独歩の独り世界・旅世界

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2014の旅 <2014/01/15~2014/04/02> 1 , きっかけ

 旅から帰って、はや一週間がたってしまった、、その間たいしたこともせず、またダラダラした生活が始まってしまった、、これがもっとも危うい日本での生活の端緒で、ただひがな時間のみ過ぎていくことになろう、、わたしにとってはそれを回避する手段が唯一旅だったのだが‥??、、

<今回写真がないので、ちょうど帰国時満開だった桜の写真、2枚載せておきます、、地元千葉市千葉公園>Img_0007_640x480 Img_0012_640x480

 その旅も、先が見えてきたようだ、、寄る年波に逆らって、まだ若い人たちに負けてられないとバックパック背負って世界中を歩いてきたが、いや、疲れるようになった、、目が見えなくなってきた、、これは前からだが耳が聞こえなくなっている、、金をなくす(盗られたのか落としたのか不明)、カンがあたらなくなっている、、言葉が聴き取れないし喋れない、、学校へいっても少しも言葉を覚えられない、、若い人たちの会話についていけない‥、、そろそろかなぁという実感を今回ほど感じたことはなかった、、もしかしたら最後の一人旅‥??、、  

 今回は正月明け早々にAero Mexicoでメキシコシティ経由グアテマラに飛び、グアテマラに一ヵ月半滞在し、その後南米に飛び、コロンビア・エクアドル・ペルーを一ヶ月間旅した旅録となります、、が、あまり面白くはないかもしれない(いつものことだが)、途中でカメラが壊れて写真の力も借りられなくなった、、このブログ自体のモチベーションも下がったままだ、、ブログもそろそろかなぁ‥と思う、、どこまで書けるやら??、、ともかく数ヶ月の空白をできるだけ埋めていくことだけを念頭に書けることだけ書いてしまおう、とようやくその気になってきたところです、、この旅のきっかけは以下のようなことから始まりました、、

 最近の旅の動機は、まず第一は暇つぶしです、、特に老後に備えて何かを準備してきたわけでないので、やることがまったくない毎日を少しでも意義あるものにするためのものです、、第二は避寒対策です、、わたしは四季のある日本の気候をそれほど賛美するものではなく、それでも温暖な地に住んではいるものの、できれば冬の時期は暖かいところで過ごしたいと思っている軟弱もので、それが適えられるうちは、と冬の逃げ場を常に探してきました、、第三は上記二項を適えられ、しかも、渡航費を入れても日本にいるときの支出を上回らない国に行くことでした、、‥となるとかなり必然的に長期滞在となります(最低3ヶ月くらい?)、、ところが、ここにきて新たな問題が生じてきました、、今までそんな条件の適った国として中米のグァテマラがあり、2010年から短い年でも3ヶ月、長いときは半年くらい通いつめてきましたが、で、そこで何をやるの(やってるの?)どうしてるの?という質問に、もう答えられなくなってきたのです、、3年間はその土地を知る、その国を知る、言葉を学ぶといったことをやっていてけっこう充実した毎日でしたが、さすがに今年はどうしようか?もういいか?とあまり積極的になれなかったのでした、、‥そんなとき偶々面白い話が転がってきたのです、、

 わたしの友人にIという、若い頃探検家として名を馳せたものがいます、、彼とその仲間は40年前に大きな遠征をし、その記録が何と40年ぶりに一昨年発刊されました、、それは1973~1976年にかけて行われた、南米奥アマゾンの横断探検の記録で、友人I氏は個人的にそれをスペイン語に翻訳したいという希望を持っていました、、もちろん彼はスペイン語ができるのですが、あいにく彼はまだ仕事を持っていて日常的にそれに関われない、、それでほんの少しスペイン語をかじったことがあって、暇をもてあましていたわたしに少し協力してくれ、という話が舞い込んできたのでした、、それができるかどうかは別にして(翻訳経験なんかないからできないのはわかっていたが)ありがたき大義名分を頂戴して、わたしは以下の画策を講じたのでした、、1,わたしのレベルでは翻訳なんて到底おぼつかない、、2,が、今は無料の翻訳ソフトがPCで利用できる、、3,しかしそれは翻訳された日本語を見れば判るとおり、われわれの使う日本語からみるとせいぜいが50%くらいしか意味が通じないものである、、4,つまりそれは逆も真として、翻訳ソフトを使って訳されたスペイン語では向こうには通じないから、それを文法書・参考書をみながら60~70%の完成度に持っていく(ここまでは日本で出来る)、、さて、ここからがわたしの閃きと同時に渡航につながる大義名分とするにいたったことですが、5,それをnative speakerに添削してもらう(しかし、それは日本でもできなくはないがとてもコストがかかることになる)、、それを安く上げるには、6,かつて3年間も通ったグアテマラスペイン語学校があるではないか?!、、結局スペイン語はものにすることはできなかったがAntiguaのスペイン語学校Canoとは校長のMariaをはじめ、出来が悪かったからこそ、わたしは親しくしてもらっていた、、このCanoこそは、他国よりずっと安いことで評判のグアテマラスペイン語学校の中でも飛び切りの安さで有名なところであった(特に日本人には、、生徒は90%日本人、詳細以下ja-jp.facebook.com/cano.antiguaまたはspani-simo.com)、、7,Mariaはきっとわたしの要望をかなえてくれる‥、、そう確信してわたしは1月15日、4度目(正確には5度目)のグアテマラに向かったのでした、、

<Spanish school Canoの写真2枚;これは2年前に撮ったものだが今も変わっていない>061_640x480_5 062_640x480_3