! !、しかもこのデカさ ! !、ちょっと信じられない光景だ、、そんな魚屋が何軒もあって大半が売れ残るのでは‥ ! ?、、魚の名前まではわからない、、しかしこの近海が魚の宝庫であることを物語って余りある‥、、そこからSatasのオフィスはすぐでticketを買ってホテルに戻り、荷物を取って少し早かったが引き返して狭いオフィスのベンチで待たせてもらうことにした、、幸いそこでWiFiが繋がったのでバスを待つ間そこから前に少し触れたことのある旅行情報サイトに投稿のmailを打った、、というのもそのウェブサイトのわたしが登録したエリアはグアテマラだったのだけれど、勝手にいろいろ閲覧していたときにこの地の情報が極端に少ないことを知ったからであった(10年以上更新がなかった)、、ちょっと失礼な?越境的行為と咎められるかと思いながら西サハラ情報として送ってみたのだった、、その後数ヶ月たった今、そういったクレームもなく、一日ひとりくらいのカウントで見ていただいているらしいことを知ってよかったと思っている、、決して関心がないエリアではないのである、、さらに下ることはしなかったが、ダフラまでいった甲斐はあったかもしれなかったのである‥、、

019_480x640_7市場の魚屋;4枚020_640x480_2018_640x480_2017_640x480

<‥ということで今回の記事はそのとき送った記事・写真とも少しダブっていることをお断りしておきます、、また、いうまでもないことですが、実際このルートでモーリタニアに抜ける場合、VISAの取得と国境開閉の問題、モーリタニアの国境からの足等については要再確認です、、さらに注意を促したいことはいわゆる西サハラモーリタニアとの東側国境線へは近づけないと思いますが、こここそは紛争地・危険地帯、‘砂の壁’でポリサリオ戦線との境界が作られていますので近寄らないようにしてください、、>