独歩の独り世界・旅世界

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悪夢のラスベガス 2012,09,12~14

 サンフランシスコ23時発のバスは途中ほとんど記憶ないくらい眠れてしまって目覚めたときはロスアンゼルスリトル東京あたりを走っていた。すぐにロスのグレイハウンドのバスデポに着く、ここは12年前と2年前も利用しており、そこにレストランがあるのはわかっていた。前夜のサンフランシスコのデポは仮設だったのでレストランがなく8時過ぎに街に食事に出かけたところ、回りはオフィスビルばかりで食べ物屋を見つけられず結局何も食べずにいた。なので到着早々さっそくそこでいわゆるデサイウノ(desayuno、スペイン語で朝食)を頼んだ。そこはもうスペイン語圏でわたしのスペイン語も通じることとなった。1時間待ちくらいでラスベガス行きのバスは出た。昼間のバスは景色を楽しめる、一度か二度通った道だと思うがほとんど記憶はとんでいる、、それでもアメリカのハイウエイはいつ乗っても快適で同じような風景でもそれほど飽きない。途中一ヶ所休憩が入って、そこから砂漠の道を2時間くらい走ったころ、おなじみのホテル群が見えだした。ハイウェイ右にその豪華な贅を尽くした有名ホテルに目を奪われているとまもなくラスベガスのバスデポに着いた。13時ころだった。ここもその昔に降りた記憶があったが、その先はまったく皆目見当がつかなかった。近くにあるはずのホテルの場所がわからない。で、例によって息子に荷物番をさせて予約してあるホテルを探しにでかけた。結構暑いところであった。いわゆるダウンタウンのそこはメインストリートのストリップほどの華麗さ華やかさといったものはそのスケールにおいて少々劣るものの、二流でもラスベガス、大きなホテルが何軒もある界隈であった。通りに面してカジノの喧騒が昼まっからけばけばしい、、

 さて、それから先のことは実はあまり思い出したくないし書きたくない。そこで起こったことについては前に少し書いたので繰り返したくないのだが、事実としてはわたしはそこで生涯最悪といえるほどの大失態をやらかしてしまったのであった。ほとんど使ったことのないタクシーに、それもタクシーなんか使わなくてよい距離だったのにもかかわらず乗ってしまったばっかりに全財産の入ったバッグをそのタクシーに置き忘れ、2泊3日のラスベガスでしていたことといえば、初日に自分が乗ったタクシー会社を突き止めるため夜遅くまで街頭に立ち尽くして同じ模様のタクシーを探していたこと、その夜は夜半までクレジット会社やアメリカンエクスプレス、果ては日本の留守宅までTELしていたこと、次の日はタクシーで行ったほうがいいといわれたけど、今度こそ歩いてラスベガス警察まで往復したこと、そしてその午後は今後の対策に部屋からは一歩も出ずに悶々としていたことだけであった。しきりに前日のことを歯ぎしりしながら思い返していた。どうしてこんなことになってしまったか?そう、一瞬のすき?魔がさした?疲れていた?大荷物を背負ってカジノのある表からそのホテルに入りたくなかった?、、ま、あとから思えばどうしてそうしたのか、悔やむことばかりであったがその時は戻ってこなかった。タマタマ、タマタマが重なった、何でいつも手から離さなかったバッグを後ろのトランクに入れてしまったのか?そして降りたときにいつものようにバックパックだけトランクから出して、支払いして、、気づいたときには手元にその最重要バッグはなかったのだった。しかし、それでもそのときはタクシードライバーが気がついてすぐに届けてくれるだろうと、まだ甘く考えていたのだった。が、その日のうちにそれは届かず絶望的になって、対策に駆けずり回ることになったのであった。幸いホテルは日本から予約してあったが、わたしのパスポートがなく本人確認できず、最初チェックインさせてもらえなかった。もちろん窮状を話しホテル側もあらゆるところに電話を入れてくれたり、とても協力的だったし、最終的には息子のパスポートとクレジットカードでチェックインはさせてくれた。しかし部屋を与えられても、ともかく全財産がないのである、何もできない、どこへもいけない、ここにきて息子への態度も改めざるを得なくなった。それまでこちらから文句を言い放題であったが、立場が逆になってしまった。わたしからは、こうならないよう、悪い見本としておまえも注意しろと言い訳がましくいうのが精一杯で、あとは少し金を貸してくれとこちらが頼む立場になってしまったのだった。実際そのときはまったく無傷だった彼の所持金に頼るしかなかったし、それにずいぶんと助けられることになった。そんな親をみてだいぶ呆れている様子がありありであったが、直接的に彼にも今後のことが少しかかわっていたから、大変なことになってしまったこと、これからどうするかということについて他人事ではなく呆れながらも心配してくれてはいたのだった。だから絶望的となったその夜、彼の金で何とか飯を食わせてもらいながら(もうどこかへうまいものを食いにいくは気力もなくホテルのレストランを利用したが、うまくもなんともなかった)今後の可能なシナリオを話した。ここから一緒にロスに出るが、オレは帰国のためのパスポートを再発行してもらってひとりで帰るしかないだろう、、おまえはこの際厳しいかもしれないがロスからグアテマラまで飛んで当初の目的のためひとりで旅を続けるというのが一番現実的だと思う、と伝えた。彼はその案に了解しひとりで行くとやる気をみせたので少し安心した。不幸中の幸い、これでやつがその気になるのなら、ま、せめてもの慰めとなる、、ならばと、とりあえずひとり歩きに慣れさせるためその夜も次の日も好きなところにいってくるよう、ひとりで出かけさせた。わたしはじっと、そしてずっと部屋に閉じこもっていた。カジノの街・歓楽の街・エンターテイメントの街・グルメの街・ショッピングの街、すべてはわたしには無縁であった、、

 次の日の午前中に警察に赴き、すべての状況を話したが、すでにその時点でどこのタクシー会社からも連絡が入っていなかったので絶望的といわれ、被害届の調書のコピーをもらって帰った。それは領事館等に提出するための必要書類であった。朝食をホテルで食べたきりで昼飯を食った記憶がない、息子はバスの一日券で出かけていた。その日の午後もフリーコールを使ってかけられる先々に電話して問い合わせたり、明日からのことをあれやこれや思いめぐらすしかなかった。まったく日本を出て5日目にして半年予定の旅は頓挫してしまったのであった。しかし夕方になってまさかの電話が入った。前のブログで少し触れたことがあるがフリーコール先のVISAもマスターズもアメリカンイクスプレスもすべて日本語の通訳つきでどれほど助けられたか、やはり世界的な会社のレベルがこういうところにでてくるのかと感心させられたが、今度も日本語通訳つきのラスベガス警察からであった(午前中に訪問したときも電話の通訳を介してだが、その対応振りに感心させられていた)。その通訳の人が貴方のバッグが見つかったと伝えてきた。嘘だろ?俄かには信じられなかった、ほんとう?何度も聞き返す。しかし、それは今タクシー会社の所轄部署で預かっていて、そこは5時で終わってしまうので、明日朝電話して取りに行くようにとその電話番号を教えてくれるのだった。信じられないことだが、ほんとうなら今すぐにでも取りに行きたいというと、一度そこへ問い合わせてくれたが、やはり明日朝8時半から会社が始まるとしかいってくれなかった。何度もお礼を述べ、特に通訳の方に何かお礼ができないかと伝えてみたが、彼らは警察との契約での仕事だからその必要はないと、こちらの気持ちだけ受け取ってくれたようだった。もちろんその瞬間から世界の色が変わったが、それでもやはり実際に手にするまでは信じないことにした。帰ってきた息子にそのことを伝えたが、彼もなんかの間違えじゃないかと糠喜びを警戒していた。それより彼は思いがけずに手にした、アウトレットでの収穫を喜んでいた。彼はそんなものにしか興味がなかったようだが、それだけでラスベガスって結構面白いところだといって、この街を少しは楽しんでくれたのがわたしにとっては救いだった。わたしは何回かこの街は訪れていたのでいきたいところも見たいとやりたいことも何もなかったので、明日実物と対面することが最大の楽しみとなった。それでもずいぶんと心が軽くなったので、初めて一緒に街に出てフリーモントをぶらついてもっとも安すそうなビュッフェで和食に近いものを食い、やっとラスベガスの雰囲気を味わうのであった、、

 次の日、それはラスベガスを発つ日であったが、幸いバスだったので、何本かあって午後のバスでもロス着はそれほど遅くならないことはわかっていた。朝食もそこそこにホテルのフロントから電話を入れてもらったが、少し早すぎてなかなかつながらない、わたしが焦っていたからであった。しかしフロントの女性に頼んだのは正解だったかもしれない、こちらの意向をきちんと伝えてくれ相手の住所を聞き出したくれた。そのメモをもってすぐにホテルで客待ちしていたタクシーに乗り込む、皮肉なことにわたしが向かおうとしているタクシー会社のタクシーだった。行きながらその運転手とそこへいく事情を話しているうちに親しくなって、彼はわたしが手続きしている間ずっと待っていてくれた。わたしは恐る恐る手にした自分のバッグがまったく手をつけられていなかったことに驚いていた。すべてが完全な状態・もとのままでそこにあった。しかしなぜそれほどの時間がかかって見つかったのか?担当の係りの女性の話によると、それを届けてくれた善良なドライバーはわたしが乗ったタクシーのドライバーと交代して勤務に就いた二人目の人だったことがわかった、、その間の乗客は誰もトランクに荷を入れなかったことになる、そしてそのドライバーに悪心はまったくなかったようだ、、こんな幸運、奇跡といわずして何といおう ! !、、もちろんそのドライバーへの謝礼は置いてきた、、しかし、あとからその額が少なすぎたかもしれないと後悔している、、日本では総額の1/10くらいと聞いたこともあるが、アメリカではいくらくらいが相場なのだろう??、いずれのしろわたしの旅が継続可能になった今、そのわたしの幸運に比べればちょっと失礼すぎたかもしれない、なんとか追加手段はないものかとそのタクシー会社に連絡を取っているところである、、

 こうして不運と幸運の街、悲劇と奇跡が、悪夢と善意が織り成すラスベガスという得体の知れない魅惑的な街を無事?落胆から歓喜をもって去ることができたのである、、今あるのはそのドライバーのおかげか、それとも神のおかげか、、‥??

<ということでカメラもそのバッグに入っていたため、写真は途中のBarstowのドライブインと砂漠の風景、ラスベガス到着前に撮ったホテル群しかない>045_640x480048_640x480049_640x480