独歩の独り世界・旅世界

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アイトベンハッドゥ Ait Benhaddou ~ マラケシュ Marrakech

 

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 グランタクシーというのは、どうやらベンツのタクシー、つまり大型の乗り合いということらしかった、、ティトゥアンで乗ったペティタクシーは小型だったかそれは乗りあいも可だったし一人で乗ってもそんなに高くなかったはずだ、、が、グランの場合はほとんどが乗り合いを意味しているようだった、、定員は6名、前の座席に客2名、後ろは4名だった、、それで6名集まらないと出ない(6名分払えば一人でも乗れるということ)、、その朝まずバスを探した、、7時半にチェックアウトしてターミナルに行くと8時半のバスがあるとのことだった、料金は15Dhとかいっていた、、せいぜい1時間くらいの距離に思われたからちょっと高いな、と思う、、で、時間も1時間あったからタクシー乗り場に行ってみる、、タクシーは何台も停まっているのだけれどどのタクシーがいくのかわからない、、ともかくアイトベンハドゥ?といいながら何人かに聞く、、それでもはっきりしない、、要するにこういうことだったのだ、、早い話がどのタクシーでもいってくれるのだけれどそっち方面に6名集まらなければ出ない、なのでその状況確認のためには言葉がわからなければどうしようもなかったのだった、、その代わりもし6名集まったらその分岐の村までは一人10Dh、つまりバスより安かったのである、、だからもし急いでいたり余裕があるなら60Dhで個人タクシーとして利用できたということだった、、なのでけっこう微妙でどうするか悩んでしまった、、もし10Dhでいくためにはどのくらい待てばよかったのか?、これはまったくなんともいいようがない(誰も答えようがない)、すぐに集まることもあれば何時間もかかることもありうるということであった、、なのでいつになるかわからない10Dhでいくか15Dhのバスで行くかで迷うところであった、、結局言葉の限界を感じていたし、少しは待ってみたがまったく埒が明きそうもなかったので、10Dhのタクシーで行きたかったけど諦めてバスにしたのだった、、バスは30分くらいでアイトベンハドゥへの分岐についた、、30分乗車で15Dhはいかにも高い、、足元を見られてぼられた可能性があった、、せいぜいバスでも10Dhといった距離だった、、その分岐のナレエ村?Oued Nallehにはやはり世界遺産アイトベンハドゥの玄関口らしくけっこう立派なホテルがあった、、それを期待していたのだが、早速そこを訪ねて荷物だけ預かってもらえないか相談してみる、、それほど大荷物ではなかったがそれでも街ブラや見学には邪魔で重すぎた、、交渉成立し10Dhで預かってもらえた、、ついでにアイトベンハドゥのいきかたを教えてもらう、、分岐の角に待機しているベンツのグランタクシーがやはり乗り合いで、それでいけるとのことだった、、その一台はすでに4人が乗車しておりわたしが5人目で、すぐにもうひとりが来のでほとんど待つことなく発車、15分でアイトベンハドゥの村に着いた、、こちらは一人5Dhだった、、なので9時半ころにはアイトベンハドゥについていた、、ワルザザートから20Dh・1時間で来られたことになる、、というのも、ここは世界遺産らしくけっこうな数の観光客でにぎわっていて、そのほとんどは、ここへのアクセスがちょっと面倒なこともあってツアーを利用しているようだった、、ワルザザートマラケシュの旅行社で扱っていて、ま、それほどびっくりするような金額ではなかったが、ガイドブックなしの身としては、個人でいけるものかちょっと心配でもあったからだ、、また、ここは世界遺産にしては珍しく入場料なるものはとられなかったので、個人でくればほとんど金はかからなかったのだ、、約1時間半で一通りの見学を終えた、、ま、なかなか絵になるところであることは間違いなかった(部分より全景がよかった、、なおここの詳しい情報は帰ってから知ったのだが、ウェブサイトに多数掲載あり、それを参照してください)、、そのとき日本人は見かけなかったが、達者な日本語を操るアメリカ人に声をかけられてびっくりする、、少し話したが日本在住15年とのことだった、、他にも欧米人はもちろん韓国・中国等東洋系も多く、みやげもの屋にも日本語があったりしたので世界的な観光地、駱駝ーツアーと並んでモロッコの目玉であることがよくわかった、、

バスを降りた分岐の村、正面がホテルで荷物を預かってもらう、、021_640x480

アイトベンハドゥ、河の手前左側より進入、、 003_640x480

城内から;下5枚
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頂きからの遠望 007_640x480

頂きにあった穀物倉庫?ここで日本語ペラペラのアメリカ人に話しかけられた、、
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日本語表示もあったみやげ物屋009_640x480

場外からの全貌;下3枚
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 見学を終えた時点でまだ11時だったのでその足でマラケシュまで向かうことにした、、帰りのベンツはなかなか人が集まらず4人で発車、やはりその分少し割り増しになった(9Dhとられた)、、ホテルで預けた荷を受け取りカフェをもらって飲みながらバスを待つ、、流石にこの道はバスの運行が多いとみえて15分待ちでマラケシュ行きバスが来る、、幸い座れて料金は60Dhだった、、しかしそこからマラケシュへのルートは期待していなかった分、車窓が素晴らしく、同時に厳しいルートであった、、初めのころは高原台地を走っていて、遠くに雪山が見えていた、、おそらく3~4000mくらいの標高がありそうだったが、そのうちその山の山越えが始まったのであった、、マラケシュまでの道はフェズから砂漠へはアトラスを越えて下っていったのだが、今度は逆でもう一回アトラス山脈を越えて戻る道だったのだ、、その道はフェズからのそれとは比べものにならないくらい標高差、険しさがあった、、いくつ峠を越えたであろうか??、、その分道中の変化も著しく面白くもあり景色も素晴らしかったのだ、、もしかしたら最高高度は4000mを越えていたかもしれない、、そんな峠をいくつか越えてあるところで昼食休憩となった、、ちょうどそこはバスの休憩地点になっているような街道村で両脇に食堂兼肉屋が何軒も並んでいた、、ほとんどがタジンまたは焼肉の店、店先の屋台でもうもうと肉を焼く煙が立ち込めている、、匂いにつられて一軒を覗いてみる、屋台の前に肉の塊がぶら下がっていて、客は自分の希望の肉を量り売りで買い、その場で焼いてもらう、、そう、そこはまさに肉屋兼食堂なのであった、、見るからにうまそうな昼食にたまらず注文の仕方・料金を聞いて頼んでみた、、わたしはひき肉にしてもらい、それを焼いたものをパンにはさんでもらった、、フェズで食べたものと同じだったが、ボリュームがあってうまいこのサンドイッチは20Dhだった、、バスは30分休憩して14時ころ再び走り出すとまた次の山越えが始まるのだった、、山を下り始めたのは15時ころで、16:15大都会マラケシュに到着した、、

同じような写真ばかりだがアトラス越え3時間;以下10枚022_640x480024_640x480_2 023_640x480
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トイレ休憩
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昼食休憩した街道村
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注文した肉を焼いてもらっている037_640x480


 マラケシュはO氏からもらったコピーの地図が一枚あってだいぶ助かったのだけど、着いた当初はどこに着いたのかがわからなかった、、しばらくうろうろしてようやく方向をつかみ、しかし地図の距離感がわからず、歩いていけるかどうかもわからないまま歩き出してしまった、、いや、大都会で道は広いし交通量も多い、人並みもすごい、ターミナル近くの城壁もこれまたデカイ、、まずはジャマエルフナ広場 Place Djamaa el Fnaを目指す、、その周辺に安宿があるとその地図にかかれてあったからだが、何はともあれマラケシュはすべてそこから始まるからだ、、前にマラケシュに来たことがあったが、もう当時の記憶はなく、あったとしても変わりようが激しくわからなかったと思うが、それでもこの広場はよーく覚えていた、、ただそこにたどり着くまではそれほど楽な道のりではなかったのであった、、

 どうもその地図によると着いた場所はドゥカラ門Bab Doukkalaあたりのターミナルだったようで、ふつうそこからジャマエルフナ広場までだったらタクシー利用が賢明というものだろう、、その後この間は何回となく歩いたがだいたい3,40分かかる、メディナの中を通っていけばもう少し近い、、しかしそのときはまずメディナの中は避け、城壁に沿って大きな通りを歩いた、、ようやくのことでクトゥビアモスクLa Koutoubiaの塔が見えたときはもうすでに疲れきっていてその近くの公園で少し休む、、そしてそれから安宿探しにかかる、、何軒か当たったがそれほど安くない、、その地図は市内全体図であったが中心部の詳細図は別掲とあってそれは持っていなかった、なのでちらほらホテルがでてきたときそれこそ一軒一軒当たっていた、、バストイレなしで100Dhというのが何軒かあって、それ以上安いのが見つけられず(それまでにすでに1時間半くらい歩いていた)疲れきって広場の近くの一軒に決めてしまった、、一応最低二泊はするつもりだったが、とりあえず一泊分しか払わなかったのは正解だったかもしれない、、次の日もっと安い宿を見つけることになる、、荷を解き少し休んでから懐かしき広場にいってみる、、相変わらずの賑わいと喧騒がそこにあった、、もうすでに日が暮れていて屋台の白熱灯が煌々と輝いている、その数無数‥、、そして人ごみがすごい、年がら年中お祭り騒ぎしているといった感じのその広場に、それこそ世界中からの旅行者が押し寄せていた、、モロッコの人々も旅行者もいれば地元の商売する人、普通の市民もいて、ともかくごった返している、、おそらくその大半は無目的に集まっているように思われた、、それはそれでアナーキーな魅力にあふれた広場は健在だったのだけれど、どうもそのときしっくりこなかったのだ、、以前きたときの昂揚感はなかった、、一度きているからか?あるいは年取ったから?、そういったお祭り騒ぎがうっとうしくなったから?、、理由はいくらでも見出せそうな気がした、、もしかしたら最大の理由は寒かったからだったかもしれなかった、、いや、ひとりだったからかもしれなかった、、ともかくその場は疎遠というか無縁というかそんな感じがしたのだった、、もうホテルに戻ろう、、そして飯屋を探そう、ということでホテル近くの飯屋を物色、、流石に広場に近かったのでレストランの数も多かったが、適当なところ(安くて入りやすそうなところ)がない、、観光客のいない店でタジン(このときはラムだったか?)を食う、、もちろんアルコールなく食後はteaとなったが、やはり物足りなさが残る‥、、

バスターミナルから歩いてやっとこのクトゥビアKoutoubiaのモスクまで来る044_480x640

夜のジャマエルフナ広場;2枚 104_640x480
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 あくる日は朝から両替所を探した、、いや、両替所はそこらじゅうにあったのだけれど、わたしが持っていたトラベラーズチェックを両替してくれるところは一軒もなかったのだ、、その都度どこならできるのか聞く、、だいたいの答えは銀行へ行ってみろといわれた、で、銀行へ行くとうちではできないがBMCI銀行でできるとのこと、で、その場所を聞いてそこに行ってみたが、あっさりノーといわれてしまってお手上げ状態となった、、モロッコではT/Cの両替はできない‥??、、なすすべなく両替は諦め.るしかなかったが手持ちのドルキャッシュももう少なくなっていた、、最悪はキャッシュカードを使ってATMで降ろすしかなくなった、、次にホテルを移った、、昨日ホテルを決めたあとで街ブラしていたときについでにホテル探しもしていた、、と、ちょっと奥まったところにそれこそ安宿街があって、昔その辺に泊まった記憶がよみがえってきた、、早速交渉してみると70DhでWiFi付きといっている、、今のところがWiFiもついてなかったのでよほどそのときにでも移りたかったのだが一日待ったのであった、、部屋模様は替わらずトイレバスなしだったが、それはかまわなかった、、何しろこうも寒いとシャワーを浴びる気にもならなかったのだから‥、、で、早速何日分かのPCのチェック、、そしてまた街ブラに出かけた、、

 そのときはもう午後になっていた、、少し新市街も見てみたいと思って観光馬車が列をなして待機している公園の脇から市バスに乗ってみた、、新市街まで一本で4Dh、10分くらいだった、、わたしの持っていた地図にはその辺りも載っていたのでそれを頼りにぶらつく、、そこにはインフォメーションのマークもあったのでそこまで行ってみたが、インフォメーションセンターはあったが人がいなかった、、何の役にも立たない、、そのあたりは大通りのショッピング街、ま、マラケシュ新市街の中心といったところで高層ビルや洒落たお店が軒を並べる繁華街でもあったから当然銀行もあった、、いつもドルキャッシュを替えていた人民銀行? Banque Populaireがあったのでだめもとで入って聞いてみた、、トラベラーズチェックの両替はできませんか?と、、そしたら親切な行員さんがそこではできないが、といって近くにできるかもしれないという場所を教えてくれた、、2,3ブロック行ったところにいわゆる私設バンク(両替所?)のようなところがあって、キャッシュより多少レートが悪かったが、それでも両替ができたのだった、、それまでの日数、だいたい一日20~30ドルくらいで旅ができていて、ちょうど折り返し辺りだったので、残りの日数を計算してT/C300ドルを交換できたのはその後の旅にとって幸運だったしありがたかった、、少しこころの余裕が生まれていた、、

観光馬車の行き交うジャマエルフナ広場;3枚
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  ある意味マラケシュはわたしにとってそれだけで十分だった、、つまりそこでしかできないこと(T/Cの両替は大都会でしかできないと聞いていた)を終えた今、もうどうでもよくなっていた、、その日は12月の28日だった、、このころになるとおおかたの旅人はどこで年を越すかに関心を寄せる、、そしてモロッコに来ているフリーの旅人はある意味その場としてマラケシュあたりをもっともそれにふさわしい場所と考えているのではないかと思われた、、その証拠になにやら日増しにツーリストが増えているようだったのだ、、ホテルに空きがなくなり始めていた、、ジャマエルフナ広場で目にする欧米系の顔が増し、東洋系も多く見るようになった、、特に夜はおびただしい数のツーリストが押しかけていた、、この広場でのカウントダウンはニューヨークのそれより盛り上がりそうな気がした、、それほどこの広場は世界でもっともカウントダウンに相応しい場所のようにも思えた、、そう思うのはわたしばかりでなく、もしかしたらそれを狙って集まってきているようにもみえた、、で、もしそうだとしたらわたしは一日も早くここから逃げ出さなければならないと思い始めていた、、先にも述べたように喧騒が癇に障っていたし、人ごみが嫌いだった、、カウントダウンなんかどうでもよかったのだ、、こんなところで年を越したくない‥、、どこかいいところはないか‥??

 両替ができたのでその足でわたしは歩いてバスターミナルへ向かった、、結構距離があったが場所はわかっていたし歩けない距離とも思えなかった、、街ブラがてら30分くらいでアイトベンハドゥからのバスを降りたところにきた、、そのターミナルははじめて入ったのだけれど(着いたときは外で降ろされそのまま中に入らなかった)バス会社のオフィスが二十近くあった、、わたしを客と思った呼び込みがどこまで行くのかと何人もから声がかかる、、その都度わたしは情報を聞きにきただけと断ってアガディールAgadir、タンタンTantanといった街に行くバス会社を教えてもらった、、そう、前回書いたように最終目的地は西サハラであった、、そこにはCTMのオフィスもあったのでいくつか質問してみたが態度が悪く?いや、言葉が通ぜず、こちらのほしい情報は得られなかった、、そのときわたしが描いていたのはこんな構想だった、、静かな正月を(静かに新年を)迎えたい、、それには大都会より田舎町のほうがいいのではないか?、、なんら正月らしくなくていい、、何のイベントも特別料理もいらない、、普段と代わらない一日、、そんな新年を迎えられるところはないか?できれば西サハラの首都といわれるラアユーンで新年なんてのもいいのではないか‥??、、もしそうするとしたら31日にはそこに到着していたい、、マラケシュからバスがあるとのことだったが、そうとう時間がかかるらしかった、、なら途中一泊で‥、、明日の夜(29日)出てできるだけ(暫定)国境近くまで行って一泊し、そこであらためて西サハラ情勢を確認したうえで31日にラアユーンに向かうというのはどうか‥??、そうすると自ずから場所が決まってきた、、その場所がタンタンというところだった、、名前がなんとなく気に入っていた、、そして海が近そうだというのもよかった、、アガディールはその途中にある大きな街で、もしタンタンまで直行するバスがなければ、まずアガディールまで出て、そこで乗り換える必要があったのだ、、アガディールへ行くバス会社は距離的に近かったし大きな街だったからたくさんあったが、タンタンまで行くというバスはそのとき一社しか教えてもらえなかった、、夜の20時半にでて翌朝7時ころ着、160Dhとのことだった、、タンタンはわれわれの使う地図ではモロッコの最南端に近い街だったから遠かったのだ、、わたしがアルヘシラスでもらった地図には区間距離表が載っていてマラケシュからだと600kmとなっていた、、その場で明日のバスを予約して、帰りは城壁の門をくぐりメディナの中を通って広場まで戻った、、

 その道は知っている人ならば広場(Place Djamaa el Fna)に向かう近道だったと思うが、途中からスークSouksになる、、スークとは市場という意味らしいがわれわれにとっては迷路の代名詞に他ならない、、前にも書いたが、そこはそれでたいへん面白いのだけれど、それは方角がわかっててスーク内の道を知っていての話だ、、フェズと並ぶモロッコ最大級のスークをはじめて歩くことになった、、だから店を冷やかしたり面白がっている余裕はなかった、、あくまでカンが頼り、たぶんこっち、たぶんこっちと15~20分くらい歩いていくと突然見覚えのあるところに出た、、おそらく最短距離ではなかったと思うし、偶々でしかなかったのだけれど広場に出ればもう冷やかす余裕も出てくる、、さまざまなみやげ物屋・屋台レストラン・オレンジジュース売り・ドライフルーツ売り・民族衣装の水売り、大道芸人や音楽・楽器を奏でている人たち、そして数多の観光客を横目で見ながらホテルに戻った、、

 夕食に頭を悩ませながら夕方にはまた広場からスークをうろついた、、その迷路には手ごろな食べもの屋もそこらじゅうにあって探すのに苦労することはなかったが、ここだというところになかなかぶつからない、、で、昼間通った道とは別の通りをずっと歩いてみた、、ま、惣菜屋みたいな店もあったが、目に付いたのが魚のフライ屋さんであった、、そこでは前々日にワルザザードの食堂で食べたような魚のフライを何種類か売っていた、、これは食欲をそそった、、そのときのように魚フライとパンで立派な夕食になりそうだった、、で、手まね手差しで注文する、、何種類かの魚があったがそれらをある程度まとめて紙に包んでくれた、、それは一度に食べきれる量でなかったが5Dhだった、、レモンを添えてもらいその包みを持って来た道をそのまま引き返した、、ホテルの前の雑貨屋でパンとコーラを買う、コーラが5Dh、フランスパン一本が1Dh(フランスパン一本がだいたい1~2Dh、信じられない安さ)だった、、この魚もさることながらフランスパンがうまかった、、こうして相変わらずアルコールは口にすることができなかったが一食10Dh(100円くらい)で食事ができるようになっていた‥、、

ホテルでとる魚のフライとフランスパンの夕食051_640x480