独歩の独り世界・旅世界

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山レポート 1)白毛門・朝日岳

   このブログ世界をわたしは本年の6月14日に始め、主に過去の山の記録を中心に載せてきましたが(新しい順に過去に向かって通番)、その後の新しい山・旅をどう処理するかと考えて、そのタイトルを‘山レポート’に変え、一昨日昨日の白毛門・朝日岳をその1)とし、以下その報告です

 白毛門 1720m 朝日岳 1945m  上越国境谷川連峰を目の当たりにする白毛門、高山植物の宝庫、池塘のすばらしい朝日岳

山行記録 ;  2008年7月19日 白毛門登山口 10:25  松ノ木沢ノ頭 13:00  昼食 13:35  白毛門山頂 14:25  休憩 14:40  笠ヶ岳頂上 1852m 15:40  避難小屋 15:45 7月20日3:00 起床 小屋発 3:50 日の出 4:45 朝日岳 5:00 池塘に遊ぶ 5:50  避難小屋着 6:40 パッキング・写真撮り等 7:10 笠ヶ岳山頂発 8:00 白毛門 休憩・写真 8:15 松木ノ沢ノ頭 8:55  休憩 9:10  途中何度も休む 11:15 登山口 11:30 土合駅着 11:40

 JRの快速‘一村一山’号は上野発 6:45 土合着 9:18 で大変便利、というのも、もしこれを使わないとすると午前中に土合に着くには上野発6:20の各駅に乗って高崎と水上で乗り換えて9:59着か上野発 7:20 の特急(特急券1680円)で水上まで行って乗り換えて9:59着の方法しかない、しかしこの臨時快速は7月19日と9月20日の2回しか出ない、なんとJRのサービスの悪いことか !(JRに対する不満は別項を設ける)、その列車に乗るためには千葉発5:36に乗らなければならなかったが、ま、この程度は山の早立ちと思えば許せる範囲、流石にハイカーたちは良くご存知で上野に着いたとき自由席(6両編成のうちの2両)の空席はあとわずかであった、立ち人もでる満員電車の乗客は95%は土合で下車、わたしは何十年ぶりかで土合の地下ホームに降りた、前に来たのがいつだったか覚えていないほど上越の山は縁がなかった、しかしその乗客たちの多くはロープウェイで谷川へ向かうか周辺のハイカー・トレッカー?で土合橋手前を右に入り白毛門に向かった登山者はわたし以外になかった(その理由は後ほど判明)、がそれはわたしにとってちょっとした災いをもたらした、わたしは出鼻に道を間違えてしまったのだ、白毛門登山口の手前で道が二手に分かれていて(そこには何の案内もなかった、こんなところで間違える人はいないのだろう)てっきり右と思って確かめずにそのまま進んだ、実に山道らしい道だった、そして沢に出最初は難無く渡れたが、次の渡渉は靴を浸からずに渡ることができなかった、そして登山道がわからなくなった、そこでやっと、もしかしたら間違えたかもしれないと気づく、ちょうどキャニオニングだかラフティングだか知らないがウェットスーツを着た若者たちが数十人が水の中をじゃぶじゃふ浸かりながら登ってきたので、そのリーダーの人に聞いてみると、道はあるけど白毛門へ行く道とは違うと教えてくれた(わたしは東黒沢への道を入ってしまったのだが、この沢はキャニオニング・リフティングの場であるとともに、多くの沢登りの人も入っており後でここを登った多くの沢やさんと会う)、普通なら駅から10分の白毛門登山口に着いたのは1時間後であった、しかも靴の中は水浸し最悪のスタートだ、ま気を取り直して登り始める、尾根直登との急勾配、苦しい登りが続く、早くもバテ始める、30分毎に小休し松ノ木沢ノ頭に着いたときすでに13時になっていた、谷川の壮絶な壁を見ながらにぎりめしをほうばる、ここまでに追い越された人はいなかったがここで後続が二人現れ、その二人とはその後笠ヶ岳まで追いつ追われつで道を共にすることになる、一方多くの下山者とは出会った、挨拶とともに何人かに聞くともなく聞いてみるとどうやらほとんどは白毛門までの日帰りコースで登っている人たちばかりであった(あるいは先述の沢登りの人たち)、それで納得したことがあった、わたしはてっきりこのコースは一泊で朝日岳までと思い込んでいたのだけど(だから荷が重くなった)一般的には車で来て(駐車場で仮眠するかどうかはそれぞれだが)早朝に登り始め白毛門まで行って下山するルートだったようだ(だからほとんど軽装)、いやたぶんこの時期の選択としてはそれが正解であろう、つまり日が高くなった10時過ぎに湿気の多い樹林帯を登ればわたしのようにバテてしまうのは明らかだからである、それは翌日の下りでも同様であった、電車の人たちがこちらへ来なかった理由、駐車場にはたくさんの車が停まっていた理由、わたしが登った時間帯にはほとんど登ってる人はおらず降ってきた人ばかりだった理由すべて納得できた、松木ノ沢ノ頭は1500m近くあり樹林帯も抜けており白毛門が目と鼻の先に見えていた、勾配は相変わらず急であったが少しペースが取り戻せたようだ、だいたいコースタイムで白毛門へ、そして疲れはしたが何とか笠ヶ岳まで来た、あたり一面のニッコウキスゲが疲れを忘れさせてくれた、目の下に今日の宿泊地笠ヶ岳避難小屋がある、予定ではもう2時間ほど早く着いて空身で朝日岳まで行って水を補給してくるつもりだったがもうそんな時間も体力も気力も残っていない、500mlの水で何とかしなければならない、ここまで追いつ追われつした同行者の一人はここから引き返すという、何度目かの登山でライトもあるから心配ないとのこと、もう一人の方はわたしより5歳くらい若そうだったが、しっかりした装備で今日は避難小屋泊、例の馬蹄形縦走を狙ってるのか谷川はよく来てる人のようであった、そして避難小屋には先客が二人いた、あとから来る人がいなかったからちょうど良かったのだが、この蒲鉾型避難小屋は4~5人用となっていた(多勢で入れないことを想定して一応ツェルトは持っていたが)で、その二人は途中でポリタンに穴があくアクシデントがあり、この小屋から下の雪渓まで道なき道を下り、熊やその他の動物のの足跡・糞が散乱する水場まで往復1時間半かけて水を汲んできたところだった、後で親切にもその貴重な水をほんの少し分けてくださった、ウィスキーのお礼では割の合わぬことだったろうが、恥ずかしきことと知りつつ好意に甘えてしまった

 さて、翌日(20日、昨日)清水峠方面に向かう単独行の彼が3時に起きてくれて助かった、寝袋は要らないと思ってもってこなかったのだが、やはり山の夜は冷えた(それでも10゜C以上)でそれほど良く眠れずトイレにも行きたくなり、ずっと前から目覚めていたからである、わたしも同時に起き二人組みもすぐに起きた、昨夜の残りで簡単に朝食、3時50分には準備が整い一足早く朝日岳に向かった、4時45分日の出、朝日岳と朝日を同時に収めたがいまいちの写真であった、朝日岳着5時、朝日岳の水場は枯れてなかった、素晴らしい池塘を散策、わたしの後に続いた彼とはここで別れ、後続の二人にも礼を言って先に引き返す、荷物を整え笠ヶ岳からもう一度写真を撮って下り始めたのが7時10分、白毛門までの途中で早くも今日一番の登山者に出会う、朝日岳まで行くという、朝4時頃駐車場を発ったというからいいペースだ、やはり樹林帯は早いうちに抜けるという原則を知っている人だ、今の時間なら充分往復できる、つまり朝日岳は可能な日帰りコースなのだ、そしてもう一人、最初の彼にあって10分後くらいに若い素敵な女性に出会った、こんなところにこんな若い女性がしかも一人で、どちらまでと聞くと宝川温泉までと、これまたツワモノだ、この時間なら問題なく下れるだろうと思った、その後昨日も連休中日だったからだろうが、次々に登山者に出会った(いずれも白毛門より下、つまり時間帯もだいぶあと)、しかしたぶん朝日岳まで行けたのは最初の二人だけだったのではないか? 思った以上に人気のある山だということをあらためて知らされたわけだが、その多くは前述したように車で来て白毛門往復日帰りということのようだった、しかしその白毛門からの下りはわたしにとって決してやさしいものではなかった、すでに松ノ木沢ノ頭まで4時間以上歩き続けており、ちょうど樹林帯がまた蒸し暑い時間帯となっていた、それでなくても下りの苦手なわたしはもう恥も外聞もなく両手で木々にしがみつき転がりながら下ったのだが、熱中症とはこういう状態なのかと始めて知った、意識が朦朧としてきて足取りがおぼつかない、ペースは登りと変わらないくらい、コースタイム1時間半くらいのところ2時間以上かかってやっとのおもいで登山口まで下ってきてそこでへたり込んでしまった、普通ありえないことだが登山口でしばし休憩、そして疲れた身体を引きずるようにして土合の駅まで歩いた、12時25分の電車には充分間にあったが、そこには飲み物を売る自動販売機一つなかった、水上で一缶、高崎で一缶ビールを飲み干してやっと生き返った思いがした

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