独歩の独り世界・旅世界

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ウィーン Wien/Austria 2014,8,15

 4年前は10月だったのでクラコウのバスターミナルの外に出ると非常に厳しい寒さだったことを覚えている、、その寒い中、少し遅れていたバスを、はっきりしなかったプラットホームで少し不安げに震えながら待っていた、、今回はプラットホームもはっきりしていたしバスを待つこともなかった、、どうやらそこが始発のようで、そのわりには乗客は少ないのに驚いていた、、しかしバスが出発して1時間くらい走るとどこかに停まり、そのバスが直接ウィーンまで行くのではないことを知ることになった、、その場所がどこだったか?クラコウ近くの大きな街としてはカトヴィツェKatowiceというところがあって、そこはワルシャワからの幹線道路上にあったから(鉄道も大きなジャンクションとなっている)、あるいはその近くのガソリンスタンドであったかもしれない、、その高速のパーキングほどの広さのガソリンスタンドで停まり、休憩なのかと思っていたら、どうやら乗り継ぎのバスを待っているようだった、、何の説明もなかったが、15分ほどで恐らくワルシャワから来たと思われるバスが停まり、それに乗り換えるよういわれる、、しかし、そのバスにはほとんど空席がなかったのであった、、それでも定員以上は乗せないはずだから我々はバラバラになったが何とか席を確保し、そのあとはほとんどどこにも停車せず、そしてほとんど深い眠りには入れないままウィーンに着いた、、

 そこもよく覚えているバスターミナルだった、、確か2,3度立ち寄っていたはずでウィーンのメインバスターミナルにしては駐車スペースはかなりあったが、そのオフィスは小さいままで、しかも当時と同様まだ閉まっていた、、それでもひとつだけ見覚えのないものあった、、オフィスが閉まっていたからとてもありがたかったのだが、カフェスタンドがバスの駐車スペースの脇にできていて、そこはオープンしていたのだ、、30分遅れで5:20にバスは着いたのだけれど、むしろそれはありがたかったくらいで、いずれにしろ動き出すには早すぎたから、まず、そこのカフェスタンドでコーヒーをもらう、、一杯2.8€、少し高かったがこの場では貴重なコーヒーだった、、それにそこのベンチを利用させてもらっていて、少なくともあと1時間はそこで待たせてもらうことになりそうだった、、というのもバスを降りてすぐ、オフィスの中には入れなかったが、どこかにバスの発着時間が書いてないかと探っていて、ブタペスト行きのバスの時刻表を見つけていたからだ、、それによると一番のバスが7時発で、日に何本かあることがわかった、、実をいうとそのWien~Budapestのバスも4年前に何回か使っていたので、何時にバスがあるかはわからなかったが、もしかしたら早いバスがあるかもしれないという期待はしていた、、で、せっかくここにいるのなら、7時のバスでそのままブタペストまで行ってしまおう、つまり前回記した3の案でいこうとそのとき決めていた、、そのためには4年前は6時だったオープンが、このときは6時半に変わっていたが、それまではここで待つしかなかったのだった、、

 しかし、そのときわたしは、迂闊にもそのバスが満席もありえるということを想定してなかった、、6時半にオープンすると真っ先に窓口に駆けつけ、7時のブタペスト2枚と勢い込んで申し込むと、その窓口の若い男は(4年前は若い女で、その娘とは激しくやりあったが)冷静に、そのバスは満席です、と答えた、、つづけてこちらが聞く前に、今日のブタペスト便はすべて満席です、、今最も早い便では明日の夕方の便に空席があります‥、、それ以上問答にならず、そのまま引き下がるしかなかったのであった、、

 このときは流石にどうしたものかと頭を抱えて、またしばらくカフェスタンド前のベンチで途方にくれていた、、どうしたもんか?もし昨日ブタペストのホテルを決めてなければ、1,の案、つまりブタペストへは行かない案が有力となったと思われるが、すでに返金不可の予約を入れてしまっていた、、もちろんそれを捨てる手はあったかもしれないが、なんともそれは口惜しくてできなかった、、そうすると何とかして他の手段で今日中にブタペストへ行かなくてはならない、、それは鉄道しかなかった、、しかしそうなると悔しいけれど今度は昨日のバス選択が間違いだったことになる、、将棋のプロ棋士はたとえ自分の指した手が失着だったとしてもなかなかそれを認めず何とかそれをカバーする手を模索する、、心境としてはそれに近かった、、このときはブタペスト行きの手(手段)を模索するしかなさそうだった、、

 では、そのためにすることは?、まず、どこか大きな駅へ行ってブタペストまでの情報を仕入れticketを取得することだった、、その駅はウィーンミッテかウィーン西駅??、、そこから近かったのはミッテ駅だった、、これも前の経験が役だって、そこのバスターミナルは地下鉄の駅に隣接していたこと、ミッテ駅は前に行ったことがあったのですぐに行動を開始した、、が、そのとき迷ったのはブタペストに行くとして午前か午後かということだった、、それによってそこで買う地下鉄のticketが違ったからだ(案3の午前早くに行くなら地下鉄一回券、案2の午後に行くなら地下鉄一日券にする、ということ)、、そこで最後の決断をし午後にいくことを決め地下鉄の一日券のほうを取得した、、そしてまずミッテ駅に行ってみた、、そこにはOBB(オーストリア国鉄?)のインフォメーション・ticketセンターはあったが、早すぎてまだ開いてなかった、、開くのを待つか西駅に行ってみるか?、ここで早くも一日券の効果がでたのだ、、すぐにまた地下鉄で西駅に向かった、、数日後に西駅のOBBインフォメーションセンターの前を通ったとき、そこは長蛇の列になっていたが、このときは朝7時半ころだったがすでに開いていて、待つことなく順番が廻ってきた、、ここのOBBticketセンターはミッテよりずっと大きくてブースは10以上もあったかと記憶している、、そのとき担当してくれた若い男性は、しかし非常に親切だっただけでなく、こと細かく親身になってこちらの要望に耳を傾けてくれたのだった、、まず、その日の夕方のブタペスト行きは、高かったが簡単に席は取れた、、問題は座席指定にするかどうかで、それは乗車券が高かった分ちょっと躊躇ったが、今の時期けっこう混んでいるといわれてアドバイスに従った、、ちなみにWien→Budapest,RailJet(レイルジェットはオーストリアの特急)の運賃と座席指定はひとり42€+3.5€だった、、だから座席指定分は二人で7€に過ぎなかったが、‘もし・たら・れば’の話をすれば、あるいはこのとき座席指定にしてなければ、このあとの展開がまた違ったものになったかもしれないと後から思うのだった、、その話は次回となるが、これでその場が済んだわけでなく、このあと彼の活躍が始まったのだった、、それは前回記したように、実は次の日にはまたウィーンに戻ることになっていて、そのあとの予定は何も変更するつもりはなかった、、ということはその次の日(その日からすれば翌々日、8月の17日)には、ここウィーンからメルクMelkというところまで行く予定だった、、で、いずれにしろその前日にはここでWien→クレムスKrems、あるいはWien→デュルンシュタインDürnsteinというところまでのticketを買いに来なければならなかった、、ならばついでに、ということでそのticketも買いたいと申し出た、、早速件の若い担当者はパソコンで検索してくれた、、そして意外なことを告げられたのだ、、それは当初予定していたローカル線でクレムスへ、というルートは、その17日は工事のため列車の運行はない、と‥、、そんなことってある ‥??、、それからいろいろ検討が始まった、、わたしは別にそのルートにこだわらない、、昼頃までにクレムスというところに着ければいい‥ と伝えると、彼はいろいろ調べてくれたのだった、、で、最終的に、却って最初のプランよりすっきりしたものになってWien Westbahnhof 9:30発、St Pölten 9:54 着 <乗り換え>10:02 発、Krems 10:36 着 <バス乗り換え> 11:05発 Dürnstein 11:22 着というタイムテーブルを提示してくれ、それをコピーしてKremsまでのticket(二人分で35.6€)と一緒に渡してくれたのだった、、ともかくその間3~40分、彼の一生懸命さはとても気持ちのよいものだった、、わたしも表現できる限りの礼をいってその場を離れたが、そのときはすでにインフォメーションの順番待ちは、けっこうな人数になっていた、、それからは時間の勝負となった、、というのは初めから今回の旅程でもっとも見学時間が足りないところが、ここウイーンであることはわかっていたのだが、さらにそれが短縮されてしまったからであった、、そのとき手にしたBudapest行きRail Jetの発車時刻は15:50だったから、ま、遅くとも15時半にはここに戻っていたい、、そのとき時刻は8時半、となるとウィーン観光は6~7時間しかない、ということになった(これも4年前のパターンに似ていた)、、ただ救いはどうしても行ってみたいというようなところ別にない、ざっとウィーンを見られればそれでいい、ということだった、、で、偶々ツレはプラハ・ウィーン・ブタペストの超簡単ガイドブックを持っていたので、ここのツーリストインフォメーションには行かず、それを参考にしながらの街ブラしてみることにし、その前にOBBインフォメーションの先にあったロッカーに荷を預けた、、

 地下鉄・バス・トラムの一日券は、それを見越して取得しておいたのだったが、ま、それも使える限り使ってということで、また地下鉄に乗って誰もが必ず訪れるシュテファン大聖堂へ、、そこからはグラーベン・ペスト記念柱(これをわたしは前回見逃していた) → コールマルクト → ミヒャエル広場(ロースハウスを確認)と歩き、そこで少し休みながら、さてホーフブルグ(Hofburg 王宮)をどうするかで迷っていた、、というのは基本的には美術館・博物館の類はパスのつもりでいたのだけれど前回ここも見逃していて、他はともかくここだけは観ておこうかと思ったのである、、で、入観料が少し高く感じたが(一人11.5€)入ってみればその価値十分ありで、1Fの王室銀器・食器のコレクションのすごさはともかく、2FのシィシィSisiの生涯を紹介した博物館は特別に見ごたえがあり、オーディオガイドによる日本語解説もあったので、たいへん興味深く見物することができたのだった、、

ウィーンの中心になっていて最も有名なシンボル、シュテファン大聖堂とその中(なお、このときメインのカメラのバッテリーが切れてしまって、予備のカメラで撮ることになったのだけれど、そこには日本時間での日付が入ってしまったいた)Img_0113_480x640Img_0110_480x640

グラーベンのペスト記念柱とコールマルクトからの王宮(Hofburg)Img_0115_480x640Img_0116_640x480

コールマルクとの突き当りがミヒャエル広場になっていて、広場に面して王宮が建つImg_0117_640x480

この広場と王宮に面して建つロースハウス(Loos Haus,建築家Adolf Loosによって1910-1912に建てられたこの建物は、当時あまりにも斬新なデザインだったため、王宮前の建物に相応しくないとして批判の的になったことで、逆に今日名声を博している)Img_0118_640x480

王宮博物館1Fは、かつて王宮で使われた金器・銀器他、高級食器のコレクションで、ま、それはそれで一見の価値ありだが、ちょっと別世界の話、、そのうちの一枚‥(ここは写真可だったから、何枚も撮っているが、たぶん一枚で満腹??)Img_0121_640x480

2FのSisi博物館は写真不可で、出口にあったこんなものしか撮れなかった、、Img_0127_640x480

 わたしはシィシィSisiのことを少し知っていた、、わたしの解説では不十分ながら、簡単に記しておくとシィシィとはハウプスブルグ家600年の最後を飾った皇帝フランツ・ヨーゼフの妃エリザベートのことで、その数奇な運命はハウプスブルグ王朝史の中でもマリア・テレジアと並ぶ最も有名な女性として知られていた、、その美貌、ドイツバイエルンから輿入りしてまもなく宮廷生活・皇妃の役割に嫌気がさして次第に篭りがちになって、それから逃避行?等々の奇行(隠密に、気まぐれに旅にでたらしい??、、)、そして最後は旅の途上でアナキストに暗殺され生涯を閉じるのだが、実はそのアナキストが狙っていたのはほかの人物だったという運命の悪戯?そんなことから彼女の生涯はいろいろな書物に描かれ映画になったりして(わたしは見ていなかったが、その映画のSisi役が、我々の世代ではよく知られていた、あのロミー・シュナイダーだったことをそこで知った)、逆説的だが(存命中の皇妃としての評判はすこぶる悪かった)後世最も有名なハプスブルグ家の(ということは今のドイツを含んだ大オーストリア帝国時代の)女性となって、今でもその人気は絶えない‥、といった程度にしか知らなかったが、旅好き、というたったそれだけの接点でわたしは彼女に思い入れがあった、、で、最初はこの博物館は王宮博物館ということで、まさかそのほとんどがシィシィ博物館となっているとは知らずに入ったので、その驚きと面白さはひとしおとなった、、いや、シィシィの名もハプスブルグも知らなかったツレも、そのオーディオ解説を熱心に聞いていたようだったから、オーストリアの歴史を知らない人にとっても、なかなか興味深い博物館であったことに変わりはない、見て損のないところであった、、ある意味ここを抑えたのであとはどうでもよくなった、といってもいい過ぎでなかった、、余談だが、このブログの次回が‘ブタペスト’ということになるが、そこでクラコウで予約したブダペストのホテルを明かすつもりだった、、また、そのホテルを名前が気に入ったから決めたとも書いた、、それを今披瀝してしまうと実はそのホテルの名前こそ‘Hotel Sisi’だったのである、、シィシィとブタペストの関係は深く、だからブタペストにHotel Sisiがあってもおかしくないのはわかっていた、、だがHotel Sisiというなかなかいいホテルが前日に空いていて予約できたことと次の日Sisiの博物館を訪れることになったことは、まったく偶然のことで意図していたわけではなかった、、なので不思議な巡りあわせを感じていた‥、、

 かれこれ1~2時間も、そこに費やしたであろうか?流石に疲れて、館を出たところの大きな公園ヘルデン広場でしばし休憩、、簡単ガイドブックの地図を見ながら、さてどうしたものかと思案していた、、で、思いついたのは、だいぶ歩き疲れていたからトラムで市内見物しようという案だった、、それは4年前にも、また同じようなことはいろんなところでやっていたが(今回プラハでも)一日券をもっていたらとても有効な方法だった、、たしか環状道路リングを回っているトラムがあったはずで、その地図には①②がそこを通っているようになっていた、、で、近くの乗り場から①番だったか②番だったか、やってきた内回り(?時計回り)方向のトラムに乗り込んだ、、トラムの車窓から左に国会議事堂、市庁舎前広場とその奥に市庁舎、右にブルク劇場、そしてまた左にウィーン大学、ヴォテイーフ教会を確認、ドナウ運河の手前で右に折れて運河沿いを行きアスぺルン橋のたもとで下車した、、ドナウ運河を眺めてそこから少し歩く、、その近くにSchönlatern美しいランタン通りという小路があるらしく、そこを探してみた、、ゆっくりしか歩けないので、近かったがそれでも10分くらいかかって見つけ、その辺りを徘徊、どうやらその界隈は観光客には知られたところのようで、地図を片手に歩き回るお仲間にけっこう出会うことになった、、ツアーでコンダクターに引率されたグループも何組か見かけた、、たしかに古きウィーンを忍ばせる、建物のランプ(ランタン?)に見るべきものがある街路だった、、そのあたりの小路はなかなか趣のあるところで、ところどころにカフェやレストランがあった、、ちょうどお昼どきでいい匂いがどこからか漂ってきていた、、別にその方向に導かれたというわけではなかったが、ある店の前に人だかりがあった、、まるで行列のできるレストラン?どうやらウィーン名物ウィーンカツレツ、ヴィナーシュニッシュニッツェルWienerscnizelを食べさせる店のようだった、、有名店のようだったが、それほど高そうでもなく、偶々行列がなくなったので入れるかと聞いてみると、そのとき12時ころだったが13時から予約の入ってる席が空いてるが?といわれた、、もちろん1時間以上そこにいるつもりはなく問題ないといってテーブルについた、、客はみんな同じ物を頼んでいたので、我々も同じものを、ただし相当それはでかそうだったので一人前を頼む、、前日のクラコウでのことを思い出し念を入れて、ひとつを二人で食べたいと説明し、それとサラダとビールといったら、やんわりとワインしか置いてないといわれ、赤ワインをグラス二つ頼んだ、、少々薄く平べったいが、レモンだけで食べるそれは、もちろん美味だっただけでなく一人前二人でちょうどよい分量であった、、これで一応ウィーン名物をなかなかいい店で食べられたことに満足して、ここでもウィーンはもうこれでいいか?と思ったほどだった、、その店はやはりガイドブックに載っている超有名店で、ウィーンカツレツWienerscnizelが評判のレストランFiglmüllerというところだったことをあとで知ることになった(そのときガイドブックは持っていたのだが‥??)、、

この写真は新王宮、旧王宮はこの写真の左手にあって、そこから出てこのヘルデン広場でしばし休憩、、Img_0130_640x480

トラムの車窓から;市庁舎とヴォティーフ教会Img_0132_640x480
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アスベルン橋のたもと付近からドナウ運河Img_0134_640x480

FiglmüllerのWienerscnizel(グラスワインの量が少なすぎ!!)Img_0137_640x480



 そこはシュテファン大聖堂の近くだった、、最初に戻ったことになる、、で、そこからは次のルートを辿った、、モーツアルトハウス→ケルントナー通り→カプツィーナ納骨堂→オペラ座→キュンストラーハウス→楽友協会ホール→カール教会・カール広場、、といってもすべて素通りである、、時間がなかったというより、すべて場内の見学ができるところばかりだったが、興味と関心が薄く、安くない入場料は我々にとっては少々どぶ銭だったからである、、その中で迷ったのはシィシィも眠る歴代のハプスブルグ家の墓所カプツィーナ納骨堂だった、、ここは墓所を見るだけにしては少々高く感じたのでやめにした、、オペラ座はわたしは前回見ていたし楽友協会は今回時間なし、で、最後はカール広場の公園でカール教会を眺めながら、また休憩、、今度こそもういいかな、と思っていた、、結局乗り物一日券(7.6€、一回券は2.2€)の元は取れたかどうかわからなかったし、わたしが行ってみたかったところをわずかに残していた(例えばカール広場からそれほど遠くないナッシュマルク、マヨリーカハウス、メダイヨンハウスなどがあったが、それは後日訪れた)、、が、短時間に金を使わずにざっと見るという趣旨では表面的だが一通りは抑えられたかと思ったからだった、、公園の多いウィーンはいたるところに緑とベンチがあって、むしろそんなことに気づかされればそれも立派なウィーン見学になったと思う、、カール広場でアイスクリームを食べながらしばらく休んでから、帰りがけにカールプラッツ駅舎の写真を撮って、そこが地下鉄の入り口かと思ったら、地下鉄の入り口は別のところにあって4番、6番の地下鉄を乗り継いでWien Westbahnhofウィーン西駅に戻った、、時間的には、それでも多少早めについて荷を出して詰め替えたり、次の日予約してあったウィーンのホテルが西駅から近かったので、わたし一人で水やパンを買いがてら、そこを確認しに往復できるくらいの余裕があった、、ウィーン西駅6番線にRail Jetもわりと早く入線してきたので早速乗車して、指定席の場所を探したが、そこには先客がいた、、我々は結局どこでもいいのかと勘違いして空いてるところに座っていたら、そこの座席の人が来て、それで我々も本来の席に戻ることになった、、その席は進行方向とは逆向きの席だった、、それがちょっと悔やまれることになった‥??、、

午後もう一度シュテファン大聖堂;2枚Img_0138_640x480Img_0139_480x640

カプツィーナ教会は入れたが、納骨堂は有料だったので入らなかったImg_0140_640x480
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オペラ座の正面はどっちだかよくわからない、、前回見学したときはこの写真左手後ろから入った気がする、、また今回ちょうど右手後ろあたりに日本人を含む行列ができているカフェがあった、、そこがザッハーという超有名カフェだったことをこれもあとから知った、、
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