独歩の独り世界・旅世界

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中欧 バスの旅 7)スウェーデンの友人、 B氏

 友人B氏のことを語るにはもしかしたら一回では不十分かもしれないが、今日彼のことを語っておかないと先に進めないので(多少端折るが)何とかまとめてみたい、、昔親しい友人は何人かいたがわたしのいい加減さにあきれたか、はたまた(彼らの)個人的理由でかいつのまにかわたしの周りからみんな遠ざかってしまった(もちろん親友というニュアンスとはちょっと違った大事な人達はたくさんいるが)つまりお互いをよく理解・承知していて忌憚なく好き勝手を言える間柄という意味でスウェーデン人の彼は残された数少ない親友と呼べる一人であった、、付き合いは35年になる、、最初の出会いはお互い忘れもしない東名高速京都南インター下り線入り口、いつごろだったか今となっては定かでないのだが(彼は覚えているかもしれない)たぶんわたしが27,8歳のころ?、そのころわたしは大学に6年いて卒業しても就職せずにトラックドライバーのアルバイトをしていた、、当時東京から九州まで4t車で長距離を走っていたから途中京都によって神戸に向かうところだったと思う、、彼は京都インター入り口でヒッチをしていた、、わたしは学生時代に中南米を可能なかぎりヒッチで下った経験があり、その時の恩返しのつもりでヒッチハイカーを見つけたら必ず乗せていた、、京都から神戸までの1時間だったか2時間くらいかかったか、それこそ時を忘れてお互いの自己紹介から旅の話を語り合った、、今ではほとんど使い物にならなくなってしまったが、その当時少しは英語が通じてたようだ、、で、その会話でわかったことだが、当時彼の奥さんが日本人でその奥さんは実家に里帰り中、自分も旅が終えたらそこに戻るとのことだったが、なんとその実家というのがわたしの実家と同じところで今もわたしが住んでいる千葉市であった、、まぁ運命の出会いというのはこういう偶然が重なることをいうのかもしれない、、別れ際に千葉でまた会おうと約束を交わした、、そのとき以来今日まで途切れることのない交流が続くことになる、、当時つきあっていた今のわたしの奥さんとも会って、わたしの車で一緒に日本を旅したことも何回かあった、、わたし達は2年後の結婚するのだが、そのときは新婚旅行としてユーラシア大陸を半年かけて回る計画をたて横浜から船に乗りシベリア鉄道を使って旧ソ連からヨーロッパに入り、フィンランドからノルウェーを経由してスウェーデンに至りこのマルモで再会し、しばらく世話になる、、そしてそこからはヨーロッパをヒッチで回ろうと一緒に旅に出たりしたのが33年前だったか??その後彼は日本人の奥さんとは別れ何年か後に今度は香港の女性と結婚(どうも東洋人好み?)、その彼女と彼女の一家総出で日本に遊びに来て我が家に泊まったり我々も香港に出かけて世話になったり、行ったり来たりがつづく、、面白いのは彼の職業で日本で言えばいわばフリーター、普段はソーシャルワーカーだったりテンポラリーでセールスマンをしているが、一番大きな収入は年に数度自ら企画して奥さんと一緒に中国やオーストラリアにスウェーデンの人たちを連れて行くプライベイトツアーコンダクターで、彼の旅の経験とその回数はすべてわたしを上回っていた、、時には日本も含めたツアーを企画しスウェーデン人を連れて日本に立ち寄り、わたしは有給休暇をとってボランティアでそのお手伝いをしたりしたことも何回か、ともかく音信不通となった昔の親友達より遥かにその会う頻度は高かった、、そうしてクリスマスカードや旅先からの便りをお互い欠かさなかったから今年の初め彼はキプロスから日本に、わたしはミャンマーからスウェーデンにそれぞれ今年の予定を書いた絵葉書を送っていた、、そのとき今年のわたしのヨーロッパ行きは始まったといってもよかった‥、、

  夏ごろ退職を考えていたわたしは退職後のプランを練っていた、、今度いつ来るの?いつ会えるかね?といった手紙のやり取りがあり今年は日本に寄れそうもないことがわかる、、彼の手紙には今年も5~6回の旅の予定が記されていた、、前回彼と会ってからそれでも5年くらい経っていたか?(まったく余談だが前回彼が日本に来た時わたしは別居中で、すでに成人した子供達もみんなばらばらに住んでいて正月でも全員が集まることがほとんどなかったのだが、彼が来るということで何年か振りに家族が全員集まって彼を迎えた、というようなことがあった、、)、、では今年はわたしがヨーロッパに出向こうか、33年前に一通り回ったけど彼が今年行ったキプロスだとか隣のクレタ島は行っていないし、そこからだとエジプトにも飛べそうだった、、彼と会ってそんな情報もらって東欧を南下しギリシャからクレタキプロスを回ってエジプトに入るというプランはどうだろう?とわたしは返事を書く、、その後月2度くらいの手紙のやり取りがあり計画は二転三転する、、わたしの2~3ヶ月の旅には付き合えないが2週間くらいなら何とかなるかもしれない、という返事ももらった、、それに対して可能なら彼の今年の予定に入っていたアイルランドへのツアーにわたしも入れてくれないかと打診したりした、、で、最終的にそのアイルランドツアーは没になり、ならば一緒にアイルランドまでヒッチで行こうというプランにまとまりかけたが、結局それもどちらかの事情で実現は難しくなってしまった、、そしてわたしのエジプト行きも前回のエジプトの旅で書いたようなことになり、よってヨーロッパは4週間と期間も短縮となったので、アイルランドは次回にということにし、ちょうど今年の夏彼の奥さんの家族を連れて回ったという東欧(中欧)の情報をもらうためにわたしの旅の最初のほうでともかく寄るからということで話はついていたのだった、、なのに彼はわたしを待っててくれてなかった‥、というのが前回までの話、、しかし実は彼は待つ場所を間違えていたのだった、、それまでの経験でユーロラインのバス停・バスターミナルは全て駅のそばにあることがわかっていたが、スウェーデン・マルモの場合それは駅から多少離れたところにあってバスはそこに到着した、、当然彼も知っていることと思っていたが、彼はその場所を知らなかったようだ(ユーロラインを使ったことはないらしかった)わたしは着いた先のオフィスの男性に頼んで彼のケータイに電話してもらい10分後に5年ぶりの再会を果たすことができた(彼はマルモの鉄道駅でずっと待っていたようだ、、駅からは歩いて5分くらいのところにバスステーションはあった)わたしに言わせればお粗末な話だが、しかしその後彼(と彼の奥さん)は3日間毎日わたしのためにあらゆるもてなしをしてくれ、わたしに一銭も使うことを許さなかった、、

(今回の写真はそれから2日後に彼とスウェーデンの田舎へヒッチで行ったときのもの、その話は次回)

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