独歩の独り世界・旅世界

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新年のご挨拶 from Laayoune ; a capital of Sahara Occidental

  それほど多くないのはわかっておりますが、またもしかしたらわずかながらわたしを知る友人・知人の方も読んでいただいているかもしれませんが、ほんとに面白くないという自覚のある自己満足ブログを日ごろより閲覧していただいておりますことに、深くまことにありがたく、新年のご挨拶として御礼申し上げるしだいです。ついでながら新年明けましておめでとうございます、謹んで皆様のご多幸をお祈り申し上げ、ことし一年も、よろしくおつきあいていただけたらとお願い申し上げるしだいです、、

 さて、このメッセージは、わざわざそのために(ここからメッセージを送るために)やってきたともいえる、とある国の首都からお送りしているのですが、その国もまだ正式に全世界から認められているわけでないので、その首都も正式に首都と呼べるのかどうか、その辺は定かでありません、、ここは西サハラというところでその帰属問題で国際的な決着をみておらず(詳しくはWikipediaを参照してください、リンクの貼り方わかりません)、一方ではいまだ紛争地帯扱いで旅行者を長く遠ざけていたところでもあります。

 このたびモロッコまできたついでに実情偵察に来てみよう、どうせなら年末年始をここで過ごしてみようと思って昨日到着いたしました。グアテマラからここまでの旅模様についてはいずれ時間の余裕のある折に、今回は失敗続きのさまをお伝えしようと思っておりますが、なぜ西サハラだったのかについてだけ少々述べておきます。きっかけは昨年の11月にカンクンリスボンの安い往復チケットを見つけたところから始まります。最初63,000円だったそのチケットはどうしようかと迷っているうちになくなり70,000円になった、どんどん安いチケットはなくなっていきます、、なのでおおよその計画だけ立て、まず7万円少々でチケットを買ってしまった、その日付は2012/12/11~2013/01/21で、約6週間とりあえずポルトガル・スペイン・モロッコを回る旅の予定を組んでみました。詳細はいずれ述べるとして、しかし12月のヨーロッパは寒すぎて、一週間でヨーロッパを抜け、ジブラルタルを渡ったのですが、モロッコもまだ寒かった、で、できるだけ南下してみたいという思いがひとつ、もうひとつはグアテマラ(を含む中南米どこでも)もヨーロッパ(を含むおおよその全世界)もちょうどクリスマスシーズンで、その華やかさ・賑やかさがひとり旅の身には眩しいすぎて、このクリスマスのイルミネーションから逃れられるところがないかと思ってのモロッコでもありました。で、確かにイスラムの世界ではクリスマスを祝うことはなかったのですが、今度は年末年始の騒動がすでにマラケシあたりでは始まっていました。ま、しかしあそこは年がら年中お祭り騒ぎをしているようなところなので、特に年末だからということではなかったかもしれませんが、それでも日ごと欧米系のツーリストが増えていくのが感じられました。こんなところで年越しはしたくない‥、ま、これはわたしのかなり偏った性格によるもので、普通は大騒ぎして皆でカウントダウンしながら年を越したい、賑やかに晴れやかに新年を迎えたいというのが一般的と思われますし日本でも同じことだと思います。そういう意味ではマラケシ・ジャマエルフナ広場こそ世界でもっともその場にふさわしい場所のようにも思います。きっと多くの日本人の方もその中にいたことでしょう、、が、ひねくれもののわたしはこんなところ早く逃げ出さないと、と29日の夜マラケシを発ちました。そのとき向かった先が、情報はまったくなかったのですが(今回はヨーロッパもモロッコのガイドブックも持っていなかった、ゆえに失敗が多かった)ひとつはカン、もうひとつはおそらく旅行者がほとんどいないだろうとの予測で、ここ西サハラを目指したのでした、、

TanTanの街の入り口068_640x480_2
TanTanPlageの浜辺 080_640x480_2

TanTanのバスターミナル088_640x480

 実際、その予測は当たっていたのでした、、まず夜行バスでTanTanというところまでいきました。その時点ではモロッコのバス会社大手のSupratourもCTMも、ここラアユーン、さらに南のダフラ(ダクラ?表記はDakhla)やBir Gandouzまで路線バスが行っていることがわかっていましたが、とりあえず海が見えそうなモロッコ南部の街タンタンに寄ってみることにしたのです。そこまでくると流石にもうツーリストはまったくいなくなった、同時に英語もスペイン語も通じなくなったが、その分やっと暖かいところにきた感じで少しほっとすることができた。そして昨日バスよりも安かった乗り合いのベンツ(グランタクシーというのか?4人掛けのところに6人が座る、6人集まったところで出発、ひとり100Dh、約1000円だが300kmの道のりを考えると安い)でTanTanから4時間、砂漠の中の一本道を走り続けてここラアユーンに着いたのでした。その間に街らしきところは3ヶ所しかなくAkhfnirという街で休憩した以外はTarfayaもDawraもバイパスになっていて街の中は通らなかった、Tarfayaまでは右手が砂漠の終焉、断崖になっておりその下は大西洋の荒波が押し寄せていました、、いずれにしろその道はあのサラサラの砂漠でなく、荒地・荒野の砂漠の中をずっと走っていて風景は何本か河を渡ったときにみせたちょっとした変化だけで、あとは変わることのない世界が果てなく続いているのでした。そして何本目かの河の向こうにこのラアユーンの街はけっこう立派な街並みを誇こるように現れました。

砂漠を走る一本道と途中の標識105_640x480 107_640x480
河の向こうがラアユーンの街
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 ここは明らかにそれまでのモロッコの街とは異なった佇まいで例の旧市街メディナもスークもなく、ジュラバを着ている人もほとんどいない、だからまったく趣のない街といえばその通りで、面白くもなく見所もないところです。だから明日にはさらに南下してダフラまで行ってみますが、違った意味で面白かったのは予想通りというか、昨日は大晦日で今日は元旦なのだけれど、どちらもまったく特別の日でない、誰も大騒ぎなんかしていない、まったく普通の日でしかなかったこと、そんな年越しを願ってたわたしにはそういう意味での望みはかなったことになりました。が、ひとつだけ残念だったのはここもモロッコと同じくアルコール類がご法度なので、だから静かな年末年始になるのかもしれませんが、ホテルで缶ビールの一本もかなわずケーキとコーラでの年越しとなりました。ま、それは最初から期待もしていないことでしたが‥、、

Laayouneの街並み112_640x480


 さて、で、現在の情勢はどうなのか?素人のわたしに政治的なことは語れないし、わずか数時間の滞在で軽率な判断はできませんが、実際目にした印象だけをお伝えしておきます。まず、今現在情勢が安定しているというのは少なくとも<砂の壁>(これについてもWikipedia参照してください、実はわたしもそれを見て知ったのですが)以西のこちら側は実際的にモロッコ支配が安定しているということにすぎず、それはこの地に見られる主だった建物に掲げられている赤字に緑の星マークの国旗やモロッコ国内と同じ銀行があって、同じ通貨が流通していること、路線バスがモロッコ国内として数社が運行していること、またわたしをもっとも驚かせたこととして昨日ここまで来る道程で、パスポートチェックは他の乗客も含めて簡単なチェックが一ヶ所しかなかったこと(それもTarfayaの手前のモロッコ国内でのこと)、ミリタリーチェックは一ヶ所もなくミリタリーがまったくいなかったこと等々から実感できましたし、わたしが見聞した限りでは帰属問題は存在しませんという感じでありました。が、それでもこれをもって然るに安全であるとはいえないでしょう、特にここから先南部モーリタニアに至る道や東部のアルジェリア国境・モーリタニア国境は間違いなく危険地域となっており、実際にそのエリアへ旅行者が行くことはできないでしょう、、つまり今わたしのいるところは現実的にモロッコの実効支配が安定しているといえども、西サハラ問題としての西サハラの帰属はまだなんら解決はしていないということです。ただ、あまり見所のないところですがこの先Dakhlaまでの移動はなんら問題はなさそうだということはいえそうです、、しかしわれわれの興味としてはその先はどうかということなのです。われわれ貧乏旅行者にとってはここは通過地点、この先陸路でモーリタニアに入れるか、さらにその南に広がるブラックアフリカへの道が開かれているのかが重要なのです、、なのでその可能性を探ってさらにもう少し南に下ってみたいと思っています、、

<2013,1,1,14時ころ Laayoune Hotel Jodesa にて>

写真の追加 ;  砂漠の終焉とそこに舞う海鳥? 本日1月2日撮影020_640x480014_640x480_3015_640x480016_640x480022_640x480