独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala/Antigua 5)Abril 4月

 偶々Canoで一緒になった二人の若者(すでに知り合いであったがそこに通っていることは知らなかった)Taiki君とnaokoさん、二人ともまだ20代後半くらいだったと思うが、今回の旅で出会ったわたしにとってもっとも大事な二人となった、まず、ありがたいことにこの二人の若者は60代のジイさんを年寄り扱いせず友人として付き合ってくれたことだ、Taiki君とはサンペドロで2月に出会っており、その時たぶんアンティグアでまた会うことになるだろうと言ったことがその通りになったばかりでなく、その後4月の半ばに彼が帰国した後、入れ替わりに彼のホームステイ先にわたしが入居するという斡旋をしてくれたりした、また、彼はわたしと違って将来外交官を目指すという強い意志を持ってスペイン語を学んでいたから、1日7時間(午前4時間、午後3時間)というハードスケジュールを若さと集中力でもってこなしており、すでに3ヶ月にしてその上達振りたるやほとんど彼の先生と対等に話せるくらいの力を身につけていた(その気になれば学校云々でなく、そのレベルにまで達するという好例)、彼はスペイン語一本に絞ってここへ来ていて果敢にそれに挑む姿はその情熱と意志とをあわせて立派なものであったし、すがすがしい若者・好青年であった、、、その時点ではどうやらTaiki君とは直接の知り合いではなかったようだが一方のnaokoさんとは田代で知り合い、その後わたしの帰国の日まで毎日話し相手になってくれた、何といっても彼女の顔の広さと情報量は驚くほどでその時の田代の住人だけでなくAntiguaに在住していた日本人の情報はほとんど彼女に聞けば得られたほどであった、また彼女のキャリアも素晴らしく何故だか韓国語がぺらぺらで当時Canoでも田代でも(グアテマラ全体でも定住者は日本人より韓国人のほうが多かった)多く出会うこととなった韓国人とは彼女の通訳のおかげでおおむね良好な関係を築くことができた、パーティでも普通のおしゃべりの場にも必ず彼女がいてくれたし、むしろいつも主役であった、どういうわけか男性にも女性にも好かれる魅力的な女性だった、、、

 4月になるといろいろ変化が出始めた、まず前回も少し述べたがわたし自身が慣れとマンネリ化で少しだれてきた、またセマナサンタが近づいてきて田代の客が増えてきた、また天候もだいぶ暑い日が多くなってきてその分、1月2月に毎日見慣れていた青く高い空が見られなくなっていた、雨こそ降られることはなかったが空気は乾燥してなんだかざわついた感じになってきていた、その頃考えていたこと・目論んでいたことは以下であった、①まず帰国予定をいつごろとするか?どのルートで帰るか?そのticketをどう手配するか?②セマナサンタの時期どうする?③やり残していること何か?行っていないところはどこか?

  ①については、そろそろ帰国を考えはじめていたということで、日本の状況も気になっていたが、それよりもだいぶ惰性的になっている今のあり方は自分でも好ましくないと思っていた節はある、一旦帰ろう、もし必要ならまた出直そう、という思いであった、その場合いつ?今年のセマナサンタは4月の17日~24日と聞いていた(詳しくは後述)、わたしの滞在期限は5月いっぱいであったので、だから5月中の帰国が可能性として一番高かった、ではどのルートで?これは二通りあった、来るときと同じで1)として最も簡単なのはグアテ市より飛ぶ、もちろん直行便がないのはわかっていたのでアメリカ乗り継ぎは仕方ないとして‥2)は再び陸路でメヒコに入りメキシコシティからLAに飛び、そこから日本へ‥というルート、考えていても埒明かないので気の早いわたしは早速①Guate~LA②Mexico city~LA③LA~Narita④Guate~Naritaの料金を調べてくれるよう、質問表を作って4月はじめのある日Antiguaの旅行会社3軒に持ち込んだ(シャトルバス等を扱うトラベルエイジェンシィはそこら中にあるが航空券を扱える旅行会社はそんなにない)、で、その場で調べてもらうには時間がかかると思って明日までに回答を下さいと頼んだ、その結果、一番納得できた回答は(全ての回答が店によってバラバラであった)ある社の②Mexico city~LA、265ドルというものであった、ほか(他の会社、他のルート)は軒並み想像以上の高額であった、LAまで265ドルか!?LAに行けば日本までの安いticketが探せるのではないか、そう思って早速ticketを購入する気になってケツァル払いということだったので両替してそこの旅行会社に赴いた、もちろんほとんどの旅行会社では英語が通じる、しかし彼女ら(たまたま女性だった)にとってもスペイン語のほうが容易い、なので、わたしも無理してスペイン語で交渉をしていた、その時彼女はこう言った、アメリカへのticketはアメリカからの出国ticketを持っていない人には販売できない‥、そんなこと聞いてなかった、が、あり得ることと想像はできた、これは交渉途中での言葉の問題ではなかったので了解できた、つまり買えなかったのだ、帰りのticketを持っていたわけでないので諦めるしかなかった、この件は一旦頓挫した、しかし旅行会社が扱うおおまかな相場、及びそれぞれの会社によってこうまで違うかとその実態がわかったことだけでも収穫はあった、その後これらの情報は大いに役立つことになる~

 ②のセマナサンタが近づいてきたことについては、その時期に田代に突然やってきてもまず部屋の空きはないであろうことは十分予測していたから、だから3月中にAntiguaに戻っていたのだけれど、逆にそれまで環境のよかった田代が多分に鬱陶しくなる恐れがでてきた、特にキッチンが使いづらくなってきた、この分で行くとその時期大変なことになる、きっと居心地最悪になりそうなことが想像できた、で謀ったのだ、スペイン語一本のTaiki君にはセマナサンタなんて関係がなかった、当初の予定通り(たぶん帰りのticketを持っていたのだと思う)4月17日に帰国することを聞いていた、また彼のホームスティ先は日本人ばかりで(それはわたしにとってはマイナス評価であったが)そこのオーナーは日本人びいき&日本人の好みを良く知っていて食事がうまい、とも聞いていた、自炊生活2週間にしてだんだんキッチンが使いづらくなってきたのと自炊そのものがめんどくさくなってきていたのでその話はわたしを惹きつけた、彼に貴方のアトガマにわたしがそこに入れないかオーナーに聞いてくれないかと頼むと、彼はすでに今空いてる部屋があって誰かいないか探してくれるよう頼まれているとの返事、ならばすぐにも可能だということがわかった、で策略して、では彼が出た後2週間だけ住まわせてもらえないか聞いてくれるようあらためて頼んだ、結果OKがでて、その何日か後に挨拶と下見を兼ねて彼に連れられてそのホームステイ先を訪ねた、ほんとに人の良いおばさんアニーに喜んで迎えられ、彼が去る日17日から住まわせてもらいたい旨を伝えた、で、この件は一件落着、と思われたのだか、どうしてどうして大変なことになる、、、その顛末はいずれ~

 ③としては、前にも述べたかもしれないが田代のキッチンで実はあの富永mapに、あるマイナーな場所の記載があることを発見していた、それはデモクラシアLa Democracia、エルバウルEl Baul、ビルバオBilbaoといった、まず一般の旅行者は訪れることのない、だからどんなガイドブックにもまず記載されていることはないであろうと思われるマヤ遺跡のことであった、よくもまあ ! ! と、そのときはほんとに富永さんに感心するとともに恐れ入るのであった、まったく知られることのない、また関心すらもたれないそんな場所の情報がこんなところにあるとは ! !、逆に言うと、あっ、行けるんだ、という発見であった、ならばと計画したのが以下の予定であった、とりあえずスペイン語学校Canoは3週間分前払いしたから4月12日までの予定になっている、田代は荷物を置かせてもらって13日にチェックアウトして13日~16日までの予定で小旅行に出る、16日に戻って一泊して17日にアニーのところへ移動する、そして4月いっぱいホームスティさせてもらって、また田代に戻って5月のいつの日か未定だが、5月中に帰国する、というものであった~