独歩の独り世界・旅世界

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中欧 バスの旅 20 ) 再びブダペスト、そしてプラハへ

 もしこのとき多少の余裕があったなら、あるいは持っていたユーロラインパスに執着していなかったなら、つまりそもそもの貧乏人根性がなかったならば、そのブダペスト東駅でクラクフやコシチェにいく汽車の便を調べていたかもしれない、、そのほうがよかった可能性は高いし、そうすると展開もまた違ったものになっていたことが予想される、、しかしそのときわたしの頭を占めていたのは、はたして荷物を置いてきた宿に入れるか、泊まれるか、いや誰でもいい、誰かがいてくれるかという問題だった、、最悪他に泊まることをも想定して急いで地下鉄駅へを探したが焦ってるときはなかなか見つからないものだ、、確かここの駅と地下鉄は直結しているはずだったがどこにも入り口は見つけられなかった、、おかしいなと思いながら再び東駅に戻ると何のことはない、改札を出てすぐのところに地下に向かう階段があるではないか、ただし何の表示もなく先ほど見落としてしまったらしい、、その入り口で一日券を買おうとしたが窓口は閉まっており自動券売機での一日券の買い方がわからず(落ち着いてよく見れば簡単なことだったのだけれど)とりあえず一回券で来た電車に飛び乗る、、そのラインは今まで乗ったことのないM2だったが3本ある地下鉄のラインはすべてDeak terで乗り換えられるようになっていて、Deak terからはもう何回も乗っているラインだから間違えようがなかった、、だから地下鉄に乗ってからは30分もたたずに宿に着いたと思うが、ブダペスト到着からは1時間くらいが過ぎていた、、祈るような気持ちでインターフォンを押す、、2回目に応答があった、、男性の声日本語だった、、おーラッキー ! ! まずは一安心、こちらの事情をかいつまんで話す、、よくわかりました、、しかし私は宿泊者なので勝手にあなたを中に入れることはできない、と言ってくる、、あーそれはそうかもしれない、だがそこを何とか、と頼もうとしたが、立場からして同じ答えが帰ってきてもおかしくなかったので、もう一言加えた、、実は数日前ここに泊まっていてわたしの荷物がそこにあるのです、、泊まれなくてもかまわないけど荷物だけでも受け取れないかと‥、、しばらくしてその方は建物の入り口を開けに来てくれた、、わたしよりずっと年配の方であった、、えっ、そんな年いった方がどうしてここに‥?、、それから約1時間くらい、いやもっとか?夜遅くまで、その方の素性、事情、これまでの経過、なぜここにいるのかを話してくれた、、もちろんわたしのことも話したけれど、いやーたいへんな方であった、、名を明かせばわかってしまう著名な方である、、大学を退官された後、自分の研究テーマについてドイツ語とハンガリー語での出版を依頼されていて、そのための資料漁りでヨーロッパ各国の図書館をめぐっているという、、ここのオーナーとも知り合いで何度もここに滞在されているとのことであった、、ということでわたしの宿泊については、明日管理人の女性が来たときに話してくださいという形に収めてくれた、、これでベッドの確保はできたが結局食事のことを切り出す暇がなかった、、夕食を食べていないと言うわけにもいかなかったので、時間が遅かったが一段落したところで洗濯をさせてくださいと頼んで、その間に持っていた非常食で空腹を少々満たした、、そのときに今朝ロマの坊主にあげてしまったケーキのことを思い出したのであった‥、、

  翌朝来られた先日の女性に、少し早く戻ってしまったこと、昨日泊めていただいたこと、それが事後承諾になってしまったことを詫びて宿泊代を払った、、彼女は却って自分がいなくてすみませんでしたと恐縮して別室に保管しておいてくれた荷物をもって来てくれた、、このあとわたしはバスの時間を調べに行きます、それによって今日ここを発つかもう一泊するかを決めさせていただきたいとお願いすると、どちらでも構いません、、いずれにしろ自分がいない場合は前回のようにまた鍵をポストボックスに入れていってください、と言われた、、そして昨日お会いした元国立大学教授にも挨拶してわたしは何回目かのバスターミナル詣でへ出かけた、、その日は土曜日だったので、土曜の早朝に出るクラクフ行きのバスは無理だったし次が水曜までないことはわかっていた、、前にも聞いていたかもしれないがもう一度確かめるようにスロヴァキア北部コシツェ方面はどうかと問い合わせたが、やはりそれは運行がなかった、、となると残された道はブラティスラバに戻るかウィーンへ行くか‥?、、

  この時点でヨーロッパ滞在はあと1週間となっており、できれば訪れたいところがあと2ヶ所残っていた、、1ヶ所はポーランドクラクフもう1ヶ所はスロヴァキア・スピシュ城であった、、スピシュ城はコシツェから近く、うまくすればその先レヴォチャ(Levoca)経由でクラクフへ抜けられそうなルートであった、、もしユーロラインにこだわらなければそれは可能だったと思われる、、結果的にいえること(結果論)だが、ヨーロッパ周遊の最も経済的な手段はその期間や行きたい場所にもよるが、今回のわたしのケース24~5日間の中欧の旅を想定するなら15日間のユーロラインパスを利用するというのがベストだったように思う、、そうでなければむしろパスなんか持たずに行き当たりばったり好きなところへ好きな手段(汽車・バス・ヒッチなど)でその場その場でticketを買い求めていくのが案外安くついて有効だったように思われる、、そのほうがどんなに自由に動き回れたか知れない、、ただしそれがわかったのは30日間のパスを使ってみての結果であって事前にそれは予測できなかった、、だから貧乏性のわたしはせめて元を取り戻そうと必死で、多少別料金を払えば得られたであろうもう少し幅のある選択を逃すこととなった、、で、そのとき選んだ行き先はウィーンとなった、、では何時にするか?、、ウィーンへは1日5便、7時11時半13時15時半19時にあり午後の便はまだ間にあいそうだった、、13時にするか15時半にするか?、、このブダペストでまだ行ってないところややっておきたいことがあったので15時半の便にしたかったがそうするとウィーン到着が遅くなってしまう、、13時に乗れれば到着は16時40分だったので宿探しなどはそのほうがずっと楽になる、、13時のバスを予約してすぐに街に引き返した、、まず市場によって前行ったときに目をつけていた土産品を買う、、そろそろ土産を仕入れておかなければと思い始めていたがなかなか目ぼしいもの(わたしの場合これがまた安くてちょっと変ったものでなければならなかった、もちろん軽くてかさばらないもの)が見つけられないでいた、、後々を考えて念のための仕入れ、その後まだ訪れていなかったオペラ座に行ってみた、、場内の見学はたまたまその日休みだったのか時間が過ぎていたのかわからなかったが明日来るように言われてしまった、、写真だけ撮って次に聖イシュトヴァーン大聖堂の展望台に、、前に一度来ていたが展望台には昇っていなかった、、そこから写真を撮っていると時間はもう11時が過ぎ、昼食をどうするかとなる、、レストランはたくさんあるのだがここならよさそうと閃く店に出くわさない、、しばらく歩き回ったわたしは再び地下鉄に乗って市場に戻りテイクアウトすることにした、、前に行った店で今度は違うもの、ハンガリー名物のグヤーシュと思われる肉料理をテイクアウト用の容器に入れてもらい何枚かのパンとあわせて地下鉄に持ち込む、、いい匂いが漂っている、、どこかでビールをと思ったがあいにく見つからず探し回る時間もなかった、、12時少し前に宿のキッチンで慌しい昼食、、たまたままだ事務所におられた管理人の女性に経緯を話し礼を言って鍵を渡したのが12時15分、、再び地下鉄に乗ってバスターミナルに着いたのが12時50分だった、、そこでまた失敗、慌てていたけれどまだ10分あったので余ったフォリントをまた例の両替屋でユーロに換金してしまったのだ、、7ユーロほどになったがまた手数料をたくさん取られてしまった、、1度犯した過ちを3度までやってしまった、、そうしてまたまた悔しい思いでバスに乗り込んだが、このときはそれほど落ち込んでいなかった、、なぜなら先ほど慌しく食べたグヤーシュという料理が超うまかったからである、、極端に言うと今回の旅で食べた料理の中で、ま、いずれも安いものしか食べていないが一番だったかもしれない、、しかもそれは900フォリント300円か400円くらいのものだったからである、、

 バスは来るときに通った道であったからギヨールとかMosonmagyarovarという街は覚えがあった、、その後別の道を行きまもなく国境を通過(このときなぜ国境がわかったかというと昔の建物が残っていた)、、しばらく走ってウイーン空港に寄って16時15分にウイーンのバスターミナルに着いてしまった、、近いもんだ、、で、すぐにウィーン発のバスインフォーメーションを聞く、、わたしがウィーン行きを決めたのはもしかしたらそこからならクラクフまたはコシツェ、レヴォチャ方面のバス便があるかもしれないとかすかな望みにかけてみたからであった、、それは当たっていた、、どちらもバス便はあった、、では今夜の便はあるかと聞くとクラクフなら今夜あるとのこと、、では予約したいとユーロラインパスとパスポートを差し出した、、その女の子はそのパスを見てこれは使えないと言った、、え?またか、と思ったが、そんなはずはない、何でこれは使えないのか?とくってかかった、、一応周りの人に確認してくれたがノーだった、、日本でなら上司を出せと怒鳴りつけるところだったが言葉の問題がある、、英語でそこまで喧嘩できる能力も一度い言い出したら決して自説を曲げないというこちらの女性を言い負かす自信もまったくなかった、、ここは折れるしかなさそうだった、、悔しいからまた聞いた、、ならどこだったら行けるのか?ドイツ方面、プラハへは行けるとのこと、、先のことを考えてフランクフルトへは行けるか確認した、、OKだった、、ではプラハへはいつ行けるか?毎日あって朝8時と夕方17時とのことだった、、17時?まだ間に合いそうだった、、今日の便に乗れるか?すぐに端末をたたいてくれOKとのこと、、行きがかりというか、そのときプラハ行きを予約していた、、到着21時とのことだったが初めての街ウィーンで泊まったとしてもその先進めそうになかったから、改めてプラハから出直してみようと思ったのだ、、その時はプラハからクラクフは無理だと前に聞いていたことをすっかり忘れていた、、プラハに行けば何とかなる、、別の状況が開かれる可能性があるかもしれない、、それにかけてみようと思ってのことだった‥、、

 プラハへの道はすぐに暗くなってしまったが、昼間つまり朝の便で通ったらさぞ素晴らしい道だったであろうと悔しく思ったほど、素敵な田舎道だった、、どの街もすでに帳を下ろしていたが、ほとんど灯りも何もない小さな街、通り、昔のまんまぜんぜん変わってない素朴な村々、ひっそりたたずむ中世の古道がそこにあったように思う、、よく見えなかったが十分その雰囲気は感じ取れた、、このルート昼間がお勧めである、、途中から雨が降り出して外は寒々しかった、、車の往来の少ない雨の夜の田舎道を進んでそれでもプラハ20時50分着、、まだ開いていたインフォーメーションで一応バス便の確認をしてみる、、そのときは確か前に聞いていたことを思い出していた、、答えは同じでクラクフもコシツェも便はあったがユーロラインパスは使えなかった、、そのとき初めてこれは別料金払って行くしかないかと腹を決め、とりあえず今夜はここで一泊することにした、、一度訪れたことのある街は多少遅くとも不安はなかった、、この前のホステルはものの10分足らずだ、、荷物の中から初めて使う傘を探しているとき声がかかった、、ホテルを探しているのかと聞いてくる、、そうだと答えると自分はタクシードライバーでホテルへ連れて行くという、、この手の客引きに今回ここヨーロッパでは出会っていなかったのでを興味を覚えて話し相手になった、、安くする、安い宿を探してあげるといっている、、いくらで?彼は金額は言わずメーターによると言っている、、たぶん悪い人には見えなかったので言ってることはまっとうのように思われた、、これが初めて着いたという状況ならたぶんそのタクシーに乗っていたと思う、、しかしこのときはあてがあったのた、、だからはじめにそう言って断ればよかったのだが、わたしとしてもあてはあるといっても予約してあるわけではなかったし、行っても部屋があいてない可能性は十分あったのでこのドライバーの話を聞いてみたのだ、、しかし聞いてる範囲ではおおよその金額もつかめなかったので、金がないと言って断った、、そしたらそんなことはないだろうと言ってくる、、わたしは金がないから歩いて探すといったら、この雨の中を?、信じられないといった風にあきれられてしまった、、そうわたしは貧乏人だからといって傘をさして夜の街に出た、、前に通った道だから間違えようはなかった、、10時近かったから満室の可能性は充分あった、、そこには前のときとは別の人であったが、やはりおだやかなインド系のおっさんが窓口にいた、、で、前に来たことがあって大変よくしてくれた、、部屋があいていればまた泊まりたいというと、ちょっと間をおいて部屋はあると言ってくれた、、ただし部屋代は600チェココルナ25ユーロとのことだった、、若干前より高かったが以前ここで支払いしたとはいえそのホステルは街からだいぶ離れたところだったので、利便性を考えれば納得のいく金額だった、、むしろありがたく思って承知した、、チェココルナの持ち合わせがなかったがユーロでOKだった、、またもラッキーだったようだ、、というのも彼がちょっと間をおいたのにはわけがあった、、そこは最後の一部屋だったのだ、、しかも4人部屋、つまりそこはドミトリーだったのではないかと思う、、それでどうしようかと案じたのだ、、ドミトリーとして提供するか一部屋そのまま提供するか、彼は鍵を渡してくれるときこう言った、、そこは4人部屋だけど気にせず使ってくれと、実際その部屋は広すぎて却って気味が悪かった、、部屋に行く前に、こんな時間だけど飯食うとこはあるかと聞いてみたら隣が24時間のレストランだと教えてくれた、、そこで食べたポークステーキ&ライス&ビールも忘れられない、、安くてうまかった、、空腹は最高のスパイスなのかもしれない‥??、、

再びブタペスト;上から聖イシュトヴァーン大聖堂とその鐘楼から2枚、、2010_1016_173855p1020901_640x4802010_1016014jpg_blog 2010_1016_175032p1020904_640x480

アンドラーシ通りのオペラ座ともう一枚は不明、、
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ペスト側からくさり橋越の王宮、他2枚2010_1016011jpg_blog2010_1016_172746p1020899_640x4802010_1016_171026p1020895_640x480