独歩の独り世界・旅世界

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バンコク~シェムリアップ 3)

 7時にホテルでピックアップのはずだったが、待っても待っても約束の車は来ない、1時間ほど遅れて到着したワゴン車は予想通り全員旅行者ですし詰め状態だった、わたしのスペースがない、と日本人の女の子二人が手配師らしき若いタイの女性にその場で降ろされ(彼女たちはどうなってんの、と途方にくれたが、最終的にもう一台車が出たらしくカンボジアの国境で追いつく)わたしも途方にくれながら座席を占めることができた、でその隣に座っていた女の子も日本人だった、旅行者11人を乗せたワゴン車はすぐに出発した、トヨタのワゴン車は高速を1時間ほど突っ走り、下道に下りても車がほとんど走っていない片側2車線の立派な道を高速道路並みに車は飛ばす、130kmくらい出している、うーん、タイの道は立派なもんだと一人感心する、というのもつい2、3日前こちらもあらん限りの力を振り絞ってどこまでも追い越しをかけるスリランカのバスの運転手にも感心させられていたが、なにぶん道路は片側1車線でしかも舗装状態もよくないし道幅は狭い、道は曲がりくねっていて危険がいっぱい、おそらく平均すれば4~50kmが精一杯ではなかったか?道路状態・走っている車は如実にその国の経済状態・繁栄状態を表すことになる、ここ10数年のタイの発展振りには驚くべきものがある、ということか~で国境までの250km普通のバスだと4~5時間かかるところをこのワゴン車は3時間半で走りきった、その間たまたまの出会いとなった日本の女子大生とそれまでの旅の話に花が咲いて車窓の景色もそっちのけ、しかし見るべきものもなかったというか、ほとんど荒れた原野を走っていたから、ま、話の収穫のほうが大きかった、彼女たちは(後部座席にお仲間二人がいた)関西の某女子大生初めてのタイをまずチェンマイから入り、そのあとバンコクに来て、これからカンボジアへ、という行程で約2週間の夏休みバカンスとのことであった、そしてあまりにもチェンマイがよかったものでバンコクに来てちょっとがっかり、おまけに怖い話を聞いて夜も眠れなかったとのこと、その話というのは日本人の旅行者がだまされて睡眠薬入りの飲み物を飲まされれ身ぐるみはがされて置き去りにされたというもので、よくある話なのだが実際被害にあった人から聞かされたらしく、せっかくチェンマイをエンジョイしたのにバンコクが怖くなったと話していた、それで少し慎重になるならそれはそれでよい教訓になると思うが、そんな奴がいるんだぁとわたしは他人事のようにその話を聞いていた~

 国境の町アランヤプラテートで全員降ろされそこで昼食となる、このときは全員ヴィザを持っていたから食後歩いて国境を通過(ヴィザがない場合ここで取ることも可能なようだ)両国の出入国はほとんど面倒なことはなかった、カンボジア側にはカンボジア側の手配師が待っていて彼らの用意したバスでバスターミナルへ、そのバスターミナルで後続の旅行者を待ちワゴン車2台分の旅行者がそろったところでカンボジアのバス(ほとんど日本の中古?)はカンボジア国境の町ポイペトを14時45分に出発、カンボジアの道もあのスリランカよりはずっと立派であった、もしかしたらこの道路状態からすると日本の援助?というのはスリランカでのこと、われわれの今回の調査区域にあたるスリランカの中央部を流れる大河マハウェリガンガに1本の立派な橋が架かっている、日本スリランカ友好親善・さくら橋というその橋は日本の援助で建設されたものだ、でその橋の袂の道路数キロも日本の技術によって造られた道路が走っている、それに続くスリランカの道路とのその差の歴然としていること驚くほどだった、よってこのカンボジアの道路も日本の援助で造られたものではないかとそのとき思ったものだ、しかし道はよくてもこうもタイ人とカンボジア人は違うものか、通行は左から右に変わり、ちょっと古めかしいバスであったが平坦快適な道をカンボジアのドライバーはぜんぜん飛ばさずまことにおとなしい運転振り、これはたまたまそのドライバーが、という問題ではない、スリランカではほとんど全員が追い越しをかけるわれ先運転だしタイの運転手はすいてる道なら誰もがぶっ飛ばしている、そしてここカンボジアはあきれるほどみなおとなしい運転をしている、国民性の違い?道交法の違い?何なんだろうかと穏やかな田園風景を見ながら、気持ちまでのんびりしてくる~

 もっと荒れてすさんだカンボジアを想像していたが、ずいぶん落ち着いてきているように思えた、カンボジア復興にどれほどアンコールワットは貢献していることか、まことにカンボジアの財産、カンボジアの人々は昔の人が残したこの遺産に今いかに多く救済されていることか、それはアンコールワットの観光が多くを物語っていた、バスは約3時間でアンコールワットの町へシェムリアップの町外れに到着した、このバスに乗ってた旅行者は全員バックパッカーである、日本人は5~6名、他韓国人1名、後は西洋人で15~6名?もちろん(スタイルは)同じバックパッカーであっても、旅にたいするポリシー・方法論はさまざまである、いろんな旅が存在する、日程も予算もさまざまだからそれぞれの旅が生まれる、なのであくまで個人的なわたしの見解なのだが、ある旅の成否は実はこの瞬間、つまりバスがある町についたときに決まる、と経験上感じている、即ちわたしの場合で言えば初めての町はほとんど宿の予約をしていないし情報ももっていない、もちろん懐は豊かでない、とすれば一番手っ取り早い宿探しは、そこに待ち構えているオートリキシャやサイクルリキシャのお兄さんたちに頼るのが一番と思っている、場所によりけりだが、ところによっては何人者のリキシャマンが寄ってくる、後で詳しく述べるがどのリキシャマンも彼らはほとんどの場合あるホテル・ゲストハウスの雇われの身である、だからどのリキシャマンに当たるかあるいは選択するかがその後の流れに大きく影響する、ま当るかはずれるか、いずれにしろわたしの旅のキーマンになるということだ、そのときもちろん英語の達者なバイクタクシーの若者は顔立ちがよかった、わたしは彼に必要なこと、つまり予算10ドル以内場所はオールドマーケットに近いところということを告げ、2ドルで宿探しを彼に任せた‥

 バイクタクシーというのは日本では荷物を運ぶことは認められているが、後部座席に人を乗せる営業は認められていない(たぶん危険度が高いということで認められていないのではないかと思う)が渋滞する道をバイクならではの小回りをいかした迅速性がそのメリットとしてタイやカンボジアでは一般的である、料金は交渉次第、この町を熟知している彼はシェムリアップのメインストリートを通って、ここがオールドマーケットと町案内をしながら、ものの30分も立たないうちわたしをあるゲストハウスに連れて行った、エアコン付きの小奇麗な部屋は10ドルとのことであった、もっと安いところを望めば連れて行ってくれたかもしれない、そういう執拗さをわたしはすでに失っていた、宿をそこに決め彼とは明日のアンコールワット見物の約束を交わして別れる、シャワーを浴びてホテルに来る途中に目星をつけていた地元の人で賑わっている安そうな飯屋に向かう、そこでは店先でバーベキューさながら日本の焼き鳥屋のような感じで香ばしい牛肉が焼かれていた、言葉ができないので手振りでそれを注文、あわせてアンコールビール、あまりにもうまかったのでビールを追加、観光客は誰もおらず地もとの人たちが飲んだくれている、あーカンボジアは平和になったんだぁ、そんな人々を見ながらわたしもだいぶ酔っ払ってしまった、さて支払い、こんな庶民的な店なのにここではどこも請求書をきちんとトレイにのせてもってくる、焼肉(食べ放題の生野菜つき)とチャーハンとビール2本で33600R(R;リエル、約8ドル)安い、大満足、わたしはバンコクで両替した5万リエル札(1200円相当?)を初めて使った、それを持ってキャッシャーへむかった給仕はしばらくして大変申し訳なさそうな表情を浮かべて戻ってきた、残念ながらこのお金は受け取れないと言う、えっ?どういうこと?片言の英語でやり取りする、とても穏やかな物腰だ、で結論的にわかったことはどうやらその5万リエル札は偽札とのことだった‥ そんな‥ !!

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