独歩の独り世界・旅世界

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グアテマラ最奥を行く、、ミラドールEl Mirador遺跡 その3 ,三日目ミラドー遺跡を歩く

前回からつづく

<三日目>不思議なもので、このミラドール行の期間中、わたしはことの他よく眠れて、年よりなものでいつもなら2,3回トイレに起きることがあるのに、それが一度もなかった、、ほとんど毎日熟睡できたのです、、
で、その日(三日目)の予定はほとんどリラックス&休養日といった感じで、ゆっくり起きてゆっくり食事して、午前中はこの遺跡最大のテンプルLa Dantaに行くだけでした。ま、このミラドール遺跡自体は巨大で、それこそすべて発掘されたら一日で回りきるのはほとんど不可能かと思われますが、幸か不幸か今の段階では見るべきものがほとんど手付かずのため限られてしまっているのです、、なのでそのキャンプサイトから3~40分?(基壇まで)のところにあるテンプルLa Dantaを見物して、その途中にある遺跡を2,3周るだけの予定しか午前中は組まれていませんでした。それでもみんな早起きで、早起きついでに昨夕落日を眺めたところから日の出を見ようと再びテンプルTigreへ登ったのでした(わたしだけわかってなかったのかもしれないのですが、もしかしたら皆そのために早起きしたのかもしれない?、で、わたしも同行しましたが、当然そこからは日の出も落日も見ることができたのです)。が、この日あいにく雲がかかっていてそれは叶わなかった、、で、朝食後気を取り直して全員でテンプルLa Dantaに向かいました。もちろん道は続いているのですが遺跡エリア内であってもジャングル状態であることは変わりません、所々でウーゴの説明を聞きながら歩いていると突然ヘリコプターの轟音、、わたしはてっきりこのあたりを遊覧飛行しているのかと思っていたら、なんとその一行と数時間後に出会うことになりました、、

このテンプルLa Dantaの大きさが昨夕と今朝登ったテンプルTigreよりさらに大きいことは、そこに登ってわかりました。それは昨日Tigreに登ったとき東のほうに小山状の高みがあってそれは今いるところより高そうだということはわかっていましたが(ウーゴの説明もあった)、実際にその基壇部分でウーゴから説明を受けて、そこから設けられた階段をだいぶ登って上部テラスに着くと、そこに見上げるようなピラミッドが建っていて、その架設の階段を登って漸く頂上(まさに山の頂上といったところなのでそう書きますがピラミッドのてっぺんのこと、基壇から100m越えてる?30分くらいかかったか?)に着いたのです。つまり下の基壇部分からがひとつのピラミッドとしたら、これはとてつもなく巨大な建造物で、いまだ樹木に覆われた小山でしかないのでイメージはわきにくいのですが、もしそれが復元図どおりだったとすると、まさにここが巨大都市だったことがいやおうなく実感できるのです。が、そんなことよりわれわれはおそらくマヤの遺跡の中ではもっとも高い所となるその場で、まるで日向ぼっこでもするような感じで1~2時間リラックスしていたでしょうか?遠くを眺め、サルの咆哮・鳥の囀りを聞き、そよ風を肌に受け、何するでもなく時の過ぎゆくままに‥、、しばし悠久の時の流れに身を任せ、時空を越え2000年ほど時間を遡ってみると、そこはこのすべてを呑みこんでしまう緑の魔物を退治した人間の営みがあったのです、、まさにそれこそが、このどこまでも続く緑の地平を人々が作物の実る大地に作り変えたというその事実が・その歴史が驚異であり想像を絶するものに他なりません、、その人たちが・その社会がこのピラミッドを造り上げた、、しかしその1000年後にはだれも住まない・住めない地となって現在に至っています、、このマヤ最大の謎(どうしてそれほど発展していた社会が滅ぶにいたったか)は、マヤに興味を持っている人々の最大の関心ごとで、いまだその確定的な説はないようです、、が、いくつかの説がマヤ学者のあいで論じられていて、その中に同様の説もあったかと記憶していますが、わたしの趣味的見解はそれを抽象的な言い方に変えて表現しておきたいと思います、、即ち、この緑の魔物の復讐にあったのではないか(具体的にも述べられますが)と‥??

La Dantaの説明をするウーゴ氏、彼が指差しているところが上部テラス
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上の案内板のあるところから(そこが基壇のへり?)上部へ行く階段が架設されていたが、この山・この写真全体が遺跡ということ、、??
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,だいぶ登ったところの上部テラスに建つ最上部のテンプル182_640x480

上記テンプルの裏側に階段が設えてあって上まで行ける、頂上からの眺め南方向
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頂上からの眺め西方向、ちょっとした高みがテンプルTigre171_640x480

頂上からの眺め東方面、カラクムル遺跡が見えないかと望遠鏡で眺めてみたがわからなかった、、方角を間違えていた(方向は北だった、実際は見えるらしい、、)167_640x480
頂上で寛ぐ仲間たち、、170_640x480
<ここの高さを示す指標として、眼下の樹海がどの位置に見えるかという尺度があります、、即ち樹海の木の高さはそれほど変わらないので、確かにティカルより高く思えた、、興味のある方は写真などで確かめてみてください、、なお、この頂上はsea levelつまり標高でいうと300mくらいだそうです>

 さて、しばらく各々想い想いに時空を彷徨った後、ピラミッドを下っていったところで先ほどのヘリコプターの一行と出会ったのでした。わたしは知らなかったので、そのとき初めてヘリコプターで来る人々がいること・来ることができることを知ったのでした、、しかしその中には高齢の方もおられたから、ま、それにたいして少し疑問視もしましたが、ひとつの方法論として認められてしかるべきなのでしょう‥??、でも一言だけいいたい、、ヘリコプターに限らず、車で来る道ももう近くまで迫っているのではないか?つまり今のように手付かずの自然・手付かずの遺跡が残されている状態がいつまで続くのだろうか?ということです、、早晩ここは第2のティカル、グアテマラ4番目の世界遺産となることが目に見えています、、ま、しかしそれも一概にどうのこうのとは言えません、、わたしだって自然を荒らし・遺跡を荒らした一人に他ならないからです、、グアテマラにとっては、ここの住民にとってはそれが生きる道となるでしょう、、難しいですね、この問題は。開発か?自然保護か?古くて新しいこの問いに2000年前(正確にいうと紀元前2000年からだから4000年前)から1000年前まで生きた古代マヤの人々はどう答えたのでしょう‥??

帰り道に2,3手がつけられている発掘跡を見学しました、、そのひとつに古書ポポルウフに出てくる場面のレリーフが見つかった現場がありました、、どうもこれはそうとう重要な発見だと思われます、、また当時の役所?中央広場辺りにあったパレス跡、また往時の幹線道路の行き来を監視した関所?ゲート?(ここは往路に通った)等々ウーゴ氏が熱心に説明してくれましたが(スペイン語なので)わたしの理解度は半分くらいでした、、

158_640x480往路に通ったかつての関所跡?市街は石壁の塀で囲まれていて、出入りは制限されていた、ここが数少ないゲートのひとつだったようだ、、

ポポルウフにある場面のレリーフが見つかった発掘現場192_640x480
パレス跡で説明してくれるウーゴ氏199_640x480


 午後は2~3時間自由時間?昼寝の時間となり、夕方から出かけたテンプルTigre近くのテンプルJaguarもだいぶ発掘の手が入っていました。が、ちょうどそのころにはわたしのカメラのバッテリーが尽きてしまって*、残念ながら写真は残っていない、、その後再びというか三タビというか、またまたテンプルTigreに登り夕日を眺めて時を過ごしたのですが、実はたぶん今現在発見・発掘され見学に値するor見学できるところはそんなに多くはなかったのではないかと思われます、、実際三番目に大きいピラミッド、テンプルMonoへ行かなかったのは行っても登れないか、またはそこまで行く道がついていないかで、たぶん行けなかったからでしょう‥??、なのでガイド・ウーゴ氏をもってしてもなすすべなく、暇つぶしの手を考えていたのではなかったか‥??、ということでその全体像だけでもわかるよう、このキャンプサイトの入り口あたりに掲げられていた復元想像図を以下に添付し、参考にしていただければと思っております、、
<*カメラのバッテリーチャージについて;実はその前日の段階でわたしのカメラのバッテリーは切れていた、前日に泊まったTintalのキャンプサイト太陽光発電だったので充電できなかったが、ここミラドールキャンプサイトでは発電機があって有料で充電ができた、、1時間30Q、で、その日の朝時間がなく30分しか充電できなかったので一日は持たなかった、、次の朝また30分充電した、、>

遺跡全体の復元図、下;簡単に説明すると図左上のピラミッドがテンプルTigre、ちょうどその下あたりがキャンプサイトの位置、右下の二つのピラミッドは未発掘・未整備で今回訪れていない、、最大のピラミッド、テンプルLa Dantaが右上遠くに見えている、、この図にあるようにマヤの遺跡はどこでも赤色に着色されていたらしい、、その名残りがテンプルLa Dantaの側壁に見られた、、写真右

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