独歩の独り世界・旅世界

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インドネシアの旅 序章

 昨日バリ島から帰ってきました、ただいまです ! ! で、早速3週間のインドネシアの旅を書き始めたいのですが、どこかから何だ南の島ってバリ島だったのか!?といった声が聞こえてきそうな気がしたので(多分に蔑みの、しかしわたしがバリ島に3週間いたとしたら、その蔑みは正しい ! ! )、その前に今回の旅の概略を記しておこうかと思い、序章として旅の順序に従いその構成を述べておくことにしました。ただその内容とか構想は全く未定で、書き始めてみないとどうなるかは全く予測がついてません。例によってつまらないぐたぐだ文になるであろうことくらいしかわかってませんが、まぁ、それを承知でお付き合いいただければと、お願いしたい気持ちでおります。

 で、順序としては第一章がバリ島(今回の旅はDenpasarがin/outだったので)~ロンボク島~スンバワ島辺りまでの旅模様となります。第二章はフローレス島の話になると思います。そして第三章はスラウェシ島の話で、第四章がニューギニア島イリアンジャヤ、第五章が帰路日程調整で数日間いたバリ島の話になるかと思います。そんなことで今回は一万数千の島々からなる多民族国家インドネシアという国の、そのなかのたった六つの島を巡っただけでしたが、それぞれがたいへん個性的なところで、それぞれの島が一つ一つ独立して一つの世界をなしているというワンダーランドの旅はなかなか面白いものでした。が、いかんせんそれを伝える文才のなさを恨めしく思うばかりで、せめて数打ちゃあたるかと撮った下手な写真が少しでもそれをカバーしてくれればと思っているところです。

 では、そもそも何でインドネシアだったかもここで書いておきたいと思います。今回の旅のきっかけは、半年くらい前に遡るのか?よくある話ですが一冊の本がそのきっかけ・発想を導いてくれたのです。その本の題名は‘ヒトの進化700万年史’というもので、そこにとんでもない記事を発見したのが、そもそものきっかけでした。すでに旧聞となっていたのですが(つまりそのニュースが世界を席巻していた当時から15年もたっていた)遅まきながらインドネシアフローレス島で15年前くらいに発見されたホビット=ホモフロレシエンシスという人類(というかホモサピエンスの直前種とでもいうのか?)の進化史における、それこそ世紀の大発見があったことをはじめて知ったことがその発端だったのです。この物語がたいへん衝撃的で面白かったので、そしてその発見現場がまだ残されていることを知ったので、そのときすでにインドネシア行きは決定されたのでした。もちろんすぐに、ということではなく、いつかということで、、そうこうするうち半年は瞬く間に過ぎ(その間に老母の死があったりして、実はこれもスラウェシ島に少し関係してくる)前回旅の予告に書いた状況になり、1月半ばには航空券や宿の手配を終えていました。そんなわけでわたしの第一の目的地はインドネシアフローレス島でした。で、単にフローレス島に至るにはたぶんデンパサールからフローレス島の玄関口Labuhanbajo<ラブアンバジョー>まで飛行機で飛べばいい話だったのですが、それでは旅としては何の面白みはない、しかもこれも先の本で知ったことでしたが、バリ島とその隣のロンボク島の間に横たわるわずか20kmほど(もっとも狭いところで)のロンボク海峡は動物相をはっきり分断する有名なウォーレス線(これについては第一章で述べられると思います)が通っているところ、これはなんとしてでも船で渡ってみるしかないと思ったのでした。何しろインドネシアは島から島への旅ですからフェリーを使い、国営の船会社Pelni の船舶を使い、そして陸路はバスで、というのがわたしの旅なのですが、流石にニューギニア島には飛ぶしかなかった(船もあったが、数週間もかかる船旅は今回は無理だった)。ま、そのあたりも第四章で詳しくお伝えできるかと思います。そんなんで今回の旅はけっこう費用はかさんでしまいました。日本~バリ往復が4万数千円、それが同国内のMakassarマカッサル/スラウェシ~Jayapura、Wamena/ニューギニアの往復が3万5千円くらい、それにフェリー欠航にともない急遽飛ばざるをえなくなったりして、飛行機代だけで10万円くらいかかってしまった。また、物価も特に安くも感じられず他の移動費、宿代、飲食費等々がプラス10万円くらいかかっているので飛行機代入れたトータル費用は20万円といったところか?ともあれ以下にハイライト的な写真を数枚載せておきますので、興味がありましたら是非次回からの旅録のほうもよろしくです。なお今回の旅は珍しく‘地球の歩き方’を持参し、参考にさせてもらいました。こういう本の使い方として重要なことはあくまで参考にする、ということで頼ってはいけない、ということです。それをあてにしたり、しがみついていたらあなたの旅にならないからです、それでも全くの未知の地でけっこう役に立ったことは白状しておきます。以上が、まえがき=序章、でした、、

ハイライト写真;第一章バリ島~ロンボク島~スンバワ島から

Img_7162_640x480_2ロンボク島へのフェリー、バリ島の港Padangbai<パダンバイ>の浜から

ロンボク島の中心都市Mataram<マタラム>は大都会だったが、わたしが特に重視している市民の足としている馬車が走る(だから)素朴で素敵な街だった、、Img_7214_640x480_2

第二章フローレス

わたしが第一の目的地とした17,000年前までホモ・フロレアンンシスが住んでいたLiang Bua洞窟Img_7347_640x480

フローレス島Bajawa<バジャワ>の伝統集落Img_7471_640x480_2


第三章スラウェシ島

スラウェシ島TanaToraja<タナトラジャ>に残る伝統的な埋葬形態(岩窟墓)Img_7650_640x480

同じくTana Trajaに残る舟形家屋と集落Img_7687_640x480

第四章ニューギニア島<イリアンジャヤ>

未だに原始的な生活を営む人々の居住するWamena<ワメナ>近郊Baliem<バリエム>渓谷(実態は本文で)Img_7987_640x480Img_8041_640x480しかしこの写真はお金を払って撮らせてもらったものではない、、

第五章バリ島

最悪のバリ島も以下の写真はせめてもの救い、Kuta<クタ>海岸のsunsetとUbud<ウブド>郊外の田園地帯Img_8199_640x480Img_8244_640x480