独歩の独り世界・旅世界

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ヨーロッパ、初日

 リスボンの見所はたぶん、街の中心と河沿い(テージョ河 Rio Tejo)にあるジェロニモ修道院<Mosteiro dos Jeronimos>、発見のモニュメント<Padrao dos Descobrimentos>、ベレンの塔<Torre de Belem>といったあたり、あとは少し高台になっているカスティージョ<Castelo de Sao Jorge>とその丘を巡る路面電車、そんなところではなかったか?いずれも街中に何ヶ所かあるtouristインフォメーションセンター(&空港にもあった)で、地図やらパンフレットが手に入ったから、ここでは別にガイドブックがなくてもほとんど不自由はなかった、、また宿は、いまどきたくさんの宿検索サイトがあったので、リスボンやスペインの何ヶ所かはそれを使って予約していたところが多かった、、実際そうすれば、予約段階でその宿へのアクセス方法まで調べられたり、またときにはそのほうが直接いって交渉したりするより安かったりした、、で、到着日が決まっていたリスボンの宿は、25ユーロくらいのところを予約しておいたのだが、いってみるとそこはきわめて立地のよいところでまたスタッフもたいへん親切、思っていた以上に当たりのホテルであった、、

 ホテルに着いたのは朝の9時半ころだったので、まだチェックインできなかったが、しばらくカメラのバッテリの充電をさせてもらい、PCのチェックをして荷物を置かせてもらって、早速街ブラに出かけた、、ホテルは一本裏道のRua das Portas de Santo Antao という石畳の街路にあって、その通りは劇場・映画館・レストランなんかがある、あとから思うとなかなか味わいのある道だった、、そこから一本向こうの大通りにでると、そこはAvenida da Liberdadeという道幅が数十mもあって、通りの真ん中は公園のようになっている大きな通りで、その辺からテージョ河の河岸にある広場Praca do Comercidあたりまでがこの街の中心部になっていた、、早速その辺りを徘徊しながら足を河の方に向けた、、たぶんまっすぐ歩いたら30分もかからない道のりだったと思う、、途中にElevador de Santa Justaという小さな塔があった、、その名の通りエレベーターで上までいけるのだけれど、もちろん有料だったが、どうやら朝方に空港から市内まで来たバスのticketが、この辺の地下鉄やバス・路面電車が載り放題の一日券だったので、そのticketでこのエレベーターを利用でき上まで登ってみた、、それほどの高さはなかったけどそこから市内が眺望でき、同じくらいの高さにカスティージョ・城跡が向こうに見えた、、そして、その高さから連絡通路が出ていて、こちら側の丘と繋がっていた、、なんとも面白い地形というかリスボンは谷あいに発達した?丘に挟まれた長崎のように坂の多い街であった、、それゆえに趣があるともいえそうだった、、

月並みな写真ばかりだが、上左;街のど真ん中に立っていたサンタジュスタタワーElevador de Santa Justaとそこからの眺め2枚、上右;中央広場?Praca D Pedro Ⅳ、下;赤い屋根の向こうの丘がCastelo de Sao Jorgeサンジョルジェ城址

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 わたしはこの街は初めてでなかったが、記憶力の悪さは定評で35年前の記憶はほとんど残っていなかった、、しかしそのときに出会ったひとりの日本人(35年前にあった彼とは今でも音信あり)のおかげで、そのとき連れて行ってもらったファドの印象がすこぶる懐かしく思い出された、、が、その場所ももう定かでなかった、、それとともに記憶の片隅にあった発見のモニュメントとサンヘロニモ修道院に今一度向かってみた、、そこへは路面電車でいけたし、それももっているticketが有効だった、、この路面電車がまた懐かしく、これで丘の上にあるカスティジョ<城址>へいった記憶もよみがえってきた、、いまやこの路面電車も観光のシンボル化しており、新しい車体も導入されていたが、昔のまんまのカーブで車輪が軋るポロポロの古いのが来るのをPraca do Comercio河岸の広場で待った、、やってきたそれは結構込み合っていたがぎゅうぎゅうではなかったので、それに乗り込む、、観光客がほとんど降りたジェロニモ修道院のひとつ先までいくつもりだったのだけれど、流れに逆らえずわたしもそこで降りてしまった、、なのでそのままジェロニモ修道院を観て、通りの向こうの河沿いの発見のモニュメントに向かって歩きながら、さて、何時ころか?と時計代わりのケータイを探したときに初めて異変に気づいたのだった、、はて?どこにしまったか、記憶力の悪さは35年を必要としない、、さっきまでのことがもうおぼろげなのだ、、確か2時間くらい前に一度見て上着のポケットに入れておいたはずだったのだが‥??モニュメントについて持ち物チェックを服からバッグからすべてやってみたが出てこなかった、、どこかに置き忘れたか‥??それもここあたりはなかった、、もうそれからはベレンの塔やその辺りを徘徊していたが、頭はずっとケータイの行方を追っていた、、どこに置いたか?あるいはどこで落としたか?結局そのままセントロに戻り、ツーリストポリスの場所をRestauradores(空港からのバスを降りたところ、ホテル近くの大通りの辺り)のインフォメーションで尋ねるとなんとたまたまそこの隣がツーリストポリスのオフィスで早速紛失届けを出す、、そのときは紛失と申し立てたが盗難とすべきかちょっと迷った、、ま、結果的にはどちらでも同じことだったとは思う、一ヵ月後に再びそこに寄ってみたが、もちろん届け出られるということはなかったのだから、、ただ、あとから思うに電車の中ですられたとしか考えられなかったのだ、、となると諦めざるを得なかった、、それにしてもスリにあったのは初めての経験で、ある意味そのお手並みお見事というよりなかった、、まったく気づかなかったのだから(あとでヨーロッパのすりの技術が高く、被害が多いということを知る)、、が、その日本のケータイをどう使う?そんな疑問は残った、、もっていっても通話はできないようになっていたし、悪用したり売り飛ばすことも不可能なように思えた、、ともあれ、そんなことがあって腹だたしいやら時間がわからず不便になったこと、ユーロの両替率がよくなかったり物が軒並み高く感じられたことなどが、わたしを非常に不愉快にさせた、、なので初日の夕食は買ってきたパン・惣菜・ワインでホテルの部屋で取る、、それにしても寒い、エアコンの暖房つきの部屋だったが、カンクンから飛んできた身にはヨーロッパはとんでもなく寒く感じられたのだった‥、、

面白くない写真が多い、上からPraca do Comercido 広場前に停車中の路面電車、次がバスコダガマが眠るジェロニモ修道院、発見のモニュメント、ベレンの塔018_640x480021_640x480023_480x640
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