独歩の独り世界・旅世界

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山レポート 4) 八海山

 八海山は山を知らない人でもお酒で有名だから、いまや全国区といっていいだろう、200名山の一つその新潟県の八海山(1700mくらい?)に行ってきた、楽な山かと思っていたが‥

山行記録 ; 2008/10月11日 午後車で千葉発 19:00 八海山2合目登山口駐車場着、野営 10月12日 駐車場発 6:45 屏風道コース 6合目  9:35 7合目 10:35 8合目 11:20 9合目(避難小屋) 11:55 昼食後 八ツ峰 摩利支天 13:20 (大日岳 八海山頂上? 1720m) 13:30  10月13日 6:15 避難小屋発 ロープウェイ乗り場 7:40  8時発の一番のロープウェイで下山 8:50 駐車場着 新開道経由の仲間 10:10 着 越後湯沢 山の湯で風呂に浸かりへきそば食べて帰る 夕刻千葉着

 今回は強力なパートナー二人(いずれも昔の仲間、二人とも山は現役で歳若くわたしより遥かに強靭&経験豊富なベテラン)とパーティを組めることになった、が、わたしのような軟弱者でないから、2日目上まで行ったらロープウェイで降りてどこかの民宿に泊まろうというわたしの提案は軽くいなされてしまった、わたしの主張は自分の体力の衰えを知っていたから、それでなくとも岩場鎖場の連続と聞いている屏風道ルートを重い荷(炊事道具・食料・寝袋等)を担いで登りたくなかった・登れる自信がなかったのと、やはり降りてゆっくり民宿で温泉に浸かり八海山で一杯やりたかったのだが、そんな登山を潔しとする仲間ではなかった、で仕方なく彼らの3分の2くらいだったがそれでもわたしにはこたえる荷を背負うことになってしまった、前日のテントで飲みすぎて調子いまいち、そんな状態で屏風道の岩場に向かったのだが‥これでも若い頃一応槍・剣には登ったことがあった、あの頂上直下の岩場・鎖場も決して楽なものでもスイスイ登下降できるものでもない、あの高度感は気持ちの良いものではない、それでも一昨日の八海山の岩場・鎖場に比べれば、まだほんの一時ことだったような気がする、八海山屏風道ルートの4合目から上は聞いてはいたもののほんとに岩場鎖場の連続つまり4時間ずっとその困難な道(壁?)が続くのだ、早くも6合目でバテてしまったわたしはこのくらいどうってことない仲間から遅れだす、しかしこの道は下降がより危険なため下山禁止ルートとなっており、途中から引き返すわけにもいかない、喘ぎ喘ぎ鎖にへばりついて登っていく、いつもより多いそして長い休憩をとってもらう、だんだん高度がますにつれ相変わらず鎖はつづくのだが、一息入れたときそれはそれは見事な紅葉が一時疲れを忘れさせてくれる(鎖にしがみついているときはまわりの景色なんてい見えない・見る余裕がない)ようやくのことで8合目へ、やっと鎖から解放され目の前の稜線に避難小屋が手の届くところに現われた、最後の力を振り絞ってやっとのことで小屋着、11時55分コースタイムどおりの5時間の登攀、しかしそのうち4時間岩場の鎖にへばりついていたなんて経験は今までなかった、つまり岩をやらないわたしにとっては40年以上登ってきた山の中でもしかしたらもっともハードな山登りだったかもしれない、しかしそんなルートを後から何人か女性も登ってきた、そのうちの一人は死ぬ思いだったと言っていたが、まさにそれはわたしの実感に相違なかった、その登りで体力を使い果たしたわたしは昼食後最高点の大日岳へ仲間とともに目指したが、これまた八ツ峰と呼ばれる岩峰群の登攀は、さらに高度感を伴った鎖場の連続で、大日岳の手前の摩利支岳でわたしは引き返した、体力が尽きていた、しかしこのスリリング岩場を多くの老若男女が登っていた、ほとんどはロープウェイで登ってきたわりと軽装な人たちだった、その道を翌日わたしは一人でたどったのだがロープウェイからの尾根づたいの道は1ケ所の鎖場だけでしかも傾斜はゆるく確かに一般の観光客でもたどれる道だった、故にわれわれが小屋のある稜線にたどり着いたときその人の多さにびっくりしたのだけれど、たくさんの登山者が頂上からの展望(目の前の威風堂々とした山容の越後駒ケ岳・中ノ岳)色とりどりの錦絵模様の紅葉を楽しんでいた、流石に連休&好天とあって避難小屋の隣(棟続き?)の千本檜小屋(有人、食事・夜具付)は満員となり、あぶれた宿泊者(予約していたにもかかわらず泊まれなかったらしい)がこちらの避難小屋に急遽避難(?)してきて、収容30人ほどの避難小屋もいっぱいになった、それでも混乱なく7時には皆床についていた、いつもならすぐ寝付けるわたしだが、何故か脳の一郭が覚めてて寝入ることができなかった、夜半トイレに小屋を出ると月明かりと下界の夜景、そして満天の星が素晴らしかった、そしてまた寝付けない夜は続いた

 はじめから場合によってはわたしだけロープウェイを使わせてもらうことは考えに入れていた、地図によると下山コースの新開道は、やはり鎖場もあり下りで5時間の長丁場だった、それでなくとも下りはいつも他人より1.5倍時間がかかるので結局足手まといになると判断、仲間に迷惑をかけたくなかったので若干弱気だったがわたしだけロープウェイコースをたどった、3人同時に6時15分小屋を出る、二人は上記新開道、小屋に泊まった人たちはほとんどこのコースで下山したようだ(他に中ノ岳への縦走組もいた)よって下り道はずっとわたし一人、登ってくる人にも一人も出会わなかった、それも当然でロープウェイの始発は8時、順調に下って7時40分に着いたわたしはたった一人下りのロープウェイに乗ることになった、反対に登ってくる方は相も変わらず中高年の登山者でいっぱいだった、連休最終日昨日よりも好天で暑いくらいだった、ロープウェイを降りて今度はアスファルトの道をしばらく下り、そして駐車場までの登り30分、8時50分駐車場着、荷物の整理、草むらにシュラフカバーを敷いて日向ぼこ、なんともいえないゆったりとしたいい時間、しかし予想より1時間も早く10時過ぎに彼らは降りてきてしまった、わたしでもそんなに時間がかからず降れるコースだったと言ってくれたが、わたしにとってはつかの間だったがのんびりタイムが取れて良かったと思っている、早速荷物をまとめ湯沢で温泉に浸かりそばを食べて帰ろうということになった、いろいろ捜したり聞いたりして山の湯という共同浴場を教えてもらった、なかなかよかった、駅前で仲間のおすすめのへきそばを食べた、これもうまかった、連休にもかかわらずさしたる渋滞もなく昨夕無事帰着した、今日はまだなんともないが明日あたり筋肉痛て歩行困難になることだろう‥

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