独歩の独り世界・旅世界

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2014の旅 19 , ワラス;チャビンデワンタルChavín de Huántar そしてワヌコ Huanucoへ

 その後の話をどこから始めたらいいのだろうか‥??、、

  トレッキングから戻ったのは3月21日だったが、もしトレッキングをつづけていたら戻るのが3月23日で、24日にワラスを発つ予定だった、、最終リマには3月28日にinするつもりだったから、まだプカルパに寄る余裕はあった、、それが急遽2日も早く戻ったので日程をどう調整するか思案のしどころであった、、で、たまたま旅行者に人気の宿Casa Cabañaは何とか空きがあったので、とりあえずは2泊の予定で部屋を確保し、帰った日の夜、雨が上がったのを見計らって街に出た、、まず向かったのはこのトレッキングをオーガナイズしてくれた男のいるトラベルエージェンシーだった、、が、その男は勧誘マンだからその事務所にはおらず、事情を話すのも面倒だったのでその男を呼出してもらった、、しばらく待ってやってきたその男はわたしの顔を見るなり怪訝そうな表情を浮かべた、、どうしたんだ!?といった心配顔、で、それを見てとってわたしは事情を話した、、わたしにはしんどかったこと、それで一人で戻ってきたこと‥、、そしてこう切り出した、、貴方はトレッキングについて詳しく説明してくれなかったではないか?誰でもいけるといったではないか?、‥しかしそれに対してOKをだしたのはわたしだ、、だからこの結末はわたしの問題である、、だからトレッキングの代金を返せとは言わない(実際そんなこと言えるわけはない)‥、、が、登山靴の賃借料は2日しか使ってなくて、今ここに持ってきているのだから、4日分の半額10ソル(まったくせこい話だが350円?)は返してもらえないだろうか?‥と、、彼は胸をなでおろしたようにそれに対して即座にOKしてくれたのだった、、それを聞いて更にわたしはいった、、それで明日一日暇になった、、先日いっていたチャビンデワンタルChavín de Huántarのツアー40ソルを30ソルにまけてくれるなら明日それに参加してもいい‥と、、つまりそれは、靴代10ソルが返ってくるからプラス20ソルということだったが、もちろんそれもOKしてくれたのだった、、実をいうとチャビンデワンタルの場所も、その価値もわかっていなかった、、ただ一日ツアーが割り引いてもらったり多少の返金のおかげで20ソルでいけるなら、どんなところであっても損はないだろうと思ってのことだった、、実際はチクラヨのシカン・シパン遺跡同様見ごたえがあり、ここもプレインカ史上とんでもなく重要な遺跡であったことを後に知ることになるのだが‥、、

 そのトラベルエージェンシィはアルマス広場から1ブロックの細い路地を入ったところにあった、、そこはほとんど街のど真ん中で回りには同じようなエージェントや登山用具のレンタルショップ、露店のみやげ物屋、安食堂やChifa<中華食堂>などがあるごちゃごちゃしたところだったが、大通りにでるともう何回か利用していたスーパートルヒヨ(Trujilloという名のスーパー)があって、帰りがけにそこでビール(cusqueña小瓶2.3ソル)・酒類仕入れ、客の絶えないレストランのまことにうまそうな豚肉料理の店頭販売が5ソルという安さだったので、それとパン(1個0.2~0.4ソル)を買えばもう夕食としては満足なメニュウとなった、、他にも名前はわからなかったが屋台料理の露店が夜になるとけっこうでていたので、ワラスの食事もビールを飲んでも一食10ソルくらいであがっていた(もっともCasa Cubañaの前の安食堂なら定食が5~6ソルで、ビールを飲んでも10ソルはかからなかった)、、で、次の朝チャビンデワンタルのツアーのワゴン車が9時に迎えに来てくれ、同じ宿のヨーロッパ人旅行者一人とわたしの他はすべてペルー人だったが、ここでもペルー人の若いカップルが3組もいて、その彼らをピックアップしてトータル12,3人となってワラスを出発したときはすでに9時半頃になっていた、、

 実はそのツアーで重大なことが起こったしまった、、ここで楽屋裏を公開するのも忍びない話だが、わたしは旅の記録の元ネタとして写真に負っている場合が多かった、、写真をみれば当時の状況が甦り、それにまつわる話を書くことができた、、もちろん写真も文章も素人だからいい文章が書けたことも、いい写真が撮れたこともほとんどなかったけれど、それは数打ちゃあたる式でこれまではやってきた、、そのカメラが故障してしまったので、この日以降の写真がまったく撮れていないのである、、ということはこれまでのように描写力のない文章を補う手立てがなくなってしまった、ということであった、、それは突然のことで原因はわからなかった、、症状としてはわたしは素人だからAFで撮るしかないのだけれど、まず、ピントがあわなくなりシャッターが切れなくなった、、日本に戻ってからカメラ屋で診てもらったが、原因はわからないけれどレンズのセンサーの不具合とか何とかいっていた、、で、旅行中は予備のカメラがなかったので写真は諦めざるを得なくなった、、よってこれ以降はピントのあってない、わたしだけがわかるための写真となってしまったことをまずお断りしておくことになる、、それをまず伝えるべきか、本稿の冒頭で迷ったのであった、、


 チャビンデワンタルはそれこそとんでもなく遠いところだった、、そのときはワラスの地図もツアーの案内パンフレットも持ってなかったからまったく白紙でその車に乗っていた、、まず車は前日のユンガイとは別の方角へ向かっていった、、この幹線道路はCordillera BlancaとCordillera Negroの間を北北西から南南東に流れるRio Santa サンタ川に沿っていて、ユンガイはワラスから北方向にあったが、チャビンデワンタルは位置としては南東方向にあったのだった、、Catacという街まではその幹線道路をいったが、そこから道は左折してなだらかに登っていった、、ワラスから1時間半くらいでケロコチャLag.Querocochaという美しい湖に着いた、、そこはちょっとした売店があって少々のトイレタイム&写真タイムとなった、、湖の向こうには冠雪していたからやはり5~6000m級の山々が聳えていてまことに絵になるところだった、、が、そのときからシャッターが切れなかったのであった、、なのでワスカランからはだいぶ南に下ったあたりの、また少し感じの違う山群の写真は結局撮れなかっただけでなく、それ以降、この旅の最後の一週間、それももっともお伝えしたかったワラスHuaraz~ワヌコHuanuco~プカルパPucallpa、アマゾン川といった、ある意味わたしの旅の核心部を写真でお伝えすることができなくなってしまったのである(勝手ながらピンぼけながら多少輪郭のわかるものだけは載せさせていただこうかと思っているが‥??)、、で、ワラスの標高は3100mくらいだったが、そのケロコチャという湖はだいたい4000mくらいのところにあって、そこからはきつい登りになって、さらに4500mくらいまで道は登っていった、、それでもその峠までは舗装されたいい道路で、その登りつめたところに珍しくトンネルがあった、、長いトンネルを抜けると別世界となって雪混じりの空模様になった、、コルディエラブランカの向こう側に出たようだった、、そして長い下りと悪路が始まる、、距離的にはケロコチャ湖がちょうどワラス~チャビン間の中間くらいで往復ともその距離約50kmが1時間半くらいだったが、ケロコチャ~チャビン間の50数kmには2時間もかかったことがそれを物語っている、、そう、チャビンデワンタルというところはワラスから片道3時間半もかかるところにあったのだ(それでもこのトンネルは比較的新しく、トンネルができる前はそれこそ何日もかけて歩いていくしかないところだったようだ)、、チャビンの村?についたのが13時頃で、まずはとあるレストランで食事して(もちろん別会計)、それから向かったのがチャビンの博物館だった、、その美術館は日本の援助で建てられたものとの説明を聞く、、このチャビンデワンタルという遺跡の発掘にも日本人がだいぶ関わっていたようだが、何しろこの遺跡は紀元前1500年頃まで遡るらしく、ペルーの数多ある古代遺跡の中でもかなり早い時期のもの、つまり相当古いものであるらしいこと、にもかかわらずその後にいった実際の遺跡は地下宮殿?のつくりや神殿の規模から、ペルーの古代史のなかでも極めて重要な遺跡らしいことはわかった(詳しくはガイドの説明があったが聞き取れてない、ただし博物館館の展示物の説明には、日本が協力してつくっただけあって日本語もあった、、しかしほとんど頭に残っていない)、、ま、返す返すも写真でそれを紹介できないのが悔やまれる、、現地滞在は2時間半、15時半に同じ道を通ってワラスに戻った、、

(ということで本来ならばカットされるべきピンボケ写真を以下に掲載することのご理解とお許しを乞うしだいである)

ワラスから南の高原地帯を行く、晴れてれば5~6000m峰が見えるあたり??001_640x427

日本の援助で建てられたというMuseo Nacional Chavín 007_640x427

チャビンデワンタル遺跡;5枚010_640x427011_640x427016_640x427

025_640x427神殿の外壁にこの人間の顔?Cabesa Clavaが多数埋め込まれていたらしいが現存する唯一のもの、2枚目が比較的ボケてなかったので、同じものだが2枚掲載026_640x427

 19時ころワラスに帰り着いてその足で、そこから4ブロック、5分くらいのところにあったEl Rapidoというバス会社に向かった、、わたしは次の日ここからワヌコHuanucoという街に行くつもりだった、、前に少し触れたが、ワヌコというところはワラスがあったアンカシュAncash県(ワラスが県都)の隣のHanuco県の県都で、そこは地方都市としては大きく、かつ交通の要衝だったので、かなり昔から(インカ以前から)有数の地方都市であったようだ、、というのは大雑把なペルーの全体図を見ると必ずその地名は載っていたからであった、、で、プカルパ(Pucallpaについては次回説明します)へ行くバスはリマからでていたが、どうもそのルートとして必ずこのワヌコに寄っているようだったし、チクラヨで知り合いになったペルー人男性もワヌコまででればバスはあるといっていたから、直接の目的地ではなかったが、まずそこまででようと思っていたのだった、、しかし、あるはず?といわれていたワラス~ワヌコのバスは、ワラスに着いた当日に街ブラしながら何社かのバス会社、旅行代理店等を当たってみたが、とうとう見つけられずにいた、、しかしそのとき教えてくれる人がいて、La Unionというところまではバスで行ける、そこで乗り換えればワヌコへ出られるという貴重な情報を得ることができた(それさえ知っている人は少なかった)、、そしてLa Unionまで行くバスを出しているところは2社しかなく、それはターミナルからは出てないから、直接いって聞いてみたほうがいいといって、その2社の場所も教えてくれたのだった、、で、その日のうちにその2社を訪ねてみた、、最初に行ったところは、わたしが嬉しくなるほどマイナーな、いったい何台くらいバスを所有しているのかと疑ってしまうくらい小さな会社だった、、で、確かにバスはあったが早朝5時発一本しかなく15ソルとのこと、もう一社聞いて適当なのがなければ朝5時のに乗るしかないと思いながら、もう一社を訪ねてみた、、そこはけっこう大きな待合室があったくらいだから中堅の会社?といった感じで、ここならもしかしてと思って、まずワヌコへ行くバスはあるか?と聞いてみたが、やはりLa Unionで乗り換えなければならないこと、La Unionまで行くバスは朝の6時にでる(もう一本くらいあったかもしれないがメモとってなくて定かではない)、バス代は同じ15ソルとのことだった、、ワヌコへ通じる道はあるが、やはりそこまで行くバスはなかったのだ、、しかし乗り継げばいけるという確信がこのとき持てたので、やはり朝5時より1時間でも遅いほうが楽かと思って、そのときticketは買わなかったが、そのバスで行くことにしたのだった、、その会社がEl Rapidoというバス会社だった、、チャビンから戻ったとき、そこへいって次の日の朝6時のバスのticketを買っておいたのだった、、

 前日に清算は全て済ませ、鍵は部屋に置いておくということで朝5時半にはCasa Cabañaを後にする、、El Rapidosのオフィスまでは12~3分?もちろん十分間にあったが、そのときすでにその待合室はけっこうな人で溢れていた、、もちろん全部が同じバスの乗客でないことはわかっていたが、いずれにしろここからでるバスはあまり聞いたことのないところへ行くバスが多かったように思う、、そもそもそのときになってもわたしはLa unionというところが - もちろんワヌコへの途上にあることは当然として -  どの辺にあるのか、そこまでどのくらいかかるのか(聞かなかったし、地図も持っていなかったので)全くわかっていなかった、、ただ、だいたいの方角は見当がついていて、6時定刻に出たバスは思ったとおり前日チャビンに行くとき通った道をいった、、チャビンへは左折したCatacという街をさらに直進して幹線道路を行く、、そのあたりから左手に新しく雪山が見えだした、、山の名前はわからなかったが、そのあたりまではコルディエラブランカに括られるエリアに思えた、、もちろんブレを承知でシャッターを切ったが、それ以前に窓の汚れで、それらの写真はいずれにしろ見せられる代物にはならなかった(が、それを承知で載せておく)、、ワラスから1時間以上走ったあたりから雄大な景色が広がり、ちょっとした街があって左に行く道があるのが見えた、、その幹線道路はその先どこへ出るのかわからなかったが、われわれのバスはその左に折れる道に入った、、湖?の脇を通って湿原?というか少し低い高原状の大地をいったが、先ほどまで左手に見えていた雪山はそのまま左手の車窓にあった、、だからコルディエラブランカの南端を回り込むようにして、少し低くなったところを通って向こう側に越えるといった感じだった、、しかしだんだん道は登っていき、とうとう雪山の中を抜けるといった感じで雪山が両側に迫ってきた、、おそらくこのときも(だいたい雪線は5000m以上だったから)その道の最高到達地点は5000mを越えていたか、そのくらいのところを通っていたように思う、、ともかくとても寒かった、、しかしそれ以上に写真は撮れなかったが山の景色が素晴らしく、わたしは興奮していた、、ひとつにはおそらくこのルートは一般の旅行者の通る道ではなかったからあまり知られてはいないのではないかという想いがあったからでもあった、、そのうちバスは峠を越えて下り始め(8時半頃)風景はだんだん変わっていった、、いくつかの山間の街を通り、渓流沿いを走り、鉱山街(Huanzala)を左手に見て比較的大きな街に到着した、、ちょうど9時頃で客の大半はここで降りた、、ここがLa Unionかと思ったがHuallancaという街だったようで、そこに少し停車してそこから30分走ったところが終着地La Unionだった、、まだ山の中といった感じであったが、近かったのか遠かったのか、いずれにしてもペルーアンデスの背骨に当たる主稜線を越えて反対側に来たのは確かなようだった、、それにしても思ったより早い到着だった、、

左手に雪山が見え始める044_640x427

先にちょっとした街がありそこから下に見える道に入った046_640x427

直角に左折した格好だったので、上の山塊はそのまま左手にあった(高原状の地を行く)049_640x427

だんだん道は登っていった053_640x427

そのうち道は高度5000mくらいのところを走っていた(峠付近;2枚)061_640x427062_640x427

峠から下ってしばらくいったところに鉱山があった(ボケているがHuanzalaと読める)067_640x427

闘牛場のある大きな街はHuallancaといった070_640x427

 さて、ワヌコに行くバスはどこだろうか?と気にしながらバスを降りると、ワヌコ?ワヌコ?尋ねるように何人もの人が寄ってきた、、子供もいる、、何事か?バスの呼び込みか?と疑ったが、どうやら白タクのドライバーかその関係者だとわかった、、で、わたしはワヌコへいきたいがバスで行きたいのだというと、何と、ワヌコへ行くバスはない、ワヌコへいくには乗り合いのタクシーしかない、と口をそろえて教えてくれるのだった、、初めてそうとわかって、ならば仕方がない、で、いくら?と聞くと、どうもそれも相場きまっているらしく誰もが25ソルといってきた、、浅ましく、わたしは値切ってみた、少しでもまけてくれた車にしようと思ってのことだったが誰もそれに応じてくれるものはなく、そのうちみんな相手にしてくれないそぶりを見せ始めたので、わたしは慌てて25ソルでOKして荷物を取りに行くと、早、わたしの荷物を運んでくれようとしている男がいた、、それはありがたかったのだが、まずいことにその男はわたしが25ソルでOKした車とは別の車のドライバーだった、、で、結局先の男には謝って荷物を運んでくれた男の客となってしまったのであった、、が、そのドライバーはすぐに他に3人の客をその場で見つけたが、あと一人が集まらなかった、、ということは5人乗りのトヨタカローラバンDXに5人の客を乗せないと(運転席とは別のシートに二人)ペイしないのか?あるいは割があわないということのようだった、、で、それから小一時間La Unionの街をケータイ片手にいったりきたりして、最後の一人をやっと確保しLa Unionを出発したのは結局10時半近くになってのこととなった、、しかし面白いことに、そのさんま似(明石家さんまに似ていた)のドライバーは運転がうまかっただけでなく、ま、ちょっとずる賢さに長けていたというのか、45分くらい走ったあたりで30分も前に出発していた他の数台のワヌコ行きの車に追いついてしまった、、どういうことかというと、山道をえらい勢いで飛ばしていたその車は突然数キロもの渋滞につかまってしまったのだった、、最初はどうしたのかわけがわからなかったが(乗客はたまたまわたしの他は4人ペルー人の中年女性だった、彼女らはドライバーとの話でわかっていたのだと思う)いっこうに動きそうにない、、で、車を降りてわかったことは土砂崩れで不通になっていたのであった、、ところがこれは時間がかかることになると諦めていたら、なんと20分くらいで車は動き出した、、どうやらブルドーザが出動して何とか片側だけ通れるようにしたようだった、、そのとき何とわれわれの車は渋滞の一番前にいたのであった、、その後ガードレールもなく簡易舗装はされているが2車線はない細くてもろに危険な山道を(ま、彼は毎日その道を往復しているのだろうが)よくもまあそれほど飛ばせるもんだと思うくらいのスピードで飛ばしていく、、ところがそんな山道を3~40分走ったあたりで道は再び不通となって、今度はより長い渋滞が発生していたのだった、、どうやらここ数日の大雨でこの道はいたるところで土砂崩れ、がけ崩れが発生していて、まともに走れるような道ではなかったようだった、、しかもこの二回目の現場ではブルドーザはまだ到着しておらず住民・村民・その他の有志?たちが手作業で土砂の撤去作業をしていたのであった(ま、そんな細くて危険な山道だったからバスの通行は無理だったのかもしれない??)、、それでも4~50分でそこも通れるようになった、、その現場を通るとき、オイオイオイ、これで大丈夫なの?と肝を冷やすほどの安普請を見せられて、この道のきわどさをあらためて知ることになる、、そのあとはタイヤが半分ほど浸かる水溜りや走行ままならぬぬかるみ状態のところは数知れずあったが土砂崩れによる不通箇所には幸いにしてでくわすことはなかった、、が、30分もいったところで今度はパンク?そこで昼食休憩になった、、ちょうど自動車修理屋と飯屋があるところで停めてくれたといった感じで、山の中のインディヘナがやっているテーブルひとつあってメニュウも一二種類しかないといった、ま、飯屋ともいえないところでみんなと食事、、ともかくみんなが食べてるものがなんだかわからなかったが、同じものを半分にしてほしいとお願いした、、すると得体の知れないものが釜戸の熾きから取り出されていくつか皿に並んだ、、ポテトはすぐにわかったが、もうひとつがまわりが真っ黒でなんだかわからなかったのだ、、みんなそれをむしるようにして手づかみで食べていた、、わたしも真似て手づかみでポテトの皮はむいて食べた、、焼きポテト?炭火の熾きで焼かれたポテトはそれはそれは美味だったが、もうひとつは?食べてすぐわかったが豚肉の塊だった、、蒸し焼き豚?後でそのメニュウの名前を聞いたらPachamanca de Chanchoと教えてくれた、、Chanchoは豚であることは知っていたがPachamancaはあとで辞書で調べたら石焼とでていた、、ともかくその石焼き豚の塊は、その後に食べたものも含めて結果的に今回の旅で食したすべての中でもっともうまいと思ったものとなったのであった ! ! (ちなみにそれにお茶がついて代金は5ソルだった) 、、

La Unionのバスターミナル;2枚072_640x427073_640x427

La Unionの街
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最初の土砂崩れ現場077_640x427

二回目の渋滞;2枚079_640x427084_640x427

その現場;2枚081_640x427089_640x427

通り沿いの食堂看板とPachamanca de Chancho(だいぶ食べたあとの写真)095_640x427094_640x427

 そこから更に2時間も走ることになったか?、ようやくのことでワヌコに着いた時、すでに夕方の4時をまわっていた、、通行止めの待ち時間を除くと山の中の悪路を延々4時間以上走り続けたことになる、、どれだけの距離だったのだろうか?わたしは、知らなかったとはいえ最初にまけろ、といってしまったことを恥じた、、25ソルでは安すぎたかもしれないと思うほど遠かったのであった、、それほどの距離、たいへんなルートだとは思ってもいなかったのだが、その意味では貴重な面白い体験であった、、あとから思うにこの行程(ワラス~ワヌコ)がわたしの今回の旅のハイライトといえる場所だったような気がする、、旅の面白さというのは予期せぬところ、期待しないところにあり、ということでもあったのだ‥、、

 さて、思っていたとおりワヌコは大都会だった、、ここも何の情報ももってなかったからどこに着いてどこがセントロかもわからなかった、、そこで、そのさんま似のドライバー(最初はひどいやつだと思っていたが、その運転技術の凄さに少し見直ししていた、、ただ、それは偶々無事に着いたからそういえたのであって何が起こってもおかしくはない状況だったのも確かだった)にセントロの方角と、もしプカルパに行くバス会社を知っていたら教えてくれと聞いてみた、、セントロは3~4ブロックいったところ、バス会社はこの道を1ブロックいったところにあると教えてくれた、、バス会社が近いのがありがたかった、、荷物を持って歩いていくとそこはすぐに見つかりプカルパへのバスの時間を聞く、それによってはホテルを探さなければならなかったからだ、、そこのバスは一日一本で夜の8時半発、料金は25ソルとのことだった、、ダメモトで他にプカルパへ行くバス会社はないのかと聞いてみた、、もっと安いバスはないかと思ってのことだったが、すぐに斜め前のバス会社もプカルパへ行く便を出しているとちゃんと答えてくれたのだった、、で、そこへもいってみる、、そちらのほうが明らかに大きな会社だったが、プカルパへは夜便が7:00と8:30の2本あって、料金は30ソル、35ソル、45ソルの3タイプがあるとのことだった、、これが前に述べたペルーのバス会社による値段の違い、そして座席による値段の違いであった、、わたしは即座に先のバス会社に引き返してその夜のticketを購入し荷物を預けた、、それでもまだ数時間の余裕があり、まだ日も暮れてなかったので空身になってワヌコの街ブラにでかけた、、パルケセントラルはあいにくその日が日曜でインフォメーションは開いておらず地図を入手することができなかった、、それでも一通りパルケセントラル界隈を歩きまわってから、この街は盆地で周りを山に囲まれていたので、一番近そうな山というか丘に取り付いてみた、、その丘の上まで住居はひしめいていたが、わずかな高みからでも街全体が見渡せて大きな街であることをあらためて実感することができた、、もうそれほどのんびりもしてられなくなって、先ほど歩いたセントロのメルカドまで戻り、そのとき目星をつけていた近くの安食堂で夕食をとって7時半にはバスのオフィスに戻った、、早めに戻ったので事なきを得たが、また説明はあったのかもしれないが聞き取れてないのでよくわからないまま、8時半発のバスは何故だか30分も早く8時に出発したのであった‥(あとからわかったのたが、どうもわたしが思違いをしていたようで、元々8時発だったのである!?)、、

この岩がこのあたりの名所となっているらしくCorona de Inca<インカの冠>と呼ばれていると同乗の女性が教えてくれた097_640x427

ワヌコの(La Union方面行き)タクシーオフィス?とわれわれが乗ってきたカローラバン098_640x427

ワヌコにPlazaはセントロに2ヶ所あってこちらのほうが大きかったが、こちらがパルケセントラルかどうかはわからなかった099_640x427

街中から見えた丘に登ってみた、セントロからは向こうの丘よりこちらのほうが近そうだった、、市街を望む105_640x427