独歩の独り世界・旅世界

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8ヶ月ぶりの四国 四日目59番61番,62番,別格11番,10番~せとうち大島へ

  ひとつお断りしておきたいのは、前回記したカーナビの問題は(その日も続くのだが)わたしはそれと自動車メーカーとは一切関係ないと思っている、ということである。あくまでカーナビの性能のことであって、むしろどちらかといえばそれを取り付けたレンタカー会社の問題ではないかと思っている(とはいえ設置責任と管理責任はあってもカーナビの性能に関しての責任は免れると思う)。なので一応今回はレンタカー会社の名は伏せたが、レンタカー会社の担当者もよくやってくれたし、やはりあくまでそのカーナビが外れだったということにつき、とりあえず結果的には大事に至らなかったから、わたしは車のメーカーにもレンタカー会社にも何ら他意はないことを申し添えておきたい。一つにはわたしのカーナビ操作の無知による結果といえる可能性もあったであろうから、、

 さて、宿坊泊の場合、朝の勤行はセットである。すでに何回か宿坊泊も経験していたから6時少し前には輪袈裟をつけて本堂に集う、すでに住職と女性たちは着座しておられた。もう一人の男性も現れ、6時になると副住職?がやってきて住職も御仏の前の正位置に移られ、副住職の太鼓の連打とともに朝の儀式が始まった。ご住職と副住職さんによる読経がしばらくつつき、我々も焼香し一連の儀式は30分ほどで終わった。そのあとはどこでもそうだが、住職による法話・講話となる。見るからに優しさに溢れ、物静かに語りだされたご住職の話は、ま、その日は5人しか聴衆がいなかったからか、かなり身近な話題を取り上げてくれ、祭壇脇に掲げられていた奥さまの遺影に語りかけるように、慈悲深く愛情のこもったお話(いろんな話をされたがわたしは数年前に亡くされた美しき奥様の思い出話しか記憶に残ってないのだが)をしてくださった。わたしは、宿泊者があったら毎日法話・講話をしなければならず、それも大変だろうな、なんてことを思いながら聞いていた。

 7時には食堂にて朝食をいただき、三々五々お暇していく。わたしが出発したのは7:50だったが、その時女性三人組の車はまだそこにあった。しばらくは順調に進む、が、工事中の場所を抜けたとき、早くもわがカーナビくんは発狂し始めたのだった。というのはわたしの予想とは逆の方向を指示してくれたのだ。えっ?ほんと?前日の一件があって以来俄かには信じた難くなっていた。いや、間違った方向には走りたくない、どこかで確かめようと、とりあえずはカーナビに従って走るとコンビニがあったのでそこへ入って、いろいろ操作してみた。まず現在地の確認を取りたかったが、それが大きな地図でどこになるかを知る方法はわからなかった。で、改めてこれから行く59番国分寺を仮名で入力して、ようやく位置と方向を知る。が、そこで指示されたルートがベストなものかは怪しかった。もっと簡単に行けそうだったのに!?(つまりガイドブックの地図を見る限り、そんなに複雑な道ではなかったはずなのに)であった。そんな感じで走り出してしばらく行くと、見覚えのあるところに出たのである。ま、それもうろ覚えだったが、もうカーナビはあてにしなかった。あとはいい加減だったがカンと記憶を頼りに進む、鉄道の踏切を渡ったあたりからはもう間違えようはなかった。59番には8:15着、お参りを済ませ、あまり感じの良くない職員?に墨筆と朱印をいて500円おいて去ったのが8:35。駐車場に戻るとき、かの神戸の三人組と出会って会釈を交わしただけで別れた。駐車場でコウオンジと入力して出発。ここから先はほとんど間違えようのない道だったから、あまりカーナビを頼らずに行けそうだった。しかし車は順調に進んだが、今までもあまりあてにしなかったり、指示に従わなかったのに根を持ったかのようにこのカーナビくんはわたしに反撃し始めたのだった。最初わたしは信じられなかったのだが、どうやら本気、つまりタマタマではないことを、つまりその後何度もそういうことが起こったのである。なんとなればわたしはカーナビ(この場合は画面)に従って進行しようとしたら、何と音声が逆を言ったのだ。画面は右を差しているとき音声が左といったのである。えっ?どっちなんだ?こんなときはどっちかにするしかない、そのときは画面に従ったと思う。というかそのときはおおきな道にいて、すでに進むべき方向は知っていたから事なきを得たのだが、こいつかなりおかしいなと思い始めていた。そんなことがあって、その後はほとんど音声は無視することにして、すでにカーナビそもそもを頼ることはしなくなったのだが、音声はずっと逆を言い続けてたので却っておかしかった。もしかしたら、このカーナビは超レアものかもしれないとさえ思ったのだった。

おかゆの朝食、お代わり可 Img_8565_640x480

前日は通り過ぎてしまった仙遊寺の仁王門、歩きだとここからの登りがきついImg_8566_640x480

59番国分寺;2枚Img_8567_640x480Img_8568_640x480正面本堂、右大師堂

 国道196号線を来て国道11号線とぶつかる辺りからは前回歩いていたから、カーナビは必要なかった、というかもう勝手に言わせておいた。61番到着は9:05、香園寺は88ヶ所の中で唯一現代建築風の寺院を構えていて、わたしの趣味には合わなかったが、どうやらそんな寺院を構築できるほどこの寺は、厳しい寺院が多い中なかなか裕福なお寺さんではないかと思われた。ここは安産・子育てに霊験があってお遍路さんばかりでなく一般の方の参詣が絶えないと聞いたことがあった。ガイドブックにも子安大師の別称があるとのことで、その歴史は古く聖徳太子の創建とあった。わたしが訪れた時も隣の敷地でなにかの工事中であったからまた何か新しいものが建つのかもしれない、、で、納経所で62番の納経もここでできるんですか、と聞いてみたら、それは第二駐車場のところに仮設の祭壇と納経所が設けてあるのでそちらへ行ってください、とのことだった。そちらに赴くと、駐車場の端っこに仮設の小屋が建っていて、確かに御仏も祀ってあったので、他と同じように礼拝する。一応2ヶ所を35分で納経を済まし、次の行き先を入力しているときに、神戸の3人組の車が駐車場に入ってきた。たぶん彼女らは順打ちしているのであろうから、この後で会うことはなさそうだったが、車の場合はだいたいペースは一緒になることがわかる、彼女らの車のカーナビはきっと順調に作動していたに違いない。一方こちらはまだ出発できないでいた、というのも次の巡拝場所である別格11番生木地蔵は検索に引っかからなかったからである。こういう場合他の方法もあるのであろうが、わたしの場合はお手上げなのである。仕方なく基本に戻ってガイドブックの地図を開く、そして近くに他に目印になりそうなところを探してみると久妙寺というところがあったので、それを入力してみるとそのルートはでてきた。それでカーナビとガイドブックを両方見ながらルートを頭に入れる。それは意外と簡単だったのだ。目の前の国道11号線を松山方面にいって、途中で147号線に右折してしばらく行くとミニストップがあってそこを左折すれば着くことがわかった。すぐに出発する、道は簡単だったが、147号に右折するときに左折です左折ですと、叫んでいたカーナビくんにあきれながらというか、笑いながら、もうほとんどカーナビはあてにせずにしばらく特に目印になりそうなもののない道を行く。しばらく走るとミニストップがでてきたので、そこによって再確認。ここでも両替のためにコーヒーを買う。そこには生木地蔵ここからすぐ、といったの案内も出ていた。実際別格11番生木地蔵はそこから車で1分、しかしその入り口はわかりづらいものがあった。で、間違えて隣接する福岡八幡神社の駐車場に入ってしまった。

61番香園寺、2Fに本尊を祀っているImg_8569_640x480

61番の第二駐車場の仮設小屋にご本尊は祀られていたImg_8572_640x480


間違えて入ってしまった別格11番に隣接する福岡八幡神社Img_8580_480x640


 福岡八幡神社の鳥居の立派さからすると生木地蔵尊は少し陰に隠れるように、そういう意味では訪れたばかりの61番香園寺と対極にあるような地味な小さな寺だったが、お大師様は決して見かけ、見栄えではないんだということをおっしゃっているようにも感じられた。お参りの後ご朱印をいただいてから、駐車場を借りてしまったので福岡八幡様にもお参りしたが、このお社までの登りは半端でなかった。たぶんここも由緒あるお社なのであろうと思われた。ここから別格10番興隆寺は歩くと1時間のところ車だと10分だった。しかも山の中腹というかかなり登ったところにあったので、ここまで歩くのは容易なことではなかったと思われた。そう思うと軟弱お遍路に堕してしまったが、今のわたしにとっては(カーナビはさておいて)レンタカーは正解だったように思えた。もうそんなに歩けなくなっていたのだから、、10:45興隆寺駐車場、しかしここは山城を思わせる佇まいから、かなり立派かつ有名な名刹、古刹であったことを来てみて知るのだが、入り口の橋、御由流宜橋<みゆるぎばし>から始まって仁王門、勅使門の奥に庫裡、さらに石垣を登るようにしてようやく境内に着いた。そこまで入り口の赤い御由流宜橋から15分?、山全体が壮大な伽藍となっていたのだ。境内には国の重要文化財に指定されている本堂、県文化財の三重塔、そして大師堂ほか、数々のお堂、そして鐘楼が建ち並び、さらに山全体がもみじで有名なところきては、たぶん地元の人なら知らない方はいない名所のようであった。その立派さ、雄大さ、美しさにある種の感嘆さえ覚えたのだが、そこが今回のわたしのお遍路の最後の地であったことが、余計わたしを感慨深くさせていた。今回はレンタカーの力を借りたとはいえ、予定していた札所をすべて、しかも予定時刻より3時間ほど早く打ち終えた喜び、満足感はひとしおだったのだ。ちょっとした山登りを要したため、別格10番西山興隆寺を後にしたのは、すでに11時半を回っていた。

別格11番生木地蔵;2枚

Img_8574_640x480左に八幡神社の鳥居が写っているImg_8575_640x480本堂正面

八幡神社の鳥居をくぐると立派な山門があった、その裏手は急な石段Img_8573_640x480Img_8576_480x640

山のてっぺんにお社があり、そのあたりからの眺めも素晴らしかった;2枚Img_8577_640x480Img_8579_640x480



別格10番西山興隆寺;13枚
Img_8582_640x480入り口にある赤橋御由流宜端Img_8583_640x480Img_8584_640x480山門に続く石段

仁王門Img_8585_640x480

さらに道は登っていくImg_8586_480x640

途中に立派な庫裏が建つImg_8587_640x480

山城を思わせる石垣の上が境内Img_8589_640x480Img_8588_640x480境内への道

ようやく境内にたどり着く、正面重要文化財の本堂;2枚Img_8590_640x480Img_8592_640x480左に鐘楼

大師堂とその奥に三重塔Img_8591_640x480Img_8593_640x480聖天堂Img_8595_640x480どこをとっても紅葉は絵になりそう、、


  一応レンタカーを借りたときに帰るときはホーム?をすようにいわれ、そうすると今治の営業所ま道が示されるといわれていたので、一応セットしてみた道はやはりかなりややこしくて(たぶんこれは設定の問題だと思われたが)地図とカーナビを両方見ながら、自分でルートを構築した。少し遠回りいほうがよかったのである。だからそこからもカーナビの示すルートもアナウンスも全く無視して走ることになったが、どうやら今治到着予想時刻はだいたい当っていたようだった。わたしはまず先のミニストップを目指し、そこを左折して48号線をいけば196号にぶつかるから、そこを左折して196号をいけばそのまま今治に帰りつけることが明白だったのに、どうしてそういうルートが出ないのかも不思議だった。そのルートは簡単だったので、あくまでカーナビの指示は無視して走り続け、予想通りの1時間で帰りつくことができた。途中ガソリンを満タンにしなければならず、安いところを探していたが、いずれも関東というか、わたしの住まいの近くよりもリッター当たり10円ほど高かったので、驚きとともに持っていたのに2円引きになるカードを忘れてきてしまったのが悔やまれた。もっともたかが10円か20円の差でしかなかったかと思う、最終的にはちょうど100kmの走行でガソリン代はちょうど1000円というところであった。それで今治の営業所には12時半に着いたのだけれど、カーナビの件はこんなんだったよと、話しただけでクレームをつけることはしなかった。だからそのカーナビに問題ありとは、その担当者は認識しなかったかもしれない、ま、そんなんで、このあとどこに行くのか聞かれて、今治港まで行きたいのだがバスはない?と聞いたら、しばらく考えてから、送りましょうといって、その返したばかりの車で今治港まで送ってくれたのだった。だったから、というわけでもないが、そもそもこの件をレンタカー屋さんの責にしても始まらないと思うし、このレンタカー屋さんを悪くいうつもりは毛頭ないのである(ま、もっともそれが原因で事故でも起こしていたら話は別か??)。

送ってもらった今治港ターミナル;2枚と、待合室兼切符売り場にあった行き先案内Img_8597_640x480Img_8601_640x480Img_8598_480x640


 この日も、元を質せば一野屋さんのおかげで、結局最終日まで3時間ほど前倒しできていた。つまり当初の計画では、この今治港発17:20のボートに乗るつもりでいたのが、12:45には今治港に着いていたから、次の船14:30発に乗れたのだ(だいたいルート的には変わらなかったが、当初の予定ではその日に58,54,56,57,59,61を打って別格11,10に寄って今治に16:30までに戻れば17:20のボートに乗れるだろうという予測た)。では、この後のルートはどういうつもりだったかというと、その日の宿は大島(今治からしまなみ海道を行くと最初の島)にとってあった。ルートが先だったか、宿が先だったか、それはいってみれば同時進行?というのが実際に近かったかと思うが、最初に決まっていたことは5日間という日程だけで、そのあと詳細を詰めていって、お遍路は今治エリアまでは別格も含めてすべて廻るつもりでいた(お遍路としては、そこからは松山エリアになるがそれは少し離れていたので)。で、今治が最後なら今まで通ったことがなかったしまなみ海道経由で広島に出て、広島からは、知ってはいたが今まで利用したことのなかったLCC;spring airを新しいルートとして開拓してみようとの想いから、そのticketを取得してあった(これはいささかタイミング悪くて広島~成田最安値3000円で飛べたところ7000円も払ってしまっていた)。そして次に、では宿はどこにするかとなったとき、今治及びしまなみ海道の島々を当たってみた。この時も検索条件は8000円以下で二食付きであった。結果はなんと二軒しかヒットしなかったのだ。そのうちの一軒がこの大島にあって、もう一軒は別の島にあったが、その日のアクセス及び次の日ルートから、迷うことはなかった。もう一つこの大島には村上水軍の博物館があったことが大きい。なのでこの宿はすんなり決まり、サイトを通じて申し込んだ。ウイークディということもあって空きもあったようで(実際その日の客はワレ一人だったのだが)CC決済もその場で済ませてあった。で、そこからのルートについては現地にいってということにしていたが、その宿への今治からのアクセスとしては、このボートが一番安くて早くて便が良かったのだ。次の日は天気、疲れ具合等で決めるつもりだったが、できれば自転車で、というのが一番面白そうだった。これについても、一つには島内の交通事情としまなみ海道のバス事情を調べたところ、わたしにとっては他に選択肢はないかのようだった(バスは高すぎたし、面白味はないと思われたから)。だから帰りの飛行機のticketを取得し、大島の宿を決めた時点で、ルートはすべて決定したといってよかった。今治からのボートの時間、広島空港ヘのリムジンの時間等はすべて調べておいた。ところがその17時20分予定のボートは、二日目からの3時間の前倒しのおかげで、14:30のボートに乗れることになったというわけであった。それにしても瀬戸内海を船で渡るというのは初めての経験で、船がいかに生活密着の交通手段であるかが、このとき良くわかったのである。もし今治からバスを使ったとしたら、高速バス&島内バスを乗り継いでいくことになって、時間も金額も3倍くらいかかることが調べててわかったのだ。で、ついでに今治港から出ているボートを調べると、ま、それだけ大小の島々が多いからだが、数多くの航路があるのを知る、それは今治港だけではなく、瀬戸内の島々は今も昔も海で繫がっていたことを物語っていた。

 1時間半の間特にすることもなく、ま、昼食に昨日買ったパンを食べたくらいであとは新しくなったという今治港のターミナルビルや、桟橋あたりをうろちょろして過ごす。14:30のスピードボートは乗客5人くらいだったか、わたし以外は地元の人たちで、次の港友浦で降りたのもわたし一人だった。時間にして20分660円だった。民宿ともさんは港に面して建っていたから、歩いて1分?2分?、、しかし15時の到着は、わたし自身予想してなかったことだか民宿の母(わたしと同じくらい?)娘にとっても早すぎたようだった。それがわかったので荷だけおかせてもらい、この島についての情報を教えてもらって出かけることにした。そのとき聞いたことは、まず自転車については、15:17バスがあるからそれで、この島の宮窪桟橋というところに行きなさい、そこに観光案内所があってそこがサイクルセンターになっている、ということ、そして水軍博物館はその手前にあるから、まずサイクルセンターまでいけば、そこからは歩いて戻れるとれたのだった。バスのタイミングが良かったので、少し待ったが他に乗客は一人もいないバスで宮窪桟橋というところまでいった。降りてすぐのところに観光案内所があって親切なお姉さんが、貸し自転車について詳しく教えてくれた。いずれにしろレンタサイクルは一日貸しで、一日1000円なので、その日から借りてしまうのはもったいないだろうということがわかって、では明日朝来ますが何時からと聞くと、オープンは9時からとのことであった。ある程度自転車の見通しがついてきたのだった。

ターミナル付近をうろつく、今治港桟橋のひとつImg_8600_640x480

この辺りから今治城が見えたImg_8602_640x480

出航後の桟橋を振り返る
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船上から、というか船室からだったのでいまひとつクリアでない;3枚
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下船後乗ってきたスピードボートを見送るImg_8611_640x480

友浦の民宿ともImg_8612_640x480

 村上水軍博物館はすでにバスで通っていたので、その道を15分ほど引き返して入場してみた。村上水軍については歴史好きの人なら知らない人はいないのではないかと思われるが、あまり日本史が得意でないわたしが説明するより、興味のある人、あるいは良く知らない人はいつもの手段で調べられたらいいと思う。わたしは特に中世の海賊としての村上水軍(というか日本の水軍力=広い意味での倭寇)の活動エリアに興味をもっていたので一度はいってみたいと思っていたところであった。ま、ここは観光大島の目玉みたいなところで、立派な建物が建っていた。お客さんもそこそこあったように見受けられた。しかし展示物、陳列品はそれほど多くなく、30分ほどで、ざっとだったが見終えて、そこから2kmほどの道のりは歩いて戻った。17時過ぎに到着、すぐに風呂、その日は他にお客さんはいないからとのことで夕食は部屋まで運んでくれ、18時頃から一人宴会が始まった。

村上水軍博物館;4枚Img_8614_640x480Img_8615_640x480Img_8616_640x480Img_8618_640x480

屋上テラスから;2枚
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 ここの食事のメニュウは事前にわかっていた。先付、刺身、煮付け、さざえ、酢の物、天ぷら、茶碗蒸し、鯛飯、汁物、ここもサイトの割引を使えたから、このメニュウで7300円はお得感があった。もちろん、この豪華メニュウがここの予約の決め手となったのだが、この四日間いずれも甲乙つけがたい豪華な食事の最終日でもあったのだ。が、これはある意味格闘に近かった。後で反省することになるのだが、それまでは見栄えも内容も豪華をよしとしてきたが、わたしにとっての贅沢三昧は今回をもって終了とすることにしたのである。食べきれない豪華な食事は、わたしのように残すことに罪悪感を感じるものにはかえって毒になるかもしれないことにようやく気づいたのである。そう、どこにいこうと適量をよしとせねばならないのである。この時もできるだけ残すまいと、ビールと焼酎と日本酒を頼んで格闘したが、結局食べきることはできなかったのであった。ならば今後は適当な量で、かつさらにエコノミーな宿がわたしの分際のように思えてきたのだ。所詮わたしには孤独のグルメは縁遠い話なのであった。こうして酔っ払ったわたしはいつものように21時には床についていたのだった、、

この日の夕食、上からと横からImg_8625_640x480Img_8626_640x480