独歩の独り世界・旅世界

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5回目の区切りうち遍路 その6, 23番薬王寺で打ち止め、、

 三日目に帰りのバスの日取りを繰り上げた時点でも、これまで記してきたように、実は23番薬王寺は想定外であった。そのときの予定では、最終日に22番平等寺を打って、そこから阿南に向かうつもりであったが、すでにその最終日の朝の時点で22番は打ち終わっていた。バスはその夜20:50に阿南からであった。ということは必然的に23番まではいかざるを得なくなった?、というか結果的にそれしか残された有効な時間消費は考えられなかったのだった。それは必ずしも喜ばしい結果だったわけではなく、というのは、このところ流行<ハヤリ>言葉になってしまったsekoi(わたしもたぶんにセコイところのある人間であると自認している)考えではあったが、この22番~23番も非常に距離が長かったから、おそらく次回で完結(結願)されるであろう最後の区切りうちの際に、23番は駅にも近かったから公共交通機関を使って巡拝しようかと思っていたからであった。ま、そうはいってもこの際歩くしかなくなって距離20km、時間にして6時間なら、朝から歩けば、それでもけっこう早く着いて、おそらく時間を持て余してしまうであろうことも明らかだった。それを承知で‘山茶花’を発ったのはちょうど7時ころだった。

山茶花は本当に平等寺の隣にあって、この写真の右端写っているImg_3164_640x480


 その朝、ゆっくり眠れて5時には目を覚ましていたと思う。トイレに行くときに自分の靴がないことに気がついた。もしかして、と思ってると確かにトイレの前にあった靴乾燥機に、一応防水表示のある靴だったが昨日の雨でビショビショになってしまったわたしの靴がすっかり乾いた状態でかかっていたのを見る。こういう気配りには滅多にお目にかかれるものではない、もう、嬉しくなってしまうのだった。そのあとの朝食もこれ以上はないだろうという贅沢なもので、まことにおいしく、ご飯を軽く2杯をいただいてしまうのだった。そしてよく気のつく若女将さんに礼をいって出発しようとしたとき、昨日の午後以来少しづつ話すようになっていたO氏もほとんど同時だったので、ご一緒させていただく、、いや、それというのも前日の夕食時の話から、この方がとんでもない方とわかったからである。<以下の記述は聞き違い、記憶間違いがあるかもしれない、ま、ご当人はこんなブログは見ないだろうけど、その際はお許し願うとして>年齢は不明(わたしより少し上か?)東京の人で、帰りのバスが一緒のようなことをいっていたが、すでにこの方は十数年前から四国を回っていて、数十回の順拝を経験している大ベテラン、大先達だったのである。それでいて決してそれを吹聴するでもなかったのは、なんとこの方はプロだったのである。最初はもちろん素人で回っていたようたが、なんかのきっかけでプロ(僧侶)になる道をすすむ、といっても真言宗はそれまでの仕事と兼業ができたとのことで、今でも僧侶でありながら寺に勤めず、何かお仕事をされているといっていた。それで僧侶として檀家さんをつれて何回も四国を回られていたとのことだった(その場合は歩きでなく)。で、今回は何回目かの一人歩き遍路をされているということだったが、そういわれれば、白衣でなく作務衣だったし、菅笠も普通の人のものと違っており、納経帖も持ってないとのことだった。その代わり、これはいわれてみればその通りと思われたが、礼拝の仕方がまったく違うとのこと、われわれが本で教えられたやり方をみよう見真似でやっているような礼拝の仕方では、もし願いがあったとしても絶対届きやしないと、きつくいわれたことが身に沁みた。そうだろうなあ、とは思ったが、ではどのように、とまでは聞かなかった。それを知るにはやはりプロと同行して(プロに引率された団体お遍路さんをよく見かけるが、このO氏のお寺さんが主催するお遍路はあんなもんではない、ともいっていた)きちんと指導を仰ぐのが本筋なことは、ま、頭ではわかっていたからだ。その朝もそんな話を聞きながら、昨日以来足が速いのもわかっていたから、必死でこの先達についていったのだった。

一緒に歩いた区間に月夜御水庵というところがあって、そこで一枚撮らせていただいた、、Img_3166_640x480


 そのO氏も今回は23番までの区切り打ちとのことで、しかも帰りはたぶん徳島からバスに乗ることになるだろうといっていたのだ。やはり知り合いも多いようで、23番薬王寺を打ったら徳島まで出て知り合いと会う約束になっているような話だった。ということで薬王寺までは同行二人で、行こうと思えば行けたのだけれど、わたしは氏は本来ならば自分のペースで歩きたいのではないかと思って、平等寺から車のほとんど通らない舗道を1時間半休まず歩いて、やっと辿り着いたお遍路さんのための休憩所で、どちらの道を行きますかと聞いてみたのだった。実は薬王寺までの遍路道は二通りあって、山側を行く道と海側を行く道があった。で、昨晩の同宿のほとんどの方はやはり薬王寺までの予定だったが、距離が少し長いにもかかわらず、街中を通ったり海辺を通る道のほうが変化があって面白いだろうからとそちらを行くという人が多かった。わたしは彼らの意向を聞く以前から、少しでも距離が短いほうがいいと思っていたので、迷わず山側の道(といっても山道ではなかったが)に決めていた。先達O氏はやはり海側を行くとのことだったので、一旦そこでお別れすることにした。で、そのときに名刺代わりの納め札交換をしてこの先達のお名前を知ることになったのだが、ま、多少の距離差はあっても、2.5kmくらいだったから、氏の脚力なら同じ頃につくでしょう、それでなくとも、そのとき氏が教えてくれた風呂が薬王寺のそばにあるとのことだったから、そこで会いましょうといって、その休憩所から5分ほどいった所でそれぞれの道に別れたのだった。

 その山側の道は、国道55号線だったから、大型のトラックをはじめ交通量は多かった。ところがその道もわずか数分いった所に、日和佐道路という有料道路との分岐があって、ほとんどの車は自動車専用道を行ったから、そこからは国道といえど交通量は極端に少なくなった。それでも幹道である。しかも山の中を走っていたから、人家はほとんどなく風景もいまいちで確かに面白みのない道であった。自動車道だからアップダウンはそれほどなかったが、トンネルがいくつかあった。車も人ともほとんど出会わず、最初のトンネル(星越トンネル)を抜けたあたりからは、四国電力の保線作業員の人たちのほかに出会う人もなかった。その間のコースタイムは、山茶花発が7:00で最初の休憩所まで6kmを1時間半、15分の休憩後、最初のトンネルを越えて降ったあたりまで4km,1時間かかって、そこで10,分休憩、またトンネルを一つ抜け、最後の一ノ坂トンネル手前まで4.7kmに1時間5分かかって11時ころ、適当な休憩場所はなかったが、トンネルの手前で休みを入れる。この辺までで相当ばてて、そこからは次の休憩場所として地図にあったドライブイン海賊船に定める。地図からはそこまでの距離はつかめなかったが、3km弱だったか?11:40にそこに着いた。開いてるかどうかわからないドライブインだったが、ありがたいことにその傍らに遍路用の休憩所があってトイレもあった。そこでトイレを借り少しの休憩。その次の目標地点は、薬王寺手前のローソンだった。そこから2km弱だったか、ローソン着12:15で、冷たいコーヒーをもらってしばしの休憩、持っていた予備の非常食で昼食代わりとする。そこから薬王寺までは歩いて10分、薬王寺着は12:45だった。やはり20km、休憩も入れて6時間弱は、きつい行程であった。

交通量の全くない山側の国道を行く;4枚Img_3167_640x480Img_3168_640x480二つ目のトンネル久望トンネルの手前で、一枚はトンネル方向、次が逆方向、、
Img_3169_640x480三つ目のトンネル一の坂トンネルの手前、ここで休む

Img_3170_640x480トンネルから1kmくらいいったところにこんなお休みどころがあった、、

やっと到着した23番薬王寺の門前、仁王門の右にある建物がもしかしたら宿坊だったのかも?この写真の左手に駐車場があって薬王寺温泉があった、、Img_3183_640x480


 薬王寺境内は、けっこう高いところにあったので石段をさらに登らなければならなかった。が、そこからの日和佐の街並み、その向こうに広がる日和佐湾の眺めが疲れれた身体を癒してくれた。ほとんど参詣客のいない境内を、今回はこれで打ち止め、一応ここまで歩き通したという安堵感と満足感でお礼参りという意味もこめて参拝させてもらった。もちろん大師堂では、お礼と打ち止めの報告もさせてもらった。それから時間もたっぷりあったので、更に高いところに瑜祇塔という比較的新しそうな塔が建っていたので、せっかくだからそこも訪れてみた。更に眼下の眺めが素晴らしく、また100円の入場料がかかったが、その塔の戒壇めぐりと併設されていた資料館の展示物はいずれも素晴らしく、滅多にこういうところに入らないわたしには、かなりの充実感があった。わたしの他にお遍路さんも観光客もいなかったのがよかったのかもしれなかった、、そこの係りの女性にお風呂のことを聞いてみる。下まで降りると駐車場があって、その脇にあるとのことだった。ゆっくりと降って、途中の納経所でご朱印をいただき、さて、一風呂浴びれたら、もういうことないだろうとその薬王寺温泉を探した。それはすぐに見つかり、中に入るとまだ新しい建物のようで、初日にお接待を受けた神山温泉に負けない最新の温泉施設であった。疲れきって脱衣所でもたもたしていると、早くもO氏がやってきた。やはりそれほど変わらない到着であった。それどころか、風呂を上がったのは氏のほうが早かった。併設されていたレストランで昼食をとるということだったので、後からわたしもそこにお邪魔した。酒を飲まないことは前々日から知っていたので、わたしだけビール(と、そばを頼んだ)をいただく。おそらく、これほどうまい具合にほしいものが整っているところというのも珍しいのではないか、というような話をした。つまり、ちょうど打ち止めとした札所の近くに、いい塩梅に温泉施設があって、しかも食事までできるところということをいっているのだが、そういう意味ではこの23番薬王寺は、区切り打ちの場合、ここで打ち止めする人も多いであろうということは容易に想像できた。われわれもそうだったように、ここで徳島県が終わり(一国打ちの場合でも)、この先は3日歩かないと土佐の室戸岬に着かないのだから、ここはまさに区切りの場であったのだ。そうするとこの温泉施設を利用する人も確かに多いかもしれないと思われたのだった。そんな話をしながら、一通りの予定を終えた満足感に浸れた至福の一時であった。そして、これから徳島にでるというO氏にご指導いただいた礼をいってお見送りした。わたしは時間潰しもかねてもう少しそこにいて、15時をしばらく過ぎてからそこを出た。

薬王寺;5枚Img_3171_640x480仁王門Img_3177_640x480仁王門を入って長い石段を登ったところからの眺めImg_3176_640x480本堂とその右手奥に瑜祇塔Img_3175_640x480大師堂Img_3181_640x480瑜祇塔からの眺め、よく見るとお城があるのがわかる

資料館の展示物;2枚Img_3178_640x480Img_3180_640x480

駐車場の一角にあった薬王寺温泉Img_3182_640x480


 それでも早すぎることはわかっていた。JR牟岐線の時刻も調べてあって、阿南を拠点に逆算しても一時間に一本くらいは電車?はあって、18時台か19時台のそれで間に合ったのだけれど、どうやっても日和佐の街をぶらついてもそんなに時間は潰せそうになかった。ならばもしかしたら阿南にいってしまったほうが、時間を潰せる店 - 理想は一杯飲み屋だったが - があるかもしれないと考えて、そうすると次の電車16:23あたりがいいのではないか(そのあとは18時台までなかった)、そして一時間くらいは日和佐の街もぶらついてみたいと思って歩きだしたのだった。まず目指したのは、薬王寺の上から見えていた日和佐湾に浮かぶ小島?で、そこまでは行ってみようと思った。人通りの少ない道を行って橋を渡ると、そこから右手がずっと船着き場になっていて、それに沿って10分くらいで薬王寺からだと20分くらいでそこに着いた。そこは大浜海岸といってウミガメの産卵で有名なところだと後で知った。釣りをしていた地元のおっさんに、あの島へは渡れるのかと聞いてみたら、その手前まで延びている堤までとのことだった。つまり祠のあるその島へは渡れそうもなかったので、そこで写真を撮って引き返した。先ほどの橋まで戻って、そこからは来た時とは別の道を駅に向かう。そのときは左手が港だった。で、駅が見えだしたときに初めて、その港の入り江の向こうの山の上にお城があるのを知ったのだった。少し遅すぎたようだ、もしかしたら薬王寺からも見えていたのかもしれないが、全然気づかずにいた。初めから知っていたらあるいはそこを目指したかもしれなかった。というのも、そこからの眺めはおそらく素晴らしいであろうことが想像できたからであった。いや、電車を一本遅らせれば、その時からでもいけたかもしれなかった。しかし、あまりにも疲れすぎていて、その気にはなれなかったのだ。歩いたとして3~40分はかかるだろうと見込まれたが(実際は知らない)、その力(気力・体力)は残っていなかったのだった、、

橋を渡って右側が漁港?船着場になっていた;2枚(右奥が橋で、埠頭沿いの道を来る)Img_3187_640x480Img_3185_640x480

突き当たると浜があって、小島の近くまではいけるとのことだった、、Img_3184_640x480

戻って駅近くの漁港、そこではじめてお城の存在を知る、、Img_3188_640x480

日和佐の駅は立派だったが無人駅だった、、;2枚Img_3189_640x480Img_3190_640x480日和佐駅跨線橋からすぐ下が道の駅日和佐、奥に薬王寺の瑜祇塔が見えている


 ま、最後の気力を振り絞って行ってみる価値はあったかもしれないと、バス待ちの時間を持て余していたときには思っていた。早、17:05には阿南についてしまって、まずバス乗り場を確認して、それから30分くらい駅前をぶらついて適当なお店を探してみた。それほど大きくない商店街が、駅周辺の不規則な通りにあって、どうやらお目当てのいっぱい飲み屋さんもみつけていた。いや、その数は思っていた以上に多く、どこが安そうか迷うほどだった。で、もちろんその時間はすでにどの店も開いていたから、最も安そうに見えたところに入ってもよかったが、さすがにその時間から3時間も粘れる自信がなかったから、いったんバスの発着所になっていた商工会のビルの1Fの待合室のようなところに戻って暗くなるのを待った。この時はすでに薬王寺温泉で一杯やっていたから、それほど喉の渇きはなく空腹感もなかった。18時を回ったあたりで目星をつけた店に行ってみた。目星は図星で、家族経営のその店は良心的な価格だったからか、わたしが入ったときはまだ二組くらいのお客さんだけだったが、後からどんどん地元の人?常連さんがやってきて、コの字型のカウンターはすぐにいっぱいになった。それがみんな男性二人か、男女のカップルで陽気に飲んでいるので、一人ぽつねんと居座ってるのが、なんとなく居心地悪くなってくる。それでも1時間半は粘ったか、おいしい魚類を何品か頼んでビール2本飲んで、ご飯も頂いて2500円くらいだったから良心的な店だったと思う。繁盛していて不思議はなかった、、そん感じだったから、そのあと小一時間は、それこそ一人ぽつねんとバスの待合所で時を過ごすことになった。そのドリーム徳島号に阿南から乗車したのはわたし一人だったからだ。20:50発のバスは21:50ころに徳島駅に着き、多くの乗客が乗ってきたが、わたしのいた1Fの安い席から乗降客はほとんど死角になって、O氏も乗られたのかどうかはわからなかった。ありがたいことにその安い席には、帰りも相客(隣席)がおらず、もちろん十分な睡眠はとれなかったが、比較的ゆっくり過ごすことができた。予定より早く新宿着が6:00、東京駅に6:30、終着新木場は6:50で(いずれも予定時刻より一時間も早かった)、ここで降りたのもわたし一人だった。京葉線経由で自宅着は7:50になった。今回かかった経費についてトータル金額だけ記すと、5泊7日(2泊はバス泊)実質は5泊5日だったが5万円弱で、ま、交通費を入れて一日当たり1万円(交通費を除くと8千円弱)は、宿に寝泊まりする場合は仕方のないところではないだろうか‥??

車窓から、田井ノ浜付近?海側の道はこの辺を通るので、やはりこちらの道のほうがよかったかもしれない??Img_3193_640x480

面白いつくりの阿南駅Img_3194_640x480

駅そばの商工会議所ビルとその駐車場に停車中のJRバス<ドリーム徳島号>Img_3196_640x480

<了>