独歩の独り世界・旅世界

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中欧 バスの旅 25 ) ホーチミン/ヴェトナム、帰国

 最後の地、つまりヨーロッパの帰途ticketの関係で寄らざるを得なかったホーチミンはちょっとしたミスが重なってどうもあんまり芳しくなかった、、ま、その原因はわれにありだったのだが‥

  フランクフルトのその朝はいつものように目覚めは早かった、、しかしこの朝は早く起きてもしょうがなかった、、ホットシャワーを浴びて朝食に、、まだ早かったので朝食スペース(食堂とはいい難いような場所だった)には誰もおらず気を使うことなく好きなように朝食をとれた、、内容は前回と変わらずおいしいパンとハムソーセージ類、トマトきゅうりのスライス、ゆで卵、チーズ、バターとジャム、コーヒー・牛乳・オレンジジュースといったところ、、普通パン2個くらいがわたしの朝食だったが、この日は3個食べて1個ポケットに入れた、、そして前回の恨みを晴らすべくなんとコーヒー5回もお変わりしてやった、、これで心置きなくこのホテル(ペンション)を去れるというものだ、、しかし時間はまだ早かったのでフランクフルトの街を朝の散歩に出かけた、、ところがどうしたものかその朝はわたしがこれまでに経験したことのないような濃霧で視界がまったくきかなかった、、それでもマイン川の方向に歩いていった、、橋のたもとに着いたが川面も定かでないほどだった、、そんな白い霧の中に白い鳥、たぶん白鳥だったと思うが数羽戯れていた、、ほかには何も見えず(建物も風景も)結構冷えていたので宿に引き返す、、帰りがけにスーパーのようなところで何か土産になりそうなものはないかと探してみたがめぼしいものはなかった、、もうこれ以上時間潰しの策がなかったので少し早かったがチェックアウトして空港に向かった、、しかしこの判断は間違っていなかったようだ、、なぜならわたしは空港へ行く電車を間違えてしまったのだ、、確かめもせずに乗った電車(フランクフルトのそのホームに来る電車はすべて空港方面行きだと思い込んでいた)は3つ目の停車駅を過ぎても空港に着かず間違えに気づく、、すぐに引き返したが結局3、40分くらいロスすることになった、、それでも空港では3時間くら前についていた、、普通3時間くらい前だったらチェックインカウンターの表示があるはずなのに2時間前になってもそれがどこだかわからずかなりヤキモキする、、ただ、それがわかっていなかったのはわたしだけだったかもしれない、、なぜならどこの空港にもあるものすごいでかい出発案内の掲示板にその場所をわたしが確認できたとき、すでに大半の乗客はチェックインを終わっていたようだったのだ、、ほとんどの人はその場所を知っていたかのようだった、、そして、そのあとはなすすべなくフランクフルトの空港でぼんやり待つしかなく、ようやく飛びたったのは、30分遅れで15時過ぎてのことだった、、

 時差の関係で11時間くらい飛んでベトナムホーチミンには翌朝7時15分着、深夜便だったがあまり眠れなかった、、しかしこのときこの深夜便、いやヴェトナム航空って面白い航空会社だなぁと思ったのである、、というのもそれは行きのヨーロッパへ向かっているとき目撃した謎のカップヌードル事件が解決したからである、、真相はこうであった、、その時の話は前に書いているが、それはヨーロッパに向かう途上の深夜やはり眠れずにいるとどこからとなくいいにおいがしてきて、その方向を見ると隣のベトナム女性がなんとカップヌードルを食べていたのだ、、いゃーうらやましいなぁ、しかしなんと用意のいいことだろうとそのとき感心したのだけれど、実に同じことが帰りの便でも起こったのだ、、よくよく思い返してみると行きの便ではスチュワーデスの控え場所は後方にあって、たぶんカップヌードルのサービスがあることを知っている乗客も少なかったのだと思う、、だが、帰りの便ではそのサービスを知っているベトナム人がやはり夜中にスチュワーデスの控え所にカップヌードルをもらいに行った、、ところがその時のスチュワーデス控え所は真ん中辺にあったのだ、、だから何人かのヴェトナム人たちがそうしているのを起きていた人たちはみんな目撃することになった、、そしてそういうサービスがあることを知ったのである、、わたしもそのとき初めてその真相が理解できたというわけだった、、しかもそれはカップヌードルにとどまらずほとんどのアルコール類もOKだったようである、、つまり座席までは持っていかないがそこへ来た人たちには無料で提供していたのである、、初めてそれを知った人たちがその後続々とスチュワーデス控え所に並び出すという光景が出現した、、そしてそれを見て、あるいはそのことに気づいたそれまで眠っていた人たちも一人二人と続くことになった、、ほとんど満席だった帰り便の乗客の半分くらいがその恩恵に与ったのではないだろうか?、、よくまぁそれほどの予備食を用意しているものだと、それこそ感心するやら呆れるやら、しかしそのサービス精神は賞賛に値するとも思ったのだ、、それはホーチミンから乗った日本までのフライト、それはたまたま共同運航便で日本航空だったのだが、その職員・スチュワーデスに見せてやりたいくらいだった、、サービス精神とはいかなることか、それを知らない日本のサービス業従事者(もちろんスチュワーデスも含む)が多すぎるのでは‥?ヴェトナム航空ヨーロッパ便がほぼ満席だったことがそれを裏付けているように思えたのだった、、しかし、そのとき喉から手が出そうであったが、わたしはその恩恵に与らなかった、、理由はただタイミングを逸しただけであったが、ま、それを見てわたしもと、人の後ろに並ぶのは忍びがたかったからでもあった、、

 ホーチミン失敗の理由はいくつかある、、普通に考えられることはあれほど寒くて早く暖かいところへ行きたいという願いが叶えられてほっとしたこと‥?、やっとアジアに戻ったというへんな安心感‥?、物価も安いのでものの値段に気を使う必要はないという油断‥?、、そう、早い話緊張感が解けて気の緩んだのだ、、みんなヴェトナムは良い良いと言っているがそれはすべてその人の経験・体験しだいということになる、、しかしあんまりよくなかったという印象を持ったとしてもそれは当地・相手の問題ではなく、たぶんその人に問題があったのではないか?、、これまでの経験でそんな風に思う‥、、このときのわたしがそうだった、、

 まず最初の失敗は空港から街へ出る手段の選択、、まぁ普通にタクシーを使えばよかったのだがこのときも白タクを使ってしまった、、理由はホテルを決めてなかったこと、、そういう場合は白タクのほうが融通がきく、、だが声をかけてきた人は英語がしゃべれたが、てっきりそいつが運転手かと思ってOKしたらドライバーは別にいて英語は通じなかった、、で、連れて行かれたところは中級ホテルといったところだった、、わたしはゲストハウスに行きたかったのだが、たぶんそう言ってもわからないし知らないのではないかと思ってわたしはチープホテルに連れて行くよう念を押した、、だから連れていかれたホテルは彼にとってはチープホテルだったのかもしれない、、仕方なく降りて交渉してみることにした、、たまたま空いている部屋はひとつしかなく20ドルとのことだった、、ま、中級ホテルならそんなものだろう、、部屋を見せてもらう、、悪くはなかったが窓がなかった、、そのことを言うとまだ部屋の掃除が終わっていないが窓のある部屋があるとのことだった、、少し待っててくださいと言うから、別に急いでなかったので待つことにした、、ルームクリーンが終わって行ってみるとそこは最上階にあって先ほどの部屋より広かったし、このホテルで一番いい部屋のようであった、、フロントに戻っていくらか聞きなおすと25ドルとのこと、、‥決して高くはないのだが、その時点でわたしはゲストハウスを探しに行けばよかったのだ、、だが、わたしは20ドルならOKと言ってしまった、、つまり20ドルでOKといわれたら他に行けなくなってしまったのだ、、で、案の定、20ドルを出さざるをえなくしてしまったのだった、ま、それでも20ドルなら安かったと思う、、そこに決めて白タクの運転手には10ドル払った(普通のタクシーの場合空港から町の中心まで7ドル)、、荷を解きシャワー浴びると一気に疲れが出たのかそのまま大きなベッドて眠ってしまった、、適度にエアコンが効いてよく眠れたようだった、、目が覚めたときは午後をだいぶ過ぎていた、、街に出ることにした、、場所がわからなかったのでフロントで聞くとベンタイン市場の近くとのことだった、、懐かしき東南アジアの雑踏、喧騒、猥雑さ、湿気のこもった暑さ、そんなものすべてを快く感じながら市場に向かう、、ざっと市場を見て向かいのバスターミナルへ行こうとしたが通りを渡れない、、それはすでにハノイでも経験していたがそう簡単なことではなかった、、何とかバイクの波を縫うようにかわしてやっとのことで対岸へ、、そこからは大通りもなく気ままなそぞろ歩き、、路上のベトナム名物フォーで腹を満たし(これは安かった15000ドン75円くらい?)そこから統一会堂のある公園に向かう、、そこに着いたときは夕方の4時をまわっており入場は締め切られていた、、別にそれほど興味があったわけではないので外からだけで十分だった、、しかしやはりこの暑さ、歩きまわって疲れも出てそこの公園で休んでいるとバイクタクシーのお兄さんが現れた、、よく見ているなぁと感心したのだけれど彼は日本語で話しかけてきたのだ、、ま、この手の扱いは慣れていたのでそら来たという感じで応対していると、彼も承知で世間話やこれまでガイドした日本人の添え書き・コメントなどを見せながら気を引こうとする、、どこで習ったか結構日本語はうまかった、、が、所詮バイクタクシーのドライバーだ、、その意図は見え見え、しかしここホーチミンでは、いやわたしも東南アジアのあちこちでこのバイクタクシーを利用していたから、これらの地での足としてはちょっと危険が伴うがこのバイクタクシーが一番安くて便利だということは知っていた、、ただA地点からB地点へという場合には相場に照らして交渉すればいいのだけれど、時間借りで観光する場合は1時間いくらとなるのでその交渉は難しくなる、、つまりわたしはこの交渉に失敗してしまったのである、、そのとき油断が生じていたのだ、、観光はどうするのと聞くから、明日予定していると答えると、なら自分が連れて行くと言ってきた、、いくらで?と聞いてしまった、、すると1時間20ドルと言ってきた、、わたしは5ドルならと返事してしまう、、うまくいって10ドルくらいで落ちつけばとの思いからだったが、しかしこれはわたしの負けだった、、せいぜいが1時間5ドル最初にわたしが切り出した額が相場ではなかったかと後にして知ることとなった、、つまりそのとき、わたしは1時間10ドルで明日2時間の観光を約束してしまったのだ、、そして、予定がなければこの後どこでも連れて行くよ、というからそれは断った、、この近くなら歩いてまわるからと、、そのかわり安い食べ物屋を教えてくれと聞くと、自分が連れて行く、もちろんバイク代はいらないとのことだった、、で、信用して夜7時にホテル前にくるように言って別れる、、その後わたしはサイゴン大教会からドンコイ通りをサイゴン川に向かって歩き、川のほとりで一休みして、また30分くらい歩いてホテルに戻る、、途中であまりにうまそうだったのでフランスパンのサンドイッチを買い、部屋の冷蔵庫には缶ビールが一杯詰まっていたが、その半額くらいの値段で缶ビールも買う、、シャワーを浴びて7時にホテルの前へ、、彼は約束どおり待っていた、、彼が連れて行ってくれるというのでもちろんわたしは彼の分も出すつもりだった、、何が食べたいと聞くのでベトナム名物バインセオを食べてみたいと言うと、バイクで10分くらい走ってその専門店に連れて行ってくれた、、しかしそのあたりからどうもちぐはぐになってきた、、その店の対応は悪く注文したものは出てこない、、出てきたものも量的には満足いくものではなかったし、おまけに安くなかったのだ、、顔には出さなかったがわたしの不機嫌が始まる、、ホテルまで送ってもらい明日の時間を決めて別れる、、部屋に戻って夕方に買ったサンドイッチをつまみに冷やしておいたビールを飲んで早めに床に就く、、

  翌朝やってきたのは彼ではなかった、、友人とのことだった、、しかし昨日の若い彼よりよっぽどましだったというか信用できそうなオヤジだった、、一応ケータイ電話で昨日の彼を呼び出し、電話に出た本人は今日行けなくなった、、彼なら大丈夫だからとか何とか言っていた、、わたしとしては誰でもよかったししっかりしてそうなのでそのオヤジに任せた、、日本語は話せなかったが英語を話せたのでわたしとしては却って好都合であった、、が、当然のことだが昨日決めた料金は覆せなかった、、気のいいオヤジで結構気を使ってくれた、、行き先はわたしが指定したのだけれどチョロン地区の中国人街、ビンタイ市場、チャイナテンプルの天后宮、ベトナム仏教寺院などである、、ビンタイ市場では土産になりそうなものを探したがめぼしいものがなく、それでも日用雑貨の店で変わったものを一つだけ見つけることができた、、2時間はあっという間に過ぎホーチミンに戻って昨日訪れて気に入った場所サイゴン川のほとりで降ろしてもらった、、約束の金は払った、、しばしその辺りに佇み川の流れを見つめていた、、腹がへってきて回りの路上を探したが飯屋もソバ屋もなかった、、が、弁当のようなものを食ってるやつが何人かいた、、どこで売ってるのと聞くと反対側の路地の向こうだと教えてくれた、、で、大通りを渡ろうと車が途切れるのを待っていると次のバイクタクシーが現れたのだ、、また日本語で話かけてきた、、今朝のドライバーと同じくらいの年でオヤジだった、、年配者だったので丁寧に応対する、、彼も観光に誘ったり何か必要なことはないかとしきりに聞いてくるので、わたしはそこの弁当屋へ行くところだと答えた、、通りを渡り終えても彼はついてきた、、その弁当屋はすでに完売で店じまいしていた、、すると彼はちょっと行ったところに飯屋があると教えてくれた、、路上の、清潔好きな日本人から見れば不潔そうな飯屋があって早速東南アジア独特の風呂の椅子のようなプラスチック製の小さな椅子に腰を降ろし注文する、、そこの飯は安くてわたし好みであった、、その間ずっと彼はわたしの脇にいて何かと話しかけてくる、、要は仕事がほしいのだ、、で、聞かなければよかったのだがいくらで回ってくれるんだいと聞いてしまった、、2時間で20ドルと言ってきた、、先ほどのオヤジに払ったのと同じ金額だった、、取り合わないでいると15ドルになった、、しかもわたしが佇んでいたサイゴン川を渡し舟で渡って、何もない田舎道をぐるっと回ってホーチミンに戻るルートだと言った、、途中でお茶をご馳走する、、渡し舟もお茶代も全部自分持ちだとしきりにアピールする、、このオヤジも実に気のいい男で悪気は毛頭ない人間だということはわかっていた、、わたしは時間潰しをする必要があった、、たた料金に見合ったものはないか、あるいは金をかけずにそれができないかと考えていた、、だから2時間15ドルが妥当かどうかだけが問題だった、、で、わたしはOKすることにした、、早速バイクにまたがって渡し舟の乗り場に、、対岸に渡ってサイゴン川の地下トンネルや新空港建設のために立ち退きを迫られているという開発地域をまるで視察するようにぐるっと回り、普通の観光客が訪れない街路を行く、、途中で飲み物に与り(ここで飲んだペットボトルのお茶がなんてうまかったことか!?、わたしはそれを土産に持って帰った、、500ml一本50円くらいだった)ホーチミンに戻った、、少し街の観光スポットを案内してくれ、わたしは、ならばついでに戦勝証跡博物館に連れて行ってくれないかと頼んでみた、、それは近くだった、、その閃きはあたりだったのだが、実はホーチミンでの最大の失敗はこのときだったのだ、、後からだから言えることだがこのときはまだ1時間半くらいしかたっていなかった、、だからそのとき彼に2時間分15ドル払ってありがとうと言って別れればよかったのだ、、わたしはこの博物館がそれほど衝撃的なところとは思っていなかった、、だから30分くらいで出て来られるだろうと予想していたのだ、、また途中で気づいたなら、その時点でそれを伝えることもできたのではないかと後で悔やんだのだった、、わたしはそこにたぶん1時間半くらいいたと思う、、だいぶ時間がたってしまったのはわかっていた、、そのことを言ってくるだろうとも予測はしていた、、案の定彼は追加料金を請求してきた、、当然といえば当然のことで彼には何の落ち度もなかった、、ベンタイン市場まで送ってもらってわたしは言われるまま払わざるをえなかった、、だからこれはあくまでわたしの読みの甘さ、判断の鈍さに原因があったのである、、こういうときわたしは自虐的になる、、そこでの損失はわたしにその因があったのだからわたし自身に罰を与える、、即ちベトナムドンも底をついてしまったので(もちろん米国ドルも使えたのだけれど、そうしたら罰にならない?)夕食を切り詰めざるをえなくなった、、夕方から市場の周辺は大屋台村となる、、そこにはうまそうなベトナム料理が並ぶ、、決して高くはない、ビールも安い、、そこでうまいものを食って空港に向かうというのがわたしの描いていた図であった、、しかし予定が狂ってしまったのだ、、残りのドンを見せてこれしかない、、これで食べられそうなものをくれと侘しい注文をした、、だから食べたいものは食えなかったが、それでも多少は口にすることができたのだけれど食べ物の恨みは残ってしまう、、もしかしたら帰りの飛行機でカップヌードルが食べられるかも知れないという、ちょっとありえない期待を抱いて空港に向かったのであった、、

  わたしはその共同運航とやらがよくわからない、、いや何回もそういう便には乗っている、、しかしその仕組みをよく知らないのである、、てっきりヴェトナム航空=カップヌードルと思い描いていた儚い夢はやはり実現しなかった、、日本航空には何も期待していなかったが近々のヴェトナム航空となにかと比較してしまうのだが、ちょっとそのひどさが目立った、、深夜便であったのでそれは当然のことだったのかもしれないが離陸後何も出なかった、、朝食も満足いくものではなかった、、わたしが一番腹立ったのはサービスとか安全といったことを完全に履き違えている思われたことだった、、サービスについては先に述べた、、安全についてはおそらくそのためだと思うが彼ら(日本航空&スチュワーデスたち)は何度もこうしてくれ、あーしてくれとマニュアル通り丁寧な言葉でアナウンスはする、、日本語と英語でだ、、日本語および英語のできる人は、あっ、またかと理解はできる、、しかしそれらの言葉がわからない人にとってはどうだろうか?、、あれほどしきりにアナウンスされたら何事かと却って混乱しないであろうか?、、却って不安に陥らないだろうか?、、注意喚起のアナウンスは最小限でいい、、それよりも本当に乗客のためになること、たとえばその便の外国人乗客の数はすぐに調べられるだろう、、そしたら何語のアナウンスが必要か?そしてできるだけ多言語でアナウンスを入れるか、あるいは数ヶ国語ができる乗員(これは日本人でなくてもいいのだ)を加え各乗客に個別対応を取るといった対応は望みすぎというものだろか?、、いずれにしろ発想の乏しい幹部が考えたマニュアルをなんら疑うことなくマニュアル通りに遵守する乗客アテンダントってどこかのハンバーグ屋さんと同じではないかと思えたのである‥??、、

 空腹を抱えて成田に降り立ったわたしは早速娘を呼び出して近くのファミレスに連れて行ってもらった、、そこでの食事代はヴェトナムでうまいものを3日くらい食いつなげる金額だった‥、、

2010_1024_170217p1030185_640x480ベンタイン市場(写真前方左)

市場の前の大通りを渡った辺りにバスターミナルがあった、、2010_1024002jpg_blog

路上の飯屋で定食を食う(2万ドン:100円くらい?)2010_1025005jpg_blog_2

渡し舟で対岸に、、バイクツアーに出かける2010_1025_153917p1030201_640x4802010_1025_154551p1030203_640x480

戦勝証跡博物館2010_1025011jpg_blog