独歩の独り世界・旅世界

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コルカタ <Kolkata or Calcutta> 2013/08/13~08/15

 Chaina Eastern Airlineのインド便はコルカタとデリーに就航しており、ルートの選択にあたりKolkata in , Delhi outを選択していた、、どちらを選んだとしても真夜中の離発着に変わりはなかった、、なのでKolkata着深夜の12時である、、入管<イミグレ>は簡単、もっともインドの場合今でもVISAが必要で、しかもその都度とらなければならず、去年に引き続いて2度も大塚通い(ビザセンターは文京区大塚にあって、申請後一週間くらいかかる)をさせられたので、ま、ここでは何も問題なかったというわけであった(空港到着時にarrival visaとして取得も可能とのこと)、、

 さて、深夜のKolkata ダムダムDumdum空港(正式にはNetaji Subahas Chandra Bose国際空港) 、ここは18年振りであったが、わたしの記憶力は1年以上前はカバーできないので、当然当時のことは覚えていない(最初は1973,したがって3回目のカルカッタであった)、、が、たぶん変わっていないと思う、、なぜなら去年のデリーのようにその立派さに驚かされる、ということはなかったから‥、、しかも深夜である、到着便も少なく乗降客はまばら、、外に数台のタクシーが停まっていて、そのドライバーだか客引きだかが相変わらずたむろしてはいたが、これが国際空港?と思わせるようなさみしさがあった、、わたしは出迎えているほんの数人(10人に満たない)の現地の人がもつ氏名の書かれた紙片を一つ一つチェックしたが、我々の名前が書かれた紙片を持つ人はいなかった、、案の定‥

 ま、予想できないことではなかった、、わたしは中国東方航空のスケジュール変更を知らされた時に、新たにコルカタの宿の予約を急遽ネット検索で申し込んでおいたのだが、その際、いつもはやらないことだが、到着が深夜で、しかもこのときはツレがいたのでその宿に出迎えも依頼しておいた、、それでその確認mail(何時にどこで待てばいいのか)を2度ほど送ったが、返事をもらえてなかった、、普通は考えられないことなのだが、実はその宿は‘超’がつくほどの安宿だったので、ありえないことではなかったのだった(ま、それにしても全世界を網羅するホテルの予約ネットが、こんなところとも契約しているのかと、後日そこに怒りのmail - 評価 - をいれておいたが‥)、、

 予想できたことだったが、それがわかるやあちこち駆けずり回ることになった、、まず空港での両替レートが悪いのはわかっていたから、闇両替屋を探し、それでも足元を見られて10ドルを550ルピーでしか替えてくれなかった、、次にプリペイドタクシーのticketカウンターへ、行き先を告げるとここでも深夜だからとか何とかいわれて、たぶん昼間なら200Rs(Rs;ルピー、1インドルピーは今回1,7円くらいだった、、今後Rsと表記)くらいのところを250Rsといわれてしまう、、これも従わざるをえなかった、、そしてタクシー乗り場に、、待たされることもなくポロタクシーに乗り込めたのでヤレヤレと思わなくもなかったが、一抹の不安を感じないわけではなかった、、どこのホテルかと聞かれたとき、わたしもよく覚えていなかったのでそのバウチャー(予約をプリントアウトしたもの)をみせたが、その場所がよくわからないようでまわりのドライバーに聞いていたからだった、、‥深夜のコルカタの街に向けて走り出す、、暗い、車の往来は少ない、道はガタガタ、、ま、インドらしいといえば、まさにインドに来たという感じなのだが、しばらく走って重大なことに気づかされた、、このドライバーは英語が通じなかったのである、、その後もたびたび経験することになったが、わたしの思い違いかインド人は30以上ある各地方語(のひとつ)のほかに公用語のヒンズー語と英語はみんなしゃべれると思っていたのだか、ヒンズー語はともかく英語はみんながしゃべれる(あるいは読み書きができる)わけではなかったのだ、、どうやらどこかで錯覚か記憶違いをしていたようで、そのことがそのあとの展開に大きな波紋を呼ぶこととなった、、

 これも予想できたことだが、その宿(guest house)はどうやら街の真ん中でなく住宅街にあるのかもしれないということだった、、そしてそのドライバーは人に聞いたりしながら、なんとかその一角まではいくことができた、、しかしお目当てのゲストハウスにはたどり着けなかった、、そのあたりに到着した時点ですでに1時間くらい経過していたと思う、、そこは確かに住宅街の真ん中でもう通行人もおらず、これ以上探しようがなくなった、、頼りの彼のケータイはバッテリー切れで使い物にならない、、と、とあるゲストハウスの看板に行き当たる、、ここだ、着いたといわれたが、その看板はわれわれが予約したところのものではなかった、、が、それをいっても通じなかった、、そこの入り口から大声で人を呼んだが誰も出てこない、、せめて英語がわかる人がでてきてくれないか、あるいは誰かが通ってくれないかというわたしの期待はそれから小一時間かなえられることはなかった、、そりゃそうだ深夜の2時である、、しかしそれ以外に解決の道はなさそうだった、、暗闇の街路で延々と通じない言葉て、ここだ、いや、ここではないと言い争い、しまいにこのドライバーは空港に戻るといいだしたから、こんなところに放りだされたらそれこそ路頭に迷うことになると思い、それなら警察にいこうとわたし、、ま、このドライバーにしてもとんだ災難となったようであった、、で、待てば海路の‥というが、やっとのことで助け舟が現れる、、その地区の自警団のような二人組みがバイクに乗って通りかかった、、彼らからすると我々は不審者だったかもしれないが、我々にとってはまさに救いの神だった、言葉が通じるということはこういうことである、、いとも簡単に彼らはこのタクシードライバーに説明し正しい住所のところを探してくれ、そして我々は深夜の3時近くにやっと予約しておいたホテルに到着することができたのであった、、

 インドの初日にふさわしいハプニングだったが、そこはまったくイイカゲンなホテル(?、guest house、つまり安宿、いや正確には下宿屋?)だった、、もちろん出迎えのなかったこと、その前にmailの返信がなかったことなどを咎めたが、ここでもほとんど英語が通ぜずに、それはうやむやになってしまった、、ただ、その分得したこともあったのでそれらは帳消しとなった、、それはあくる朝のこと、ほとんど睡眠不足の状態で朝食はどうするか聞かれたので、朝食付きかと聞くと、そうだとの返事、でこちらの希望をいって、洋風のかなりリッチな朝食を平らげたあとに、やはり朝食は別料金だったといってきた、、そらみたことか!?いまさらそんなこといわれても、払うわけないだろ!!、で、朝食代260Rsは昨日の不祥事とチャラとしたのであった、、

最初の夜泊まったGuest Houseのある住宅街023_640x480

その四辻で客待ちしていたタクシーを拾う
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 カルカッタ(コルカタ)はホテルが高かった、、わたしはワールドワイドのホテル検索ネットで、ま、宿泊の確定できる日などは調べて安いのがあれば予約していた、、到着時間が深夜となればなおさらである、、わたしの予約するホテルは上限はだいたい30ドルまでとしていた、、ヨーロッパでもそれは可能だったが、当初サダルストリートに予約を入れたおいたホテルは二人で朝食付きの中級ホテルだったが50ドルくらいして30ドル前後で見つけるのが難しかった、、そして日程変更で急遽探さなくてはならなくなり、空港近くで仮眠がとれればと、という意味合で20ドルくらいのところに予約を入れたのが、この始末であった、、我々は朝食を食べ終わると流しのタクシーをつかまえて、当初予約しておいたホテルにさっさと移った、、そのホテルは中級クラスとあって調度・設備、サービス、朝食等問題はなく、かなり快適なホテルだった、、そこに2泊、ま、ツレがいる場合はこの程度(の出費)はしようがない‥??(余談になるが一人になると1/5くらいのところ、高くて10ドル、ということはもちろん歩いて探すのことになる)

タクシーからのショット、路面電車と人力車は健在のようだった027_640x480 025_640x480


 そのホテルまでのタクシーがまた奇妙だった、というか新しい知見があった、、タクシーの相場はわからなかったが、流しの場合メーターが機能するならそのほうが安いであろうことはわかっていた、、その住宅街にあった下宿屋のような宿から、コルカタの中心街、それこそ昔の旅人ならカルカッタ・サダルストリートは知らない人はいないといわれた有名な安宿街まで、激しい混雑の街中を、それはそれで楽しい市内見物となったが、たっぷり一時間近くかかった、、で、メーターをみると73Rsの表示、聞きしにまさる安さだ、、これならチップを弾まないとと100Rs札をそのまま渡そうとしたら、突然その運転手はなにやら一枚の紙片を取り出し、これが改定料金表だといって、73Rsは180Rsだといわれてしまった、、おいおい、ほんとかよ!?、なんか騙されたような気分になって、チップどころではなくなった、、いわれたとおり180Rsはごねずに払ったが、ちょっと後味はよくなかった、、実際はいくらなんだろうと疑問が残った、、ま、それでも確かに安いのであったが‥、、で、後日談としては、その後いつもと違って何回かタクシーを利用することになったのだが、メータータクシーはこのとき限りでいずれも事前交渉して乗る運びとなった、、それらはいずれもエアポートタクシー並みの料金で、15~30分くらいの距離で、値切って200Rs、そのときになってはじめて、いかにこの時メータータクシーが善良で、しかも安かったがつくづくわかったのであった(何せ1時間くらいの距離を走って180Rsだったのだから)‥、、

サダルストリートの現在、昔を知る人は往時を偲んでください、、002_480x640004_480x640


 カルカッタは見所の多いところだったが、街の雰囲気もずいぶん変わっていて(もちろん変わってないところも多々残っていたが)昔ほどの魅力は感じられなかった、、それにこのごろはどこへいっても、だいたいの感じがつかめればそれで良しということで、いわゆる名所も観光スポットもどうでもよかったのだ、、また、この時、ツレとの関係が最悪で(もしかしたら我々は仲のいい夫婦と勘違いされるムキもあるかもしれないが、実際は何かの拍子に突然口も聞かなくなったり、すべての行動は別行動になったりする最悪のパートナーであって、必ずしもわたしは同行を望んでいたわけではない‥)それぞれ勝手に行動していたのであるが、わたしはこの日一人で鉄道の切符を買いにEastern Railway Resarvation Officeを探していて、何人も何回も聞きながら歩きまわつていた、、それこそタクシーを使うべきところだったが、一人だったので行きと帰りで数時間は歩いてしまった、、ま、それはそれでわたしの市内見物・楽しみでもあったのだが‥、、

ニューマーケットの雰囲気は大きく変わってしまっさたことのひとつ<下の写真はニューマーケット前の広場?>

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フーグリー河Hooghly Riverの岸からハウラー橋Howrah BridgeとハウラーステーションHowrah Railway Stationを臨む、わたしの好きな場所のひとつ、、
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街角のチャイ屋さん、ここは今回の旅でもっとも安かったチャイ屋のひとつ、しかし現地の人は2Rsだったのに5Rs札を渡したら2Rsしか釣りが返ってこなかった、、1Rs(1,7円)ごまかされたので文句をいおうかと思ったが、やめた‥ 036_640x480


  疲れきって、ホテルのはす向かいに見つけた酒屋で缶ビール(ちなみにインドでは酒類がとても手に入りにくい、しかし価格は安い、、後に愚痴ることになると思うがそれがネパールに入るとそこらじゅうに酒屋があった、、しかし他の物価に比べビールはやたら高かった)を買ってきてホテルで一人飲むビールがたまらなくうまかった、、次の日も口をきかない状態が続き、わたしは一人で街ブラする、、このときは18年前には工事中だったと思う地下鉄がチョウロンギ通りChowrongee Rdの地下を走っていたので、それに乗って昔も訪れたことのあるカーリー寺院やあのバカでかいモイダン公園The Maidanの中を徘徊していた、、わたしのコルカタはそれで十分であったが、果たして最初にそこへいってみたいといっていたツレの想い・希望はかなったのかどうか、わたしはそれを知らないし聞きもしなかった‥、、

昔のイメージ(記憶)とはまったく変わっていたカーリー寺院046_640x480

チョーロンギー通り2枚、上はホテルOberoi Grandとその手前に地下鉄の入り口、下は同地点から逆方向043_640x480
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The Maidanモイダン公園とその一画にあるヴィクトリア記念堂(そこの入場料は高かったので入らず)、、いずれもつまらない写真で証拠写真の域を出ず、、052_640x480

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