独歩の独り世界・旅世界

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カンボジア~ミャンマーの旅 その8,カックー遺跡とインレー湖

 朝8時にはホテル前にタクシーが待機していた。まだ若い?実直そうなドライバーは多少英語が通じた。友人K氏からガイドブックを借りていたものの、それでもカックー遺跡の場所、道のりについてほとんどわかってなかった。それと残念ながらシェアしてくれる人はいなかったようであった。車はすぐ街から外れ緩やかな山道をいった。ところどころに民家や商店があり、のんびりとした農村地帯といった感じで、のどかなドライブであった。方角は東に向かっていたと思うが、途中で大きな通りに出てそこを右折し、しばらくして山登りの道となった。かなり登るとそこは大きな街となっていた。ニャウンシュエから1時間も走ったか、とあるビルの前で車が停まり、そこで入域料を払うよう言われた。それは聞いていたが、こんな立派なビルの中にオフィスがあるとは知らず、また応対してくれたのが若い女性ばかりだったのに驚かされる。入域料が一人3ドルでここの場合はガイド同行が義務付けられていて、一グループにつき5ドル、計11ドルを払ってガイドを待っている間にそこの女性にここの街はなんと言うところかと聞いてみた。いわれてびっくりというか、そうだったのかと納得したのだけれど、そこがタウンジーTaunggyiだったのである。大きな街だったわけがわかった。いや、それにしてもニャウンシュエからだとカックーに行くのに相当の回り道になるのだけど、ま、他に道はなかったのだろうし、オフィスはそこにしかなかったのだし、いずれにしろそれらすべて含めてのチャーター代だったのだから、それはそれで了解であった。が、確認したわけではないが、もしかしたら、もしタウンジーにホテルをとっていたら、少なくともカックー遺跡に行くだけだったらもう少し安上がりになったかもしれないということだった。インレー湖からは少し離れていたが、この山上の大都市も少なからず見所はあるようだったから、ここに一泊する手もあったかもしれないと思ったのであった。

タウンジーまで、のんびりした山道を行く、、;2枚Img_1037_640x427
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 さて、5分も待ったか、ガイドさんがやってきた。最初の印象はこの娘<コ>がガイド?という驚きというか本当?大丈夫?といった心配だった。ともかくまだあどけなさが残るかわいいかわいい女の子だったからである。それも素敵な民族衣装を身につけていて、わたしはこれまで世界中の観光地で、素敵なガイドさんにもずいぶん会ったが、こんな可愛いガイドさんは初めてで、これは5ドルは安いかもしれないと思ったほどだった。案の定、まず聞いたのが年齢だっが、答えは17歳とのこと、それにしてはその後のこちらからの質問に対する受け答えは完璧、実際のガイド、地域の情報等の知識は十分で、更に立派な英語を話し、恐るべき17歳ともいえるほどの能力を感じとれた。ミャンマーの凄いところは、そこのオフィスでもそうだったが、若い人が育ちつつあるということで、潜在的可能性はきっと新しい国づくりに貢献していくであろうと思わせるところにあった。その彼女が道中いろいろ説明してくれながら、1時間半も車を走らせたか、ほとんど田園風景となだらかな山道、完全舗装の幹道から途中わき道に入り、にんにく畑の中を行くとカックー遺跡についた。観光客はほとんどおらず、こんなところに、と思ってしまうほどの田園の中に忽然とそれはあったのである。

カックー遺跡への分岐点;2枚、何もないところ、案内標識はあった、、Img_1041_640x427_2
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にんにく畑が広がる農村地帯を行く、、;3枚Img_1043_640x427_2
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突然現れたカックー遺跡のゲートImg_1046_640x427


 しかし、それは期待が大きかっただけに、あ、こんなもんかといった、期待はずれ感も少々あった。それはいわゆる仏塔が、一ヶ所に2500塔も建っているというすごさは、もちろんよくわかったが、それがあまりにもこじんまりとまとまりすぎていて、少し物足りなさが残ったということである。つまり、もしガイドなしで回ったら、たぶん30分あれば十分だったと思われた。ガイド嬢ティンギTheingiは、その遺跡全体の成り立ち、もっとも古いものは紀元前後に造られたものもあるといった歴史、そして2500もの仏塔も三つのタイプがあることや、個々の謂れ等を一つ一つ丁寧に説明してくれ、一通り巡り歩いて約1時間、カックー遺跡を案内してくれた。それでも1時間である、極論すれば写真一枚撮れば終りといってよかった。が、かといって、それは見たものだけしかいえないことで、決して写真一枚見れば終りという遺跡では断じてなかったことだけは、これもいったものしかいえないことであろう、、ま、百聞は一見にしかずで、写真からその辺は読み取っていただきたい、、

パオ族の民族衣装を身につけた17歳のガイドTheingiImg_1052_427x640

カックー遺跡遠景は圧巻 ! 壮観 !、だんだん近づいていく、、; 3枚Img_1050_640x427Img_1049_640x427Img_1053_640x427

当然境内?敷地内は土足厳禁、、; 2枚Img_1062_640x427Img_1066_640x427


個々の仏塔、すべての仏塔は個人の寄進によるもので名前等も刻まれている。また、よく覚えてないが三つのスタイルがあって傘?をみればそれがわかるとか?? ; 2枚Img_1054_427x640Img_1056_427x640

この豚はこの地を切り開いた?あるいは発見した?精霊として崇められている、またアショカ王の時代まで遡るといわれているひときわ大きな中央塔、、Img_1060_640x427Img_1067_427x640

カックー遺跡の背後は田園地帯が広がっていて遠くに山並みが見えた。
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遺跡内にはレストランもあって眺めはいい、そこで働いていたのもパオ族の女性達、、Img_1069_640x427Img_1070_640x427


 思ったことはニャウンシュエから45000Kをかけていく価値があるか?ということだった。もちろんそれはそれぞれの価値観次第なのだけれど、わたしの感想でいえば、先にあげた優先順位としては、やはり上位3ヶ所は動かなかったということと、うーん、一人で行くには高すぎるということはいえるかもしれないということだった。だからからなのか、2000年に公開されたばかりの、まだ新しい観光地は、いまひとつ知名度もなく、人気もいまひとつ、よって観光客もそれほど多くないといった現状のようだった。果たしてTiengiの(たぶん他のガイドも)可愛さで、それを回生させていくことが可能なのか、ここについては少し注目していきたい‥、、それともうひとつ、これも大事なことだと思うので、これからいってみようかと思っている方に余計なことかもしれないが一言補足しておきたい。それはミャンマー観光の順番である。わたしが先にちょっと物足りなかったと感じたのは他でもない、すでにバガンを見ていたからであった。バガンを見たあとでは、どんな遺跡も(何回か述べるが極端に表現すればアンコールワットでさえ)色褪せてしまうということである。ミャンマー観光ではそれほどバガンが際立っているので、できれば最後に行くようにしたほうがよい、ということを言っておきたかった、、バガンを見たあとだったのでカックー遺跡も物足りなく映ったのかもしれないと思ったのである、、

 約1時間の見学を終え、レストランのトイレを借りて、さて帰るかというときに、ふとその脇を鉄道が通っていたのを見つける。草茫々の中だったからてっきり廃線かと思って、以前は列車が通っていたのかとTheingiに聞いてみると、なんと今でも現役だというではないか?わたしの英語力(と聴力と記憶力)の問題ではっきり聞きとれなかったが、確か一日一往復、タウンジーからこの地へ列車便があるようにわたしは聞いたのだった。もし間違えでなければ、そしてもしタウンジー泊なら、ミャンマーの鉄道はタカが知れているから(ただし時間はかかる)、高いタクシーチャーターでなくカックー遺跡は鉄道で見学が可能ということ??、詳しい列車の時間まで聞かなかったが興味ある情報だった(詳しく知りたい方は、タウンジーのオフィスに問い合わせしてみてほしいがmail addはそのときもらったリーフレットには載ってなかった)。帰りも同じ道を1時間半かけて戻る。Theingiをオフィスまで送り、多少の心づけを渡し、タウンジーをあとにしたのは13時頃だった。昼食時を過ぎており、ドライバーに適当な安食堂があったら寄ってくれとお願いする。まだタウンジーの街中だったが、適当なところを見つけてくれ、一緒に食事をする。まさにわたしが望んでいたミャンマー定食がそこにあって、わたしの好みに近い昼食となった(一人2000K)。

大通り脇の飯屋を見つけてくれ、そこで昼食。Img_1073_640x427

皆同じミャンマー定食を食べる(チキン・ポーク・マトン・ビーフから選択する、、ドライバー君を勝手に撮る、、)Img_1075_640x427


 ニャウンシュエに着いたときは14時を少し回っていたが、それでも思ったより早い帰着だった。それは帰りの車ですでに予測されたので、さて、そのあとどうするかを考えていた。ま、せっかくだからやはりインレー湖を見ておかないと心残りになるだろうと思って、ドライバーにはそのままボート乗り場までいってくれるよう頼んだ。ボートは湖一周約半日コースで15000Kと確か宿の姉御がいってたのを思い出していた。ということはそれは4~5時間くらいでその金額ということではないか?、もしそうなら、そのときはもう3時に近かったから、2時間くらい雇っていけるところまでいくということで10000Kくらいで交渉できないかと勝手に思いながら車から降り、今度は適当な船頭がいないかとうろうろする。そんな素振りに何人かの客がついてないボートマンから声はかかった。例によってこちらの言い分を通そうと交渉してみると、言葉の問題できちんと伝わらなかったのか、あるいはハナからそんな都合のいい言い分には乗らない腹積もりだったのか、何人かに聞いた結果は逆に、2時間だろうが3時間だろうが、20000Kあるいはそれ以上でないとボートは出さないといった返事しか返ってこなかった(あとでわかったのは、どうやらそれは時間でいくら、という料金体系ではなかったということだった)。いやー、それならはじめから宿の姉御にお願いすればよかったと、そのときになって悔やんだが、今さら宿に戻ってる時間はなかった。やはり無理かと諦めかけたときにたまたまボート乗り場の脇にMTT(Myanmar Travel Tours)のオフィスを見つける。といってもおばさんが一人いただけでボートの手配をしてくれるかどうかまではわからなかったが、ともかく入ってこちらの希望をいってみた。話を聞いてくれて、ボートマンを探してくれるとのこと、ただ金額はなんともいえないという返事で、少しそこで待っているよういわれた。どこかに電話してくれたのか、あるいは誰かに探しにいかせたのかわからなかったが、しばらくするとボートマンは見つかったが、16000Kといっているとのことで、その代わり主なところはすべて回る、3時間くらいあれば回れるだろうとのことだった。うーん、16000Kか、姉御より1000K高い、なんとか15000Kにならないか、と悪い癖でごねてしまった。たぶんそのときは相手と電話していたのだと思うが、どうやらOKしてくれたようでこちらに向かうとのことだった。それから10分くらいしてボートが到着して早速乗り込んだ。英語が通じるかどうかわからなかったが、通じたとしてもエンジンの音で声はかき消されてしまうので会話はいずれにしろ成り立たなかったと思うが、こちらの意向はおばさんから伝えられていたので、それで苦労する手間は省けていた。ただ船頭といっても、かなりの若造であった。後に、ボートはいろいろなところに立ち寄ってくれたのたが、そんな折にツレが彼と話をして聞いたところによると、なんと彼も17歳だったらしい、、その日二人目の17歳、しかもガイドにボートマンである、この偶然は何かを物語っているようだった、、そう、ミャンマーの未来は、こうした若者がすでに表舞台で活躍していることを思えば、決して暗くないようにわたしには思えた、ということであった。

 このときもこんな若造で大丈夫かと、少々の心配もあったが、すでに彼はプロでボート操舵の技術もインレー湖案内にも熟知しており、時間的制約がある中、要所要所過不足なく回ってくれたのは見事という他なかった。通常4~5時間を要するインレー湖ボート巡りの半分の時間しかなかったとはいえ、通常のボートツアーで必ず寄る2ヶ所の水上寺院(Phaung Daw U Pagoda, Nga Hpe Chaung)と水上マーケット(Ywama Floating Market)にもちゃんと立ち寄ってくれ、上陸して見学や買い物する時間も与えてくれたし、インレー湖名物の片足漕ぎ漁をしている現場も、すばやく見つけて近くまでいってくれるという、むしろ観光客慣れしているベテランよりよっぽど真摯に湖上巡りをしてくれたことに感激、ボート乗り場に帰り着いたときはすでに陽は暮れ、暗闇走行だったが、それも完璧にこなせる技量の持ち主だった。この湖上巡りは思いのほか快適かつ面白かったので、また、たまたま日没にも立ち会え非常に美しくもあったので(この湖上サンセットツアーだけでも相当の金額を取られる)、Theingiと同じ額のチップでは少なすぎたかもしれなかった(こういうときはもっとtipをはずまなければと、いつもあとから思うのだ)、、

ニャウンシュエからインレー湖に出るまで15分くらい運河いくのだけれど、湖に出たとたんに、写真のようなtipねだりのデモンストレーター(偽者)が何人か待機していた。わたしはこういうのは写真は撮ったが、無視した。Img_1078_640x427

ほとんどは勤勉な漁民、、Img_1081_640x427

湖上の風景と水上ホテル?
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水上寺院;2枚Img_1088_640x427Img_1089_640x427

Ywama水上マーケット、ここでも首輪をはめた首長族の女性達が工芸品制作や土産物販売に励んでいた、、なかなか興味深いものがあったがちょっと高め?? ; 2枚Img_1091_640x427Img_1092_640x427

インレー湖上でもっとも大きくてもっとも有名?な寺院Phaung Daw U Pagoda ; 4枚Img_1093_640x427Img_1099_640x427船着場
Img_1097_640x427湖上はひとつの街のようになっている
Img_1096_640x427カメラ持ち込みは有料だったので隠し撮り

たぶんNga Hpe Chaung 寺院Img_1105_640x427_2


若いボートマン君は片足漕ぎ漁を見つけると近くまでいってくれた;3枚
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Img_1108_640x427Img_1109_640x427今回数百枚撮った中でもっともお気に入りの写真

サンセットクルーズツアーだけで10000K~20000Kとられるらしい、そういう意味ではタイミング的にそれも見られてラッキーだった、、
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 当初、たいした事はないであろうと思っていた湖上巡りはとても楽しかった。おかげでかなり充実した一日になったことに満足していた。陸に上がるとすでに夕食の時間で、適当なレストランを探しながら歩く。何軒か食べ物屋はあったが決めてがなく、ホテルが近くなりつつあった。そんな時にツレがトイレに行きたいといいだし、そうなると好みも、安い高いもさしおいて次にあった食べ物屋に入ることにした。一見食堂だか雑貨屋だかわからない店があって、食事ができるかとジェスチャーと英語で聞いてみると、OKそうな返事だったので、そこへ入ってまずトイレの場所を聞く。そのあとで何が食べられるのかと聞いてみると、メニュウはなくシャンの麺を食べさせてくれるということだったので、かえって興味深くそれをお願いした。とても人の良い老夫婦が(われわれと同年齢くらいだったか?)細々と、その麺だけで商いしているような小さな店だったが、出てきたシャンの麺は、かなり口に合うものだった(塩味の野菜麺?)。つき合わせに出された米粉を使った菓子は、せんべいのような感じで、これも美味だった(それは一個500Kとのことだったので帰りに土産に少し買う)。その夫婦はかなり気を使ってくれて、なんとも暖かい気持ちにさせてくれたお店だった。ここの住民はほとんどシャン族だったと思うが、どの人もみな温和で親切、ほんとに心の暖かさを感じられる人ばかりで、ますますミャンマー人贔屓になってしまうのである。ホテルに帰り着く前に、また昨日と同じ店で同じものを買う、、ミャンマーウィスキーは寝酒に欠くことのできないものになってしまったようだった‥、、

シャンの麺(正式名称は知らない、1000K)は安くてうまかった、向こうに米粉の菓子?も見えるがこれもうまかった、、Img_1110_640x427