独歩の独り世界・旅世界

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久しぶりの山歩き、、新倉山(さくらと富士山と五重塔)~霜山、岩殿山

 出かけたのは昨日、4月の9日。わたしの家の近くの公園のさくらも散り始め、それではと、今が盛り、つまり少し寒く?あるいは高いところのさくらを求めて、近頃の運動不足解消のためにほんとに久々に家をでた。お出かけは、4ヶ月ぶりのことだった。

 今回は、ありがたいことに相棒がいた。近頃知り合った友人?、正確にいうとこういういい方が正しいかと思うが、最近知り合うことになったN氏と、話の流れで人生50年の間山歩きというものをしたことがないという彼の希望をかなえる形で実現したのが今回の山歩きだったのだが、それによって間柄が知人から友人に昇格した?50代のおじさんと一緒だった。いろんな意味でタイミングが良かったのだが、ちょうどさくらの季節を迎え、少し歩きたくなるような気候になったこと、そして、彼は山歩き初心者だったことが、逆に近頃めっきり衰えてきているわたしの体力で歩けそうな山なら、初めての山歩きにはちょうどいいのではないかと思われたことだった。だから‘久しぶりの山歩き’と題したその山で、一般に知られている山は一つもなかった。かつてわたしも1000m以下の山なんて、山とは思っていなかった時期もあったが、今回はそういう低山の軽い山歩きであった。因みに標高を記しておくと、新倉山1180m、霜山1302m、岩殿山634m、このなかで名前を知られている山は岩殿山くらいで、おそらく地元の人でなければそれはいったいどこにあるのか、山好きの人にも知られていないマイナーな山ばかりであった。しかし、今回の山歩きのテーマをいえばすぐにおおよその場所は見当がつくかと思われるが、そのテーマは’富士山とさくら’で、もちろんそのルートの選定はわたしがした。そして結論からいうと、さくらは少し早すぎ、富士山は青空がなく、背景の白いうす雲と五合目あたりまでの冠雪の白とが一体化してしまって、いずれもいまいちであったが、山歩きそのものは、気候よく快適なものだった。その模様を以下に‥、、

 上のヒントで明らかになったと思われるが、目的地は河口湖方面だったので、以前よく利用したことのあった千葉発のあずさ3号<6:38発>で、まず向かったのは大月だった。この特急は使い勝手が良かったので、前にも千葉発が一日一本しかないのは惜しいと書いた記憶があったが、久しぶりに乗って驚かされたことが少なからずあった。ひとつは、わたしはほとんど指定席というものを利用しないから、最初から自由席(1340円)の購入だったが、今回窓口に出向いたら(どうも週末切符も以前とは少し違っているようだったので)、数日前に指定席は完売しているといわれたことだった。で、15分くらい前には自由席の乗車口の前に並んだのだけれど、すでに数人が列をなしていた。そして始発の千葉ですでに8~9割の乗車率、友人N氏が乗り込んできた船橋ではほとんど100%席は埋まってしまったことだった。もちろん土・日だったこともあろうが、それならば土・日の臨時列車の増発があっても採算は取れるのではないか、要は千葉発中央線直通の特急がもう少しあってもいいのではないか、と今回も思ったのだった。大月到着は5分遅れて、接続電車が待っていてくれてあわただしい乗り換えとなった。そして大月駅でも耳にしていたが、次の驚きは、今ではJRの大月駅でも富士急の電車アナウンスでも、テープではなく駅員及び車掌さんが英語でアナウンスしていることであった。それでよく見れば、富士急線の乗客は大半が外国人ではないか ! !、、これまでも数年のブランクがあったときはあったが、近年のこの変わりようは‥!?、そしてちょっと耳にはさんだことがあったが、この日最初に目指したところは、どうやらその外国人によって注目を浴びだしたところのようなのであった。その場所とは富士吉田(今はこの駅名が‘富士山’駅に変わってしまったらしい、これは改悪に思われた)の二つ手前の下吉田、新倉山浅間公園というところで、さくらと富士山と五重塔(忠霊塔)がぴったりと決まった写真を見たことがある方も多いと思われるが、わたしもそこへ一度いってみたかったのだ。だから、今回の相棒N氏の出現は、わたしにとってもタイムリーで、また彼の初陣にももってこいの場所に思われた。彼は、わたしからすると信じられないくらい勤勉・真面目なサラリーマンで、聞くところによるとほとんど毎日どこにも寄らず会社と自宅の往復で、人生の大半が過ぎてしまったという、ま、奇特な?人だった。こういう人は煽ったりせずにそのまま静かな人生を送らせたほうがいいのかもしれないが、(彼との出会いについてはさておいて)ひょんなことから、彼の少ない趣味のひとつに東京タワーの階段を歩いて上り下りすること、といったから、山登りのトレーニングなのかと聞いてみたら山にはいったことはないという話だったので、この人を一度山に連れて行かなければと思ったのだった。で、歩いてみる気はないかと聞いてみたら、連れてってくれるのなら是非と話がまとまったのは一週間前のことだった。ま、それが今回の山歩きの真のきっかけだったわけだが、それならと浮上したのが、タイミング的にさくらと富士と山歩きがセットになるこの地で、季節的にも場所的にもこんなにぴったりのところは他にはなさそうに思われたのであった。

 千葉~大月は特急だと乗り換えなしで2時間弱、そして大月~下吉田が45分、9:20の到着だった。富士急沿線の各駅のさくらは、満開でどこも見事で、それがバックに富士山を背景としてぴったり絵になっていた。どうやらこれを愛でるのは日本人ばかりではないようで、その電車の乗客の大半は、先述の通り外国人であった。むしろ下吉田では外国人のほうが多いくらい?それというのもここの知名度は、日本人より外国人の間で知られているようで、日本のさくら名所案内に、その地名が見られないほうが多いくらいだった。そういう意味では日本人にとってはまだ穴場的地位で、これも面白い現象の一つと思われた。だからか、ちょうど4/9~4/17まで富士吉田市主催の‘さくら祭り’が始まったばかりとのことで、大勢の職員が動員されて、その準備に追われていた。すでに会場までの幟が設置されていて、それに沿って浅間公園に、下の入り口までは10分くらい?、その鳥居付近のさくらは満開だったが、上はまだ2~3分咲きですとの職員の説明があった。それほど温度差、高低差があるのか、そこから397段の階段を登ったところにある五重塔(忠霊塔)付近は大勢の人で溢れていたが、確かに満開には程遠かった。それでも富士山をバックにした五重塔は確かに絵になるところではあったし、そこまで駅からでも20分、誰でもいけるお花見スポットであることは間違いなかった。

(そのときの写真を載せておきますが、おそらく、次の土・日が見ごろと思われます。だから相当の混雑が予想されますが、まだ、間にあいます、別に宣伝しなければならないいわれないのですが、是非いい写真を撮ってきていただきたいと思うが故です、、)

002_640x427下吉田の手前の三つ峠駅から、さくらも富士もいい具合、、

003_640x427車窓からの富士がもっとも美しいところとの車内アナウンスあり、、


005_640x427下吉田駅、駅舎の上あたりに建物が見えていて、そこが忠霊塔のあるところ、、


006_640x427公園の入り口、下は満開だった、、

階段を一登りした中間点あたり?;2枚
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五重塔(忠霊塔)014_640x427_2


五重塔の後ろに設えた展望デッキから、最初の二枚は、五重塔を右において、次の二枚が左において(さくらが少し早すぎ、富士山がいまひとつくっきりしてない)、、015_640x427016_427x640

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 さて、そういう意味ではここからが今回のわれわれの真の目的・行動となった。山歩き開始が10:15、ほとんどの人は、ま、400段の階段を登った忠霊塔で写真を撮って目的のひとつは達成し、そのあと別のところへお出かけとなるのだろうが、われわれもまた続きがあって、われわれはその階段を下りなかったのである。つまりそこからは山道が続いていて、それを登りだす。もっとも山歩きを楽しんでいる人も結構あって、下山してくる人に何人も会う。初心者にはそれほど厳しくない登りで、あやめ群生地(5~6月?)とか、ゴンゴン石といった休憩スポットもいい間合いであって、ちょうど20分くらい登ったゴンゴン石で一息入れる。相当汗をかいたが、全然大丈夫ということで更に上を目指す。20分くらいの一登りで、新倉山山頂<1180m>、高さはそれほど変わらなかったが少しいった御殿のほうが見晴らしが利くとのことで、そこまでさらに5分、そこには先着の人が5~6組いて、見晴らしを楽しんだり早くもお弁当を広げている人たちがいた。そこはまで忠霊塔から4~50分、このあたりまでなら誰もが来られるところに思えた。もちろん富士山の眺めも良かった。が、ここまでくるともう、さくらは見られなかった。しかし、一般の人が来られるのはこの辺までだったようだ。われわれは小休止のあと、標識にあった三つ峠方面の道を行く、、いきなり急坂の降り、かなり危険ヶ所でロープが張ってあった。ここは初心者にはきついところ、あまり張られたロープに頼ることは勧められないのだが、その張り具合を確かめて、ロープに完全に身体を預けることはしないよう、バランスを保ちながら慎重に降るようにいって、わたしのあとについてこさせた。その難所を通過すると楽な道になって15分で分岐、左がそのまま浅間公園に降っていく道、右が三つ峠から河口湖に降っている尾根道に至る登り道だった。御殿からこちらは、全く人に出会うことがなくなった。

展望台デッキを登ると東屋があって、そこで支度を調え出発021_640x427022_640x427最初の休憩地点、ゴンゴン石023_640x427新倉山山頂の標識があったが、見晴らし悪く先まで行く、、

025_640x427その先の御殿は、ゆっくり休憩できるところだった。この写真の後ろに見えているのが河口湖~三つ峠の尾根

027_640x427少し降ってから楽な尾根道を行く、、

 その分岐は、一山降った鞍部?で、そこから尾根道に至る登りは地図はもってなかったが相当の厳しさが見込まれた。が、高々200mくらいの登り、予想通り30分で登りきったが、その危険度は予期せぬものであった。というのは、距離はたいしたことなかったが、半分以上がざらざらで取っ掛かりはなく、同様のロープが張られていて、それを頼るしかなかったのだった。これは初心者コースではなかった。わたしも久しぶりに必死になって、四つんばいになって、ロープを頼って登らざるをえなかった。その道を先行するグループがあった。最後尾にたぶんガイドのリーダーがいて、若かったが山のベテランであることはその格好と身のこなし方ですぐにわかった。その数メートル先を行く集団を見てびっくり、なんと女性(70代?)を含む高齢者のグループだったからだ。わたしよりも数年、相棒のN氏からすれば十数年も年配の方たちであった。そんな人たちが、この厳しい道を登っていた。そのリーター氏がわれわれを見て道を譲るよう指示をだし、われわれが先行することになったが、われわれとしても気持ちが引き締まる思いであった。N氏もそんな大先輩たちに負けてられないと思ってくれたか、そのあと必死の頑張りを見せてくれて、この難所を乗り切ってくれた。お昼近く前に尾根道に出て、見晴らしのいいところで昼食休憩とした(そのすぐ下の平らなところが霜山1302mだったことをあとから知る、だから霜山の頂上は踏まなかった)。ま、初めての本格的な山歩きで、相当疲れがあったと思われるが、このあとは降るだけと聞いてN氏もほっとしたようだった。

029_640x427ざらざらの難所を登り切ったところに、小さな道しるべがあった。

そのあたり(1300m)からの見晴らしは悪くなかったが富士山は雲に隠れかかっていた。028_640x427_2


 その尾根道は、右に登っていくと三つ峠にいたり、左の道が河口湖へと降っていく道だった。そういう意味では、いわばメインロードだったから、その降りになんら問題となるところもなく、むしろ楽しい尾根歩きとなった。途中からは右手に河口湖を見下ろし、N氏は30年ぶりの河口湖を、しかも山上から見るなどとは思ってもいなかったと喜んでくれたが、わたしはこの道を確か10年位前に降ったはずなのだが、すっかりその記憶が失せていたのだった。霜山から20分くらい降ると車道を横切る、そこから少しいって、少し登ると天上山という小さなピークになっていた。そこは河口湖から出ているロープウエーに乗って、その着いたところがカチカチ山という展望台になっていて、そこから更に10分?ほど登ったところのピークで、そこまで来るともう観光客のエリアで、多くの外国人の姿がそこにあった。われわれは更に5分ほど降った、そのカチカチ山というロープウェー駅の展望台でトイレ休憩をとったが、そこにはもう若い観光客がわんさかといて、そのほとんどがアジア系の若者だった。われわれは、もちろんロープウェーなんか使わずに歩いて降るのだが、標識には富士急河口湖駅まで40分とあった。その道を降っていく若者も皆無に等しかった。その道はそれまでの楽な尾根道とは趣を異にし、かなり急な降りだったが、それでも40分はかからず、14時には河口湖駅に着いていたと思う。しかし、この道を登るとしたら結構しんどい道で、おそらく一時間以上はかかりそうだった。そんな道を観光客が歩きで登るはずはなく、まして往復ticketを買い求めているであろうから降る人もいなかったわけだ。それにしてもかつては日本人の観光名所だったところが、今や外国の若者たちの観光地になってしまっているこの様変わりには戸惑うばかりであった。そこまでの歩行時間を振り返るとだいたい次のようだった。下吉田→霜山はほとんど登りで2時間、霜山→河口湖は逆にほとんどが降りで1時間半、といったところか?、、ま、久しぶりであったが、快適な山歩きといえた、、もっとも、初心者のN氏はどうだったか?、それでもほとんど疲れをみせずについてきたのだから、日ごろの東京タワーの上り下りが功を奏したのかもしれなかった、、

030_640x42720分くらい降ると車道横切る、、033_640x427さらに楽な道を行き少し登ると天上山というピークがあった、、

036_640x427天上山を5分降ると、カチカチ山展望台?

 河口湖駅付近で休憩を兼ねてそばでも食おう、ということになったが、ここもほとんど外国人の姿ばかりで店構えもそれようになっていた。渋くて良さそうな店は見つけられず(探せばあったのだろうが)土産物屋の二階では、うまいそばは食べられるわけがなかった。さて、そこで今回の山歩きは終わりではなかった。またまた富士急に乗って大月まででることにしていた。河口湖駅の混雑振りも半端ではなく、英語でアナウンスする女性の駅員の姿に、あらためて感慨を覚え、乗り込んだ電車はなるほど外国人のほうが多いのであった。大月までの小一時間は、そばを食べながら飲んだ日本酒がきいてほとんど眠ってしまっていた。大月着が16時半、これまで大月は車でも電車でも何度も通っていたが、いつも素通りで、一度も寄ったことのなかった岩殿山にいってみることにしていた。大月駅付近からいつもその奇岩の山を目にしており、そこが城址だということも知ってはいたが、なかなか訪れる機会がなかったのだ。が、ちょうどここでもさくら祭りが行われていることを知り、素通りするわけにはいかなくなったのだった。駅から歩いて30分、桂川を渡ると公園(岩殿山丸山公園?)に.続く階段があってそこを登っていく。その入り口付近から満開のさくらが見えだし、眼下に大月の市街、そして遠くに富士の姿がバランスよく配置されている構図はまさに絵画的だったのだが、少し夕暮れが近かったのと富士山のシルエットが背景のうす曇と一体化してしまっていたため、いまいち、まことに惜しい(悔しい)風景になっていた。が、そこのさくらはちょうど満開、見事なもので、その割りに観光客の姿が少なかったのが印象を更によくした。わたしは調子に乗って岩殿山の頂上を目指す。満開のさくらが咲き誇っていた郷土資料館?のある一帯が444mで、岩殿山山頂の城址公園が634mとのことであった。疲れがみえていたN氏をそこに残してひとりで登り始める。約30分、17時半に岩殿山の頂上に立った。そこからの眺めも抜群だったが、夕日に染まる赤富士の期待は、色の変化がなかっただけでなく、薄暮に紛れた、はっきりしない富士山のままであった。それでもって今回の日帰り山歩きの旅はthe endとなったのであった。大月駅前で軽い食事をして千葉着21時、、15時間のone day trip にかかった費用は、交通費7500円、飲食費2500円でちょうど一万円だったが、よくよくチェックしてみれば2000円ほど予算オーバー、つまり交通費・飲食費を入れて8000円で可能だった(詳細は省くが)ことが判明し、いつもの癖でついつい反省してしまうのであった、、<了>

岩殿山円山公園のさくら;5枚040_640x427041_640x427043_640x427044_640x427(城址跡はこの岩山の上にある)046_640x427

岩殿山山頂とそこからの眺め;3枚052_640x427053_640x427(富士山がはっきりしない)056_640x427


帰り道は提灯に灯がともっていた、夜桜も楽しめるとのことだった、、
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