独歩の独り世界・旅世界

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中欧 バスの旅 21 ) テルチ、チェスキークルムロフ/チェコ

 その朝突然テルチ行きを決めていた、、頭の中ではどうやってクラクフへ行くかを考えていてそこで閃いたのは、別料金で行くのは仕方がない、ただその場合最も安くいけそうなコースはどれか?、プラハからよりブルノのほうが近くないか?、とりあえずブルノへ行ってみるかとガイドブックを見ていたときテルチという街を見つけた、、世界遺産登録されている街とのこと、ちょっと寄り道だがテルチ経由でブルノへ行けそうだった、、7時にチェックアウトして前回見逃していた市民会館と火薬塔の写真を撮ってバスターミナルまで歩いて行った、、テルチ行きのバスの時間を聞く、、8時とのこと、、間に合いそうだった、、切符は直接運転手からとのことで、言われたバス停に行ってみるとすでにバスは停まっていて客も乗り込んでいた、、いかにもローカルなバスだった、、運転手か助手だかの男の人がいたのでテルチへ行くか確認して荷物をバスの荷物室に放り込んでいくらかと尋ねた、、もし大きなお金をもっていればそれを出せば済むのだがそのときわたしはチェココルナをほとんど持っていなかったのだ、、時間は迫っいたが相手の言ってることがわからずどうすることもできなかった、、と、突然東洋系の顔立ちのばっちりスーツで決めた若い男が現れて英語とチェコ語の通訳をしてくれた、、それで料金が165チェココルナだということがわかる、、わたしは彼に両替に行ってくるので待っててくれるよう通訳を頼むと大急ぎで両替に、、前にここで両替していたからその場所はわかっていた、、戻って来て切符を買って乗り込むとその彼も同じバスの乗客だっので英語で礼を伝えた、、すると彼はわたしのところへやって来て、もしかしたら日本の方と英語で聞いてきた、、なーんだやっぱり、ということでそこから日本語での会話が始まる、、それにしてもチェコ人に混じると目立ちすぎる着こなしだったし、あまりにもチェコ語がペラペラだったのでいったいこの人はどこの国の人かと最初は不思議に思っていたのだが、それから2時間くらい話し続けてる間にすべては了解できた、、まず20代の彼はこちらの音楽学校でバイオリンと作曲と指揮を学んでいるとのこと、すでに4年くらい滞在していること、だから言葉はもう完璧でチェコのことは何でも知っており、わたしの問いにはすべて答えてくれた、、服装が決めすぎだよ、というと、これから彼のガールフレンドの実家にはじめて行くところとのことだった、、すでに何度もコンサートで演奏されているようで、もしかしたら将来を嘱望されている若者だったのかもしれない、、そんな彼との話が弾んだのであまり車窓を覚えていないのだが、テルチまでの道は昨日ウィーンからプラハへの道と同様素敵な田舎道であった(もしかしたら同じ道だったかもしれない?)、、自然がとってもきれな山野を駆けていった、、彼は彼女の実家があるという村で先に降りたが別れ際にこれから想定されるチェコ語の会話例をメモに残してくれた、、なかなかすばらしい青年であった、、彼が降りた村(Rynarecと書いてくれた、、美しい村だった)からしばらく走ってバスはテルチのバスステーションに着いた、、プラハから3時間そこは鉄道の駅だったが、ここが世界遺産の街の鉄道駅かと目を疑うほど何もないところであった、、駅舎だけは新しく立て替えたのか立派なつくりでトイレはとってもきれいで暖房が効いていた、、列車とバスの電光掲示板が備えられている駅舎内に女性の駅員が一人で留守番している、、わたしは彼女に荷物を預けるところはないかと聞いてみたら本人が出てきて駅の裏手の倉庫に案内してくれた、、荷物を預け何もない駅前をテルチの中心部に向かって歩きだす、、その日は日曜日で数少ない商店もすべてしまっていて、それでなくても寒かったところを余計寒々しく感じさせた、、10分も歩くと旧市街に到着、、なんか別世界のようなこじんまりとした中世の街並みがそこにあった、、広場を囲んでかわいらしい建物のほとんどが土産物屋でその奥のほうにテルチ城があった、、しかし観光客はまばら、開いてる土産物屋も少なく華やかさはなかった、、ぐるっと一回りして駅に戻る、、のんびり観光するには寒すぎたのだ、、駅の電光掲示板で改めてバス便のチェックするとブルノ行きは3時間先くらいだった、、早いバスはどこ行きか調べたら、チェスケーブディェヨヴィツェとなっている、、それはどこだ?、調べるとまったく逆方向だった、、しかしそこで乗り換えて少し行くともうひとつの世界遺産チェスキークルムロフへ行けそうだった、、気が変わった、というか、早いバスに乗ってどこでもいいから別の場所へ移動したかった、、こんな寒くて何もないところで3時間も待つ気はしなかったのだ、、しかしそのバスも1時間先だ、、ならば食事をしていこう、、しかし駅の近くにレストランはなくまた10分くらい歩いて街に戻る、、適当なレストランを見つけて食事をした、、何を食べたか記録も記憶もない‥、、チェスケーブディェヨヴィツェは大きな街でそのバスターミナルはえらく立派だった、、デパートほどの3階建ての最上階がバス発着所で2階は各国料理のフードコートやレストラン・喫茶店などの飲食店が入っており1階はスーパーマーケットになっていた、、日本によくある複合商業施設のようなものだったが、こちらで目にするのは初めてのことだった、、テルチからここまで2時間、そして20分待ちでチェスキークルムロフ行きのバスがあり40分くらい走ってチェスキークルムロフに着いた、、この街もプラハと並んでチェコでも、いや世界でも最も美しい街のひとつと言われているところだ、、バスを降りてちょっと坂を上ると街全体を見渡せる場所に出た、、そこからの眺めは確かにうならせるものがあった、、山間にたたずむ城、それを囲むように蛇行しているヴルタヴァ川、蛇行している川に囲まれた赤い屋根の中世の街並み、絵のような美しさだ、、ちょうどよいというか手ごろな大きさの街と城のバランスがいい、、美しさの条件を見事に備えていた、、そこに観光客が一人いて写真を撮っていた、、よく見ると東洋人だ、、東南アジア系?、声をかけてみた、、どこか安いホテルかペンション知ってる?、彼はタイ人だった、、こんなところにタイ人 ! ?、、ちょっと驚きつつ話してみると観光旅行とのこと、一日前にここに着いたこと、ここには安いペンションがたくさんあることなどを歩きながら話してくれた、、確かに彼についていくと街に入ったとたんそこらじゅうペンションだらけでどこにするか迷うほどだった、、中心の広場にあるインフォメーションまで彼は連れて行ってくれた、、両替所はないか聞いてみるとそこが両替所もかねていた、、ペンションは自分で行って交渉するしかなかったので街の入り口近くにあった1泊300チェココルナの看板のところまで戻った、、そこが最も安そうだった、、入り口を入るとそこはクリーニング店のようだった、、人が出てきて屋根裏部屋のようなところを案内してくれた、、そこでよければ一泊300コルナと言っている、、ちょっと天井が低かったがこぎれいな部屋だった、、他に宿泊客はいそうもなかった、、わたしにとっては申し分なかったのですぐにそこに決めた、、鍵を渡されたときチェックアウトするときは鍵をポストボックスに入れていくようにと言われた、、どこかと同じシステムだ、、後でわかったことだが夕方以降そこの建物にはわたし以外誰もいないことを知る、、その辺に安い理由があったようだ‥、、

 荷物を置いて寒い中、今度は街見物に出歩く、、お城は明日行くことにし小さい街は1時間もかからずに回れてしまった、、石畳の中世の街並みはほとんど土産物屋か食べ物屋だったが、その数より観光客のほうがずっと少なかった、、だからほとんど客のいないレストランばかりでどこへ入ろうかと迷ってしまった、、写真入りのメニュウを店の前に張り出してあった誰も客の入っていない店に入り、魚料理とワインを注文した、、少々ボリューム的に足らなかったが久しぶりの魚料理、名物の鱒のグリル?には満足、、ホテルに帰って途中で買った絵葉書に久しぶりに便りを書いたりしたが夜はなかなか更けなかった、、

 翌朝早く誰もいないペンションの鍵ボックスに鍵を入れチェックアウト、、ほとんど人通りのない石畳をお城に向かう、、城の入り口付近で職員が落ち葉をかき集め、掃除に忙しそうだった、、その前を素通りしてポストオフィスへ、、戻ってお城の入り口の前のスーパーでパンを仕入れ開門したばかりのお城に入ってみる、、さすがに高台にある城からの眺めは抜群で、塔の上まで昇ると街全体と遥か彼方の山並みまで見渡せた、、もちろん観光客はまだ誰もおらずその日の一番乗り、、3~40分で一通り回って、そのままその足でバス停に向かった、、9時のバスに間に合う、、とりあえずチェスケーブティェヨヴィツェに戻る、、そこの電光掲示板でバス便のチェック、、ブルノ行き13時15分プラハ行きは11時だった、、そのとき閃いたのだ、、もしかしたらプラハからクラクフに行く汽車があるかもしれない !? 、、いや気づくのが遅すぎたくらいだった、、あまりにも持っていたユーロラインにこだわりすぎていたのだ、、貧乏性ゆえ仕方のないことだが、それがどれほど融通を効かなくさせていたか?、、そう思えばこれまでに何度かそういう状況があって、もしそのとき気づいていればもっと希望通りのコース選択ができたかもしれなかったのだ、、ブタペストからの汽車の便だってあったはずだ、、そう、だから、うまくいけば今夜の夜行の汽車があるかもしれないとそのとき思って迷わずプラハへ戻ることにしたのだった、、バス待ちの間昨日ここへ来たときに確認していたフードコートに行ってみるとうまそうな料理、それもアジア系からヨーロッパ系、日本料理も含めた各国料理がしかも安い価格で食べられそうだった、、が、タイミング悪くそのときわたしはお城の前のスーパーで買ったパンを持っていて、それを自販機のコーヒーを飲みながら食べたばかりだったのだ、、で、その食べ物屋への思いは当分消えることがなかった‥、、

 プラハまではそこから2時間半、13時半にこれまで何度か利用したプラハフローレンツのバスターミナルでなくロスティリというバスターミナルに到着、、そこは地下鉄と直結していたから一回券でこれもプラハ中央駅を通り過ぎプラハ・ホレショヴィツェという駅まで行く、、そこはポーランド方面へ行く汽車が出るところとガイドブックにあったからだ、、で、そこでクラクフ行きの汽車のticketは買えた、、しかも予想は当たってその夜の21時32分発でクラクフ着6時24分とのことであった、、チェココルナの持ち合わせがなかったがユーロでOKだった、、37ユーロそんなに高くはないなと思った、、しかしその後そこで小さな災難が続いた、、まずその汽車の発車駅はこのホレショヴィツェというローカル駅でなく、プラハ中央駅だったこと、、そのticketには車番も時刻も座席番号も記されてなかったので後で中央駅で確認したらただの乗車券で予約券ではないことが判明、予約のために改めて70チェココルナを払わされたこと、、またそこでクラクフ行きの切符を得た後に荷物をコインロッカーに預けようとしたらやり方を間違えたのか扉がロックされる前に入れた金をとられてしまって結局60チェココルナ損をしたこと、、同じくその駅で休んでいたとき酔っ払いに絡まれてしまったこと、、同じくその駅で余ったチェココルナを両替してかなり高い手数料を取られてしまったこと(そもそもそこで両替してしまったのが失敗)など、その駅での不運が続いた、、その結果残りの時間は少々街をぶらついて時間つぶしをしたのだが、夕食時に手元にチェココルナがほとんど残っていないという状態になっていた、、高い手数料を取られて両替したのをもう一度再両替する気になれなくて、この夜は残っていたぎりぎりの小銭で何とか安いハンバーガーを口にすることができたが、満たされない腹を抱え昼間目にしたチェスケーブディェヨヴィツェのフードコートの情景を恨めしく思い出すのであった‥、、

プラハ;朝の市民会館と火薬塔2010_1017_143049p1030002_640x480

テルチ;2枚
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チェスケーブディェヨヴィツェ
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チェスキークルムロフ;3枚 2010_1017012jpg_blog 2010_1018002jpg_blog 2010_1018_150228p1030024_640x480