独歩の独り世界・旅世界

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雨の四国旅 中断の話、、

 その朝も雨が降っていた。テレビの天気予報を確認したが、どこも、数日先も雨マークが並んでいた。よく眠れたが疲れはとれてなかった。それでもその日は前日より歩く距離も時間も半分くらいだったから、ま、何とかなるだろうと出かける支度をして、その日の宿は一応決めていたから予約のtelを入れておこうと思ったとき、逆にわたしのケータイが鳴ったのだった。登録してあった発信先を見たとき、もしや?と悪い予感がした。来る時が来たか?お呼びがかかったか?電話の相手は、3年ほど前から要介護度が増した老母を預かってもらっていた施設(老人ホーム)からだった。その辺の話はすでに書いたかと思うが、その朝の巡回で脈拍、血圧の数値が正常値をかなり下回っている、というような(正確には具体的に何がどうといってくれたが、よく覚えていない)連絡だった。要は状態が非常に良くないということで、危ない状態だと知らせてくれたのだ。わたしの母親は結局3年ほどそこにいたが、1年半ほど前から、主に肺炎ということで、その施設から3回ほど緊急入院で病院に運ばれ入退院を繰り返していたのだけれど、その都度医師からは高齢なのでもう退院することはないかもしれないといわれて、そのときからすでに覚悟というか心の準備はできてはいた。だが、その度ごとに数週間の入院で回復し施設に戻っていたのである。で、半年前の最後の退院のあとに施設の担当医、ケアマネさん、責任者の方との面談の時、今後の対応について話し合い、すでにほとんど会話も成り立たない寝たきり状態なので、もう無理な延命措置はとらず、自然死を待つ看取りという形での看護の方が本人のためではないか?と言われ、わたしもまだ意識のあるときに、本人の口からもういい、早く逝きたいと漏らしていたのを聞いていたから、それに95歳まで立派に生きてきたのだから、それに同意していた。だから、遅かれ早かれこの日が来ることはわかっていたのだった。

 ただ、その時わたしは四国にいたのだ。いや、これまでもそれを承知でタイまで出かけたりしていた(今年の6月)。もちろん予め危篤時の対策は練って出かけていた。わたしが調べた限りでは、早ければタイからなら次の日に帰国することが可能だった。また事後処理・葬儀等に関しては友人の葬儀屋さんに頼んであった。また施設の所長さんには、わたしが出かけている間に限って、危篤の場合数日間だけでも延命処置がとれるなら、そのようにしてほしいとお願いしてあった。そういう意味ではまだ四国でよかったともいえたのだ。が、施設の担当者の話しぶりでは、すでに逝ってしまったということでなく、それが今日あたりなのか明日なのか、まだ数日もちそうなのかは判断できなかった。その担当者は医師ではなかったからその辺は何とも言えなかったのだ。わかりました、できるだけ早く伺いますと伝え、礼をいって電話を切った。そのあと自宅に電話を入れ、ことの事情を伝え、今日中に戻るからできたら息子と一緒に施設にいってくれるよう頼んだ。そこまでし終えると少し動揺を覚えた、さて、ではまず、なにをすればいいのか?

 その時、その日の予定の宿にtelを入れる前だったのは、ま、せめてもの幸いであった、また、他に予約していたりするところはなかったから、問題は一つだけだった。どうやって帰るか?、しかしこれが案外厄介だったのである。そしていくつかの失敗を犯すことになった。その時帰りのticketは持っていて、幸いにこれも変更可能なticketだった(帰りのticketだけ、少し高かったが、こういうこともあろうかと変更可能なticketにしていた)。なので、まずすることとしては2日後の復路便を今日の便に変える手続きすることだった。その時は朝の7時過ぎだったが、まず、その航空会社(JS)にtelをいれてみた。が、tel受け付けは9時からとのテープが流れ、繋がらなかった。では、ネットで‥??、しかし前述のように、そのホテルではWiFiが繋がっていなかった。この時痛烈に悔やまれたのは、スマホを持ってなかったことだった。わたしはガラケー&iPadだったからWiFi環境のないところではお手上げだった。なら近くのマックまでいけばよかったか?まだチェックアウトタイムまでは時間があったし、それは可能だったのだが、そうしなかったことを後で悔やんだ(何を悔やんだかは後述)。もちろんその考えはあったのだが、それよりも気が急いていたというか、本来ならば少し落ち着いて冷静になるべきところ、どうすればいいか少々パニック状態だったといっていい。あとから思えばまったく理にかなわないことがわかるのだけれど、ともかく一刻でも早く帰るためには、少しでも飛行場に近くにいっておいたほうがいいだろう、まず高松にでよう、高松に着いた頃にはtelが繋がるはずだと思ってしまったのだ。そう思うと、もうじっとしておられず、すでに荷は整えてあったから、7時半前にはチェックアウトして、そのまま67番本山寺に向かったのであった。

 では、この時どうすべきだったか、なにを悔やんだかを結果論から少し振り返ってみる。つまり、できたであろう以下のことが、わたしの早計で逃してしまったのだ。1,は、もし冷静に対処していたら、マックなりのWiFiを使ってネットで予約の変更ができたはずだった。そうすれば少なくとも5000円ほどの損失は免れたかもしれなかった。これについては次回さらに詳細が語られると思う。2,もし1,で変更できたなら、この日の復路で搭乗できそうな便は一便しかなく、それは18:20発だったから、高松駅に15時ころの到着で十分に間にあったのだ。ならば高松駅および高松空港で合わせて7時間も無駄に過ごすことはなかったのである。つまり、当初の予定通り70番本山寺を打って、歩きで68番神恵院、69番観音寺まで行って、そこから宇多津まで電車を使って78番郷照寺を打っても十分間に合った、ということだった。但し、がつく、2,が可能だったとしても、それは雨の中の歩行である。また、相当疲れてもいたし、気持ちの上でも巡拝に専念する気持ちになれたかどうか?、もしかしたら、そんなわたしの状況を察しての天の采配だったのかもしれないと思わなかったわけでもない、この雨の中、疲れた身体に鞭打っていかなくてもいい、今回ここで打ち止めにする口実ができたことをありがたく思う気持ちがなかったわけでもないのである。なので、そのBHから歩いて5分のところにあった本山寺を打つと、前回ここを打った時もそうだったが、68番69番へは向かわず、そのままJR本山駅に直行したのであった。

70番本山寺;2枚、前に来た時となんか違うなと思ったら、ここの秀麗な五重塔が修復中だったImg_6977Img_6978奥が本堂、その右が大師堂

前回も本山駅で同じような写真をとっている。今回はほとんど降られていたのでこれ以降の写真はなし、、Img_6979


 しかし、上記の錯綜した想い(親の状況、飛行機の変更が可能か、選択ミスをしてしまったかもしれない、もう今日は歩かなくていいんだ、といった想い?)にとらわれながらも高松までの70分はわたしに十分な休息を与えてくれた。それほど疲れてもいたのだ。9時半ころ高松駅着、telできそうな適当な場所を探す。こちらの話が周りに届かない場所として選んだのはバスの降車場近くにあったベンチだった。そこからJSにtel、しかしこの時の対応並びに、この会社のポリシー?に相当に腹を立てる結果になった(JSはブラックではないか、というのが次回のタイトルになります)。それでも、わたしにいわせるとわけのわからない法外な差額を払うことによって、なんとかその日の座席は確保できたのだった。それからは大雨が降り続いていたから、ほとんど駅周辺から離れることもなく、駅近くのうどん屋を巡ったくらいで、無為に、いや、休息の時間を過ごしていた。早めのリムジンで空港に向かい、そこでも3時間ほど休息の時間となった。ほとんど定刻に飛行機は飛んで21:30自宅に戻った。早速、見舞った報告を聞くと応接に反応はなかったが、職員にアイスクリームを食べさせてもらっていたとのことで、ひとまずその日その時間から出向くには及ばなさそうだった。そして既報のようにわたしの母はそれから5日後に旅発ったのであった、、