独歩の独り世界・旅世界

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ラオス~雲南

 Ticketを予約したときは、まだタイの洪水が報道される前であった、その後考えられないような洪水の状況が報じられた、が、まだバンコクは大丈夫らしい(時間の問題かもしれないが)、ただ3週間後に水が引いているとは考えにくい状況だ、これまで、そんな目にあったことがないからどうなるかまったく予測がつかない、、今年は地球規模で天変地異のおこる年なのか??確かに地球上に安全なところなどない、、

 この報道がある前から、タイ国内の行き先は大体決めていた、大きな観光地はすでに訪れていてもう一度行ってみたいというところは特になかった、また、タイはビーチで人気のあるところが多いが、海派でないわたしには南はほとんど興味の対象にならなかった、で、まだ行ってないところで狙っていたところは北のはずれチェンライというところであった、チェンマイよりさらにバスで3~4時間かかる、タイ最北の地であった、、何故ここに興味を持ったか、実はこの街の近くによくその名の知れたところとしてゴールデントライアングルというところがある、黄金の三角地帯、かつてそこは麻薬の取引が盛んに行なわれていたところとして有名になった、つまりタイ、ラオスミャンマーが国境を接する辺境の地で、今はその3国が接しているあたりが観光ポイントになっているようだった、で、ま、そこも行っては見るつもりだが、要するに旅人にとって何が面白いか、どこが面白いかといえば、実はこういった国境近辺(または陸路の国境通過)というのが実に興味深いのである、とくに辺境の地の国境‹クニザカイ›あたり‥、つまりそこは多くの場合異民族同士の交叉点、もちろんここも例外でなく、というより、特にこのあたりは東南アジアの少数民族の宝庫(これはその人たちには失礼な言い方かもしれないが)なのである、、、

  そんな山岳民族ツアー(少数民族の村を訪ねる)なども最近は観光化されているようだが、彼らを観光対象とするのは忍びない、許せないと個人的には思っても、彼らももはや資本の論理に巻き込まれてしまっているのだから、仕方のないことなのだろう、、、ま、わたしは決してそんなツアーを利用せずにできるだけ彼らに接してみたいと思っている、そのためにしばらくチェンライに長期滞在してみたい、と考えていた、そして行ける範囲でミャンマーに入り、ラオスにも行ってみよう、というのが当初の予定だった、、特にミャンマーはメーサイというところからミャンマーの国境の村タチレイというところには入れる、ミャンマーの場合入出国の制限があって、短期滞在しかできずそのまま入ったところから出なければならない、少し離れたチャイントンまでは行けるようだが少し費用がかかるようだった、ま、タチレイだけでも行ってみよう、実はこの村の名前はまだわたしの記憶に新しかった、それは確か昨年の正月にミャンマーに行ったときにパガンのガイドといろんな話をしてて出てきた村の名前であった、そのときの話では今度来るときはそこから陸路で来るから、というような話をした記憶があった、だからできることなら本当にそうしたいところであったが、たった1,2年ではミャンマーの政治体制が変わるわけなかった、ま、それは将来の夢として残しておくほかなかった、、、

 わたしの旅のひらめきは多くは地図を見ててのことだ、もちろん書物や他人の話から刺激を受けることもある、しかしもっともインスピレーションがわく、ひらめくのは地図を見ているとおきてくる、、今気づいたのだけれど、わたしは地図を見るのが趣味かもしれない、見ていて飽きない、世界中の地図を持っている、そう言えば地図には結構金をかけていた、1枚1800円もするONCの地図を10枚以上持っている、地図は旅の発想の原点となる、、で、今回もそのゴールデントライアングル付近を眺めていた、そおかぁ、ラオスミャンマーと違って15日間ならビザなしでは入れるようになったのかぁ、、その昔まだタイ・ラオス国境のノンカイの橋ができていなかった頃、バンコクでビザを取って数日間ラオスに入ったことがあった、ノンカイで渡し舟に乗って対岸にわたりヴィエンチャンまで行った、理由はよく覚えていないが古都ルアンプアバンまでは足を延ばせなかった、なのでルアンプアバンは残された地、今回是非行ってみようと思っていた、視点がラオスに移っていた、ラオスがどう変わったか??ビザなしで入れるようになったのだから少しは旅行者も増えているだろう、、旅事情も少しはましになっていることだろう、、他の村・町にも行けないか、、と、それまで気づいていなかったことだが、実はタイは中国に接していないが、ラオスはほんの少し中国と国境を接していることがわかった、中国の南の辺境の地‹雲南›がすぐラオスの上にあるではないか ! ? 雲南ウンナン›これはわれわれには特別の響きを持つ地名であった、今でこそ中国も開かれ、そりこそ多くの旅行者が訪れる地になっているようだが、その昔、このあたりはわれわれにとって探検の対象となる地であったのだ、ま、ちょっとした憧れの地であった、、、もしかしたらそこまで行けるかも、、調べてみると雲南シーサンパンナのもっとも大きな街、景拱‹ジンホン›へはチェンマイまたはルアンプアバンから飛行機の定期便があることがわかった、つまり金を出せば行ける、ということは誰でも行ける‥それはわたしの旅ではない、陸路は無理か?ある情報によるとどうやらそれも可能らしいことがわかった、景拱に至るラオス・中国間の国境は、どうやら最近開かれているらしいことがわかった、これは面白そうだ、このルートは行ってみる価値ありだ、にわかにこの旅が光彩を帯びてきた、楽しみになってきた、ということはチェンライに長期滞在なんかしていられなくなる、ま、それはそれ、そのときはそのときだ、それにラオスの旅事情も未だよくわかっていないのだから、行ってみなければどうなるかわからない部分は多い、、しかし旅はその未知の部分が多いほど面白いのだ、、