独歩の独り世界・旅世界

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中欧 バスの旅 8) マルモ その2

  久しぶりの再会であったが、当初わたしは3日も長居するつもりはなく、もし次の日にバスがあるならそれでドイツ・ベルリンに向かうつもりでいた、、友人B氏がこのバスステーションまで来る間に先ほど電話してくれたスウェーデン人のお兄ちゃんにそのスケジュールを問いただしていた、、彼は明日はその便はなく(後でもらったスケジュール表によると運航日は水・金・日となっていた)火曜はよくわからないが水曜は確実にある、、時間は22時25分発だと教えてくれた、、火曜日があるかどうかわからないというのはそのスケジュール表には載っているがそこのコンピューターでは確認できないとのことで、今日はコペンハーゲンのオフィスが日曜なので閉まっているが明日ならそちらに問い合わせしてみるとのことだった、、どうもマルモは大きなステーションではないためか詳細がわからないらしい、、確かにコペンハーゲンのバス停にはオフィスの地図が出ていたのを思い出したがそちらでないと予約できないということか?すぐにやってきた友人にそのことを伝えもしかしたら3日も世話になるかもしれないというと全然構わないとまったく意に介しない風、お互いの再会を喜び合いすぐにバスで彼の家へ向かった、、彼の奥さんとも久しぶりの再会、お互いの家族みんなが元気なのを確かめ合った、、彼の家は4階建ての集合住宅の一階で広さは日本でいう2LDK?そのLDKの部分がやたらに広くダイニングテーブルやソファや彼の仕事用のデスクが整然と置かれ、壁には彼らのウエディングの写真が(何年前だ?)どこかの映画スターさながらの美しさで飾られていた。、そういえば彼はダスティンホフマンに似ていたし往年の彼女もジュディオングを思わせる美しさだった、、近況を語り合い彼女の用意してくれた中華風軽食で再会を祝ってるうちに時間がたちすぐに夕食の用意をするという、、えっ?これから夕食?もうすでにお腹いっぱいになっていたわたしはその夕食とやらを辞退しその日は早めに寝かせてもらうことにした(因みに彼には最初の奥さんとの間に二人の娘さんがいるが、もう30代半ばになっているとか、今の奥さんとの間には子供はおらず二人暮らしであった、、95歳になるという彼のお母さんは同じ市内に一人で住んでいて彼と一緒に毎日テレビの競馬に熱中しているとのことであった、、電話を受けて彼が馬券を買いに行く、、わたしもそれに付き合った、、こちらの競馬は騎手の乗った車を引くやつでトロットというのかキャンターというのか?いずれにしろ日本の競馬のようなギャロップの走り方ではなかった、、

  マルモでの3日間(到着日を数えないとして)最初の日は午前中洗濯(地下に共同の洗濯機と乾燥機が数台あった)、歩いて市内見物主だったところを無駄話をしながら見て回る、図書館でコーヒーブレーク、広場のスタンドで中華風のランチボックスの昼食、海辺で遠くの橋を眺めて写真を撮る、昨日のバスステーションに行ってバスの確認(バスは結局水曜しかないとのことでbooking)、、その後マルモで一軒ある(一軒しかない)というジャパニーズショップに寄り、競馬の馬券を扱っているタバコや兼bet(or lot)standに寄り、彼は競馬の馬券を購入‥等々、、こんな街、といってもスウェーデン南部スコネ(Skane)州(県?)の州都で人口約30万の都会だが日本人の経営する日本のものを扱うお店があったのにはびっくり、、ちょっと話を聞きたかったけどお客さんがいたので機会があればまた来ることにし、また街ブラ、、ちょっと歩いたところに広場があってその周囲は重厚な建物、教会、騎馬にまたがった昔の英雄の銅像等が建ち並び、ここもヨーロッパの歴史を十分に感じさせる佇まいを備えていたのであった、、

 そして2日目、前日の夕食のときわたしが昔の建物より昔の遺跡に興味があることを知った彼の奥さんが素敵な場所があることを教えてくれた、、Ales Stener というところでイギリスのサークルストーンのようなものがこのスコネ県の南端(ということはスウェーデンの南端)に謎のまま残されているという、、そこまでは電車で1時間Ystadというところまで行き、そこからはバスで小一時間とのこと、、二人で一日のエクスカーションに行ってきたらと勧めてくれた、、それは面白そうと二人とも乗り気になって彼がすぐにどこかへ問い合わせたところこの時期そこへ行くバスはないことがわかった、、およそ20kmの道程たぶんヒッチで行けるだろうとヒッチ派の彼は言う、、まだ日本で彼と手紙のやり取りをしていたころアイルランドへヒッチで行こうという話になった、、それを聞いて昔ならともかく今でもヨーロッパではヒッチができるのかとのわたしの問いに彼はもちろんできるといってきた、、へぇーそうなのかと感心はしたが、それでもわたしは半信半疑であった、、その答えを得るにもいい機会だと思ったわたしは即座に賛成し2日目の予定は決まったのであった、、そしてYstadまでの電車はもちろん順調、金髪の若い車掌さん(お嬢さん)が検札に来てに目を瞠ったものだ、、人通りのまったくない古い中世の町並みを残すYastadの街は駅前に観光案内所があったが、ここはドイツへのフェリーが出る海辺の街でもあり、夏には込み合うところなのだろうが、その日は冷たい風が吹き寒々としていた、、人通りのない道をAles Stener方面に向かって歩き出しロータリーを越えたあたりで彼が用意したAles Stenerと書いた板紙ドライバーに見えるようにかがけてヒッチのサインを車に向けて差し出した、、それにしてもまず通行量が少ない、、途切れ途切れに来る車にそのつど親指を突き出すがやはり反応は悪い、、が、彼はそんなことまったく意に介していない様子、、もちろんわたしも一緒に(わたしは板紙を持つ役として)頑張った、、そうして30分も経たぬうちに1台の車をゲット、目的地までは行かないが半分くらいのところまで乗せてもらうことができた、、若いドライバーとわが友人とはすぐに意気投合して車のドライバーが仕事としている牛の売買(その周辺は牧場が多かった)の話まで20分くらいのうちに取り付けてしまったと後で聞いた、、そこからちAles Stenarまではさらに間道になったためまったく車の通らない道となった、、仕方なく歩き始め車が来るたびにサインを送った、、が、このときもまた幸運にも30分も歩かないうちに何代目かの車が止まってくれた、、そしてものの10分か15分くらいで我々は目的地に到着した、、その場所は海縁りの高台の上にあった、、牧草地のようなところに巨石が船形に埋まっている、、今では史跡に指定されていて観光地のようであったがそのとき観光客は我々以外に一人いただけであった、、とても興味深いものであったが時代も用途もよくわかっていないようであった、、ただし天体の法則、即ち夏至冬至春分秋分を表す石の配置がこれまでに解明されているらしいことがスウェーデン語で書かれている案内板の図を見てわかった、、しかしその日は海風が冷たく長居はできなかった、、丘の下は小さな漁港になっていて、そこに一軒海産物を商う店がオープンしていた、、彼の話では街中に魚屋はそれほど多くないからわざわざここに海産物を買いに来る客が結構いるとのこと、それを裏付けるように丘の上にはほとんど人がいなかったが車で来た観光客?が何組かいて、どこも変わらぬ(万国共通)キップのいい漁師の奥さん相手にいろいろ注文を出していた、、それは買い物の注文ばかりでなくそこの2階で食事ができるようになっていて、漁師のオカミさんは料理とビールの注文も受けていたのだ、、もちろん我々も写真を撮るのを忘れたが鮭だったかなんだったかのソテーとポテトとビールで昼食とした、、それはまた格別にうまかった、、それからまたヒッチ、その漁港に来ていた人たちの車はどういうわけか皆われわれとは反対の右方向へ去っていった、、帰りのヒッチは1時間くらい待ったであろうか?その間晴れてはいたのだけれどとりわけ肌寒く感じた、、が、ありがたいことに一台の車が止まってくれた、、さらに有難かったのはその車の中年のご夫婦は我々を近くの駅まで送ってくれ、さらに幸運だったのは2時間に1本くらいしか来ない電車がたまたま停まっていてそれに乗れたことだった、、こうして我々は順調に夕方には彼の奥さんの待つ家に無事にたどり着くことができたのであった(ヒッチハイクが可能だったことが証明された‥)、、しかしその夜わたしは微熱を感じていた、、ちょっとヤバイ、しかしそれをいうと大事になる、わたしは持っていた薬の中から風邪薬を探したが見当たらなかった、何の薬かいつのものかわからないまま抗生物質のようなものをイチかバチかで飲んで、疲れたと偽って早めに寝かせてもらったのだった‥、、

Stortorget広場(マルモの中心)と市庁舎2010_1004006jpg_blog2010_1004_195517p1020555_640x480

Ystadの街;この日は閑散としていた2010_1005_171346p1020562_640x480


Ales stener;4枚
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小さな漁港とその近くのにあった魚屋兼食堂2010_1005_190930p1020563_640x4802010_1005_191007p1020564_640x480