独歩の独り世界・旅世界

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カンボジア~ミャンマーの旅 その4,ポイペト・国境・アランヤプラテート

 4日目の朝も朝食一番乗りだったが、その朝は外人さんの団体客ですぐに席は埋まってしまった。その彼らにも好評そうだった朝食が、ベンメリアを諦めたもうひとつの理由でもあったのだ。それを逃してしまうのはあまりにももったいないと‥、、で、朝食が済むと9時半にはロビーにいてくださいとのことだったので、2時間くらいの中途半端な時間は、ま、朝ブラにでかけるくらいしか時間潰しを思いつかなかった。

 シェムリアップ川河岸をオールドマーケットまで散歩、この川沿いの道はゴミの散乱を見なければ存外美しいものがあることは前回歩いたときから知っていた。すでに開いていた土産物屋を冷やかすが、これといった掘り出し物は見つけられず、帰りは対岸の道を戻る。その帰り道にリヤカーで何かを売り歩いているおっさんを目にする。こういうのには異常に興味を覚えそのおっさんを追っかける。これも写真一枚撮っておけば説明に困ることがないのだが、それを描写する力はない。そのおっさんが売り歩いていたのは蜆のような貝であった。どうやら味付けはされてるらしく調理済みは明らか、ただ言葉がまったく通じず、試しにひとつというわけにもいかなかった。買うしかない、が、単位も価格もわからない。そういうときの常套手段は持っている小銭をだして、それに見合うだけください、というやり方であった。たまたまそのとき、それまで屋台やスーパーで買い物したときにもらったお釣りが現地通貨で800R(リエル、800Rは0.2ドルだから日本円だと25円くらい?)残っていた。それを出してあとはジェスチャー、そのおっさんはどのくらいの単位かはわからなかったが、持っていたカップの半分ほどの量をビニールの袋に入れて売ってくれたのだ。それは二重の喜びであった。たぶんたいしたものは何も買えずに残ってしまったであろう現地の小銭が、なんだかわからないが食べたことのない現地の食べ物に変わったのだから、、早速ホテルに戻って食堂の外のベンチで試食することにした。どんな珍味かとわくわくしながら‥、、ところが思っても見なかったことが待ち受けていた。その貝の口を開けることができなかったのである。方法がわからなかった、どうやって食べるのか?いろいろやってみる、食堂のスプーンやフォークも借りてみた。従業員にも聞いてみたが、明確な答えは得られなかった(これはこちらの聞き取りの問題で)。それでも悪戦苦闘の末、なんかの拍子に一個開く、小さなミがそこにあってそれは大変美味であった。しかしそのあとも悪戦苦闘するが、そのための時間は十分に残されてはなかった。仕方なく諦めたが捨てることはせずに持越しとする。

オールドマーケットとの行き来に何度も通った橋、名前は控えてない、、082_640x427081_640x427川沿いの道は美しい場所もあり、083_640x427到着した日と次の日にこのシェムリアップ川でボート祭りが開かれていた、そのとき参加したボートが対岸に見えた、、

084_640x427なかなかいいホテルだったSoria Moria Hotel


 9時半前からロビーでピックアップを待ち続けていた。わたしはてっきりワゴン車のピックアップサービスが来て、どこかで待っているバスの乗り込むのかと思っていた。わずかだが前回はそうやってバスに乗り換えてポイペトまでいき、更に国境通過後タイ側で待っていたワゴン車に乗り換えてバンコクまでいった記憶が残っていた(7~8年前のことがもううろ覚えになっている)。で、そのピックアップは10時頃になって漸くやってきたのであった。ドライバー助手に促されて乗り込むとすでに先客が3人、2人の欧米系の男性と日本人ぽい若者がいて一応挨拶したが返事があったかどうか?で、そのあともホテル廻りをするのかと思っていたが、その気配なく、すぐにドライバー助手は降りてしまって車はそのまま国道6号を疾走しだした。どうやらそのピックアップのワゴン車はそのままポイペトまでいくようだった。二度ほど通ったことのあったその道も今や完全舗装となっていて、ワゴン車だったからかなりの速度をだしていた。途中一ヶ所大きな街で休憩となったが、そこは記憶にあったシソポンの街より手前のようであった。そのとき日本人の若者と少し話をする。その日はそのままバンコクまで行く予定、ベトナムから陸路で旅しているといった程度のことしか覚えていないのだけれど、それは会話の相手をツレに任せてしまったからであった。わたしは一人で通り沿いのお店を冷やかしていたのだった。国境到着が13時頃、途中から乗り込んできたエージェント(?両国間の車の乗り継ぎを手配している)の男に連れられ全員をまずカンボジアのイミグレに案内され出国のスタンプを押してもらう。そこから少々歩いて小さな橋を渡るとタイのイミグレがあって、そこでそれぞれ入国カードを書いて入国のスタンプをもらう。ここもなんら問題なく通過、が、そこでトイレにいったりしてもたもたしている間に他の3人は先ほどの男に連れられて、たぶんタイ側のワゴン車まで案内され、先にいってしまったようだった。前回のときもそうだった記憶があって、そういう意味では先の男にとってわれわれは用はなかったのだ。その男から服に貼る(バンコクまで行く)目印ももらっていなかったのだから、、

途中で休憩した6号線上の街、どこだったか不明、、085_640x427


 タイのイミグレーションオフィスを出ると、それこそカンボジアからの通しでなく、そこからバンコクまで行くワゴン車の呼び込みがどこまで行くんだ?と群がってきた。そんな会社が並んでいて、車はしきりに出ているようだった。300バーツといっていたか?そのつもりでなかったから詳しく聞きもせず書きとめておかなかったが、もし記憶が正しいとすれば10ドルもしなかったはずだから通し(カオサン~シェムリアップ、またはその逆)で買うよりは安くいけそうなことがわかる。いずれにしろ、うるさいくらいにバンコク?バンコク?と聞いてくる連中を拒み続けて、まずやらなければならないことのひとつが両替であった。意外なことに前にはしつこいくらいに寄ってきたような記憶があった闇の両替屋がおらず、車の呼び込み連中に両替屋は?ときくと隣の建物を指した。何のことはない銀行であった。ならばとそこで40ドルほど両替したが明らかに小額過ぎたと後悔する。タイの物価・通貨の感覚がわかっておらず、あとで街でATMから引き出さざるを得なくなったからだ。さて、次はアランヤプラテートの街へ出る交通手段を探さねばならなかった。トゥクトゥクがすぐに見つかったが、それまでの車の手配師は片言の英語が通じたのだが、何台か停まっていたトゥクトゥクのドライバーは一人もこちらの言ってることがわかってくれなかった。それでも街までは80バーツであることはわかった。それは相場だったのだが、わたしは吹っかけられているのではないかと疑ってしまって、もっと安くならないのか?あるいは、もっと安くいく手段はないのかといろいろごねてみるのだが、それも通じてないのだから話にならなかった。そのうち多少英語を喋るタクシーの運転手が助っ人に現われて、トゥクトゥクは80B(バーツ、以下Bと表記)で他に安い手段はない(タクシーはもっと高い)ことを説明してくれ、納得したわれわれは駅近くに安ホテルがあればそこまで連れてってほしい旨をトゥクトゥクドライバーに伝えてもらった。そこで交渉成立、カンボジアトゥクトゥクよりはるかにでかいタイのトゥクトゥクに乗り込んだ。本来トゥクトゥクは、いわゆる三輪車でタイの場合客席は前と後ろで4人乗り(あるいはそれ以上?)、それがカンボジアの場合は普通のバイクに2人が座れる客席を取り付けたものだったから車体の大きさ・スピード・乗り心地とも大きく違っていたのだ。

 国境越えと両替とトゥクトゥクの交渉とで3~40分かかってしまったか?、その国境からは少し田園地帯を走って、15分くらいかかって街はずれの一軒の宿に連れて行かれた。このときわたしは、いくらなんでもホテルなら英語は通じるものと思い込んでいた。安宿にしては造りは悪くなかったので早速値段を聞く。300Bか350Bでなかったかと思う。それほど高くはなかったので決めようと思い、で、駅はどこかと聞く。と、これは通じなかったのである。トゥクトゥクの初老に近いドライバーはもとより、やはり年配のホテルマンもこっちの言ってることは聞き取ってもらえなかった。わたしは近頃ガイドブックを持って歩いてないので、ほとんどお手上げ、で、下手を承知で絵を描いてみるしかなかったのである。そこまでしたくなかったのは、下手な絵を書いてもわかってもらえなかったら、それこそ恥を書くことになりかねなかったからである(後々までそういった汚名はついてまわる)。それでも電車の絵で(それは次の日に乗るディーゼルカーとはずいぶんと異なっていたが)漸く彼らは理解してくれたのだった。トゥクトゥクのドライバーは、わかったとばかりに車に乗るようにわれわれを促し、また、しばらく走って街中に、そして一軒のホテルの前を通ってここが安くていいというようなことを言いながら、そこを通り過ぎた。そしてたどり着いた先が鉄道の駅だった。かわいらしい駅舎がそこにあった。彼の行為は十分理解でき、通り過ぎたホテルまで戻ってもらった。なかなか善意溢れるドライバーには少なかったが100Bだして(当然のことだが)釣りはもらうわけにはいかなかった。こうしてともかく14時半頃にはアランヤプラテートの駅から比較的近い安宿Aran Garden Hotel 1に身を落ち着けることができたのであった。そこのまだ若いフロントの女性は無論英語を話したし、料金も230Bと大変良心的な宿に思えた。もちろんそれなりの部分はあってファンのみであったが、われわれはそんなことは苦にならなかった。早速荷を置いて食事に出かける。レストランのありそうな方角を聞いて街ブラしながら適当な店があれば入ることにしていた。その適当な店というのが、この田舎街ではそれほど多くはなかったようで、そもそも英語の表記がまったくなく、英語そのものが通じないのでなかなか見つけられないでいた。そのうち店頭で調理をしているような店を見つけ、そこなら指差しで注文できるかと思って入ってみた。写真入りのメニュウがあったが金額等はまるっきりわからない。写真を見てもそれがなんだかわからず、英語で聞くも通じない、逆にこっちは聞くつもりで指差ししてしまったものを注文と勘違いされて、それほど望んでなかったものが出てきてしまう。それも同じようなものが二人前も、、結局食べきれなかっただけでなく、けっこうな料金をとられ、最初のタイ料理は大失敗となってしまった。このショック(悔い)は大きかった。重い足取りでホテルに戻り、疲れもあって例によって昼寝となった。しばらく休んで、寝付けなかったわたしは一人で再び街にで、散策しながら駅までいってみた。駅までは10分くらい?、ま、地方都市といった田舎街は、それでも市場や商店街、病院、銀行といった一通りの機能は備えていたが、これといった見所があるようには見えなかったし、外国人の姿を見かけることもなかった。交通量は国境に近いからかけっこうあったが、街の人通りはそれほどでもなかった。そして鉄道駅、可愛くて小さなもので、駅前にはこれといった商店もない有様、ま、一日二本の発着なので、こんなものなのだろう、、写真を撮ってホテルに戻る。途中でうれしい発見があった。7-11を見つけたのだ。そこなら言葉は不要、早速ピールと地元の酒とコーラを買って帰る。ビールと酒(蒸留酒)が手に入って、あるものを思い出す、朝の貝であった。暑いところだし、貝に当たったら大変なことになるよ ! ! と警告されるも意に介さず、また貝の開け方にもだいぶ慣れてきたわたしは、それでもかなり苦労して一人で全部平らげ、昼食の悔いを少し取り戻すのであった。ま、これまでに当たったとしてもおかしくない、といったものをかなり食べてきていて、そのときも異変は起こらず、酒の酔いが心地よかったのである。さらに少し時間がたってから夕食に出かけ、先に街ブラしたときに屋台が多くでていたのを見つけていたので、その一軒でラーメンを夕食とした。これがまた安くて、うまかったので、その日の昼食の悔いはそれでどうにか帳消しになったのであった(ラーメンにしても昼食の料理にもタイ語の名称はあったのだろうがまったくわからない、、麺類は一杯35Bだったから100円くらい?あまり美味しく感じられなかった昼食は鶏肉料理でビール込みだったが、260Bもとられた)。ところが、次の日バンコクでもう一回大失態を犯すことになる‥、、

国境の写真とか食べ物の写真とか肝心なものが撮れていない。おまけに下3枚は露出間違い?上2枚は駅から続く大通り、両脇に病院・寺院・マーケットなどが並ぶ、2枚目に街のシンボルの時計塔、3枚目が駅舎、その下が駅構内、、086_640x427087_640x427088_640x427
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朝買った貝(量は当初この写真の倍くらいあった)をつまみに7-11で見つけた酒で一杯やる。酒も貝もほんの1時間足らずでなくなったが、貝の取り出しに苦労する、、092_640x427