独歩の独り世界・旅世界

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Guatemala 国内の旅 2) コパン・ルイナス/ホンデュラス その1)

 どうもわたしは一ヶ所に落ち着いてしまうことが苦手なようで、アンティグアから戻った次の日、ホンデュラス(正確にいうとGuatemala国内旅行ではないのだが)のコパン遺跡に向かっている、どうしてそこに行く気になったのか、今思うに1)コパン遺跡は今回の目的地の一つだった、2)いつでも良かったのだけれど、コパンに行くバス(ローカルバス)は、ここグアテから出ており、そのバス会社がたまたま泊まっていた宿から近かったこと、3)いずれアンティグァに落ち着くつもりだったので、その前に少しGuate国内を回ってみたかった、、等々だったと思う、で、12月11日の朝、明日か明後日戻る予定と告げて荷物を置かせてもらい、8時にはホテルを出る、10分くらい歩いたところにチキムラChiquimula方面行きのバスターミナルがあった、もちろん初めてのところだったので正確な場所は知らなかったが、近くまで行ったらもうお出迎えの呼び込みに案内されていた‥、たぶん今回だけではこのチキンバスのシステムをすべ説明できないが、興味をそそることがたくさんあるのでおいおい書いていこうと思う、で、まずこの呼び込み、いやその前にGuatemalaのバス事情から説明していったほうが順序としてはわかりやすいであろうか、、??

  前回も少し書いたと思うが、一般にGuatemala人にとっての足はバスである(鉄道は昔あったが今はない)、そのバスも普通の庶民が乗るのはチキンバスと呼ばれているだいぶ年代物の形をした、いわゆるボンネットバス?形は古いが結構エンジンはしっかりしていて、スピードは出るし山道に強い?車内はわれわれの感覚では2人掛けシートに混雑時3人まで座る、バスの屋根は荷物を載せるスペースになっている、このバスはたとえばグアテ市を拠点とした場合、全国の主要都市には直通バスが隈なく運行している、そしてそれぞれの地方都市からはさらに近郊の市町村に路線が敷かれている、料金は安い、料金体系なるものはあるのだろうけど、算出根拠はよくわからなかった、それもたとえばGuate~Antiguaのように始発から終点までの場合は決まっている料金も途中から乗って途中で降りる場合などは全く不明といっていい、そのときに車掌によって、あるいはその車掌の気分によって、またわたしのようによそ者の場合等々、人によりまちまち、その時その時で全くバラつきがあった、で、そういう場合どうするかといえば、言われたまま払うのではなく、わたしはしょっちゅう交渉したり言いあったりしてこちらの思う値段にまけさせたりするのであった、が、その目安がまったくなかったわけではない、数多く利用して経験知でつかんだ算出法は、どのくらいの時間乗車していたか、たとえば1時間乗ったとしてその料金はだいたい6~10Q(60分60円~100円くらい?)を目安とするようになった(前述のGuate~Antiguaは平均約1時間、道路の渋滞がないときは4、50分、混んでるときは7,80分かかった、で料金は8Qだったが、滞在中本年の2月1日から9Qに上がった)

 さて、このチキンバスの大きな特徴のひとつに車掌の存在が上げられる、昔日本でも(諸外国でも)公共のバスには車掌さんがいた、日本の場合その車掌さんの役割は主に料金の徴収にあったと思われるが、それは何時の日からかワンマンバスにとって代わられた、料金の徴収だけならそれは可能だったのだろう、しかしGuatemalaの場合車掌の役割はもっと重い、大きな仕事は4つくらいあった①行き先の連呼と呼び込み・集客②荷物の上げ下ろし③料金徴収④運転手ならびに乗客の補助・サポート、①は車掌の仕事である、始発駅の発車前から途中の全てのバス停において彼は絶えずこのバスの行き先を連呼している、たとえばグアテ ! グアテ ! グアテ !というように②荷物、特に収穫した農産物の入った30kgくらいあるでかい麻袋?とかをバスの後ろにつけられているはしごを使ってバスの屋根に載せなければならない、時にドライバーが手伝うときもあり、降ろすときは走行中に屋根に乗ってバスが停車すると同時に屋根から荷を降ろす作業をする③もっとも大事な仕事だが、ひとつの特徴として、切符を発行しないこと、ただ料金を徴収するだけ、これもGuate~Antigua間を例にとると始発のターミナルを発車後30分くらいは街中を客の呼び込みをしながら低速で走りぬけ、街中を抜けたあたりからバスは一転して狂ったようにスピードを上げる、と、しばらくすると車掌が廻ってきてバス代を徴収していく、問題はその後に乗ってきた客の対応、われわれにとって驚異的と思われることはまずどの車掌もあまり頭は良さそうではないのだけど、すへての車掌はすでに徴収した客と新しく乗車した客を全て認識しているということ(新しい客に対しても乗車時に徴収するのでなくしばらくしてまた徴収に廻ってくる)、それだけではなく、一般的にGuatemalaでは高額紙幣の支払いは拒否されたり、またほとんどの場合おつりの持ち合わせがないと思っていたほうが良い、で、たまたまこちらも小額紙幣がなく仕方なく高額で支払うとまずその場でおつりを返されることはない、こちらはヤキモキして何時おつりが返されるのか?忘れられたのではないか、とか誤魔化されるのではないかと気が気でないのだが、彼らは決してそれを忘れていない、が、自分が降りるときまで返されることはないと思っていたほうがいい、それはわれわれとしてはいささか心休まらない時間となってしまうが、それを避けるには常に小額紙幣を用意しておくしかない、しかし恐るべきは彼らの記憶力それは驚嘆に値した④乗客へのサービスとして、これも彼らの記憶力の凄さだが、たとえばわたしがどこどこで降りたいと言ったとするとそれを忘れるということはまずない、一般の乗客の場合も荷物を降ろすところを覚えているのだから、ほとんどの乗客の行き先を記憶してしまっている(料金支払い時に行き先を告げるので)、またドライバー助手としてはまずクラクションは車掌の仕事、狭い道等の誘導、時に運転そのものを代わってしまうのを目撃したこともある、彼ら抜きにGuatemalaのバス事情は語れないように思う、また、そんなこともあってこの車掌を観察するのが面白くなってしまったのだ、因みに、では運転手のほうはどうなのかというと、あの山道を、あまり整備されていない細い道をあのスピードで走りぬけるテクニックは世界中どこでも通用するのではないかと思われた‥

 で、その日の朝の呼び込み、そのときはわからなかったが実は彼らはそのバスの車掌でもなくまたそのバス会社の関係者でもなかったようだ、いってみれば通りすがりの人が呼び込みを手伝っている?たぶんチキムラ方面行きのバスターミナルにはバス会社が2社あって、それぞれが客のとり合いをしていた、で暇人が呼び込みの手伝いをすることで多少の袖の下を貰う、そんなことではなかったか?そういった光景はその後何回も目にしているので、それはそれでまた面白い側面だと思っていた、一人の男に誘導されて言われたバスに乗り込む、発車まで少し時間があったのでそのターミナル(といってもバスが3,4台しか停車できない掘っ立て小屋のようなところだった)でパンケーキとコーヒーの朝食をとることが出来た、8時45分に出発したバスは乗客10人くらいですいていた、が例によって市街地は低速走行して客の呼び込みをしながら走っていく、30分くらい走ると市街を抜け料金の徴収が始まった、35Qだった、国道CA(セントラルアメリカンハイウェイ)9号線を東方向に、ほとんどが山道であった、が完全舗装で快適なバスの旅、El Rancho 10:40 Rio Hondo 11:30 Zacapa 11:45 Guate Cityとはうって変わって熱帯特有の蒸し暑いところChiquimulaには12時15分着、ここはチキムラ県の県都せっかくきたので、ちょっと街見物に、10分くらい歩くとパルケセントラル(中央公園)があった、たまたま市の日だったようで、凄い人、中央公園の周りは2重3重に屋台・物売りがひしめいていた、中南米、スペインの旧植民地だった諸国の特徴のひとつとして町のつくりが共通していることがあげられるが、まずどんな大きな街も小さな村々もどこも必ずパルケセントラルがあって一方にカテドラル、一方に市庁舎がある、そこがいわゆる街の中心で近くにはメルカド(市場)があって安宿もその近辺に多い、ということはおおむねこのパルケセントラルを抑えればその街を知ったことになる、30分その近辺をうろうろしてチキムラのバスターミナルに戻った、ここでも呼び込みのおかげで国境まで行くバスを簡単につかまえることが出来た、が、そのまだ新しいミニバスは約1時間走って着いた街で小さなワゴン車に乗り換えさせられた、そのワゴン車は定員10人乗りくらいの日本製であったが、最初の15分は20人くらい乗客を押し込んでいた、だんだん山深くに入り込んで乗客も少なくなり国境まで乗っていったのは4、5人に過ぎなかった、入出国手続きもいたって簡単、出国に10Q入国に25Qとられたが、国境は数少ない往来にのんびりしたものだった、歩いて5分くらいのところに建物があってそこにコパンルイナス行きのワゴン車が待っていた、山あいの道を行くこと25分小さな街コパンルイナスに着いた(15:15)、やはり人種が違うようであったし服装も違っていた、男性は皆テンガロンハットをかぶっている、そこにも中央公園があって折から日曜とあって人々で賑わっていたが市は立っていなかった、ほんとに田舎の町といった感じ、公園脇に博物館があった、コパン遺跡からの出土品が展示されているとのことだった、遺跡は明日行くことにしていたので、入ってみるかどうしようか迷っといた、理由は料金、わたしは一泊のつもりだったので国境で10ドルしか両替していなかった、ここで約3ドル分ものレンピーラ(ホンデュラスの通貨単位)を払ってしまったらた宿代と飯代がなくなってしまう、しかし見ておく価値もありそうだった、迷った末に57L払ってしまったが、入ってそれが失敗だったことを知る、展示品の半分くらいは何故だか見ることができなかったし、あんまり価値あるものもなかったように思う、入場者も少なかったし館内も2、3の部屋しかなかった、ちょっとボッタくられた感じ、パルケセントラルを後にし街見物しながら宿を探す、宿は結構あったがどこも客はいない感じであった、観光地(コパン遺跡は世界遺産)だがここまで来る人は少ないのかもしれない、一泊6ドルのところに宿を決め支払いはドルでお願いした、暑いところだったがだいぶ疲れがたまっていたせいか夕方少し昼寝をしてしまった、そのとき何もかけずに横になっていてどうやら風邪をひいてしまったようだった、それでも夕食だけはしっかり食べるつもりで外出した、なかなか適当なところが見つからなかったが近くで、ま、日本でいえば焼肉定食のようなものを食べる、もどって毛布を貰って再び横になった、ちょっと微熱があった~

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