独歩の独り世界・旅世界

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タイ・ラオスの旅 チェンマイ その2,ソンテオで市内巡り

 チェンマイ二日目、M氏はわたしをチェンマイ見物に連れ出してくれた。といってもいわゆる観光地巡りではない、それはわたしの方から初めに断ってあった、つまりタイの寺院巡りなんか興味ないからと‥、、ま、そんなところは彼は百も承知で、要はこれまで10年間断続的ながら住み慣れたチェンマイの生活圏を案内してくれるというものだった。そしてそのための移動手段としては主にソンテオを使うことになった。このソンテオについてはわたしはたいそう興味をもっていたのだ。当初それはフィリピンのジムニーのようなものでないかと想像していた。ジムニーの方はタイのソンテオより車体は一回り大きく、同じくそれ用につくられた後部座席に20人くらいは乗れたような記憶があった。そして決められた路線を走って、その路線途上ならどこでも乗り降りができ、しかも非常廉価だったように記憶していた。しかしソンテオの場合はそのシステムはまったく違っていた。一部同じようなシステムで運行されている区間もあると聞いたが、チェンマイ市内を流している赤いソンテオは、どうやらタクシーに近いもののようであった。その違いといえば乗り方は流しのソンテオをつかまえて、行き先を告げて料金交渉して了解されれば後部座席に乗り込むということになるのだが、タクシーとの違いは例えば先客があったとしてもその交渉が可能ということで、逆に自分が最初の客だったとしても同方向の客がいればどんどん乗せてしまうシステムだということを二度三度乗ることによって掴めたのだった。しかもチェンマイ中心部だったらその価格はだいたい一人20Bで、これは使い勝手があってしかも廉価な交通手段であることを知るのである。地図さえ持っていれば、それで行き先を示すだけでどこへでも行けそうだった。ただ場所によっては捉まえにくいところもあって、ただいつ来るかわからないソンテオをじっと待つより、大通りに出るとか、あるいは客の出入りの多い大きな建物のあるところに移動したほうが捉まえやすくなるといった知恵は自然と身についてくるようであった。

Img_6200ソンテオを見つけて交渉にいくM氏

 ソンテオで市内中心部にでる前に、彼はまず、宿の近辺を歩いて案内してくれた。それは前回少し紹介した第2候補のアパートメントホテルだったり、それまでに彼が宿泊したことのあるホテル、行きつけの床屋、行きつけの食堂といったところで、いずれもそこのオーナーや奥さん方と自分がいかに親しいかをわたしに見せんがためのようでもあった。実際、行く先々で彼は歓待されて、いつ戻ったのか、今回はいつまでいるんだといった会話を親し気に交わすのだが、その光景を見慣れてくると、どうも相手方が少し無理しているのがわかってくる、というのも彼は片言のタイ語を話すけれど、そういったより親しみのこもった会話になると、どうもそこまでのタイ語までは修得してないようで、いつの間にか日本語が混じってきて、支離滅裂になるのであった。それでも通じていないながらもお互いに親しみと懐かしさを分ちあっている、そこには信頼関係はできあがっていてタイ人の優しさみたいなものが伝わってきた。これは前から感じていたことだが、タイ人というのはなんとも心優しき人々であるということを、あらためてみる思いがした。ソンテオで市内にでてからは、それは旅行エージェントのおばさんだったり、タイ式マッサージのお姉さんだったり、コーヒー屋のお兄さんだったりした。みんな彼との再会で示す態度は同じであったのである。こうして、彼の旧知を訪ねながらのチェンマイ街歩きは、夜はいわゆるナイトマーケットで賑わう新市街の中心Le Meridien Hotelあたりから始まって、その前に建つRoyal Lanna Hotelのツアーデスクの知人を紹介され、近くの両替所で両替し - それが彼にとってもわたしにとってもその日の優先課題であった - そのあとは行きつけ?あるいは単なる知りあい?のマーサージやさんを訪ね、そこでも営業のトークで歓待されるのだけれど、それにしてもその界隈、いやチェンマイ全体といっていいか?、いわゆるタイ式マッサージ屋さんの多さには驚くというより辟易させられる(もちろん彼女は心優しい淑女だったが‥)。そこから近くのThe Imperial Mae Ping Hotel のロビーへ、そこは日本語の新聞が読めるところで、長期滞在日本人のたまり場だとかで、確かにそこで数人の宿泊客ではなさそうな日本人を目撃する。彼はしばらく新聞に目を通してから、コーヒーを飲みに行こうといって、少し歩いたところにあったタイでは有名な?コーヒー屋さんに連れていってくれた。Doi Changコーヒーというそこは日本人こそいなかったが、チェンマイに定住する欧米人のたまり場のようだった。そうこうするうちに昼近くになって、近くに食べ物屋はいくらでもあったが、彼の別件の用事のため、宿近くのショッピングコンプレックス、つまり今や世界中この手のショッピングセンターが増えているのだが、いってみればデパートのような大型ショッピングセンターまでソンテオで戻り、彼の用事を済まし、そこのフードコートでまた彼の知りあいを紹介され、そこでぶっかけご飯の昼食をご馳走になった。ま、その辺りまでほとんど彼はわたしに金を使わせなかったが、それでも彼にとってそれほどの負担にはなってなかったのではと勝手に思っている。せいぜいソンテオ代金を入れても300B~400B(1000円~1500円?)といったところではなかったか?、ただ、すでに両替をすましタイバーツを手にしていたので、この後は自分の分は自分で払うつもりになっていた、、

Img_6201新市街の中心に建つHotel Le MeridienImg_6203上のホテルから1ブロックのところにあった率がいいという両替屋、ここで両替する、、

心優しいマッサージ店の店長?
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Img_6205Hotel Imperial Mae Ping

Img_6208チェーン店のDoi Chaang CoffeeImg_6211宿近くのショッピングコンプレックスKad Suan Kaew

 その後どこでにいても午後の2~5時ころの間はだいたい昼寝していたことが多かったが、チェンマイに限らず、やはり午後はそうとうに暑かったのだ。その日はいったん宿に戻って、洗濯して午後は昼寝&片付け・整理の時間とした。その日の夜は昼のショッピングプラザKad Suan Kaewが歩いていける近さだったことと、そこのフードコートは夜フィリピンバンドが入るからとの彼の勧めもあったので、そこまで歩いて出かけ、何軒もある出店店舗の写真メニュウに目移りしながらも、おいしそうなものを自分の金で注文し、生ビールを飲みながら、ま、たいしてうまいバンドではなかったが、客層に合わせて自在な曲を選択してくれて、時に日本人を見かけるや日本の曲を奏でてくれる、何ともいわれぬ親近感を感じられるフィリピンバンドの演奏とともに、おいしくビールをいただいた。ここは冷房も聞いているので、近くの長期滞在者にとっては無聊を紛らすに格好の場のようであった。だからむしろ客層としては、地元の人というよりは、日本人らしい顔や長期滞在あるいは長期療養をしているといった欧米人の顔の方が多かった。そもそもこのショッピングセンター地下の食品・食材及び生鮮食料品のコーナーにはむしろ定住者と思われる欧米系の買い物客の姿の方が多く、店のほうも一部とはいえチェンマイの定住日本人やリタイアした欧米の中高年をターゲットとした高級スーパーといった趣きがあった。また、彼らにとっても必要欠くべからざる場として十分に存在価値があったようにも思われた。

Kad Suan Kaewのフードコートでは生ビールが飲めたImg_6212Img_6213食べてみたかった海鮮麺、これにもう一品ご飯ものを頼む

 さて三日目は、前日にチェンマイ中心部の地理を大まかなりにもつかんだのと、ソンテオの乗り方がわかったので、もう友人の手を煩わせることはしたくなかった。それでもM氏は、一応旧市街あたりを歩いてみるというわたしを、東西南北に四カ所ある入り口の一つ、東門にあたるターベー門Tha Pae Gateまでソンテオで送ってくれ(旧市街といっても)あまり面白くはないと思うけど、といってに宿の場所あたりをマーカーで記してチェンマイの地図を渡してくれた。ま、何時になるかわからないが夕方までには戻る、ソンテオで戻れるからと礼をいって別れた。いや、わたしはチェンマイといえば旧市街なのではないかと思っていたのだ。そこは堀に囲われた1.5㎢のエリアで、まったく記憶はないとはいえ、確か40年前に寄ったときに宿泊したのは、この旧市街だったはずだという思いだけで、その中心の通りRachadamnoen Rdを歩きだした。その堀の内、つまりいわゆる旧市街の探索は、2時間もあれば十分だった。そして確かに見どころは少なく、面白くないところだということを知ることになる。それでも、ま、どこへ行っても、面白かろうが面白くなかろうが、その中心あたりを探索・散策するのは旅の基本と思っているわたしは、寺はどうでもよかったのだけれど、その中の有名寺院を訪ねていた。というのも他にどこへ行けばいいかわからなかったからである。最初にあったのが、左側にワット パンオン、その道の突き当りがこの街で最も有名らしい寺ワット プラ シン Wat Phra Sing 、少し戻ってワット チェディ ルアン Wat Chedi Luang - この寺は見ごたえがあって絵になった - そこから北にいってワット チェン マン Wat Cheng Manといったところだが、ま、そんなところを訪ねてみないと旧市街巡りにならなかったからであった。お寺巡りをしなかったら、1時間くらいで隅から隅まで歩けてしまったと思う、が、もちろん昔の記憶は全く蘇らなかった。そして、新たな驚きとしては、この旧市街にはやたらとゲストハウスが多いということであった。特に東側、ターぺ門側の南北とターベー門を出た新市街の南側は軒並みといった感じであったのだ。ただ、今はやはりオフシーズンということで観光客の姿はちらほらでしかなかったが、12月以降、オンシーズンになるとこのゲストハウスも埋まってしまって、空いているところを見つけるのが難しくなるほどとのことだった。それにしても、前回記したように経済的側面から、この地にリタイア組が避寒を兼ねて訪れるというのはわかるにしても、それでもなお、なぜここが?というわたしの疑問は払拭することが難しかったのである。

ターベー門 ;2枚Img_6214Img_6215門近くにあった復元模型

最初に寄ったワット パンオンImg_6216

チェンマイのシンボル的寺院Wat Phra Sing ;2枚Img_6220Img_6227

ここはツーリストも多く入場に40B取られたWat Chediluang ;3枚Img_6229Img_6231このパゴダはちょっとミャンマー的で見ごたえのあるものだった
Img_6232

上のWat Chadiluang近くの通りの様子、黄色いソンテオが走っていたImg_6235

Wat Ciang Man ;2枚Img_6257Img_6256



 いったん堀の外へ出て、つまり新市街を堀に沿ってターベー門に向かい、そこを通り過ぎて左に折れてLoi Khro Rdをいってみた。その先にTAT(国営のインフォメーションオフィス)を地図で見つけたからだった。しばらく行くとその道が、前日彼に案内してもらって通った道であったことを知る、Le Meridien があってマックがあるところにでたからだ。さらに同じ道をいくと橋があったが前日はそこまで来ていなかった。そこにピン川 Ping Riverが流れていて、その辺りの景色はよかった。そこにかかっているiron bridge<鉄の橋>を渡ったところにTATはあった。そこで日本語で書かれた地図をもらい、いくつかの情報を仕入れた。その一つは最後に寄る予定だったカオ プラ ウィハーン遺跡 Khao Phra Wiharnは、オープンしているのか、ということで、日本語のできる若い男の子が、管轄外のとんでもなく遠い遺跡のことだったが、親切にネットで調べてくれて、毎日6:00~18:00で開いてるようです、と教えてくれた。そこからしばらく、その川沿いを北に向かって歩くと、のんびり釣りをしている人たちが何人かいた。一つ上流の大きな橋の袂まできて、振り返って川越しにチェンマイ中心部方面の写真を撮ったが、ここから見たチェンマイが、あるいはこの川沿いの感じが、わたしのチェンマイのベストポイントになった。ふたたび大通りにかかるそのNawarat Bridgeを渡ってチェンマイ中心部に戻り、ぶらぶらとその界隈を歩いてて、途中で見つけたフードコートで昼食をとって、前日のドイチャンコーヒーが近かったから、そこまでいってしばし休憩をとる。そこからはソンテオで、事前に教えてもらっていたチェンマイのバスターミナルアーケードArcadeまで行く。そこで次の日のチェンライ行きのバス情報を仕入れるためだったが、明日の朝は二等バスだと7:30か9:30しかないというので、9時半のticketを購入した。そのときわずかに英語が通じたのでいろいろ聞いてみて、VIPはもちろんエアコン付きで258B、一等エアコンが166B、二等エアコンが129Bとのことだったので、即決で129Bのバスに決めたのだった。そこから宿のある辺りまでは距離があったので、ソンテオのドライバーは50Bといってきた。ま、そんなものかとそこではいい値に従った。16時ころ、見覚えのあるところまで来たので、適当なところで停めてもらって、ビールを買って部屋に戻った。その時相棒氏はたぶんお休み中で起こさなかった。わたしもシャワーを浴びてビールを飲んでしばらく昼寝となった。最後だからと、それまでの借りを返すつもりでその夜はわたしに払わせてくれてといって、近くの食べ物屋にはいって、串焼をつまみに、ビールは置いてなかったのでいつものスーパーで買ってきて飲むのだが、ドクターストップの彼に飲ませるわけにもいかず、のん兵衛同士なら宴会になるところ、ささやかな食事て終わって、帰りに屋台の果物を買っても200Bを越えることがなかったので、十分な返礼をすることはできなかった。

旧市街を囲む堀の感じ ;2枚Img_6240Img_6255

Loi Khro Rdを行くと前日通ったLe Meridienの交差点にでたImg_6242この辺はソンテオがたくさん走っている

Ping Riverにかかるiron bridgeImg_6245Img_6246チェンマイのTAT

TATから川沿いの道を北に歩くImg_6248
Img_6249上の写真に見える橋のたもと辺りからピン川越しに新市街の高層ホテルを望む

同じ地点(その辺りがわたしのお気に入りの場所となった)からNawarat橋
Img_6250

上の橋を渡ると新市街の入り口、ゲートが見えているImg_6251

Img_6199この写真は前日に撮ったものだが、この店のこの串焼きを食べながら最後の晩餐??


 6月の21日の朝、朝はラッシュで込み合うから早めに行った方が確実というので、7時半には宿のおばさんに礼をいって別れを告げ、ソンテオを捉まえるまで彼は一緒にきてくれて、わたしを送ってくれたのだった。が、そのソンテオはやはり50Bといわれたが、よく道を知っているドライバーだったので20分でターミナルについてしまった。なので、ターミナルで1時間半ほど待つことになったが、ほとんど満席に近い二等バスは、わたし以外にも数人の欧米人ツーリスト乗せて定刻通り9時半にチェンマイをあとにしたのだった、、

チェンマイ アーケードバスターミナル;2枚Img_6264Img_6260