独歩の独り世界・旅世界

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ミャンマーの旅 13) 帰国まで

 ヤンゴンへのバスはマンダレーバガンよりずっと上等なエアコンつきデラックスバスでヤンゴンまで14時間(15000Kヤンゴンマンダレーも同じくらいの時間と料金だった、ということは1時間走って約100円?)どの道を通っていくのか、今朝買った地図を見ながら追っていくとメッティーラまでは来るときと同じ道(メッティーラからヤンゴンヤンゴンマンダレーを結ぶ幹線道路)だった、ニュアン・ウを発ってすぐに左手に見え出したひときわ高くそびえるMt.Popa(ポッパ山 1518m)は、その山が夕暮れに赤く染まるころまでずっと左手に見えていた、そして日暮れ間際に休憩に停まった、ま言ってみればドライブインのようなところで思わぬ再会があった、そのドライブインで食べものを売り歩く中の一人がなんと3日前にバガンへ行く途上に寄ったドライブインでゆで卵を売っていた少年だった、えっ、どういうこと?彼もわたしのことを覚えていた、そしてわかったことはそこから少し下ったところの反対側車線に3日前のドライブインはあったのだった、と言うことは同じ場所?他に何の建物もない荒野の中のドライブインはこの辺の貧しい部落の希少な収入源だったのかもしれない、もちろんわたしは再び彼からゆで卵を2個買ってその日の夕食とした

 日が暮れるとほとんど明かりのない闇の中をバスは疾走して行った、メッティーラを過ぎるとバスは急にスピードが上がり所どころ明かるく点在する町や村を抜けた、そしていつのまにか眠りについた、つぎに目覚めたときそこは猛スピードの車が行きかう国道のドライブインであった、特に用はなかったが降りて中をうかがうと、大きなドライブインで食事をする人買い物をする人トイレへ行く人で混雑していた、停まっているバスはわれわれのバスだけでなく数台あった、はじめは寝ぼけ眼であったがよく見るとここも見覚えがあった、マンダレーへ行く途中で寄ったドライブインだった、30分ほどの休憩しバスは再び走り出し約4時間走ってヤンゴン郊外のバスターミナルに着いた、3時50分だった(ということは13時間で着いたことになる)、真夜中だというのにバスターミナルは人で混雑している、ここでヤンゴンの町まで行くバスを探すのがまた一苦労であったが、バスナンバー43を覚えていたし人の動きについていけば自然とそのバスにたどり着いた、しかし夜中のことバスはすでに満員状態になっていたがなかなか出発しない、3,40分待ちで出発したバスはまったく交通量のない道を飛ばしに飛ばし行きに1時間半かかったところを40分で走りきり、5時15分にヤンゴンの中心スーレーパコダで降ろされた、まだ闇の中照明に照らされて金色に輝くスーレーパゴダは昼間見るのと趣を異にし、それはそれで美しかったのだが、その時間にわたしはそこでどうしたらよいかまったくわからずうろたえてしまった、夜明けまでどこぞで仮眠でもできる場所があればいいのだが‥そんな宛てのない状態で仕方なく歩き出す、どこぞへ行こうか?足はヤンゴン川河畔の船着場へ向かう、船着場はすでに始動しておりたくさんの人が行き交っていた、時間潰しに対岸へ渡ってみるか、しかしこの時どこへ行きたいのか聞かれ、ただ行って帰ってくるだけでどこへ行くのかわからない、ということがうまく説明できず、面倒なのでやめてしまった、多少わたしの英語を通訳してくれたのがなぜかその辺をうろつくガキどもで残してもしょうがないチャットを小遣いとして少し渡した、だんだん夜が明けてきて路上に茶店が開きだす、そこはインド人街に近かったか露店にサモサが並んでいた、例の風呂場の椅子に腰掛けサモサ2個とコーヒーを注文(400K 約40円)チープ&リッチな朝食だった、もう早すぎることはないだろうと頃合を見計らって最初に泊まったゲストハウスに向かう、そこでトイレを借りオーナーに詫びた、実はそこに10日に戻って一泊して帰国するつもりで予約をしておいたのだった、がその日を1日間違えて11日チェックイン予定としていたため、昨日到着できなかったことは詫びる必要がなかったのだけれど、その日帰るので結局その11日の予約はキャンセルさせてほしい旨伝えた、日本に10年も住んでいたことのある親日家のホワイトハウスオーナーは別にいやな顔ひとつせず、ちょっと日本語で日本の話をして空港までのバスでの行き方を親切に教えてくれるのだった、それでもまだ空港へ行くには早すぎた、街はすでにいつもの活気を取り戻していた、何か気の利いた土産はないかと探し回る、街角の露店でミャンマーのカレンター(1ヶ100K)を二つ手に入れ次にパルウェイを探す、これは例の20年前のガイドブックに出ていたお勧め土産のひとつ竹製の縦笛、ところがこれを置いているところはなかった、扱っていそうな店、例えば土産物や文具楽器店、雑貨店など何ヶ所聞きまくったか、親切に周りの人に聞いてくれる人やどこそこへ行ってみたらと教えてくれる人はたくさんいたが、,一番多く聞いた答えはシュエダゴォンパゴダで手に入る、というものであった、先ほどまで時間をもて余していたが、今やそこまで行く時間はなかった、仕方なく諦め空港近くを通るという53番のバスに乗った、あらかじめバスの車掌(切符売り)さんに空港近くのバス停で降りたい旨伝えておいたので3,40分走ってそのバス停で降りることができた、そこから飛行場まで歩いて15分くらいだという、バスを降りるとたまたまその日が市の日だったのか、それともそこは常設市場だったのか路上狭しと露店が並んでいた、多少時間的余裕があったので当然のごとく寄り道&冷やかし、でそこで手に入れた土産はただの炭、雑多な雑貨や食料品等々が並んでいる一郭に炭屋があった、われわれにとっては珍しくもなんともないのだが、ま記念にと思ってかけらを2,3個いくらか?と聞いてみたらもっていけという、ありがたく頂戴した、その隣で計り売りのミャンマー茶が売られていた、通常パックの1/4くらいを200Kで手に入れ、最後が何回か食べたつけ麺?(これがモヒンガー?)300Kで締めた、この麺は街中どこでも食べられる小腹を満たすに手ごろな食べもので実にうまい、うーん、どうやらこの最後の寄り道でミャンマー終わりよし、で迎えられそう‥

 15分くらいと聞いていたが実際はそこから2,30分歩いて空港に着いた、しかしもし次に来ることがあるならタクシーを使わずに町にでる方法がわかっただけでも稔りはあった、若干残ったチャットでコーヒーを飲んで残金をゼロにする、後は出国税10ドル払うのみ、11時45分チェックイン台北行きチャイナエアラインは定刻14時にヤンゴン空港を離陸した

 台北は冷たい雨が降っていた、空港でちょっとした選択に悩まされた、チャイナエアラインの乗り継ぎ便は明日の9時25分、選択一はチャイナエアラインの用意するホテルにトランジット客として宿泊、この場合約10ドルの出国税はかからないが、もちろん安いとはいえホテル代を払わねばならないし外へは出られない、あるいはいったんイミグレを通り入国の手続きをし明日出国税を払って通常の出国手続きをするか?:結局かかる費用はどちらも大差なし、問題はいったん外に出てまたエアポートバスに乗って台北駅近くのホテルを探し、また明日早朝に空港まで戻ってくる手間が面倒かどうか、だった、たぶんミャンマーの旅がそれほど疲れてなくむしろ癒しの旅になっていたのかもしれない、わたしは後者を選んで再び台北の町に出た、行きに寄ったときに見つけておいたさらに安いホテルはもちろん問題なく泊まれたし、チェックイン後すぐに街に飛び出して最後の足掻き、また西門町界隈を歩き回ってうまそうなものをテイクアウト&7-11でビールを買ってホテルで舌鼓を打つ、そしてハイテンションのおかげでほとんど眠れぬまま1月12日の朝を迎え、日本とあまり変わらない1月の寒さを感じながら台北駅から再びリムジンバスの国光号に乗って台北桃園国際空港に向かったのだった

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