独歩の独り世界・旅世界

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ワルザザート Ouarzazate へ

 アイトベンハドゥAit Benhaddouのカスバの原形のような山城の写真を見たとき、できれば行ってみたいと思った、、なにやら歴史があって由緒あって、なんとも形容しがたい魅力がその写真から伝わってきた、、その写真はネット上でも、モロッコ内の旅行代理店のパンフレットにも載っていて、場所はワルザザートという大きな街とマラケシュの間辺りにあるということだった、、なのでワルザザートまで行けばそこへの行きかたを含めた情報が得られると思っていた、、そしてメルズーガからは一日一本マラケシュ行きのバスがあって、そのバスがワルザザートを通るとのことだった、、それでチケットは当日でも買えそうだったからまずホテルを探したのだけれど安宿がなかなか見つからなかった、、そんな時現れたのがランドローバーに乗るトアレグの若者だった、、その出会いは偶然だった、、たまたまメルズーガのメインストリート辺りを歩いていたとき彼の車がわたしの近くで停まり、声をかけてきた、、どこへいくつもりだ?近くなら乗せてってやる、といってきた、、たぶん英語だったと思う、、隣に欧米系旅行者風の若者が乗っていて、なんか同じ旅仲間といったのりで、気さくな感じだったので、わたしは躊躇わすに、安宿を探している、どこか知っているところがあれば教えてくれ、と答えた、、それに対する彼の返事を聞いたとき、思わずほんとかよ?と疑ってしまった、、彼は、自分がその安宿のオーナーだといったかどうかは忘れたが、いずれにしろ、隣の若者を指して彼も泊まっている、その彼が今日でるので自分のところに泊まれるといったのだ、、もしそれが本当ならこれ程タイミングのよい話はなかった、、なのでとりあえず、いくらで泊めてくれるか聞くと、150Dhといってきた、、またまたこいつ本気かよ?と思う、、今かなり高級なホテルを150Dhで泊めてくれるというのを断ってきたばかりだ、、いったいどんなに素晴らしいところでどんなものを食わせてくれるというのだろうか?、、そしてそれをその通りいってみた、、すると彼の返事がふるっていた、、じゃ、飯つきにしてあげる‥、、オイオイオイ、おまえとこんなところでそんな交渉している暇なんかないんだよ、といってその場で別れればそれで済んだ話だったと思う、、が、値段はあとから決めるとしてまず自分のところに来てみろ、車で5分もかからない、気に入らなければまたここまで送ってやるという言葉につられてその車に乗ってしまったのだった、、そこは今わたしが歩いてきた道を戻るような形で街をはずれ、ちょうど先ほど寄ったホテルの中間くらいを左に入った辺りで確かに近かった、、歩いても10分くらい??、、看板も何もなくホテルではなかったが、中庭のある大きな一軒家だった、、そこは彼の家だという、、こんな若者にこんな家が持てる?詳しくは聞かなかったが彼の親の家で、今は彼が一人で住んでいるようだった、、平屋建ての土壁の大きな家で大部屋が二つとキッチン・食堂・トイレ、そして中庭、、その大部屋のひとつには土間にけっこう豪華な寝具が敷かれその数五つほど並んでいた、、そのうちの三つは一緒に戻ったスイス人(同乗していたヨーロッパ系の若者はスイス人だった)の彼とその友人が使っているとのことだった、、そして彼らは今日出るとのことだったが、彼らはいったいこの宿にいくら払ったのかは聞きそびれてしまった、、で、改めて交渉が始まる、、ここがホテル?いや、自分の家だが部屋が空いてるから旅行者がいたら泊めている、、自分はこのランドローバーでサハラツアーをやっていて、希望があればどこへでも連れて行くし、宿も提供しているのだ、といって彼の名刺をくれた、、なるほど、それでヨーロッパの若者はここに泊まっていたというわけか‥、、OK、わかった、では改めていくら出さばいいの‥??、とわたし、、100Dhでいい、と彼、いや、ここはホテルではないのだから、せいぜい50Dhしか払えない、、もし食事つきにしてくれるなら100Dhだしてもいい、とつい口がずべってしまった、、いってからしまったと思った、、ここは断ったほうが無難だったのだが、その一言で後に引けなくなってしまったのだった、、すると彼のほうもしぶしぶだが承知した、、それで決めざるを得なくなったのだが、それでもまだ迷っていた、、なぜならそのあと一通り家のなかの説明を受けたとき重要なことをいったのだ、、金がなくて電気代を払えないから今は電気がきてない、と、、‥??‥昨日の晩もロウソク生活だったのだ、、ロウソクで何とかなるだろう、、それに100Dhで食事つきなら当初の予定通りだ、、ま、いいか、と了解して彼が作った昼食のタジンをその二人と一緒にたべることになった、、いや、そのタジンはけっこううまかったのだ、、それで諦めたというか100Dh払ってしまったのだった、、そのあと彼は用事があるというので出かけ、わたしも荷を置いて、宿が決まったので明日のバスのticketを買いに街にで、そのまま街ブラ、そしてメルズーガの砂漠まで足を延ばしてみた、、そのときスプラトゥールのオフィスでわたしはその後の行動に大きな意味を持つ情報を手にすることになった、、なんのことかはこの後に出てくると思う、、

 さて、2~3時間ぶらついて‥、そのときは街中から砂漠のほうへ向かい、そしてお墓らしい場所があったのでそこの写真をとり、日没近くに砂丘に登り、誰もいない砂丘の上でサンセットを楽しんでから戻ってみると、その家には誰もおらず、鍵も持たされておらずしばらく待ちぼうけ、やっぱりこんなところに決めなければよかったとまたまた後悔が始まるのであった、、彼が戻ってきたときはもう不信感に満ちていた、、わたしが出かけている間に宿泊者はすべて去ったようであった、、大部屋にわたし一人、すでに日は暮れていて部屋のなかは闇、ロウソクをもらう、、ちょっとひどすぎない?とわたしは文句をいうが、ぜんぜん動じる様子はなく、ロウソク生活はロマンティックでいいだろう、、なんていっている、、こりゃダメだ、大失敗だったと観念するしかなかった、、で、夕食にまたタジンを作ってくれたが、味はともかくそれだけの食事(チキンのタジンとパンだけ、台所に食材がほとんどなかった)、最初に寄ったホテルの150DhをOKしていれば、コースとまではいかなくてもリッチな食事にありつけたであろうなぁ、と恨めしく思うのであった、、それでも、ちっともロマンチックにはなれなかったがロウソク灯りのキッチン兼食卓でいろんな話をした、、で、そのとき自分はトアレグだ、といったのだ、、トアレグはモロッコでは少数派だと聞いていた、、モロッコベルベルが多数を占める、、トアレグは主にアルジェリアニジェール、マリといったサハラを拠点とする砂漠の民と聞いていた、、あのサハラのど真ん中、タッシリナジェールの古代の岩絵があるところに住んでいるのがトアレグだったはずだ、、今はどうか知らないが勇猛果敢な部族であるという記憶があった、、なのでちょっと見方を変える、、で、ここで何しているの?と聞いてみた、、そのとき彼は改めて、この辺りのよりディープな砂漠エリアについて、一般の人が行かないところで見所がまだたくさんあること、そしてその砂漠がいかに素晴らしいか、また自分はこのエリアを熟知しているしその足としてランドローバーがあると、とくとくと説明してくれるのであった、、そしておまえのスケジュールに合わせてどんなコースでもアレンジできるから明日からどうか、としきりに誘ってくる、、これからの予定はどうなってるんだ、、もう一日でも二日でも泊まっていけといってくる、、よほどこのホテルでなければ、と言ってやりたかったけれど、でも、ま、彼の話はまんざら誇張しすぎとも思えなかった、、確かに昨日の砂漠ツアーはもう手垢がついてるもので、ま、初心者向き??、、たった1時間砂漠の縁をかすったに過ぎなかった、、その点彼のいってるエリアはたいへん魅力的でかなり心を動かされたのは事実だった、、だが、やはりこの宿、そしてこの彼、またその価格も当然駱駝ツアーでも高いといっているものが払える額ではなかったのだ、、もっとも電気代も払えないほど困窮しているようだったので、その価格は少しオーバー気味だったかもしれないが‥??、、で、わたしは断る理由として、砂漠にはそれほど興味がないんだと少しうそを言ってみた、、するとおまえの興味は何だ、どこを?何を?目指しているんだと聞いてきた、、ま、当然の質問だった、、で、今度は正直に答えていた、、それはその日スプラトゥールのオフィスで得られた情報で確信を持てたからいえたことでもあったのだ‥、、

メルズーガの街をぶらついていたとき、街と砂漠の境目あたりでこんな光景に遭遇、もしかしてと思って写真に撮り、あとでモハメド(トアレグの若者)に聞くとやはり墓石とのことだった、、向こうにもたくさん見える、、

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メルズーガの砂丘;2枚、前日のHassi Labiedに比べるとバージンサンド?砂丘のピュア度が劣る?ランドローバーの轍ではないと思うが、けっこう荒らされている感じがした‥??056_640x480
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砂丘からメルズーカの街;2枚と日没058_640x480
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 実は、その目的地についてはここでも初めて披露することになると思う(もっとも少々言い訳になるが、1月1日の現地レポートを書いているので、そういう意味では既に記述あり)、、当初目的も目的地も定かではなかったと書いたが、それも偽りではなかった、、ま、かっこつけていえば秘めたるネライはあったのである、、ただ、いかにも情報がなく可能性を探っていた、というのが本当のところ、、つまりそこまでいけない可能性もあったのだから確信を得られるまではそれを明かさなかっただけである、、それについてはモロッコ情報をもらったときO氏にも聞いていた、、そこの情報はありませんか?と、、彼もその情報は持ち合わせていないようだった、、それが今日初めて確信に変わったのだった、、そのオフィスでわたしはLaayouneに行くバスはあるか、と聞いてみたのだ、、前にも記したがスプラトゥール社は全国ネットの最大手のバス会社だったから当然コンピューター管理である、、その地の情報だけでなく全エリアのバスの時刻と料金をすぐに調べてくれる、、マラケシュ~ラアユーンはバスがあると教えてくれたのだ(そのとき聞いたのはAgadir~Laayouneで一日4本の運行があって10時間220Dhという情報をもらった)、、ついでにスプラトゥール社の路線図が入っているパンフレットもくれた、、最初ちょっと信じられなかったが、その路線図を見てそれは確信に変わったのであった、、なあーんだ、行けるんじゃないか‥、、その確信にはちょっとした喜びと拍子抜けの意味合いも含まれていた、、

 ラアユーンはいわゆる西サハラの首都である、、わたしもそれほど詳しいわけではないが、それがどうしたの?という方のために少し注釈をつけさせていただくと、この西サハラという国(エリア)はまだ未承認国、つまり国として認められていない、帰属未決定地なのである、、なので、これまで我々が知りえた情報としては紛争地扱いになっていたり、危険地帯あるいは入域禁止といった情報しか与えられていなかった、、いや、ともかく詳しい事情はまったくわかっていない地域だったのである、、たぶん我々が入手し得る地図には西サハラと書かれたところは白紙または未承認エリアといった表記があるのではないか、、わたしの唯一の便りだったO氏からもらった地図にもモロッコのタルフィアの下あたりに点線の国境線が引かれDisputed(未解決?) Borderと書き込まれていた、、ところが、そのときもらったパンフレットの地図には、その西サハラの部分もすべてモロッコになっていて、少なくともモロッコ側では西サハラ問題は存在しませんといっているように受け取れたのだった、、で、そのあと気づいてアルヘシラスでもらった船会社の地図を見直してみたらやはりそのエリアはモロッコの領土となっていたのであった、、が、それをもってこの問題は解決していると見るのは早計というものだろう、、つまりこれがこの問題の難しいところで、モロッコは一貫してここはわが領土と主張しているのだけれど、一方でそこはわが領土とするサハラ・アラブ民主共和国、いわゆるポリサリオ戦線側も自分たちの主張を曲げていない、、で、国際社会も両者を支持する国に分かれているから、いまだ未解決になっているということなのだ、、ただし、ここが重要だと思うのだけれど、いわゆる路線バスが毎日数便走っているということは、紛争地(未解決エリア)であっても今のところ膠着状態?情勢は落ち着いていて比較的安定しているということを意味していないか?、つまり以前からモロッコが実効支配していたのだけれどその状態で安定しているのではないかとわたしは理解したのである、、だから何らかの動きがあればすぐに紛争地帯になる危険性は今でもあるということに変わりはない、、しかし、行こうと思えばいけるのではないかという見通しが開けたということであった、、

 で、その話を彼にすると、たぶんそんな情報はモロッコ国民は共有しているはずで彼が知らないわけはなかったと思うが、自分の仕事に結びつかなかったもんだから、いや、あそこは危険地帯で今でも入れないといいだした、、たぶん何としてでもビジネスチャンスを逃したくなかったのであろう、、わたしはこれ以上議論しても無駄とみて、それはわかっている、だからその可能性を確かめにとりあえず近くまでいってみるのだと、といってごまかした、、しかし、それは決してごまかしでなく、実際わたしの今回の旅の目的が、その可能性を探る、ということだったのだから、正直な答えともいえたのだった、、

 次の朝、当然こちらが金を払っているんだから(ま、客のつもりでいたから)朝早く起こしてくれ、朝飯も食わせろ、そしてバスのオフィスまで送ってくれと一応頼んでおいたが無駄だった、、朝飯どころか起きてもこなかった、、ま、予想できたことだけれど文句言っても始まらない、一刻も早く抜け出したほうがよいと思って、ひどいところに泊まってしまったと、彼に聞こえるように悪態をついてそこを出る、、街まで歩いて10分、時間はあったのでオフィスの近くのカフェで朝食のモロッコ風パンケーキとカフェをもらって一息つく、、

下の写真は別のところで撮ったものであるが、実はここで焼いているのがモロッコ風パンケーキ?このまま食べるか蜂蜜をつけて食べる、カフェとあわせて10Dhくらい??210_640x480


 スプラトゥールのバスは8時発でワルザザートまで140Dh、ほかに荷物代として5Dhとられた、、最大手で全国ネット、そしてメルズーカからのバス便はスプラトゥール一社だけだったから仕方なかったのだが安くないのである、、例えばフェズ~メルズーガにしても1.5倍だったから使わなかったし、その後も含めてスプラトゥールのバスはこのとき一回しか使ってない、、ま、だからというわけではないと思うが、バスは空いていた、、何人かの旅行者と地元の人で半分も埋まっていなかった、、45分でリサニに着いた、、あるいは昨日ここまで来ていれば、安宿に泊まり安いバスがあったかもしれなかったのだが、ま、それが旅の流れというもので、たら・ればの話、、ただその可能性は十分あったと思われる、、そのあとバスはErracidia10:30まではきたときと同じ道をいった、、そこから左折していわゆるカスバ街道を行く、、途中まさにカスバを思わせる街全体がひとつの要塞のようになった街並みもあり興味のつきない車窓であった、、Goulmima11:30、ティネリールTinerhir 12:30 ブーマルン boumalne 13:00 といった大きな街や面白そうな街がいくつかあった、、このバスは前日のフェズ~リサニ間のバスと違って各所の停車がだいたい10分程度、その点はスピーディでかつトイレつきのだったのはやはりモロッコ第一のバスだけのことはあった、、昼食休憩の地がなんていうところかわからなかったが13時半ころから30分の休憩がありパンとコーラで済ます、、その辺りから右手にずっと雪山が見えていた、、ほとんど高原状の砂漠というより荒涼とした荒地を、しかし道はちゃんと舗装されたいい道をずっと走り、思ったより早く15:50ワルザザートに着いた、といっても8時間のバス旅だった、、

あまりいい写真がないが車窓から;2枚、下はたぶんTinerhirのカスバ??066_640x480 070_640x480_2

昼食休憩したところから;遠くに雪山が見えている
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 スプラトゥールのオフィスはだいたい街の中心にあったが、前にも触れたがそこはバスターミナルではなく、ただオフィスがあるのみ、地図等の情報も得られないまま、街に放りだされた格好になった、、いや、まさにここは地図なく情報なくでどっちにいったらいいやら、皆目見当がつかなかった、、まず、両替をする必要があった、幸いに両替所がオフィスの何軒か隣にあって少し率は悪かったがやむをえない、、そのついでに安ホテルを聞いてみる、、ワンブロックいって左折するとバスターミナルがあってその周りに何軒かあるとのことだった、、ホテルは何軒かあったが、最初のところが100Dh、二軒目60Dhだったのでそこに決める、、まだ明るかったのでそのあと街ブラしてみた、、大きな街で、あとから知ることになったがここもメディナ・スークがあったようなのだ、、が、ここの地理はまったくわからなかったのでそこへ至っていたない(地図もなければそういうところがあるという情報も持っていなかった)、、結局ホテルの近辺を1時間くらいぶらついて、特にめぼしいところ面白そうなところも見つけられずホテルに戻るしかなかった、、バスターミナル近くだったので安食堂があった、、そこで例によっ手差しで注文、モロッコではじめて、そして久しぶりに魚のフライを食う、、それはうまかっただけでなくサラダとスープとパンがついて10Dh、信じられないくらい安かった、、それで気をよくしてフェズ以来のケーキとお茶を食後に頼む、、お茶2杯とケーキで9Dh(例のミントティがここではいっぱい3Dh、ケーキ3Dh)をあわせても20Dh<200円>もいかない、そんなところに貧乏旅の幸せがある‥、、

 アイトベンハドゥのいきかたをホテルで聞いてみると、バスもあるしグランタクシー?でもいけるが、なにやらOuedNalleh ナレエ?村というところで乗換えろとのこと、、で、ターミナルにバスの時間を確かめにいってみたが、言葉の問題でよくわからなかった、、どうもマラケシュへの道の途中だから何本もあるというようなことをいっていたと思われた(マラケシュ方面にいくバス会社は数社あった)、、他にも問題はあった、、足は何とかなるとして荷物をどうするか‥??、ちょっと荷物を持って歩き回るのはしんどそうだった、、その場合の案として荷物をこのホテルに預かってもらう、そしてまた戻ってきて、もう一泊して次の日マラケシュに向かう‥、、が、できればその案はとりたくなかった、、急いでいたわけではなかったが、右も左もわからないこの街にいてもしょうがなかったし、一度通った道を戻ってまたおなじ道を次の日に通るということ自体が気に入らなかった、、いずれとも決めかねていたが、ま、何とかなるのではと思っていた‥、、