独歩の独り世界・旅世界

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2014の旅 16 , クエンカ Cuenca(Gualaceo,Azogeus)/Ecuador

 クエンカはリオバンバの南250km、キトーからだと450km南にあって、やはり高原・山岳地帯に位置し、エクアドル第三の都市で歴史地区が世界遺産に登録されている街だった、、クエンカへのバスはリオバンバからも一日何本かあったかと記憶しているが、そのなかでもっとも時間的に都合のよかった7:30のバスticketを前日に買うことができたので(6ドル)、それを手に6:50にチェックアウト、といっても安宿は受付がいるわけでなく、フロントに鍵を置いてそのままそこを出る、、バスターミナルまでは5分もかからず、開いていたお店でコーヒーをもらってバスを待つ、、今日も雨こそ降っていなかったが、山は雲に覆われていてホテルの部屋から望めるかもしれないという前日の期待は叶うことはなかった、、そのバスも空席が目立ったがかなりデラックスな昨日と同じPatriaのバスだった(ただしトイレつきではなく、このときもかなり我慢をすることになった)、、バスはリオバンバを出るとかなりハードな山岳ルートをいった、、その分車窓はけっこう楽しめ、エクアドルアンデスの山岳風景が広がっていて、かなり山の上まで開墾され主に牧畜が盛んなさまを知る、、いくつかの村や街を過ぎ2時間走ってアラウシAlausiに着いた(9:30)、、

Patriaのバス(この写真はキトーのターミナルで撮影)074_640x427

車窓2枚(2枚目にアラウシの聖人像が見えてる)118_640x427 120_640x427

 アラウシは悪魔の鼻Nariz del Diabloという観光名所に行く観光列車の出るところとして知られていた、、が、その汽車自体が運行されているのかどうか、キトーでもリオバンバでも聞いてみたが、どうもはっきりしなかった(その時期は運行していないといわれたのか、今はもう運行していないといわれたのか、要するに正確に聞き取れてないので、よくわからなかった)、、で、ここは素通りすることにしbus ticketはクエンカまで買ってあった、、そのバスには外国人のツーリストはわたしのほかには乗っていなかったが、途中から地元の人(ほとんどインディヘナ)の乗り降りはかなりあって、ここで降りた人も多かった、、クエンカまでの間の街としては大きいほうだったようで、ここの営業所でバスはしばらく停車し、それはトイレタイムもかねていたようだった、、そこまでの道は険しく、その街自体が山の中にあって、写真で見た悪魔の鼻へ行く列車からの素晴らしい眺めはバスからでも十分堪能できた(この悪魔の鼻というところに行く列車はかつて列車の屋根に乗れて、スリル満点の山岳鉄道として有名だったようだが、それは何年か前に廃止になったらしい、、写真で見る限りは確かにレアな列車だったようだ)、、やはり写真で見た覚えのあるアラウシの聖人像が見えていた、、そこから更に険しい山岳路(といってもパンナムハイウェイだから全線舗装で道はよかった)を行くこと3時間半、途中Chunchi10:20、Cañar12:10といった街には少々停車して13時半クエンカ着、、ここも大きな街で大きなバスターミナルだった、、

アラウシの街;2枚と車窓から;2枚(2枚目は車窓からとったアラウシの街なので合計は3枚)123_640x427 124_640x427 128_640x427

 時間が時間だったのと、そのターミナルもリオバンバと同じ様なスタイルの安食堂が併設されていたのでますは腹ごしらえ、ここの定食は2ドルでリオバンバより更に安かった、、それから宿探し、、ここもいずれこのターミナルからバスを利用することになるはずだったから、近くに宿があればそれに越したことがなかったが、リオバンバのように安宿が並んであったわけではなかった、、しかし見える範囲でホステルが何軒かあったので、一軒一軒訪ねてみることにする、、最初にいったところは1Fがタイヤ屋さんでその敷地内にホステルがあった、、聞いてみると一泊11ドルとのこと、部屋を見せてもらうと前日のリオバンバよりずっとよくてバス・トイレ、WiFiつき、これで11ドルなら安いとさえ感じたので、そのままそこに荷を降ろしてしまった、、ターミナルから2~3分、セントロまでも歩いていけそうだったので立地も申し分なかった、、場合によってはもう一泊するかも知れないといってとりあえず一泊分を払う、、わたしのほかに客はいる気配はなかった、、おそらくここはターミナルに近いから地元客用の安宿で、たぶんタイヤ屋で儲けてホテルを建てた(つまりホテルは副業)といった感じだった、、静かだし干渉されないし他に客もいなかったので結局そこに2泊することになった、、

ターミナル脇の食堂街でランチを食う;2ドル137_640x427

2泊したホテル、11ドルは安かった032_640x427

 シャワーを浴びて小物を洗濯して街に出る、、しかし歩くとセントロまで2~30分はかかったか?その日はもう夕方近かったので、ざっと2~3時間の街ブラで、帰りにパンと酒類と屋台料理(前日リオバンバで食したもの同じものだったがポテト入り臓物の煮込み?オタバロで食べたものとも少し似ていたが、こちらは0.5ドルだった)を仕入れて宿に戻り、部屋食&何日ぶりかのmailチェックをする、、あくる日は朝からセントロヒストリコに出かけ、まず朝食は前日にぶらついたときに見つけてあった市民広場Plaza CivicのMercado 9 de Octobre<10月9日市場>でパンとカフェコンレチェ0.7ドルですます、、そのあと中央公園のPlaza Abdon Calderonにあるインフォメーションを訪ねるが早すぎてまだ開いてなかった、、で、それならと前日ざっとしかみてなかった世界遺産の街クエンカの歴史地区セントロヒストリコを改めて回ってみることにした、、まずカテドラルCatedral de la Inmaculadaがあって、その隣にカルメン教会El Carmen de la Asuncion、その目と鼻の先にサンフランシスコ教会Igresia San Francisco、3ブロックほど離れたところにサントドミンゴ教会Igresia Santo Domingo、さらに路地の向こうにはサンブラス教会 Igresia San Blas(キトーで馴染んだ名だった)のドームが見えた、、なるほどインカ帝国第二の都市だったクエンカはスペインの植民地になってからも都市としての重要な地位は継承され、多くの教会が建てられ、それが今日まで保ち永らえて世界文化遺産都市に至ったことをわたしにも十分わからせてくれるように、それらの建物群、広場や石畳の道、街全体の雰囲気が十分にそれを物語っていたのだった、、

市民広場と<10月9日市場>001_640x427

パルケセントラル<中央公園>とカテドラル144_640x427

カテドラルの裏手から140_640x427

カルメン広場とカルメン教会、向こうに見えている塔がサンフランシスコ教会141_640x427

サンフランシスコ教会前の広場からカテドラルのドームを望む 142_640x427

サントドミンゴ教会138_427x640

中央公園付近からサンブラス教会のドームを望む146_640x427

 インフォメーションでは地図は前日にバスターミナルでもらっていたから、博物館・美術館のmuseo情報と郊外の見所などを聞いた、、その中で興味をそそろれたのはクエンカの街全体を見下ろせる展望台(Mirador de Turi)があってバスで行けるという情報だった、、高いところへはどこでもいってみたくなるオノボリサンとしては、早速地図上にその場所とバス乗り場を記してもらって行動にでた、、バス乗り場はそこから10分くらいのところ、つまりサンフランシスコ教会の前の通りを4ブロックくらい南にいくと道は下りになって、そこに河がある、、その橋を渡ったところがバス停とのことだった、、で、これもそのとき教えてもらったのだが途中にあるというMercado 10 de Agosto<8月10日市場>に寄り道しながら歩いていってみた、、そのバス停までは簡単にいけたのだけれど、しかしそのバスはなかなか来なかった、、近くに大学があってほかのバスはいくらでも来るがTuriとかかれたバスは全然来ない、、不安になって諦めかけたころ(30分も待ったか?)ようやく来てくれて0.25ドル、ものの15分でBalcon de Cuenca(クエンカのバルコニー?)と呼ばれるCerro(Mirador) de Turi<トゥリの丘>に連れてってくれた、、そこからの眺めはクエンカ盆地を隈なく見渡せて、確かに展望台というにふさわしき場所だったが、写真を撮ってしまうとすることがなくなって、また長時間バスを待つことになった、、たぶん1時間に一本くらい?そのバス一台が行ったり来たりしていたのではないか?、、というのも、しばらく待ってやってきたバスは、そこから更に奥までいって折り返してきたと思われる同じバスだったからである、、ま、それでも往復0.5ドルだったので文句はいうまい、、それよりタクシーまたは観光バスでやってきた外国人ツーリストたちは、いったいいくらくらい払わされたのだろうか?、その額によっては腹立たしく思ったのではないかと少々気になるところであった‥、、

サンフランシスコ教会(左)前の通り017_427x640

セントロヒストリコは少し高台の上にあって、そこから下ったところに川、バス停、大学があった、、大学の上あたりの丘が<トゥりの丘>だがこの写真ではよくわからない018_640x427

丘からの展望はこんな感じ 008_640x427 009_640x427

丘の上には教会、レストラン、みやげ物屋などがあった、、015_640x427

 同じバスで同じところに戻ったわたしは、また同じ道を通って<8月10日市場>に寄って魚フライ定食を食べビールも飲んでしまう、、この市場は<10月9日市場>に比べて規模が大きくてまだ新しく設備等も近代的で、食堂街も多くの店が並び競いあっていて、だからか食事も少し高めだった、、それでも大勢の人で賑わっていて客も商いしている人もほとんどインディヘナだった、、わたしは少しいい気分になって午前中に雨模様で登れなかったカテドラルの塔(鐘楼?)に登ったり(入場料1ドル)街ブラしながらホテルに戻ったが、その途中帽子屋を探していた、、ここクエンカは実はパナマ帽の生産で有名なところであった、、小さな工房や工場が何軒かあって見学もさせてくれると聞いていたが売っているところが見つけられなかったのだ(工房や工場で販売していたかもしれないが)、、パナマ帽をかぶっているインディヘナはけっこう目にしたが、わたしが探していた山高帽をかぶっている人はこの地では少なかったように思う、、いずれにしろあれほど多くのインディヘナが愛用している山高帽にしろパナマ帽にしろ、それほど安くはないことはわかっていたが市場にもその店がなかったのが不思議だった、、早い話が直接かぶっている人に聞けばよかったのだが、結局その機会なく山高帽はペルーまでお預けになってしまった、、で、ホテルにたどり着く前にターミナルによってペルーへ行くバスを調べることにした、、当初ここからロハ(Loja;クエンカより更に200km南にあるペルー国境に近い街)までいって、そこから国際バスでペルーに抜けるつもりだったので、まずロハ行きのバスを探してみるとロハへ行くバス会社は何社もあって便数も何本もあることがわかった、、ところがターミナルをうろうろしていたら、そこに入っている何十ものバス会社のうち二社が、直接ペルーのチクラヨ(Chiclayo;ペルー北部の大きな街)まで行く夜行バスを毎夜一本運行していることを知る、、詳しく聞いてみると一社が夜の10:00発、もう一社が10:30発でどちらも20ドル、翌朝8時頃にはチクラヨに着くとのことだった、、そんなバスがあったんだとはじめて知ることになり、それなら何もロハに寄らなくてもいいではないか、ということになった、、どちらのバスにするかは決めなかったが、なら明日の夜行バスでいっきにペルーのチクラヨまでいってしまおう、とこのとき決めたのだった(なお、国際バスはキトーからも、あるいはリマまで行くバスも、どこから出ているかまでは調べなかったが、けっこうあるようだった)、、

Mercado 10 de Agosto<8月10日>市場にはエスカレーターが備わっていたが動いてなかった、、またパナマ帽のインディへナが目についた;3枚004_640x427007_640x427006_640x427

そのあとに登ったカテドラルの鐘楼から;2枚、1枚目はサントドミンゴ方面、もう一枚は真下にパルケセントラル021_640x427 023_640x427

こんな感じの通りをぶらついてホテルに戻る;2枚

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 ホテルに戻ってそのことを話すと、夜まで荷を預かってくれるといってくれたが、次の日の朝荷物を持ってチェックアウトし(このときも誰もいなくて鍵を置いてでてきてしまった)、夜の10:00にでるほうのバス会社にいってticketを買い、荷物をそれまで預かってくれるよう頼んだ、、なのでそのときから約12時間をどこかで過ごさなくてはならなくなった、、そのプランはいくつか考えていたがいずれも前日に聞いたインフォメーションが役にたっていた、、ひとつはCajas Parques Nacionalesカハス国立公園、もうひとつはBaños de Azuay クエンカ近郊の温泉、さらに近郊の街GualaceoとChordeleg、それとインフォメーションで聞いたところではなかったが、リオバンバからクエンカに来るときに通ったクエンカの手前の街で丘の上の大きな教会が目に止まった街Azoguesというところがその候補になっていた、、いずれも近郊・郊外の街・村・観光スポットだったが、その中からカハス国立公園は時間的にゆっくり見ることはできそうもないという理由で、Bañosの温泉は逆に時間が余りそうなことと外国の水着着用の温泉なんかに入りたくないといった理由で外し、インディヘナの村であわよくば市が開かれている可能性のあったグアラセオGualaceoと、いけたらその先のもうひとつの街(村?)チョルデレグChordelegまで足を延ばし、さらに、その辺の交通体系はまったくわからなかったが、あわよくば方向的に近かったアソゲスAzoguesにも寄れないかと企んでいたのだった、、アソゲス以外はいずれもインフォメーションで聞いて知ったところだったが、その地名と場所を聞いただけで、説明はあったかもしれないがどんなところでどうやっていくかまではわかっていなかった、、で、ターミナルで荷を預けたあと売店でパンとコーヒーを買ったときGualaceoってところに行くバスはあるの?と聞いてみるとセニョリータが目の前からでていると教えてくれるではないか!?、、なーんだ、といった感じで飛び乗ったバスはすぐに発車した、、バスはいったんアソゲスへ行く道を辿ったがすぐに右方向に折れて山の中を行った、、が途中一ヶ所大きな分岐があってその道路案内板に直進アソゲス、右折グアラセオとでているのを見逃さなかった、、そこから30分くらい、クエンカからは1時間くらいかかって(そのときは工事渋滞に引っかかって1時間くらいかかったが、それがなければ3~40分?)グアラセオのバスターミナルに着いた、、バス代は0.6ドルだった、、

 先に述べたように、そのときそこはどんな街でどのくらいの規模でどこがパルケセントラルか、まるで何もわかっていなかった、、着いたときの印象は小さな田舎街、逆にここになにがあるのか不思議なくらいだった、、で、結論を先にいってしまうと、何もなかったのである、、それでも人に聞いてパルケセントラルまでいって、誰もいないインフォメーションで(その日は土曜日で役所には誰もいなかったが、どうぞご自由にといった感じで事務所は開いていた)そこにあった観光案内パンフレットをもらってきてしまった、、表紙にjardin del Azuayと記されたそのグアラセオの案内パンフレットにはスペイン語と英語でこの街の説明が書かれてあった、、それによるとjardin de Azuayはアスアイ県(24あるエクアドルの県のひとつ)の庭とでも訳したらいいのか?、どうやらその街はのどかな田舎街で、ゆっくりくつろげるところをうたい文句にしているようだった、、それでいてアスアイ県でクエンカに次ぐ大きな街なので、そこそこの宿泊施設や商業施設、キャンプサイト、ハイキングや川遊び、手工芸の工房、等の施設はちゃんと整っていて風光明媚・気候温暖が故に一年中楽しめるところだとうたっていた、、確かにいわれる通りのどかな山間の街といった感じで、市内を流れるRio Santa Barbaraサンタバーバラ川の両岸は公園になっていてキャンプサイトもあったし、何よりそこにかかる屋根つきの木製の橋が、なんともいえぬ風情を誘った、、わたしはこの小さな街をパルケセントラルから、このRio Santa Barbaraにかけて約1時間ほど彷徨って、そこに期待していた市あるいはインディヘナの工房といったものをみつけられなかったので、その木橋をみられたことでここをよし(了)とした、、そして次のChordelegに行くかどうかで迷う、、もしかしたらチョルデレグも同じような感じではないか?そこは宝飾品(jewely)や織物等の手工芸品で有名らしかったが、それらにはあまり興味がなかったから、それなら途中でみた直進Azoguesの看板に賭けてみるかと、クエンカに戻るバスに乗ってしまった、、そしてその降り場の地名もわからなかったし、たとえ知っていたとしてもアナウンスは聞きとれなかったから、バスの一番前に座ってその場を逃さないように見張っていた、、で、間違いなくそこで降りられたが、降車の際いくらかと聞いたらクエンカへ戻るのと同じくらいのことをいわれる、、それはないだろう、とケンカしてもよかったが、ま、日本円で10円~20円のことだったからいわれたまま払って、すぐにAzogues方向の道にいってみると、そこに一台のバスが待っててくれて今にも発車するところだった、、Azogues?ときくとそうだという、すぐに飛び乗るとバスは発車した、、たぶんこのバスは接続のためにそこで待っていてくれたようだった、、もし前のバスのドライバーとケンカしていたらこのバスに乗れなかったであろうし、そしたらどうなっていたか?ギリギリのところであった、、それでも次第に、もしかしたらバスがあるかもしれないという賭けに勝ったようなうれしさがこみ上げてきた、、そのバスは裏道をいくローカルバスで、そこから30分ほどかかってアソゲスについた、、グアラセオから20分ほど乗ったバスが0.5ドル、乗り換えて30分ほど乗ったバス代は0.25ドルだった、、

グアラセオのパルケセントラルとカテドラル033_640x427

サンタバーバラ川にかかる木橋Velazco Ibarra;3枚、屋根つきの橋の真ん中にベンチがあったりしてまことに洒落た橋だった、、なおこの橋は車も通っていた、、035_640x427 037_640x427 036_640x427

 どうやらアソゲスAzoguesというところはすでに隣の県だったようで、グアラセオやクエンカの地図には載っておらず、これまた情報は何もなかった(あとで調べたところによると隣のCañar県の県都だった、、だからインフォメーションでも情報をくれなかった?orなかった?)、、が、そこは何日か前にみた丘の上の教会にいってみることだけだったので地図がなくても、どこからでも見えたその場所へはただ坂を登って行きさえすればよかった、、それでもバスを降りたところからそこまではけっこうな道のりで、しかしタクシーは決して使わないわたしだから歩くしかなかったのだが、その途中にパルケセントラルがあって例によってカテドラルと市庁舎があった、、それならインフォメーションもあるはずと訪ねてみたが、ここも土曜日だったのですべては閉まっていたのだった、、あとは歩くだけ、で2~30分も歩いたか?急な坂を登ってたどり着いたところにあったのはIglesia San Franciscoサンフランシスコ教会だった(それを知らずに、それを確かめにいったようなものだった)、、それにしてもこれほど大きな教会が市内を俯瞰する高台に築かれているのを今まで見たことがなかったので、その立派さとそこからの眺めの素晴らしさには驚嘆させられるものがあった、、それだけ惹きつけるものがあったということだった、、ま、来た甲斐があったといえた、、インディヘナの参拝者を少し見かけただけでわりと閑散としていたが、やはり観光スポットでもあったからか、食べ物屋や土産物屋の露店がでていた、、市街の眺望を楽しんで、ふと下のほうを見るとはるか下までの階段状の巡礼路が造られていて一画にはメルカドがあるように見えた、、わたしは左手の丘のほうから来たのでその道は通っていなかった、、で、そこまで降りて露店の食堂で昼飯を食う、、同席になった地元の家族に話しかれられ親しくなった、、彼らははじめチノかといってきたので、とくとくと日本と中国の違いを説明し、日本人は中国人が好きでないから、むやみにチノといわない方がいいよ、といつもの説を展開したが、流石に最近はチノと呼ばれることは少なくなったとはいえ、彼らからすれば中国人と日本人の区別がつかないこともわからないではなかったのだが‥??、、

最初にバスを降りたところ、、ここがアソゲスのバスターミナルと思ってここに引き返してきたら、本当のバスターミナルはとんでもなく遠くにあることを教えられる039_640x427

街のどこからでも見えた高台の上の教会042_640x427

アソゲスのパルケセントラルとカテドラル041_640x427

そこはサンフランシスコ教会だった;2枚045_427x640 046_640x427

教会前のバルコニーからの眺め;2枚、2枚目の下のほうにメルカドのような屋根が見えている043_640x427 044_640x427

露店の食堂で昼飯を食う(2ドルだった)050_640x427

 この街はそれでもけっこう大きかったから3時間くらいうろうろしたであろうか?ここに来るときに降りた場所がバスターミナルかと思ってそこに戻ったら、バスターミナルは別のところにあってけっこう遠いからバスでないといけないと教えられる、、そこは確かにとんでもなく遠いところにあったし、また全然大きくて立派であった、、クエンカに行くバスは15分おきくらいにあって、来たときとは別の高速道路のような道を通って(リオバンバからきたときに通った道)45分でクエンカ着、0.5ドルだった、、時間は、それでもまだ4時頃だったので、あと5~6時間暇を潰さねばならなかった、、仕方なくまた街に繰り出す、、今度はこれもインフォメーションで聞いていたmuseo del Banco Central<中央銀行博物館>にいってみたが16時閉館でそこでの暇つぶしはできなかった、、なので併設されているインカ時代の遺跡Pumapongoにも入れなかった、、仕方なく外からは見えないかとそのまわりをぶらついていると小さな動物園みたいなところがあって、そこは開いていた、、ほとんど来園客はいない感じだったが無料だったので入ってみると奥が広くて道に沿って階段を登ったところが、本来なら中央銀行博物館からしか入れない遺跡につながっていた、、誰もいなかったので、無断で入って写真を数枚とって、そっとまた先の入り口から退場した、、なんかいけないことをしてしまったような、そんな罪悪感もなくはなかったが、聞こうにも人が全然いなかったのである、、そんなことをしながらしばらく歩き回っていたがいい加減疲れてターミナルに戻った、、帰りにパンとビールを買い、そこでは二度目となる例の露店の臓物とポテトの煮込み(0.5ドル、そのときその食べ物の名前がmotechocloということを聞いた、、別名papa fritaba chanchoというそうで豚の臓物にポテト、ソラマメ、バナナ、とうもろこしなどが入っていることがわかった)の夕食をターミナルでとる、、それでもまだ1~2時間はそこでじっと待つしかなかったのだが、何とかその夜エクアドルを離れたのであった、、その日は3月15日の土曜日で、ペルーのために残された時間は約2週間となった、、その時はまだ、いつどこへということは何も決めてはいなかった、、が、今回の旅ではクスコ・マチュピチュを目指していなかったことだけは確かだった、、

アソゲスのバスターミナル、遠くにサンフランシスコ教会が見えている054_640x427

エクアドルのインカ時代の遺跡Ingapircaには及ばないが、クエンカの街中にあるインカの遺跡Pumapumgoに無断で入って無断で写真をとってしまった、ここがエクアドル最後の見学先となった、、;5枚056_640x427 058_640x427 059_640x427060_640x427 061_640x427

motechocloを教えてくれたおばさん065_640x427